冬待つ乙女

小湊セツ

秋の終わりの

 月の明るい夜だった。しかしそれは森の上空だけで、鬱蒼と繁る針葉樹の森の底に月の恩恵は無い。時折吹く風に樹々がうねると、森の小径を覆う草葉に、ほんのりと月光が落ちるのみである。


 夜露に濡れた草をくしゃりと踏み締めながら、三つの人影が森の中を往く。先頭を歩くのは、学院の制服の上に黒い外套を羽織った背の高い白金髪プラチナブロンドの少年。名をレグルスという。

 彼の故郷は深い森の奥にあり、夜の森歩きに慣れている。斥候には最適だが、彼には夢中になると後続を返り見なくなるという欠点があるらしい。道案内としては少々気配りが足りない。


「レグルス〜! ちょっと待って! サフィルスが死にそうになってる」


 たった三人の隊列の真ん中、レグルスと同じく黒の外套を着た黒髪の少年エリオットは、レグルスに声をかけた。最後尾に居た細身の少年サフィルスが苦しそうに胸を押さえている。


「む? ああ、すまない」


 四、五メートル先に居たレグルスは慌てて戻ってくると、腰を屈めて全身で息をするサフィルスの背中をさすった。サフィルスはこめかみに浮いた真珠のような汗をハンカチで拭うと、シャツの襟元を少し寛げる。


「体力無くてごめんね」

「いや、それは……」

「レグルスの足が速過ぎるんだ。普通の人間が獣人おれたちを見失わないだけでもすごいことだよ」

「エリオットが優しい……僕に気があるに違いない」

「今すごく萎えたから安心して」

「いや、だから、それは……」


 もの言いたげなレグルスを無視して、サフィルスはふわりと巻いた金髪を耳に掛けて小首を傾げる。


「僕、こんなに可愛いのに?」

「だって、中身はサフィルスだしなぁ」

「君も僕の中身じゃ無くて、身体が目的だったんだ!」

「なんだよ。今頃気付いたの? これだからお嬢様は」

「ひどぉい!」

「いい加減にしろ!」


 イチャイチャと悪ノリを始めた二人に、ついにレグルスの怒りが爆発した。仲睦まじい二人に疎外感を覚えたわけでは断じてない。その前につっこむべきところがある。


「苦しいなら胸の詰め物を取ればいいだろうが!」


 夜の森に怒声がこだまする。驚いた鳥たちがギャアギャア悲鳴を上げながら飛び去っていく。羽音が聞こえなくなり、静かな夜が戻ると、エリオットは声量を下げて抗議した。


「おいレグルス! せっかくサフィルスが女装してくれたのに、そんなデカイ声出したら一角獣ユニコーンが逃げちゃうだろ!?」

「そうだそうだ! 股がすーすーするのに頑張って耐えてるんだぞ!」


 いつもは首の後ろでひとつに纏めている金髪を下ろして、薄く化粧を施し、わざわざ女生徒の制服を借りてきたサフィルスは、スカートを摘んでぴらぴらさせながら主張する。元々端正な顔立ちのせいか、化粧をしたらどう見ても美少女で、眼のやり場に困るほどだ。


「その顔と格好で、股とか言うな! だいたい、なんでお前が一番やる気を出しているんだ!」

「だって、似合っちゃったんだもの……」

「そうなんだよなぁ」

「めちゃめちゃ可愛い」


 レグルスがしみじみ同意すると、エリオットも頷いた。

 ようやく呼吸が落ち着いたのだろう、サフィルスはシャツの前を開けて中に詰めていたタオルを一枚ずつ剥がしていく。


「まぁ確かに君の言う通り、苦しいから胸のタオルは取っちゃうよ。細身の女の子が好きな一角獣が居るかもしれないし」

「……居たら良いな」


 そもそもお前は一角獣を手懐けられるという処女じゃないだろうと言いたいのを飲み込んで、レグルスはおざなりに返した。





 今度はサフィルスを置いて行かないように、背後を確認しながら歩くことしばらく。一行は学院裏の湖畔に着くと、それぞれの持ち場についた。サフィルスはひとり、湖が見渡せるベンチに腰掛け、その背後の茂みにエリオットとレグルスが隠れている。

 一角獣が現れたらサフィルスが注意を引き、エリオットとレグルスが捕獲する手筈になっているのだが、待機から三十分を過ぎても一角獣らしきものが現れないどころか、生き物の気配が全く感じられなかった。


「やっぱり、女の子じゃないとだめなのかなぁ?」


 静けさと寒さに参ったエリオットが弱気に囁く。レグルスは、うとうとと船を漕いでいるサフィルスの背から眼を離さず、暇潰しに疑問をぶつけてみた。


「一角獣を捕まえて、どうするつもりだ?」


 寮を出る時にも訊いたが、その時はサフィルスの格好に気を取られていたこともあって、はぐらかされてしまった。今なら逃げ道はあるまいと問えば、エリオットは素直に白状した。


