第29話 子犬とお散歩2
そう、エルナがフェリオルを連れてきたのは甘味処だった。落ち着いた色合いの、丸い木のテーブルが並ぶこぢんまりとした可愛らしい店で、風通しもいいために店に入るだけでもすっかり二人の汗はひいている。
こうしてエルナが無言で顔を伏せている間も、どんどんお客が入ってくる。案内役の少女の声があまりの忙しさに声が嗄れてくるほどの唐突な客の入りだ。どれもこれもが屈強な男性ばかりで、あっという間に店内はぎゅうぎゅう詰めになってく。
それもそのはず。彼らはフェリオルの護衛役であり、念のために外以外に店内にも人員を配置したのだろう。
「あの、なんというか。実は、私も初めて入った店で……」
「それは、見ればわかるが……」
「前々から、少し気になっていたから、せっかくの機会だしと思ったんだけど。いざ、甘いものを食べるために入ったと考えると、羞恥心というか、罪悪感というか」
「ん、んん?」
「他の人のことをどうと言うわけではなく、あくまでも自分の気持ちの上というか。甘いものが美味しいということを最近知ったんだけど、自分からそれを進んで食べると考えると、申し訳無さが先立つような」
「何を言っているかはわからないが、とりあえず難儀なことを言っているということはわかるぞ……?」
実はエルナが甘いものを知ったのは王都に来てから――クロスに餌付けをされてからだ。
竜としての記憶の中でも、人として生まれ育った中でも甘味など関わりのなかったもので、初めて食べたおやつという存在は、エルナに相当の衝撃を与えた。
美味しいけれどもたくさん食べるのはよくはない気がする……といういまだ曖昧な感情を抱えたままであり、実は自分が甘味好きだったということにも気づいていない。
「ええと。僕もやはりよくはわかっていないのだが……でもとりあえず、せっかく店に来たんなら注文するのが礼儀なのではないか?」
「そうだね。そうだ、その通りだ。うんそうだ。待って、考えてみるわ……どうしよう。何を頼んだらいいか、まったくもってわからない」
「…………」
ただのメニュー表も、エルナにとっては難解な書物のように見えてしまうらしい。
二人で見やすいように角度を変えてフェリオルも一緒に見てみたものの、フェリオルだって今しがた人生で初めての買い物を終えたばかりだ。まるでにらめっこのような状況になってしまう。ハムスター精霊もエルナのポケットから抜け出して首を傾げている。
こうして時間ばかりが悪戯に過ぎていくが、「お客様ご注文がお決まりでしたら……あら?」新たにやってきた店員が、驚きのあまりに高い位置でくくった桃色の髪がぴよんと跳ねた。
「エルナさんじゃないの」
「えっ。カカミ?」
「知り合いなのか?」
ほとんど同時に三人が声を出して顔を合わせる。
エルナはフェリオルに頷き、すこし考えた後に「うん。友達」と返答した。カカミは嬉しそうに笑いながら、手元のメモにとんとこペンを叩いている。
「エルナさんはえっと……ご家族と一緒、みたいな?」
「うん、そう。弟なんだ。カカミはこの店で働いていたの? 教会の方は?」
「司祭様のお体もそろそろ元気になってこられたからね。このお店にはお小遣い稼ぎにたまに手伝ってるの。普段は厨房にいるんだけど、今日はちょっと……」
カカミはエルナルフィア教を祀っている教会で暮らしている孤児だ。エルナルフィア関連のいざこざにカカミと暮らす教会の司祭が巻き込まれてしまった事件の記憶はまだ色濃く残っているが、お元気そうならよかったとエルナはそっと息をついた。
それにしても。なぜいつもは厨房にいるというのに今日は注文を取っているのだろう……とカカミが濁した言葉の意味を考えエルナはちらりと店内を見渡したのだが、理由はすぐに察した。
フェリオルの護衛役である騎士たちは、そろいもそろって生真面目な顔のままメニュー表に視線を落としていたのだが、いつまでもそうしていては不自然だ。ぱらぱらと片手を上げ、仏頂面な表情のままに甘味を注文し始めている。
