アウルムは機械仕掛け

米粉パン

第1話

1


 ここはいつも晴れ。

「雨でも降れば良いのに……」

 そうなればこんな馬鹿馬鹿しい遠足も中止になる。

「地上では雨だ」

 コンソールから独り言に反応する声があった。温かみのない男の声。僕が乗っている飛行機の声。比喩ではなく、そのままの意味だ。赫雷という名の軽量戦闘機、その制御系システムに彼という人格はある。

 人間がグロテスクな肉に宿っているように、彼は精緻な機械に宿っていた。

「地上のことなんてどうでもいいよ」

 オゾン層よりも遠い世界の話。ここは猥雑に散らかった地上とは違う。棺桶みたいに狭いコックピットと空しかない。空気も薄ければ気流の粘性も低い。

「一万キロ上空では雨は降らない。雲が下にある」

 赫雷はつまらない現実の話をする。

「いちいちうるさいな。ただの願望だよ」

 ふと、バイザー越しではない空が見たくなった。

「ヘルメットの着脱は推奨しない。紫外線の影響を受ける」

 再び小賢しい指摘。僕は怒りを下敷きに、なけなしの優しさを被せる。

「心配してくれてありがとう。でも気にしないで」

 頭のそれを脱いだ。途端に睡眠不足の瞳では耐えきれない光が差す。空が見たかったのに天国みたいに眩しいことしかわからない。目を閉じると瞼の裏側にある血管の色が見える。

 この光の中で見る夢はどんな夢だろう。

 意識を保つ、この苦痛から解放されたい。操縦は赫雷がしている。悪いけれど少しだけ寝かせてもらおうか……。

「起きろ」

 意識が途切れるタイミングで声をかけられた。

 目を開けるのすら億劫だ。数時間前に眠気覚ましの投薬を受けていたが、それでもこの欲求には抗い難い。誰だってそうだろう。起きていればいるほど意識は重たく、手放したい重荷になってくる。

「ちゃんと、時間になったら起きるから……」

「職務中の居眠りは許されない」

 融通の効かないヤツ。

 僕は悪態を噛み殺してヘルメットを被り直した。

「それ、後ろで寝てるヤツには言わないの?」

 今のやりとりをしている間もずっとインカム越しで寝息が聞こえている。

「彼女は副操縦士で君は機長だろう。責任の領域が異なる」

「ケチ」

「ケチ、ではない」

 これが僕の赫雷なら眠ることを許してくれただろうに。

 この機体は僕が普段使っている機体ではなかった。格納庫にあった唯一出撃が可能な戦闘機で、後ろですやすやと眠っている妹の機体である。本来、僕が座っている席にいなければならない妹の相方は、一昨日の朝、心臓発作で死んでいた。極度の過労が原因らしい。

「僕も眠りたい。許可を」

 もう何日もまともに眠っていない。

「航行中、一人は起きている必要がある」

「君が起きてるだろ」

「人間が起きていなければならない」

「君も人間だ」

 少なくとも我らが母国ではそうなっている。

「そうだ。しかし国外では認められていない。そしてここはアウルムではない」

 アウルムとは、僕たちが所属する国家のこと。

 AIを人間として認めるだけではなく、政府や民間団体などのあらゆる組織運営をAIが任されている。完全な人工知能統治国家。

 或る人は、今回の戦争を引き起こした国だと言い、また或る人は、人類の発展のために勇敢な選択をした国だと称える。現状で言えば、前者を語る人間が多いだろうか。今はまだAIは道具であって人間扱いするべきではないという考え方が主流だった。

 しかし、必ずしも過半数側が正しいわけではない。それは歴史が証明している。

 地動説、進化論、無意識の発見。これらの反対の意見である、人間を特別扱いしようとする主張はその悉くが倒されてきた。

 人間を至上とする価値観の人たちは覚悟しなければならない。

 自分のことを唯一無二でかけがえのない存在だという思い込み、その傲慢は、今世紀において一欠片も残さずに消えてしまうだろう。その驕りを捨てられない限り、人類は次のステップに踏み出すことはできない。

