Chapter 2 ●泡、生きてる……
「交信してるの?! そうね、ダイちゃん!!」
耳元で突然大声を出され、ダイシュナルは集中力を失った。そのとたん、トーキンとの交信は跡絶えた。
「ダイちゃん……あなたって人は!」興奮した女史は、まだガラスにへばりついたままのダイシュナルをひきはがして叫んだ。
「話したの? 何を話したのよ!」
「何って……まだ……」
ダイシュナルは、どこかぼんやりした口調で言った。
「いいわ。とにかく、研究室に戻りましょ! もう一度分析しなくちゃ。
…まったく、なんてことをしてくれたの!」
「ま、待ってくれ! まだ話が……」
「話ですって? あなた、わかってないわ」怒ったように女史は言った。
「いい? あなたの親友は、まだ重体なのよ。いくら脳波交信だって、話をしていい状態かどうかくらいわかってよ。とにかく、彼が何を言ったのか覚えていてちょうだい。それを分析しなくちゃ……。あなた、親友を助けたいんでしょ?」
女史は、ダイシュナルにでなく自分に対して怒っているのだった。脳波交信のできる人間を近付けてしまうなんて……。病人に対して、最もやってはならない刺激を与えてしまった……。
人一倍プライドの高い彼女は、自分のあさはかさに唇を噛む思いで、ダイシュナルを引きずるように研究室に戻った。
「話をしちゃいけなかったのか……?」最初こそ、強引な女史の態度に腹を立てていたダイシュナルは、ことの重大さに気づくと、口ごもるように言った。
「当たり前でしょう。脳波交信だなんて、一体どのくらい負担になるか……」
「そうか……。じゃあ、これでトーキンは……?」
「わからないわ」溜め息をついてレム女史は言った。
「脳波交信についても、彼のあの際限のない睡眠についても、今のところ何もわからない。情報が足りなすぎるのよ。だから、彼と何を話したのかを知りたいの。覚えてるんでしょ?」
「ああ……」
「じゃ、書いて。できる限り正確にね。分析次第じゃ、トーキンを助けられるかもしれない……」
ボードとペンをダイシュナルに押し付けながら、彼女はまだ興奮を隠しきれないでいた。「わかったよ、書きますよ。親友のためにね」
ボードを取り上げながら、しかしダイシュナルは、ふと思い付いたように顔を上げた。
「どうしたの、忘れちゃったの」
「忘れるもんか。しかし、あんた今、“分析する”って言わなかったか」
「言ったわ。それが、どうかして?」
「コンピュータにかける気か」
「当たり前でしょう? あなたと彼が何を話したか知らないけれど、他にどう分析できるっていうの」
「ちょっと待てよ。さっき約束したんじゃないのか? トーキンの脳波交信のことは、誰にも———M.O.C.にもバラさないって……」
「ええ、そう言ったわ」
「しかし、今あんたは、オレが脳波交信で聞いたヤツの言葉を、M.O.C.のコンピュータにインプットする気なんだろう? そう言えば、さっきオレが描いた絵だって……。いったい、オレたちの脳波交信を説明せずに、どうやってこの言葉の出所をコンピュータに説明する気だい。ええ? センセイ。言っておくがオレが聞いたのは、妙な言葉だったぞ。
本当に……妙な……」
「なんだ、そんな事だったの」レム女史は肩をすくめた。
「ダイちゃん、あなたコンピュータを誤解しているわ。M.O.C.のメイン・コンピュータは確かにある意味では、M.O.C.の命よ。でも、だからってそれに人間がコントロールされきっているわけじゃないわ。少なくとも、私はコンピュータに制圧はされないつもり。逆にコンピュータをどう扱ってやればいいのかぐらいは、心得ているつもりよ。第一、さっきのヴィジュアル・メッセージだって、出所が不明確なことでは同じだし、あなたが信じようと信じまいと、それがトーキンからの情報だなんて、コンピュータは知らないわ。うまくやれるわ」
「本当に、できるんだな」
「約束する」
「オーライ。じゃあ、あんたの欲しがっている情報は提供しよう……」
