第2話 ちーちゃんとの日常
チルディは最強種の血を引いている。
最強種。
それはドラゴンであったり、吸血鬼であったり、魔族であったり。生き物の頂点と呼ばれたりもする高次の種族のことを差す。
個体数こそ少ないが、それらは人々に恐れられていることが多い。存在自体が厄災と言われるほどのものもいる。
彼女を育てる上で色々な苦労があったのだが、それは割愛。
今となっては笑い話みたいなものだ。
などと思わず懐かしんでいると、チルディが飛びながら俺の『肩』に戻ってきた。
「肩車してくださいとーさま!」
「こ、こらチルディ」
突然両肩に体重を預けられ、俺はフラついてしまう。
それが面白かったのか、チルディがキャッキャと騒ぎ出した。チルディは小さな頃から肩車されるのが大好きだ。まだまだ身体が小さいから良いものの、このまま成長したらどうなってしまうのか、あまり想像したくない。
「あらあら、ちーちゃん。いいわねぇお父さんに肩車してもらっちゃって」
「レオナおばーちゃん!」
「あ、レオナさん」
俺たちに声を掛けてきたのはレオナさん。
この居住区で一番の年寄りだ。もう七十を越えているというのに驚くほど元気で、俺たちも凄く世話になっている。
「どうしました? なにか御用でしょうか」
「ゴヨウでしょうかー!」
肩の上からチルディが元気に復唱する。
レオナさんは顔をしわくちゃにして、嬉しそうな笑顔を作った。
「いえね、御用ってわけじゃないんだけど、黒パンを焼き過ぎちゃってね?」
よかったらもらってくれないかしら、と袋を俺に渡してくる。
袋はまだ温かく、どうやら焼き立てのようだ。そっと袋を開けてみると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
おお、これは美味しそうだ。チルディも肩の上から背中伝いに降りてきて、袋に手を伸ばす。
「パンパン、黒パーン」
「こら行儀悪い、それにまずお礼だろ?」
「レオナおばあちゃんありがとう!」
「はいはい、ちーちゃん。お粗末さまです」
両手のひらを広げてチルディに笑いかけるレオナさんだ。
俺も彼女に礼を言い、話題を繋げた。
「助かります。カラスにハムサンドを盗られてしまいましてね、丁度食べ足りなかったところなんです」
「見てたわぁ、ちーちゃん今日も元気に口から光線を吐いて」
「はい! 元気です!」
「ダメでしょ、お父さんに叱られちゃうわ?」
「すみませんでした!」
うふふ、とやはり笑うのだ。
チルディの光線ブレスは、もはやこの界隈では有名だった。
俺は周囲に迷惑を掛けてしまっているばかりと思っていたのだが、実はチルディのお陰で、この周辺地域での犯罪が激減していたのだという。
空き巣、ひったくり、寸借詐欺。
チルディがこの区画で捕まえた悪い奴らは数えきれない。
ブレスを吐きまくる我が娘は、いつのまにかこの区画の一人自警団となっていたらしいのだった。
「危ないです! おばーちゃん!」
突然俺の背から離れたチルディが、風のような素早さで動いてレオナさんの身体を支えた。レオナさんがよろめいたのだった。
「あらあら、ありがとうねちーちゃん? 助かるわぁ」
「そこの椅子に座りましょうレオナおばーちゃん!」
チルディに誘導され、近くに置かれた丸太椅子に座るレオナさん。
「大丈夫ですか? レオナさん」
「うふふ、お父さんもありがとう。ちーちゃんにはね、いつもお世話になっているの」
「ちーちゃんはいくらだっておばーちゃんを支えますよ!」
「うれしいねぇ。もっとパン食べる? ちーちゃん?」
「食べます! いただきます!」
「ああこら、両手にパンを持ったりして……、すみませんレオナさん、行儀悪で」
レオナさんは笑いながら俺の方を見た。
「子供は明るく元気が一番よ? ほんとソルダム、あなたは偉いわ? 男手一つでちーちゃんをこんな良い子に育てたんだから」
「いえいえ男手一つだなんてとんでもない! おしめの換え方とかミルクのあげ方とか、全部ここの皆さんに教えて頂いたおかげです!」
買い被りだ、と俺は恐縮してしまう。
両手を広げて困っているとレオナさんが俺の手を取った。
「それはね、貴方が必死な顔で頑張ってたから皆も手を貸したの。いつも背中にちーちゃんを背負ってあやしてたでしょ、貴方。あやしながら、近くで遊んでいる子供たちの面倒まで見てて。そういうところ、ほんとうに凄い」
包み込むようにそっと、俺の手を握ってくれる。
ありがたいことだ、それに嬉しい。俺は気づくと笑っていた。
「そうです、とーさまは凄いんです!」
「ねぇ、凄いわよ。ちーちゃんはよくわかってるねぇ」
「ちーちゃんは違いのわかる子ですから! このパンもとても美味しいです!」
「あらあら、ありがとね。うれしいわぁ」
チルディが笑っていると、そこに見知った男が声を掛けてきた。
「やあ、ちーちゃん! 美味そうなもの食ってるね!」
元パーティーのメンバー、エヴァンだった。
『夜明けの陽光』は、今や国お抱えのS級パーティーとなっていた。忙しい盛りなのだが、時折こうやって顔を見せにきてくれる。
「エヴァン! 戻っていたのか」
「久しぶりだねソルダム。いやあちーちゃんまた大きくなった」
俺たちはゴツン、と拳を合わせた。
「エヴァンおじさん!」
「おにいさん、だよちーちゃん。俺まだ三十前でさぁ」
エヴァンはチルディの方を見ると、その背に合わせてしゃがみ込んだ。