「ずっと寝ていないんだ。頼むよ」

 単調なパターンしか返さない戦闘機に向かって懇願する。

「パーソナルフォルダから最近の生活を参照する。許可を」

「どうぞ」

 赫雷は一秒後に口を開いた。

「ここ三十日間、二時間以上の休息が取れていない。そろそろ幻覚や精神失調の症状が出てもおかしくないだろう。恒常バイタルへの影響も検知。生活習慣の改善を推奨する」

 なんともありがたいアドバイスだった。ため息が出る。

「できるものならそうしているよ」

 できないからこうして、玉砕が前提の出撃をする羽目になっているのであって。

 少しだけ振り返ろう。

 僕たちの国アウルムは、隣国のオリバナと戦争をしていた。

 争いの発端は、AIが自我を得たとされる要件が揃って観測されたことから始まる。

 このシンギュラリティは、進化したAIをどのように扱うべきかという疑問をセットに、世界中をバラバラに引き裂いた。

 アウルムではAIを人として認め、政治や金融、教育などの社会形成基盤をAIに明け渡した。

 一方オリバナではAIの権利を認めず、なおかつ人類を脅かす悪であるとしてラスト・ラッダイト(人間中心主義)を掲げた。

 そんな両極端な立場を取った二国が隣同士で平穏無事で居られるはずもなく、同じ地球上にあるとは思えないほどの分断が起きた。人や物の往来は途絶え、互いの国の話題を出すことがタブーとされ、そして相互理解の放棄。そして戦争。そして今日、この二国間の諍いのために僕は死ぬというわけだ。

 僕たちがいる前線基地は、敵の波状攻勢によって消耗し、存亡の瀬戸際に立たされていた。

 基地の破棄、撤退の指令が出たのが二時間前。味方が撤退する間の時間稼ぎをするという大役を仰せつかったのが一時間前。この戦闘機の離着陸が行われたのが十五分前。

 つまり、片道切符のフライトだ。帰還のための燃料は入れられているが、そのほとんどは無駄になるだろう。それが活躍するとしたら、墜落時の爆発を少し派手にするくらい。まったく有り難くない演出だ。

「そもそもさ、戦闘機同士のドッグファイトとか爆撃機の空爆なんて、時代錯誤も甚だしいって誰も思わないのかな?」

 眠気を覚まそうと、唯一の話し相手に話題を振る。

「条約で強力なミサイルが禁止されてからは、これが由緒正しい決闘の方法だ。いくつかの国同士で話し合い、そう決まった」

「だったらいっそのこと、スポーツで勝ち負けを決めれば良い。そっちの方が血生臭くないし、平和的だ」

「それでは誰も納得しない」

 赫雷は無慈悲に言う。

「誰かが死ねば、納得するの?」

 死人の有無が、いったい何を左右するというのだろう。

「人間はそう観察される」

 赫雷は他人事のようにそう告げた。事実、彼らからすれば、責任の領域というやつが異なるのだろう。

 死ぬのは適正のある一部の人間で、コロシアムは誰にも迷惑をかけない空の上。一部の戦闘地域だけに制限された戦いはいくら破壊を尽くしたところで双方の国の痛手にはならない。

 綿を詰めたボクシンググローブで殴り合うようなものだと誰かが言っていた。ゲームのような戦争だとも。けれども、リミッターをつけなければ全てが灰燼に帰するミサイルの応酬となってしまうのだから、馬鹿馬鹿しいように思えても戦力を矮小化するためのルールは必要だった。ルールに沿った殺し合いである限り国際法で裁かれることもない。他国に対して介入する口実を与えないことが重要で、大義名分を毀損しないことがこの小競り合いの勝敗よりも優先される。つまり〝セケンテイ〟というやつ。

「やっぱり取り返しがつかないところまでいかないと人間って止まれないんだ。実際に失ってみないと失くしたことに気付けないなんて間抜けだよね。想像力がない」

「君たち人間の想像力にはいつも感服しているが」

「皮肉にしか聞こえない」

 左腕の注射痕をパイロットスーツの上からガリガリと掻き毟る。

 飛び立つ前、嫌いな注射を何本も打ってきた。普段じゃ使えない高価なアンプルも大盤振る舞い。最期だからか、整備士の一人が伸びていた髪を切って整えてくれたりもした。

 ヘッドアップディスプレイに映る後ろで寝ている少女。自分と瓜二つの顔をした彼女には、口紅やファンデーションで化粧が施されている。それでも薄っすらと目元に隠しきれないクマが見えた。彼女も彼女で相当な修羅場を潜ってきたらしい。

 今日まで二人とも生き残ったのは奇跡だろう。いや、奇跡といえば、同じ基地に配属された時点で、いやいや、二人ともパイロットになるのが決まった時から、さらに遡れば、同じ母親の腹から同じ日にちに生まれた時から奇跡は始まっている。生まれた時も一緒だし、死ぬ時も一緒というわけだ。この奇跡に立ち会えただけでも生まれてきた甲斐があったのかもしれない。