ダイシュナルは、再びボードを取り上げると、時折考え込みながらペンを走らせた。
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泡、生きてる、泡の渦……
太陽の国……戻れない……
時間が、止まる
助けて…… 水がない…………
赤い音…… 聞こえる
ダイシュナル…… 助けて
============================
「これで全部だ。あとはあんたが交信を中断しちまったからな!」
ダイシュナルはボードを放り出すようにして言った。
「もう少し交信できていれば、何を言いたいのかわかったもしれないのに……」
「しかたないわ。あんなにハイレベルのPGO波をあれ以上続けてたら、あなたたちまたどっかへ行ってしまうもの。あなたたちは、同じような状態で、ともかく過去に一度死んだか、あるいは死んだと同レベルのショックを受けてるんですからね、無理はできないわよ。
とにかく、断片的なのはしかたないわ。これを分析してみるしかないわね。
そう……そろそろ、さっきのヴィジュアルメッセージの分析結果も出る頃でしょうし……」
その言葉にうなずきながら、ダイシュナルは別のことを考えていた。
「しかしトーキンのやつ……。どうしてあんなところで交信できたんだろう。あいつの能力は、水中でしか発揮できないはずなのに……。ナゼなんだ、こんなことは一度もなかった……」
ダイシュナルが言う通り、それは不思議なことと言えた。彼の意識が戻らないことと関係しているのだろうか?
だが、レム女史は首を振った。彼女は少なくともひとつ、それについての答えをすでに見つけていたのだ。
「たぶん……、これは推論にすぎないけど……。
問題は水中か陸上か、ということではないと思うの。圧力なんじゃないかしら」
「圧力?」
「そう。トーキンの脳はある一定の圧力下におかれることで、急激なレム睡眠状態に陥るんじゃない? そして、レム睡眠に入ってPGO波を発生させることで初めて、彼の中の〈テレパス〉が目覚める……。そう考えると辻褄があうのよ。だって、今、彼は水中にいるわけじゃないけれど、16barの圧力下にあるわけでしょ。徐々に圧力を解除してはいるけれど、ね。
そうよ……きっと。今の彼の状態って、水中72ファゾムで受ける圧力と、ほぼ同程度の圧力を受けてるわけですもの」
推論とはいうものの、レム女史の言葉にダイシュナルは、ドクターならではの説得力を感じた。
だが女史自身、自らそう判断しながら、完全に納得しているわけではなかった。
『念のためにもう一度、CTスキャンで確認したほうが……』
そう思い、減圧室のトーキンに、研究室のコンピュータから再度オートスキャンの実行を入力した。モニタ越しに、減圧室のスキャナが稼動した。「結果は後で確認するとして、とりあえず……」
そう独り言のように言って、女史はM.O.C.分析コンピュータに、トーキンからダイシュナルへと伝えられたロゴス・メッセージの解読を命じ、引き換えにさっき入力したヴィジュアルメッセージの分析結果を持ち返ってきた。
「さあ、いいかげんに機嫌を直して、一緒に考えてよ」
レム女史は、ダイシュナルの顔を覗き込むようにして言った。
「私、この謎にすっかり魅了されちゃってるの。かと言ってあなたなしで解ける謎とも思えないしね」
彼女はM.O.C.分析コンピュータからアウトプットされたフロッピーを、モニター映像に投影した。ダイシュナルが描いた稚拙な線画が、見事な3D映像に再構成され、800インチの大型モニターに映し出されていた。
それは、不思議な————この世ならぬ絵だった。
一見有機的に見えるボディライン、光沢のあるゼラチン状のテクスチュア、サメの鰓のようなエアーダクト…………どうやら人類のものとはまったく異なる文明が造り出した、一種の潜水艇のように見えた。
