深夜に散歩してたら、壁に垂直に立つ人と遭遇した。
山法師
1 壁に垂直に立つ不審者
最近、私は深夜の散歩が趣味、とまで言っていいか分からないけど、それをよくしている。
理由は単に、気持ちいいから。
深夜の街は人がいなくて、時々車は通るけど、音らしい音はそれくらい。人のいない街を歩くのは特別感があって、開放感があって、いいストレス解消になっていた。防犯に気をつけて明かりの多い大通りを歩いているし、散歩を始めてから三ヶ月ほどになるけど、そういった嫌な巡り合わせには会っていない。
いなかった。
いなかった、んだ、けど。
「あ、すみません」と、とても気さくに声をかけられ、振り返る。
「……は」
そこには、ビルの壁に垂直に立つ、黒いコートを着た背の高い人影があった。
その光景に頭がついていかなくて、私は振り返った体勢のまま、動きを止めてしまった。
そんな私に構わず、壁垂直コートは親しみを込めたような口調で話しかけてくる。
「どうも、こんばんは。あ、いや、怪しい者じゃないんですよ」
声だけなら、若い青年。けど、いや、怪しくないはないだろ。
「最近、ここをよく通ってましたよね。あ、いえ、ストーカーとかじゃないんです。俺もよくここを通るから。あなたの顔を覚えてしまって。で、僕、今、喫緊の困り事があるんですよ」
顔は見えないけど、しょげた雰囲気になった青年は、
「もし、良かったらなんですけど。その困り事をお姉さんに手伝ってもらいたいんです」
彼がそう言った瞬間、どんな原理か全く分からないけど、影だった彼の顔が、すぅ、と明かりに照らされた。
見えた、それは。
肩までの、少し癖のある漆黒の髪。抜けるような白い肌。血のような赤い瞳。そして、目を向けた者全てを惹きつけるような、ある種恐ろしくも思えるほど整った顔。
が、薄く微笑んで、私を見ている。
そこまできて、私の頭はようやく回り始めた。
目の前の彼は、『異人』なんじゃないかと。
「どうですか? 話だけでも聞いてみてくれません? お姉さんにも悪い話じゃないと思うんですよ」
異人。人ならざるもの。というと、語弊があるか。
数十年前に科学的に立証された、『科学では説明のつかない者達』。人々はその人達──あるいはモノ達を纏めて、異人、と呼ぶようになった。
そして、そこまで頭が回った私は。
「相応のお金も出しますし……あっ」
彼からくるりと背を向けて、家に向かって一目散に走り出す。
「あ、ま、待って……」
そんな声が聞こえるけど、声の主は動く気配がない。私は彼から逃げて、逃げて逃げて、アパートの玄関前に着くと素早く辺りを確認し、さっきの青年がいないことを確認すると、いつもの五倍くらいの速さで玄関のドアを開けて中に入って閉めた。
「……はぁ……」
玄関のドアにもたれかかり、そのままずるずると床にしゃがみ込む。
驚いた。今になって動悸がしてくる。いや、これは、走ったせいでの動悸かもしれないけど。
けど、まさか異人に会う……遭う……遭遇するなんて。
異人なんて、初めて見た。いや、画面越しに見たことはあるけど。
異人は様々な異能を持っていて、当たり前だけど、科学的に立証される前から生きているヒト達なので、その異能で政界、財界、様々な、そしてきらびやかな分野で活動していた、もしくはしている人達が多い。
そんな、遠い存在のはずの異人に、しかも夜の散歩中に遭うとは。
運が良いのか悪いのか。悪いんだろうな。
「……散歩、ちょっとお休みだなぁ……」
また、あの異人に遭うとも限らない。彼は私に話しかけただけで手を出しては来なかったけど、次はどうなるか分からない。用心しなければ。
と、心新たにした次の日。
「こんにちは。昨日ぶりですね、お姉さん」
大学からの帰り道。アパートまですぐそこの場所で。彼にまた、遭遇した。
彼は人当たりの良さそうな顔をして、それが彼の美しい顔に親しみやすさをプラスしている。
今は夕方。人通りの多いこの場所で、見た目の良いこの青年はとても目立っていた。通行人のほぼ全てが彼に目を向け、そんな彼が見ている私にも目を向けてくる始末。
「で、昨日のお話の続きなんですけど」
昨日のように気さくに話しかけてくる青年から、私は一歩距離を取って。
「……け」
「け?」
「警察を、呼びます」
「え」
青年は目を丸くするが、私は構わず早口で言う。
「私はあなたを知りません。で、あなたはそんな私に用があるんですよね。それで、昨日私に話しかけてきた。私はその場をあとにしましたけど、あなたはまた現れた。しかも、昨日の話の続きをしよう、と言って」
私は一度深呼吸すると。
「やっぱり、ストーカーじゃないですか」
私の言葉に、青年は驚いた顔をして。通行人が何人か、こっちに顔を向けた。
「え、えっ。ち、違います。そういうんじゃないんです。ただ、ちょっとした頼み事を──」
「ストーカーって大概無自覚だって聞きました。どうして私をストーキングするのか知りませんが、私は私の身を守ります」
私はショルダーバッグに手を入れて、中のスマホを握りながら、彼から少しずつ後ずさって──
「痛っ!!」
「バカ! だから怪しまれるって言ったのに!」
突然空中に出現した、黒髪ツインテールで高校生が着るようなブレザーを着た子が青年の頭を穿ち抜く勢いで殴ったのを見て、思わず動きを止めた。
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