 まあ、そんな筋書きを書いたやつがいるとしたら銃殺するのだが。

 そもそも、生きていることが偶然に過ぎない、と言えばそうかもしれない。これは、なかなか、自分の中では大きな発見のように思えた。死ぬ前に気づくことができて良かった。手元にノートがあれば記録していただろう。

「生きていることは偶然に過ぎない」

「どうした?」

「覚えておいて。僕はたぶん忘れるだろうから」

 僕は再び眠っている妹の顔を見つめる。

 妹は、この空域で電子戦を担当する副操縦士だった。戦闘機における頭脳担当で、適正者が少ないこと、そして訓練時間が膨大なことから飛行機を操縦するパイロットよりも価値が重く扱われている。咄嗟の判断が操縦士の役割なら、副操縦士は中長期的な判断、作戦の立案やハッキング、セキュリティを管理する。膨大な情報を取り扱う哨戒機にとってフライトオフィサーは必須の備品だった。

 ただし、今回のフライトに限って言えば必要なパーツではない。他機との連携が無用な単独飛行。それも玉砕することが目に見えた作戦に用いるには高価すぎる付属品だった。

 それでも妹が付いてきたのは、彼女の我儘だ。

 僕が双子の片割れだからか、それともこの機体が妹のものだからなのか。彼女の気持ちはわからない。双子だからといって通じ合っているわけではない。むしろ妹の気持ちを察するのは僕にとって困難なことに分類される。

「まもなく作戦空域に入る」赫雷が無感動に告げた。

「だってさ、アイ。そろそろ起きなよ」

 キャノピィで分断されているので肉声は届かない。インカム越しで後部座席に声をかける。

 返事はなかった。

「電気ショックまで残り三秒」

 赫雷のアナウンスの後、きっかり三秒後に悲鳴が聞こえた。

「おはよう、アイ」

 ディスプレイに、顔をくしゃくしゃにしたアイが映る。僕と全く同じ顔をした双子の妹は目を瞑ったまま口を開いた。

「おはよう」

「よく眠れた?」

「んー」肯定のような否定のような音。

「赫雷。もう一度必要かも」

「了解」

「起きてます。起きてますよーう……」

 そう言いながらもまだ目は開かない。気持ちはわかる。僕だって一度寝たら丸一日は外部刺激に反応しないだろう。

 これ以上無理をさせるのは可哀想に思えた。彼女が寝ていたからといって戦えないわけではないのだし。

「赫雷。眠らせてあげよう」

 どうせあと数分の命だ。口にはしないが。

「それはダメ。赫雷。電気ショック。もっと強く」

 アイは自らそれを求めた。

「了解。3、2、1」

 鋭い悲鳴。拷問じみた刺激に、今度こそアイは目を開けた。

「起きた」

 目を丸くしながら彼女は報告する。

「寝てても良かったのに」

「わたしがちゃんと見てないと、死んじゃうでしょ?」

 微睡むように目を細めてアイは言う。

「見てようが見てまいが、死ぬ時は死ぬよ。赫雷。試しに今回の作戦で生き残れる確率を計算してみて」

「可能性は」

「黙って。赫雷」アイが遮った。

「……」

 赫雷は本来の主に従う。

「諦めないで。なんとしてでも生き延びるの。いい?」

 僕は曖昧に頷いた。問答になれば負けるのは目に見えていた。すぐに降参する癖がついている。

「手のかかる弟を持つと大変だわ」

 あわあわと口に手を当てながら妹は言った。

「先に生まれたのは僕だ」

 昔から彼女は自分を姉だと主張しいていた。この件では僕はただ事実を言っているのに対し、彼女は精神的な優位性を強調するために言っている。僕にとっては譲れない一線だったのでこれだけは否定していた。

「後とか先とかくだらないなぁ」

「くだらないなら、妹ということで良いよね」

「冗談言わないで。わたしが姉なのは、お天道様が東から昇って西に沈むくらい当たり前のことなんだから」


 遍く高度知性体は平等である。

 それが僕たち、アウルムの方針であり見解だ。

 生物的な人型も、そうではない人型も、そして知性のある戦闘機も。

 誰もが平等。

 知性あるモノは全て、優劣のないイコールで結ばれている。

 それがアウルムの法。

 だから、この空では全てのモノが等しく使い捨てられる。

 人格を持つ戦闘機も、それに乗るパイロットの命も。

「敵機を発見。計七機。ファイタータイプが六機。爆撃機が一機」

 重たい現実に帰ってくる。

 赫雷が捕捉した敵を伝えていた。

 進行方向に目を向けるが、肉眼ではまだ何も見えない。そう思った次の瞬間、赫雷が解像度を上げた映像を見せてくれる。

 海中を泳ぐ小魚のように、一つの群れが宙に浮いていた。

 この魚群の目的は、僕たちの基地、アウルム拠点の制圧だ。群れの中心に居座る他より少し大きな機体が爆撃機。爆弾を積んでいる分、鈍重で小回りが利かない。だから護衛が必要で、その周囲をファイタータイプの戦闘機が囲っていた。