減圧装置らしきものが、中央についている。そのフォルムも、魚の目を縦にしたような、見慣れぬものだったが、同時にどこか懐かしいような思いを見る者に抱かせた。レム女史もダイシュナルも、その画像に吸いつけられるに見入った。
自動的に画面が切り替わり、今度は文字と音声によって、分析結果が報告され始めた。
〔分析結果: この物体の発見地、不明。発見者、不明。発見日時、不明。 ……あるいは、空想上のものかとも思われる。現実に存在すると仮定すれば、別種知的生命体による建造物。あるいは、その生命体のための移動用機器。別種知的生命体の推測像: 水深 500〜8000ファゾムの深海を生命活動エリアとする、深海生命体。およそ200barの圧力を平常値とするこの生命体は、我々とは逆に、圧力減少に耐えうる身体構造を持たない。ちょうど、深海底から引き上げられた深海魚が、内臓破裂を起こすように、彼らは極度の減圧には耐えられないだろう。
この推論の論拠: この建造物は、我々が宇宙へ打ち上げる有人探査ロケット状の機能を備えているように見受けられる。あるいは、極度の減圧を避けるため内部圧力を200barに保ちつつ、本体は減圧に耐えうるように構築された浮上艇(フロートマシン)状のものか。補足: この浮上艇状の建造物をつくった知的生命体が、もしこの惑星上に存在するものと仮定すれば、彼らは我々とはまったく別種の文明を何百世代にも渡って育んできたものと推論される。我々とこれまでコンタクトがとれなかったのは、このような深海にまで到達した者が、我々の側に存在しなかったこと。また、彼らの側がこれほどの水中上昇に成功しなかったことが、その理由と考えられる。
なお、これ以上の解析はコンピュータには不能。データ不足。
創造上の構造物ではないと仮定するならば、発見場所・発見日時・発見者を入力せよ〕
最後のセンテンスに、レム女史はちょっと首をすくめた。
「まったく、だから機械っていうのは……よけいなお世話だわ」
しかし、ダイシュナルは画面の文字を食い入るように見つめたまま、興奮気味に言った。
「未知の文明だって? すごい発見だぜ! よし、今すぐM.O.C.のトップに報告してやる。そうすりゃ、トーキンの降格なんて話は吹っ飛ぶっぜ!」
有頂天になって目の前の受話器を手に取るダイシュナルを、女史はあわてて引き止めた。
「何ですって? 何を考えてるの、あなたは!」
「これじゃ、まだデータ不足……コンピュータの言う通りよ。このデータは、推論また推論の繰り返しじゃない。どんな物凄い発見だって、裏づけがなきゃ、ただの空想にすぎないのよ。これじゃまったく信憑性がないもの。ね、おねがいダイちゃん、もう少し時間をちょうだい。2週間もあれば、このデータをただの空想からノンフィクションにして見せるわ」
「できるのか? データはどうする。今のままのデータじゃ、絶対的に足りないってコンピュータは言ってるじゃないか。『発見場所と発見者を入力せよ』だと……。それはしない約束だぜ」
「できます。まかせてちょうだい。トーキンの能力は、絶対に入力しないわ。それは約束した通りよ。ただ、ほらさっきのヴィジュアル・メッセージ……あれとつなげることはできる。それに、これは私の専門分野に関係してくることかもしれないの。私にはまだ入力すべきデータがあるのよ。
お願い……時間をちょうだい。きっとあなたを満足させてあげられるはずよ。ただの“推論”が信用に足るデータになった頃には、トーキンだって回復してるんだろうし……」
ダイシュナルは、しばらくレム女史をにらみつけていた。
が、やがてようやくひとつ頷くと、言った。
「よし、いいだろう。時間をあげる。ただし、条件つきだ」
「いいわよ。ダイちゃんが条件なしで、何かを認めるなんて、もうさっきから思ってないもの」レム女史は、ちょっと首をすくめて言った。
「何でもどうぞ」
「まず、ヘムに対してだ。彼に対して、必要以上の実験的行為を絶対に加えないこと」
