第24話 他国からの使者
「おおーう! 陛下! 事情はお聞きになりましたかな!?」
「ハルバーン公爵か。早いな」
「なんの! たまたま城の書記官に提出した書類に不備があると呼び出しをくらいましてなぁ!」
ぬあっはっは! と腹式呼吸で笑う赤髪の獅子、いや髭の男はもちろん人の子である。腹の探り合いが不得意でいつでも真っ直ぐに生きるハルバーン公爵は、だからこそ他国からの悪意にあと一歩のところで絡め取られる寸前ともなっていた。疑いをかけられ、しかし無罪の証明を得たのちもクロスの右腕として力になってくれている。
大きな体は使用している二人用のソファーでさえも一人がけかと錯覚してしまうほどだが、クロスが室内に入ると同時にすっくと立ち上がり、そしてエルナの姿を見て目をまんまるにした。コミカルな動きが可愛らしい人なのだ。
「エルッ……」とまで口にした後でコモンワルドの姿を目にして、「ふうん」と妙な声を出しながら顎を引く。
「公爵、コモンワルドもすでにエルナの事情は把握している。問題ないぞ」
「ぬっほ! そうでしたなぁ! エルナ様! お変わりなくお元気そうで何よりですとも!」
「あ……はい……公爵も、本当に」
ハルバーン公爵は大きな体をちょこちょこスピーディーに移動してエルナの両手を掴んでぶんぶん上下に振った。ハルバーン公爵も取り調べを受けたと聞き色々と大変だっただろうと心配していたのだが、変わらずの元気で安心した。
それはさておき。
「コモンワルド、マールズ国の使者は、今は?」
「ヴァイド様が不在であるということは伏せ、多忙のためとお待ちいただいております。事前の通知なく訪れたのはあちら様側でございますので」
「まあ、その通りだな。向こうの用件は」
「王に直接伝えるように指示されている、と」
「なるほど。様子はどうだ?」
「紳士的な態度の方でいらっしゃいました。ご不快に思われた様子もなくこちらが用意した部屋で粛々と待っておられます。しかし使者の方は、ただの一人きりでございまして……」
「ただの一人で来たか」
くっ、とクロスは喉を震わせた。
「よっぽど急いでいたのか……しかしその割には苛立つ様子もなくか。これはまた」
ソファーに腰を沈み込ませながら面白げな声を出しているが、どうやら苦笑しているようだ。
外交に関してエルナは明るくはないが、そのおかしさは理解できる。唐突にやってきた他国からの使者。しかも一人きりであり、急いでいるかと思いきや、態度を見るとそうではない。
「目的は、エルナルフィアか」
おそらくこの場にいる全員が思い至ったことだろう。ミュベルタ国にまで伝わる噂が、その隣国であるマールズ国にまで伝わらない理由はない。
「どういった用件を伝えてくるかはともかく、この国が、竜の力を得たかどうかの確認のため訪れたという可能性が高いな」
「得ては、おりますな。可愛らしいお姿ですが」
クロスの言葉に、ハルバーン公爵がほほっと両手を合わせて笑ったが、今はつっこんでいる状況ではない。
「ならどうするの? 追い返す?」
「わざわざこちらから敵を作ることはない。マールズ国とは友好国とは言い難いが、ここ数十年は互いに干渉せずにやってきた国だ。揉めて困るのは国境近くの住民たちだろう」
たしかにそうだ、とエルナはこきりと鳴らしていた指をひっこめることにした。
「あとは帝国の動きも気がかりだ。我が国が隣国であるマールズ国と長らく交流を結んでいなかった理由は、マールズ国の立地の難しさと、その経緯にある。マールズ国はウィズレインから帝国へと奪われた土地だ。しかし百年以上も昔に帝国から独立を果たしたが、結局あれそれと口出しをされている立場のようだ。こちらとしても下手に関わるまいとしてきたが、今回も帝国の傀儡としてやって来たのかもしれん」
――アルバルル帝国。エルナの記憶よりもずっと小さくなってしまったウィズレイン王国と比べ、今もなお強国の一つとして名を連ねる国だ。
傀儡という言葉を聞いてエルナは片眉をぴくりと動かす。ただの土塊を人の姿に変え操り、こちらのことを玩具か何かのように思っていたあの男。すでにクロスによって打ち倒されたが、嫌な記憶であることに違いはない。
「……じゃあ、使者の人に会うのはやめておくの?」
「いや、ここまで来ている以上、追い返すにはそれなりの理由が必要だな。会うという以外の選択肢はない、が……」
クロスとしても判断をしかねているのだろう。だからこそ相手も不意打ちのようにやってきたのかもしれない。一筋縄ではいかないはずだ。
「じゃあ私も会う」
あっさりとエルナが提案すると、クロス、ハルバーン公爵、そしてコモンワルドと全員の視線が突き刺さった。いつの間にかテーブルの上に移動していたハムスター精霊までが、『ぢぢっ!?』と口をあけてぽかんとしている。
「……馬鹿な。お前を目的として来ている可能性があるといっただろう。情報は共有するが、あちらの目に触れぬように隠れておくべきだ」
「でも、本当にそうかどうかはわからないのよね?」
エルナルフィアの生まれ変わりを探りに来た、というのはあくまでも仮定に過ぎない。むしろそれがわからないからこそ出方に困っているともいえる。
「それはそうだが……」
「なら、確定させたらどうかな。エルナルフィアの噂を目的としているかどうかははっきりとはしなくても、少なくとも私の顔まで把握しているかどうか、ということはわかると思うの。私はお気に入りのメイドなんでしょう? 謁見の場でメイドの一人や二人いたところで目立ちはしないわ」
むん、と胸をはるように手のひらを当てたが、クロスの返事はただ眉をひそめるだけだ。