最初に店内を案内してくれた少女はいきなりの大量の注文にてんてこ舞いとなっており、カカミも気持ちの上でそわついてしまうのだろう。ちょこちょこ、きょろきょろと足と目が動いてしまっている。
「エルナさんたちは、まだ注文は決まってないのよね? もっと後で来ても大丈夫よね」
「うん。何を頼んだらいいかわかってないから、それはもちろん大丈夫なんだけど……」
「うん? どうかした?」
この忙しさは、いわばエルナとフェリオルが連れてきてしまったともいえる。カカミは普段厨房にこもっていると言うくらいだ。小さな体では給仕役をするのも大変だろう。……手伝いたい、と思ったのがエルナの本音である。
店の中には城から連れてきた騎士以外の客もいるが、これだけ護衛役がひしめいているのだ。店の中はフェリオルにとって比較的安全なように思えた。ただそれでもエルナは城のメイドだ。クロス本人がそう思わずとも王の所有物ともいえる存在であり、勝手をするのはよろしくはない、ということくらいはわかる。
「ごめん、なんでもない……」
テーブルに手をついて自然と浮いてしまっていた腰を再度椅子に戻したのだが。「別に買わないぞ。僕が許可する」と、フェリオルが久しぶりな尊大な口調で、うんと頷き腕を組んだままエルナに話しかけたから、ぱっと瞬きながら少年に顔を向けた。
「本当?」
「友人を助けたいと思うのはとても自然なことだ。こちらを気にする必要などない」
「え? なになに? もしかしてエルナさん、手伝ってくれるの? やったあ!」
「うん。慣れてないから力になれるかわからないけど」
「大丈夫、実は厨房も大変になりそうだから、猫でもハムでも手を借りたいと思ってたとこ!」
「そっか。じゃあ遠慮なく」
「うむ。行ってこい」
「あははっ! なんだか生意気な子だねぇ!」
吹き出すように笑ったカカミを、フェリオルは呆然とした顔で見上げた。フェリオルは椅子に座っているので互いの身長差はわかりづらいが、おそらくお互い同じ年程度か、もしくはカカミの方が年下なような気がする。
そんな年下を相手に、いやそもそも一国の王子である少年だ。生意気、などと人から言われたことはもちろん、会話として聞く機会さえもなかったのではないだろうか。
「な、な、生意気……?」
ぽかんとしていたかと思うと、フェリオルは口元をひくひくさせている。エルナはただその場を見守ることにした。もはや下手なことを言える空気ではない。
「もしかして、お姉さんと離れるのが寂しかったり?」
「寂しい!? ば……。そんっ、そんなわけがないだろう……!」
「そうだ、弟くんもまだ注文しないんだよね、じゃあ弟くんも一緒に手伝ってよ!」
「はぁ!?」
カカミがぐいとフェリオルの腕を引っ張った瞬間、ざわりと店内の空気が揺れ、客の多くが中腰となっている。もちろん護衛の騎士たちだ。大丈夫ですよ、とエルナが慌てて片手を振ると、異様な雰囲気はすぐに消し飛んで消えていった。一般のお客たちが気の所為だったのだろうかとばかりに辺りを見回していた。申し訳ない。
薄々気づいていたのだがフェリオルはどうにも押しに弱いらしく、いつの間にかカカミに引っ張られていく。「弟くん、こういうとこで働いたことある? えっ、ない? ならなんでも経験だよね、いいじゃんいいじゃん!」と元気にスキップするカカミに初めは目を白黒させていたのだが、「経験……? これも、経験なのか……?」と何やらぶつぶつと呟き、「そうか! 経験か!」とやる気をみなぎらせていた。
エルナもエルナで借りてきたエプロンを借りながら、すでに顔見知りとなってしまった騎士たちの注文を伺い、厨房に伝えに行く。出来上がったケーキをお盆とともに持ったフェリオルが騎士たちのテーブルに載せたとき、その場には奇妙な緊張が漂っていた。すごいことになってきたぞ、とエルナは使い終わったテーブルを拭きながらこっそりと覗き見しながら考えた。