笑顔で苦言を呈している。あれ? 俺はふと疑問を口にした。
「ん? 確かおまえ、今年三十じゃなかったか?」
「まだ二十九だから! あと三ヶ月は二十代だから!」
「そうか、そろそろおじさんと呼ばれるのに慣れておけよ」
「くうぅ~」
悔しそうな顔をしながら、エヴァンは脇に抱えたバッグからチーズの塊を取りだした。
チルディの目の前にチラチラとチーズを揺らしていくと、うちの娘は目をチーズ型に変えてこういった。
「エヴァンおにいさん!」
――と。エヴァンは満足げにうなづく。
「うんうん、ちーちゃんは良い子だなぁ」
「うちの子を買収しないでくれ、悪い癖がつくだろ」
「まぁまぁまぁ、ほらちーちゃんこれ乗せな? もっと美味しくなるぞー?」
手にしたナイフで器用にスライスしたチーズを、チルディが手にしたパンに乗せるエヴァン。
「おいしくなーる。おいしくなーる」
黒パンにチーズを乗せてもらったチルディが呪文を唱えながら、それらを口に運んだ。
「おいしーい」
目から星を零さんばかりの表情で、恍惚となるチルディ。
エヴァンはバッグを俺に渡してきた。中にはチーズ以外にも様々な食料品が入っている。
「悪いな、いつもくる度になにか貰ってしまって」
「気にすんな気にすんな、ちーちゃんは癒しだからな。ね、おばあちゃん?」
「そうそう、ちーちゃんは良い子」
二人の言葉がくすぐったい。
素直に良い子と言い切ってしまうには、少し奔放に育て過ぎたと思っている俺なのだ。すぐ口から光線ブレスを吐く癖くらいは矯正したかったのだけれど。
「はいとーさまの分!」
自分が手にしたチーズのパンを千切って、俺にも渡してくるチルディ。
俺がパンを受け取ると、エヴァンがニヤニヤと笑いだした。
「な、ちゃんと良い子だろう?」
俺の内心を察していたのか、確認してくる。
思わず苦笑してしまう俺。
「まあ……良い子、かな?」
エヴァンとレオナさんが笑顔になった。
だろうだろう、でしょうでしょう、と二人が頷きあう中、俺はパンに食いついた。
お、これは美味しい、焼き立てはやっぱり違うものだ。チルディが行儀悪になるのもわかる、ついつい食べるのに夢中になってしまった。
「こういっちゃなんだけど、要らぬ心配をしたこともあったんだソルダム。ちーちゃんがドラゴンの血を引いているって聞いたとき、本当に大丈夫なのかな? って」
エヴァンがチルディの頭を撫でながら、しみじみと言う。
「でもこの子は良い子だった。優しさを持ち人に気を遣える子だった。最強種だからといって無闇に怖がる必要なんてない、そういうことを教えてくれたんだ」
「……ほんとにねぇ。ちーちゃんのお陰で悪い人も減って」
そう言ってレオナさんもチルディの頭を撫でた。
くすぐったさそうな顔をしたチルディと目が合った。
俺の娘はもじもじと身体をくねらせて、満更でもなさそうな笑顔をつくる。
「とーさまの教育の賜物ですから!」
どこで覚えたのだか知らないが、難しい言葉を使う我が娘。
俺は苦笑した。
「……もう少し口から光線を吐くのを自重してくれると、俺の教育は完成しそうなんだけどなチルディ」
「それは大変な相談ですが!」
なにが大変なのかわからないが、胸を張って答える我が娘。
どうもこの子は、口から光線を吐くこと自体が好きなんじゃないかって気がすることもある。もしかすると、俺にわからない「ドラゴンの血」がそうさせるのかもしれない。
「そっか、大変かー」
「大変です!」
「大変じゃ仕方ないな」
俺がクスリと笑うと、エヴァンとレオナさんも笑った。
そこにチルディも加わって、俺たちは皆で笑いあったのだった。
◇◆◇◆
二人と別れ、再び洗濯物と対峙した俺とチルディ。
天気が良かったので、もう乾いているものもあるようだ。
取り込もうかと迷ってた俺たちに、声を掛けてくるものがいた。
「意外と馴染んでいるものだね。予想外だったよ」
いつからそこに居たのだろう。
まったく気配のしなかったその少女は、俺の後ろに立っていた。
凛々しい口調とは裏腹に、まだ年若そうな少女だった。
少し切れ長の目は真っ黒に美しく、腰までの長い髪も漆黒で陽光をキラキラ反射している。可愛いリボンやフリルが付いた藍色の服は、けれどとても動きやすそうだ。白い肌と黒い衣装が対照的な少女。
なんと言えばいいのだろうか。そう、『夜』がそこに居るようだった。
俺は冒険者時代、パーティーの盾役をしていた。
だからなにかの気配を感じ取ることには自信があった。
その俺にとってすら、この少女は突然現れたように思えたのである。
驚きを内心に隠しながら俺が見つめていると、彼女は片眉を上げて口の端だけで笑ってみせた。
「ソルダム・コニスンさんだよね? 元S級冒険者の」
「あ、ああ。そうだが……」
「私はカーミラ・ウィルキナス、まあ――『夜の使者』とでも言っておけばいいのかな。ここにドラゴンの血を引く娘さんが居ると耳にしてね、訪問させてもらった」
「はあ……、なるほど夜の使者さん」
敢えて気の抜けたような返事をしてみせる。
元冒険者の勘が囁くのだ、この相手は普通じゃないと。それだけに、あまり相手の土俵に立った答弁をしたくない。
そのままさりげなくチルディを背後に隠そうとして――、
「ちーちゃんに何用ですか!」
――失敗した。
チルディはズイと俺の前に出たのであった。
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