満月の輝く夜。オレはチェロを奏でる美少女と出会った

柴田 恭太朗

月の光の下、青い眼をした美少女と出会った

 ダメだ。

 オレは眠気ざましに飲んでいた缶コーヒーを机に置いた。

 この微糖コーヒーでは甘すぎる。かえって眠くなってしまう。


 オレは昌司まさし、通称、まさ。立派な受験生だ。いや、立派かどうかはわからないけれど、今日もこうして机にかじりついて参考書をかたっぱしから片づけている。だから立派。すんごく立派。こうして自分で自分をほめておかないと誰もほめてくれない哀しい受験生である。


 いつものブラックコーヒーの買い置きがなくなってしまったので、姉ちゃんが秘蔵していた「乙女の微糖」という商品名のコーヒーをコッソリいただいちゃったわけだが、これが甘いのなんのって。どこが「微」ですか、これが乙女の味覚ですか。看板にいつわりありでJAROに申し立てたくなっちゃうほど、甘~いシロモノだった。姉ちゃんに言わせると、オレのブラックコーヒー好きは極端だという。偏愛がすぎるという。ホンモノのコーヒー好きならば、どんな味わいであっても良さを発見できるのだという。それがコーヒーの美学なんだそうだが、受験生を眠くさせる微糖はそもそもコーヒー失格だと思う。


 文句を言う相手の姉ちゃんは、美容のためって名目ですでに就寝中。一人でグチっていても仕方ないから眠気ざましをかねて、コンビニへ買い出しに行きますかぁ、と思って壁の時計を見上げれば、時刻はキッカリ真夜中12時。深夜もまっ盛り。


 今日と明日が出会うなら、ボーイとガールが運命的に出会ってもいい時間帯じゃないですか。こんな夜ふけに散歩をすれば何かいいことあるかもねって思うと、ちょいとワクワクする。ただでさえ気分が滅入る受験生なんだから、妄想力をたきつけてでも気分を上げていかないとね。


 オレは寝静まった家族を起こさないように、そーっとスニーカーをつっかけて玄関を出た。

 見上げれば満天の星空、白く流れる星のかけらはミルキーウェイ。あおと浮かぶ満月も笑顔で迎えてくれる。受験勉強ばかりじゃなく、たまには外へでて新鮮な空気を吸うのもイイもんじゃないか。


 コンビニへと歩きながら深呼吸の要領で新鮮な空気を吸い込む。すると鼻から酸素が流れこんでくると同時に、耳からたえなる音色が流れこんできた。なんだろうこれ、クラシック音楽? オレは耳をすませたね。


 深夜の住宅街に一台の弦楽器がかなでるメロディが流れている。それは思いのほかすぐ近くから聞こえてきた。オレ、この曲知ってる。なんとかって作曲家のなんとかって曲だ。うん、結局よくわかってないんだけど。とにかく好奇心を刺激されまくっちゃったオレは、まるで花の香りに誘われたチョウかミツバチのようにフラフラと音のする方へ吸い寄せられていった。


 たどり着いた先は芝生の庭がひろがる大邸宅。オレが住んでいる街にはところどころにお金持ちが豪邸を構えていて、世の中には社長さんがたくさんいるんだなぁと思っていた。弦楽器の音がしてきたのも、その社長さんの屋敷の一つだ。邸宅の周りは生垣が囲っているけど、背伸びをすれば垣根越しになんとか中の様子がわかりそうだ。オレは深夜で人気がないのをいいことに、思い切り背伸びしてみた。


 見えてきたのは、満月の光に照らしだされた芝生の庭。そのまん中に白い椅子がおいてある。座って楽器を弾いているのは、長い髪をした少女。彼女が弓を持った手を動かすたび、月明りに照らされた白いドレスの袖がヒラリ、ヒラリとゆれて残像をひく様子は、光の粉が飛び散るかに見える。それはそれは幻想的な光景だった。オレは垣根越しに背伸びをしたまま、少女の演奏に聞きほれた。


 これは今日と明日の出会うときに起こった奇跡なんじゃないか。そのミラクルなチャンスをのがしたくなくて、オレは思わず垣根ごしに声をかけてしまったね。

「こんばんは」

 すると少女は演奏する手を止めて、不思議そうな顔をして無言でこちらを見つめてくる。こんな夜ふけに、しかも垣根ごしに声をかけてくるヤツを警戒しているんだろうなって、オレは思った。でも深夜の住宅街で楽器を弾いている方もだぜと思ったから、さらに重ねて声をかけた。