こうしてあっという間に時間は過ぎていき、少しずつ客の波も引いていく。というかいつまでも同じ人間たちが居座っていては怪しいので、一部を残して騎士たちも退散していった。店内の確認ができたので、次は外周の警備に当たるのだろう。エルナはそっと騎士たち会釈した。フェリオルのお出かけも、あと少しで終了だ。
「本当にありがとー! お仕事してもらったお給金の代わりといってはなんだけど、うちで一番のおすすめのチョコケーキとフルーツティー! ぜひぜひ味わってね!」
そう言って元気いっぱいに置かれたテーブルの上のケーキと紅茶を見た後にエルナはフェリオルと顔を合わせた。カカミは背中のエプロンの紐をぴろぴろと動かすように厨房に消えてしまう。
エルナとフェリオルは、最初と同じように向かい合ってテーブルに座っていた。なんとなく、互いに見つめ合い数秒そのままを過ごした。「ふふ」「くく」そしたらどうしてかわからないけれど、段々面白くなってきた。
一体さっきまで何をしていたんだろう? と怒涛の展開に腹を抱えて笑ってしまう。
「労働か。公務以外でとなると、もしかすると初めてだったかもしれないな」
「嫌だった? 付き合わせちゃってごめんね」
「いいや。でも、適材適所はあるように思う。こうした仕事が嫌というわけではなくて、僕はここにいる彼らを支えるためにできることをしなければいけないような気がする」
「……そっか」
「しかし、いい経験になったというのは本当だ。あらためて、今日は一緒に来てくれてありがとう……その、エルナ」
「どういたしまして」
エルナは微笑ましくフェリオルを見つめた。フェリオルもにっこり笑った後で、「しかし、騎士の連中。ケーキを持っていったとき、僕とケーキをすごい顔で見ていたな」といたずらっ子のような顔をしたとき、やっぱりクロスの弟なんだな、とエルナは少しだけ瞬いてしまった。
そんなエルナには気づかず、フェリオルはテーブルに置かれたケーキと紅茶を改めて見下ろし、「綺麗な色をしているな」とぽつりと呟く。
ガラスのように透明なポットの中には二人分の紅茶が入っていた。色は琥珀色で、切り取った季節のフルーツが赤や緑、オレンジとたっぷりと入っていて色鮮やかだ。ポットを持ち上げてみると、温かいと思いきやひんやりとしている。フェリオルと自身のカップに琥珀色の液体をとぷとぷとそそいだ。爽やかな匂いが鼻孔をくすぐる。
「ん。美味いな」
「すっきりしていていいね。もっと暑くなったときにも飲んでみたい」
王宮の食事で舌が慣れているフェリオルを相手にして少しだけエルナは緊張したが、概ね好評なようだ。
「紅茶はいいが……それに比べてこっちは……」
こちらはエルナの手のひらと同じくらいの茶色い長方形のケーキが一つの皿に載せられている。ナイフも一緒に置かれているため、切り分けて食べるタイプなのだろう。
「地味だな」
フェリオルは率直な意見を出した。エルナもケーキのことはよくわからないが、カカミが一番おすすめ、と言って持ってきた割には、見かけが普通すぎた。クリームもなく、素の形のまま出てきたようなただ茶色いだけの無愛想なケーキである。他にも可愛らしい砂糖菓子を盛り付けたケーキなど、たくさんあったはずなのになあ、とエルナは考えながらもさくさくとナイフで切り分け、半分をフェリオルの取り皿に差し出す。
「まあいいか」と言ってフェリオルがぷすりとフォークを刺したので、慌ててエルナもケーキを口に含む。毒見のつもりならば、先に食べなければ意味がない。と、急いで食べてしまったことを、エルナはのちに後悔した。
無骨なケーキと思ったはずが、舌の上でとろりととろける。しっとりとした食感はケーキなのにまさに味は上質かつどっしりしたチョコレートで、お菓子に関してはまだまだ初心者であるエルナはただ混乱した。甘いはずなのにほんのりとした苦味があり、これは紅茶をセットで飲みたくなる。もちろん飲んだ。さっぱりとした甘さが美味しい。そしたら今度はケーキを食べたくなってくる。