「一角獣の角には、治癒の力があるって聞いたことあるだろ? もうすぐサフィルスの誕生日だから、ほんの一欠片でもいいから頂戴して、プレゼントにできたらって思ってさ。貰う本人が女装までして手伝ってくれたのは意外だったけど」


 なるほど、サフィルスの前だったから言えなかったのかと、レグルスは得心した。

 サフィルスは予言者の瞳という、未来視の魔眼の持ち主である。未来を知る代償は大きく、使えば使うほどに命を削る。一般的に、魔眼持ちは短命だと云われているので、一角獣の角を求めるのは、サフィルスの身を案じてのことなのだろう。


「そうか。それは……一角獣なんて滅多に遭遇できないからな。この機を逃す手は無い」

「へぇ、怒らないんだ?」

「毎度怒っているわけじゃないだろう? ……今度は、最初から理由を言え。そういう理由なら、俺だってやぶさかではない」

「へへ、ありがとう。よろしく頼むよ」

「ふん」


 そうこうしている内に、月は天頂から降り始め、時刻は深夜を過ぎた。北風が運んだ薄雲が月を覆い隠して、湖に夜闇が溶ける。


 最初に気付いたのは誰だったか、もしかしたら三人同時だったかもしれない。肌にびりびりと強い魔力を感じてサフィルスは空を見上げる。

 最初は風が森を撫でる音だと思った。しかし規則的にバサ、バサ、と鳴る音は次第に増えて、森の空を埋め尽くしていく。一角獣に翼は無い。湖にやって来たのは別モノらしい。異変を感じたエリオットとレグルスは茂みを飛び出し、サフィルスを背に庇う。


 やがて冷たい風と共に水面に降り立ったのは、十数頭の一角竜の群れだった。純白の鱗が美しいその竜は、優美な姿から白竜や雪山の貴婦人とも呼ばれている。本来は異名の通り雪山に生息しているが、冬になると標高の低い場所にも現れるという。水の上に長い首を鉤のように曲げてすいすいと泳ぐ姿は、遠目に見れば白鳥の群れに見える。


「この仔たちは……一角じゃなくて、一角だねぇ。目撃者は角だけ見て一角獣だと思っちゃったのかな?」

「な、なんだぁ……竜かぁ」


 サフィルスが呑気に分析する横で、エリオットはがっくりとその場に崩れ落ちた。


「一角獣じゃないのは残念だが、白竜の群れなんて滅多に見られないぞ?」

「それはそうだけど……」


 レグルスが背中をバシバシ叩いて励まそうとするが、エリオットは唇を尖らせている。珍しさだけでいえば、確かに一角竜の群れも同じぐらい珍しいのだが、一角竜の角に治癒の力は無い。落胆するエリオットを横目に、サフィルスは湖の縁まで進み出て手を振る。


「こんばんは、お嬢さん方」

「あっ、ちょっとサフィルス危ないから近付くなって!」


 優美な姿をしていても、竜は竜である。人が近付けば威嚇してくるかもしれない。エリオットとレグルスが警戒に身を強張らせたが、襲って来る様子は無い。一角竜たちはじっとサフィルスを見つめて、何やら相談した後、群れの中から一頭がサフィルスのすぐ目の前まで泳いで来た。少し戸惑ったように首を傾げる。


「雪山の貴婦人たちにお会いできて光栄だよ。でも、この湖は人里に近いから、休憩したらもっと高い場所におき。君たちの角と鱗は美しいから、悪い人間に攫われてしまうよ」


 言葉が通じるか定かではなかったが、サフィルスはいつもよりゆっくりハッキリ発音しながら話しかけた。一角竜は返事をするようにくるくると喉を鳴らして群れへと帰っていく。


「通じたのか?」

「みたいだね」


 レグルスの問いにサフィルスが頷く。

 一番立派な角を持った群れの女王が空に向かって「クオオォォ」と吼えると、群れは一斉に飛び立った。一角竜の群れは湖の上を旋回しながら高度を上げる。身を切るような冷たい風が渦巻いて湖の上を吹き抜けたかと思えば、チラチラと雪が舞い始めた。


「貴婦人が冬を連れて来てくれたんだね」


 空の彼方に飛び去る竜の群れを見送りながら、サフィルスは呟く。その穏やかな笑みを浮かべる横顔を見て、レグルスははたと気付いた。


「お前、まさかこうなるってわかってたんじゃないだろうな!?」

「んー? ふふふ。こんなに可愛い子と素敵な景色が見れたんだから良いじゃないか」


 正解とも間違いとも言わず、サフィルスは楽しそうに笑う。貴重な経験をしたのは確かだが、果たして、サフィルスの女装に意味があったのかどうかは、意見が分かれるところである。

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