「大きいバイオリンですね」

「バイオリン? これはバイオリンじゃなくて、チェロっていうの」

 月光の少女はクスクスと笑った。オレと同じくらいの歳だろうか。透きとおるような凛とした素敵な声に、思わずオレは舞い上がった。

「も、もちろん冗談冗談。どっから見てもチェロだよね」、春の肌寒い深夜だっていうのに、オレは冷や汗をかきながら必死でごまかす。ごまかしついでにダメ元で言ってみた。「そっちへ行ってもいい?」


「知らない人を庭へ通すわけには……」

 ためらうチェロ女子。ちょっと小首をかしげて考えるしぐさが可愛いじゃないの。

「なら知ってください。オレ、まさっていいます。という字を上下にかさねて昌」

 あれあれ? いつになく今夜のオレはあつかましいぞ。そして口がよく回ることといったら普段のオレとはちと違う。なぜだろう月の光を浴びているせいだろうか?


「ヒを上下にかさねて……ヒヒさん?」

「違うよ?」、オレはニッコリした。誰がサルか。


 すると、チェロの少女は細い指を動かして空中に文字を書きながら考え込んだ。やがて思い当たったようにパァッと顔を輝かせる。

「わかった! ほのおさんでしょ」

 ちげーう!! そのじゃねえ! オレはズッコケた。


 コメディみたいなやり取りのおかげか、志桜里しおりはすっかり警戒心を解いて、オレを庭へ通してくれた。


 あ、志桜里っていうのがそのチェロ女子の名前ね。なんとも日本的で愛らしい名前だと思うだろ? ところが庭へ足を踏みいれたオレはビックリした。月の光でわからなかったけど、志桜里の長い髪はつややかな銀色だったんだ。


「今日ドイツから帰ってきたばかりなんです。時差で眠れないから、チェロを弾いてました。ご迷惑でした?」

 銀髪の少女ははにかみつつ、上目づかいで問う。なるほどね、帰国子女なんだ。それで漢字が苦手だったわけか。あぶなくマントヒヒやら炎の精イフリートにされるところだったオレは納得した。


「いや、コンビニに行く途中に通りかかっただけなんだけどさ」

 蜜に誘われてきたミツバチのオレは、ちょっとウソをついた。

「それならもう一曲」、志桜里はチェロと弓を構えなおす。

「あっと、深夜だしこれ以上はやめた方がいいかなっと。日本は騒音に神経質だから、さすがにケーサツ呼ばれるよ?」

「ケーサツ? おおPolizeiポリツァイね。すぐやめます」

 志桜里は顔を赤らめ、弓を置いた。彼女はハーフなんだろうか、眼が青みがかっているではないか。完璧です。オレの好みの完全美少女です。


 オレはコンビニへ行くのも忘れ、志桜里と会話を弾ませた。生まれてからずっとドイツで育った彼女は、ときおり日本語がおかしくなるけど、そこはオレが優しくツッコミをいれて笑いあったり、オレはオレでチェロや音楽の話を志桜里から教えてもらった。深夜の散歩で起こった出来事。それはそれは楽しい時間だったなぁ。


 そんなふうにしてオレと志桜里は出会い、一週間後に別れた。

 展開が早すぎるって? そりゃあ仕方ないだろう、志桜里は春休みに一時帰国していただけなんだから。休みが終わったら、すぐにドイツへ帰ってしまったのさ。奇跡のように出会い、夢まぼろしのように別れる。それでいいじゃない。彼女はオレの人生に、いい思い出を残してくれたと思うし、お互いの家が近いんだから、第二、第三回目の邂逅がないとも言い切れない。そうだろう?


 ともあれそうして志桜里が帰国した後も、オレは深夜の散歩が趣味になったんだ。


 だって星のきれいな夜に、また意外な出会いがありそうじゃん? 二匹目のドジョウ狙いかって? それは違うね、ワクワク感が大事なんだよ。他に楽しみのない哀しい受験生なんだから、せめて気分ぐらいあげて行こうぜ。

 マジで、オススメ。深夜の散歩。


 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

満月の輝く夜。オレはチェロを奏でる美少女と出会った 柴田 恭太朗 @sofia_2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