「私のことまで把握しているか、していないか。それを把握するだけで随分動きが変わってくると思う。それに私、自分で言うのはなんだけど、餌としては極上よ」
なんせ、手を出した者は全員返り討ちだ。自分から引き寄せて、叩きのめす。人を殺すことができないという難点はあるが、エルナの力を前にしてそんなものはハンデにもならない。先程の誘拐事件と同じく、一人ですべてが完結する。
クロスは無言だった。視線はこちらに合わせることなく顎に手を置き、とんとんと人差し指を動かしている。無視をされているわけではない。慎重に熟考しているだけだとわかるから、エルナたちは口をつぐみながら王の判断を待った。
「……わかった」
しかしそう長い時間は必要なかった。
「本当にいいのか」
エルナに尋ねた意図は――肯定。エルナは「もちろん」と、即座に返事をして頷く。
「ならば、準備を行うか」
「使者様のもとへ行かれるのですか」
「いいや」
コモンワルドの質問に対してクロスは子どものように、いや大人とするならば意地の悪い笑みをにやりと浮かべた。
「存分に待たせてやるとしよう。なんせ、俺は多忙らしいものでなあ」
だっはっは、と笑いはしなかったものの。
気の所為だろうか。エルナの耳にはそれはそれは楽しげなクロスの笑い声が聞こえたような気がした。
苛立ちは本性を現すものであり、向こうが少しでも腹を立てればこちらのものだ――というのはクロスの言であり、エルナもなるほどと納得した。でも、これはちょっとないんじゃないだろうか、と思わないでもない。
玉座に座るクロス、その隣には王弟であるフェリオルが。というところまでならわかる。謁見の間には、ハルバーン公爵の他、ウィズレイン王国の重鎮たちがずらりと勢ぞろいし、近衛騎士はいつもよりもきらびやかな装飾を身に着けており、騎士たちは王命として感情を抑え込んではいるものの、若干の戸惑いの表情すら見えるような気もする。
もちろんエルナもその中に立った。これほどの人の中だから埋もれてしまいそうに思うが、使者がクロスに視線を向けた際には確実に目に入る位置にただのメイドという素振りで待機している。
これだけの人を集め、さらに飾り立てたのだ。もちろん多くの時間を費やし、その分使者を待たせに待たせた。
エルナはもし自分が使者の立場だったらと想像してみた。いくら待っても王は多忙であると話の一つも聞かされず、やっと会えると入ってみれば不必要すぎるほどの出迎え。おそらく、とても腹が立つ。なんのための時間だったのかと憤慨するし、多すぎる人の中で萎縮もするかもしれない。なんせ、恐ろしいほど敵地のど
作戦の一つとはいえ、エルナは使者のことが少しばかり気の毒に思えてきた。反対にクロスは生き生きとしている。そう、こいつはこういうやつなのだ。ふとしたときに前世の勇者の姿が垣間見えてしまう……。
しかしそろそろ使者もやってくる頃合いだった。
『もし、やべーやつなら、こ、このっ、ひまわりの種を、な、投げつけるでごんすぅ……』
エルナのポケットからちょこりと顔を出したハムスター精霊が、苦しげにピンクのお手々とともにひまわりの種をぷるぷると差し出す。過去、この種が事件を解決に導いたこともあるのだが、これはハムスター精霊の大切なおやつである。「気持ちだけ貰っておくね」とそっと片手で制すと、ハムスター精霊はほっとした顔をして、かしかしと種の端を削って、即座に中身をほっぺの中に入れた。心持ち、表情がきらきらしている。
(まあ、種なんて投げなくてもいざとなったら……)
こきり、と。誰にも知られることなく背中に回した指を鳴らす。
この場には近衛騎士たちも多くいるため、こちらまでお鉢が回ってくる可能性は低いだろうし、そもそもそういった状況にならないことを一番に祈るばかりだが。
さて、一体どんな人間がやってくるのか。
「ヴァイド様、使者様がいらっしゃいました」
「ん」
玉座に座るクロスの耳元にコモンワルドが囁き、軽く頷く。自然とエルナの体も硬くなり、背筋が伸びてしまう。そうした後で自分が緊張したところで仕方がないと普段通りにすることにした。そちらの方が、万一があったときに対応しやすい。
ゆっくりと扉が開き、自然と人々の視線が集まった。エルナも同じくその動きに倣う。
入ってきたのは、ひょろりと細い、一人の男だった。
銀色の髪の毛は少しもしゃもしゃ、くるくるとしていて、長い後ろ毛を一つにくくっている。袖まであるゆったりした服装には特徴的な刺繍が施されており、マールズ国独特の意匠なのかもしれない。入った途端、男の肩がびくりと飛び跳ねた。長い前髪が邪魔をして表情はわからないが、きっと中の様子を見て驚いたに違いない。
それはそうだろうと納得する反面、エルナの胸の内が妙に騒いだ。ぞわぞわとするような、あまりにも奇妙な感覚だ。
男は驚きはしたものの、それ以外にあからなさま反応は見せなかった。少なくとも、苛立つような仕草はなく、すとすとと赤い絨毯を踏みしめながら、クロスに見下される位置でぴたりと止まり、頭を下げた。
「顔を上げよ」
クロスが告げる。
男はゆるゆると顔を上げた。そのときわずかに髪が揺れ、長い前髪の隙間から、銀の瞳があらわとなった。ずきり、とエルナの胸が強く傷んだ。過去の記憶が流れるように体中に満たされていく。知っている。エルナは、この男を知っている。
「カイルヴィス……」
吐息のようにわずかな声が、エルナの口から漏れた。
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