幾度かの往復を繰り返したのち、エルナは自分でも知らぬうちにフォークを置いて、両手で口元を覆った。ふうー……と、長い溜息をついて天井を見上げる。フェリオルの皿もほとんど空っぽになっており、エルナと同じような表情をしている。
「……美味かった」
「……うん」
「食べ物とは、見かけじゃないのだな……」
ぽつりと呟くフェリオルの言葉が、なんだか本質をついているような気がした。エルナはちょっと急いで食べすぎたなと反省して、今度はゆっくりフォークを動かす。もちろんハムスター精霊にもおすそ分けをし、頬袋はすっかり膨れ上がっている。
ハムスター精霊がふるふる、とこぼれんばかりな頬袋を満足げに両手で持ち上げ揺らしている向こう側では、フェリオルが空っぽになってしまった皿を難しげな表情で見下ろしていた。
「……もう一つ、頼んでもいいかもしれない」
「ん? 美味しかったものね。でも私はいいかなぁ」
おかわりって半分の大きさに切ってもらえるのかな、と店員を呼ぼうと振り返ると、「どうしてだ?」とフェリオルは心底不思議そうな声でエルナに尋ねた。
「どうしてって?」
「美味くはなかったのか?」
「もちろん美味しかったよ。でも、美味しいものはちょっとで十分だから」
それはヴァイドの、前世の相棒の口癖だった。
エルナルフィアと少しでも長く、健康に生きようとしてくれた人の想いである。
結局、ヴァイドの行動が彼の寿命に直結したのか、そうでないのかはわからないけれど、エルナにとってなんとなくしっくりくる言葉だったから、今世でも大切にしている。
しかし誰かに主張したいわけでもなかったから、ただなんとなく呟いただけだ。けれどフェリオルはきょとんとしてエルナを見たかと思うと、すぐにきゅっと眉根を寄せて「ううん」と腕組みながら唸っている。
「……フェリオル?」
「ならば、僕もやめておこう」
「えっ。ごめん、食べづらいこと言っちゃったかな。でもこれは私が勝手に言っているだけだから」
「いや」
違う、とフェリオルは小さくかぶりを振った。
「僕も、その言葉になぜだか胸の内にしっくりきた。それだけのことだ」
少しだけ、どう返答すればいいのかわからなかった。けれど何を言う必要もないのだとわかったから、「そっか」とエルナは口元をそっとほころばせた。またそれ以上に、フェリオルはにこりと相好を崩した。が、しばらくすると困ったようにしゅんとしてしまっている。
「しかしだ。その、僕はこれを、すごく美味しいこのケーキを。ぜひとも兄上にも食していただきたいな、と……」
兄上、とはもちろんクロスのことだ。思わずエルナはテーブルに乗り出す勢いで前のめりとなって、大きく頷く。
「たしかに。これは絶対に食べてもらいたい」
「そうだよな! うんうん。よし、追加の注文だ! 会計は僕が払うぞ!」
「持って帰ろう、そうしよう! 私だって払いたい!」
はいはい、と二人して跳ねるように手を必死に挙げて店員を読んだ。すっかりエルナたちの座席の係となったのだろう。カカミが桃色髪をぴょこぴょこと動かしながら呆れたような顔をしてやってくる。
「あのね、店員を呼びたいなら、そこのベルを鳴らすだけでいいのよ。さっきまで手伝ってくれてたんだから知ってるでしょ」
そして二人して赤面した。ちょっと一生懸命になりすぎていた。
「それで、どうしたの? もしかしてケーキが美味しすぎて、感想を言いたくなっちゃった?」
「それももちろんあるぞ! あ、あのだな。もし土産として包むことができるのなら、先程のケーキを一つ」
そのときである。「このやろう!」と店内に男の大声が響き渡ったのは。「ケーキを、一つ……」とフェリオルは言葉を繰り返しながら、自然と視線は声の主を追ってしまう。どうやら店の入り口で揉めているらしく、エルナもそちらに目を向けた。見ると、驚くことに叫んでいるのは見覚えのある青年である。犬歯が目立つバンダナの男――つまりは一週間前に、エルナを誘拐した一味のリーダーだ。