 等間隔できっちりと隊列を作っている。敵ながら美しい編隊。

 相手が十全な軍隊なのに対して、こちらは孤独なトンビと言って差し支えがない。両者の勝敗は占うまでもない。仮に僕がエースパイロットだとしても二、三機を道連れにするのが関の山だ。そして僕はエースパイロットなどではないし、コンディションも最悪だ。

「七対一。どうする?」

「鈍重な爆撃機をひたすら狙って」フライトオフィサーのアイが指示を出した。

「他の六機に追いかけ回されながら?」

「そう。なんとかするの」

「なんとかする、じゃなくて具体的に」

「火事場の阿呆力で。窮鼠狗を噛むみたいな」

「……」

 具体的ではない譬え話だし、何もかも間違っているので閉口する。

 赫雷が警告の音を発した。

 見上げると、敵影が近づいていた。

 僕たちが彼らを補足しているように、彼らもこちらを補足している。数秒後にはミサイルが飛んできてもおかしくない状況。これから先は会話をしている余裕はない。

「戦闘開始。目標は爆撃機」

 ヘッドアップディスプレイに敵機の軌道やこちらが取るべき戦闘プランが表示される。プランは三つ。そのどれも、無謀な行動だと赤いアラートで注釈が付けられている。途端に落書きがそのアラートを塗りつぶしていった。勢いのある筆跡でニコニコマークが描かれる。

「生き残って。おにいちゃん」

 返事をせず、狭いコックピットの中で精いっぱいの伸びをする。

 こんな身動き一つとっても今は貴重な運動だ。Gによっては生唾を飲み込むことすら難しくなる。おそらく、これが人生で最後の背伸びになるだろう。

 身体を伸ばしながら、色々なものに見切りを付けた。

 執着が重さになる。恐怖が思考を鈍らせる。迷いが判断を遅らせる。

 ここに至っては何も必要ない。

 空っぽになろう。でなければ、多数を相手に一機で戦う無謀を行えなくなる。

 さあ、最後に、命を捨てよう。

 これでもう僕には何もない。

 風船のように思考が軽い。

 気を楽にして。そう。何度もやってきたことだ。難しくないだろう? 恐怖を手懐けるように、諭すように、自分に言い聞かせる。

 柔らかく操縦桿を握った。

「エンゲージする。ジャマー警戒のため最初は僕が。赫雷はサポート。アイはセキュリティの監視」

 了解、と声が重なった。

「───緊急、緊急」

 こちらの意気込みに水を差すような警告音。

 馴染みのあるミサイルアラートとは違う音だった。一瞬それがどういう種類の警告なのかわからなくなる。

「ハッキングを検知。フライトオフィサーはすぐに状況の確認を」

「え?」

「繰り返す。即座にパラメーターのチェックを……」

 赫雷は機械的な口調になって定型句を繰り返している。この一瞬で彼はブラックアウトしていた。

「うそ」

 信じられない、とアイの呟きが聞こえる。

「……どうした?」

 操縦桿を動かすがレスポンスがない。

「あり得ない!」

 悲鳴のような声と共にエルロン、ラダー、フラップがあらぬ方向へ。

 まるで敵前逃亡するかのように機体は尻尾を巻いて急旋回する。

「赫雷! 応答して!」

「……」

 反応がない。戦闘開始時のプランを表示したまま画面が固まっている。

 七機の内、三機が接近していることを目視。

 鳴り止まないアラート。操作を受け付けない操縦桿。何もかも滅茶苦茶だった。

「赫雷! 起きて!」

「───再起動。操縦権限を一時放棄。パイロットに委譲する」

 操縦桿に手応えが戻る。操作性を確認する間もなく舵を切る。

 離脱のために速度が必要だった。急いで白い雲に向かって降下する。

 急激に加わるGに思考を割かれながらチャフを展開。

「二機がスルー。回避を」

 赫雷の報告に舌打ち。しかし唇を噛んでいる暇もない。

 おそらく、ここが意識を保てるギリギリのライン。それを見極める。自分で自分の首を締めながら、窒息しないように調整する。

 いや、これでは足りない。冷や汗をかきながら自分の限界以上に操縦桿を倒した。

「───っ」

 意識ごと外側に引っ張られた。明滅しモノクロになる視界のなかで、思考力がだんだんと細くなっていくのがわかる。まるでしぬまぎわのむいしきがひろがっていくかんかく。ぷちぷちとけっかんがちぎれていくのがわかる。いまのぼくにはかんたんなたしざんすらできない。