正直少し面食らってしまったが、誘拐したと言っても未遂――いや、実際はまったく未遂ではないのだが、とりあえず頭を冷やすべしと牢屋に入れられはしたものの、すぐに解放されたと聞いている。
「俺の方が、順番が先だったろうが! 抜け駆けすんな!」
「なんだ、大声を出したらなんとかなると思ってるのか!」
どうやら会計の順で揉めているらしく、バンダナの男は自分が先だったと主張しているようだ。店員もすっかり困りあぐねている。
「またあいつ……?」
カカミは重たいため息をつき、顔をしかめている。
「もしかしてカカミもあの人のこと、知っているの?」
「知ってるっていうか、街で自警団ぶって面倒ばっかり引き起こしてるのよ。あそこで怒鳴ってるやつが多分リーダー。馬鹿なやつらを大勢引き連れて、今みたいに大きな声でいちゃもんばっかりつけてるから街では煙たがられてる感じ」
「へぇ……」
「最近、街で見ない顔をよく見かけるから警備のためにってさらに調子に乗っていて」
そういえば、国を守るために騎士になりたい、と言っていたような。
本人たちの行動はともかく、自警団と名乗っているからには本心だったのだろう。とはいえ、これではただ揉め事を起こしているだけだ。フェリオルも不愉快さを抑えきれないとばかりに大声を出し続ける男を睨んでいるし、どうしたものかと視線を探る。あちらとしてもエルナの顔を忘れてはいないだろうから、下手にエルナが行っても逆効果だろう。
そう考えると店の手伝いをしているときに顔を合わせなかったのは運がよかった。まあさすがに注文を受け取りに行くときタイミングがあれば、先にこちらが気づいて避けただろうが。
店に残っていた護衛役の騎士の一人と目が合い、互いに小さく頷く。すぐさま騎士は席を立った。入り口近くでいつまでも揉められてはこちらも困ってしまうために、迅速に対応してくれるだろう……とそのままエルナは興味を失うようにカカミへとケーキの注文をしようとメニュー表に目を向けた。
ところが事態はそこで収まりはしなかったのだ。
――かららん!
「すみませーん、一人なんですけど入れますか?」
ドアにつけられたカウベルが鳴ると同時に、見覚えのある男が店の中に顔を出す。銀の前髪の下の表情はにっこりと愛想よく微笑んでおり、馬の尻尾よりも長い後ろ毛がぴろぴろと揺れている。
もちろん、カイルである。
(なんでまた、カイルがこんなところに?)
エルナはちょっと呆気にとられて再び視線を移動させてしまう。
「このやろう! 馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!」
何もかもがタイミングが悪かったとしか言いようがない。自称自警団のリーダーらしきバンダナの男は、とうとう握りしめた拳を突き出した、が。揉め合っていたというべきか、いちゃもんをつけられていたというべきか。相手の男は「わわっ」と悲鳴を上げながら意外なことに上手に避けた。そもそもパンチに威力も、スピードもなかったのだろう。しかし繰り出した場所が悪かった。
「え?」
その先には、ぱちぱちと目を瞬かせるカイルの姿が。
あっ、と店の中でいくつもの声が重なった。おそらくその顛末を見守っていた店のお客に店員、止めようとしていた騎士や、エルナ、もちろんフェリオル……そして拳を繰り出した張本人含めて、心の声が漏れ出てしまったのだろう。
次の瞬間、威力もなかったはずのパンチはなんとも上手にカイルの顎を捉えた。ぱっかん、と少し間抜けな効果音が聞こえてくるほどである。気の毒にもカイルはぱたりと倒れ、そのまま意識を失ってしまった。
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