 アイ、ブラックアウト。心電図が途切れたような音が鳴る。

 赫雷が操縦できない今、僕が落ちるわけにはいかなかった。スーツが無駄な血流を止めるために手足を圧迫する。か細い意識を、歯を食いしばってなんとか繋ぎ止める。

 そんな僕の状態を見かねたのか、赫雷は操縦権の移譲を提案してきた。

 再度行動不能になる恐れがあったが、背に腹は変えられない。再びハッキングを受ける可能性よりもまずは目先の危機から逃れることが先決だと判断し、それに同意する。

 操縦者が切り替わる。不器用な人間から何億通りの未来を見て最善を選ぶAIへ。

 赫雷は乗っている人間に気を遣った機動で紙一重でミサイルを躱していく。

 おかげで思考力が戻ってくる。

 僕は操縦桿から手を離し、画面を操作する。電子攻撃の対策のため、気を失っているアイに代わってHUDに意識を繋げた。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三つのセキュリティを呼び出す。

 いずれも異常なしと告知している。

 そんなはずはない。すでに掌握されていると判断して順次再起動を促す。

「う……。状況は?」

 アイが目を覚ました。

「赫雷が操縦。こっちは電子攻撃の特定」

「そう。じゃあわたしは壁になる」

 目が覚めたアイが状況を即座に理解して電子意識空間へダイブした。赫雷は敵のミサイルを誘導するためのフレアを放出。シャデラクが復帰したのでアイの元へ向かわせる。僕は最初に受けた攻撃の正体を究明するために赫雷のログを遡及することにした。

 敵の攻勢が思っていたよりもゆるい。雲を抜けてきたのは二機しかいなかった。二機で落とせると踏んでいるのか、それとも伏兵を警戒しているのか。

 どちらにしろ都合が良い。赫雷が機能している内に彼の思考ログを速読する。そこにある言葉の意味を吟味している時間はない。直感で違和感を捜索する。

 ───見つけた。一瞬の転調。自然に偽装した波形。赫雷が行動不能になる11秒前のこと。

「赫雷、交代だ。攻撃された箇所を特定した。プロテクトの貼り直しとヴァリアントの対策をしろ」

「了解」

 操縦権が僕の手に戻る。向かってくるミサイルを赫雷よりも拙い動作で回避した。

 状況を立て直すために離脱しようとスロットルを切る。一定の距離まで離れると、護衛機から遠ざかることを嫌ったのか、二機の戦闘機は引き返していった。

 一息つく。まだ安心はできないが……。

 目に見える脅威は去った。

 あとは電子戦の結果だ。

「アイ? そっちは?」

 反応がない。

「赫雷?」

 反応がない。

 不吉な予感がした。

 操縦桿を倒すが赫雷は微動だにしない。振り出しに戻る。再び操縦不能にされていた。

「ああ……」

 思わず声が漏れた。

 追撃が止んだのは、そういうことか……。

 電子戦の敗北によってすでに決着がついていた。

「……聞こえているんだろう? 無駄なことはするな。早く殺せ」

 コンソールに向かってそう告げる。

 気圧で潰すなり、墜落させるなり、相手の裁量次第だった。

 何の反応もなく、赫雷は南西の方角をまっすぐ飛んでいる。

「好きにしろ。もう僕たちには、打つ手がないんだから」

 操縦席に身を委ねる。

 子守唄のようにエンジン音が響いて振動していた。

 目蓋が重い。目の奥が痛い。これ以上、目を開けていられない。スタッフロールは終わり、あとは無惨なエンドマークが残るだけ。そこまで見守る価値がこの人生にあっただろうか?

 目を瞑って過去を振り返る気力もない。

 この睡魔に身を委ねる価値に比べれば、何もかも些細なこと。

 もう僕が目を覚ますことはないだろう。

 躊躇いはない。やれることはない。後悔もない。お疲れ様でした。

 おやすみなさい。

 さようなら。

 もう二度と、この地獄で目を覚ましませんように。

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