「オーケー」
「それから、あんたの分析の結果新しく得られたデータは、そのつどオレに報告すること」
「はいはい、わかりました。全部了承しますよ」レム女史は、処置なしといった様子で答え、ダイシュナルの手を、静かに受話器から放した。
———結局、彼女はオレの条件をのみ、経過の報告を約束した。
最初に連絡があったのは、それから2日後のことだった。トーキンのことが気にかかっているのか、オレにしては珍しく眠れない夜が続いた。
だからその日も、明け方ようやくトロトロしはじめたところを、女史からの電話のベルで叩き起こされたわけだ。
ともあれ、連絡があるのは良いしるしだった。
女史は、例のトーキンから受けたヴィジュアル・メッセージが、やっと解読できたと告げ、すぐにFAXを送ってきた。紙面には、女史の達筆な文字が並んでいた。
——————————————————————————————————————
“アワ……イキテル = 泡、生きてる”
このセンテンスに、M.O.C.科学データを加味した結果、この “泡" は、ゼラチン状の球状生命体と推測される。つまり、一粒一粒が単体生命として機能するわけである。ただし、場合によって条件づけされることにより、一粒が細胞の役割に変換(スイッチ)して生命体を形成する。
この時、各細胞生命は、生体プラズマにより互いに意志を通じ、監視しあって全体をコントロールする。ダイシュナル氏の報告を併せて検討した結果、この泡状単体生命の集合体は、渦のようなフォーメーションを用い、意図的にダイシュナルとトーキンの2名を急潜行(ボトム・ダウン)させ、意識を失わせしめたと考えられる。かなりの知的水準を有していると言えよう。
しかし、この突発的な渦状フォーメーション形成は、自らの意志によるというよりも他からの命令に対応した結果である。つまり、一種の生物兵器の様なものではないか。たとえば、よく飼い慣らされた警察犬が、警官の笛ひとつで犯人にとびつくといったような主従関係が推理される。これは、この種の主従関係に特有のプラズマ(意志伝達反応)が、この時、渦の中に多量に発見されている事実からの推論である。
『主従関係だって?』ダイシュナルは眉根を寄せた。『だとすれば……、この泡状単体生命集合体ってのが“従”なら、“主”ってのはどこにいたんだ?』
彼はしばらくFAXから目を放し、空中に視線を彷徨わせた。あの時、オレは何かを見ていたんだろうか……知らない間に……?
ダイシュナルは、その考えを振り切るように頭を振り、またFAXに目を戻した。
以下、便宜上“泡状生命体”を〈スカム〉、これを操る別種知的生命体を〈スカム・マスタ〉と呼ぶ。問題の時間、ダイシュナルとトーキンの2名は、〈スカム・マスタ〉のテリトリーに無断で侵入したと思われる。それを領海侵犯とみなされ、攻撃を受けたわけである。さて、その〈スカム・マスタ〉だが、彼らはトーキンのヴィジュアル・メッセージに現れた浮上艇(フロート・マシン)に乗船していたものと考えられる。浮上艇には計3名の乗組員がいたもよう。これは、意志プラズマが3種確認されたことによって、裏付けられる。この3名の役職(?)および階級も、このヴィジュアル・データに現出している。
(メッセージの右側に表れた図形がそれを示すもの。下記参照)
∝III ∞IIII・ ∽IIIII:
左の図形が役職。点が倍率、その右にある(III)(IIII)(IIIII)が階級をそれぞれ表す。
かつて、我々の文明にも、この記号に酷似した文字を用いた種族が存在した。およそ2万年前から数千年のレンジで存在が確認されている、古代密林種族・パグラ族である。彼らについては、かなり高度の文明を有していた事実と、その一部の解釈がすでに行われているが、その文明がその後どうなったのか——消滅したのかどうかをも含めて——は、未だ謎である。
パグラ族は太陽暦に基づく12進法を使用していた。今回の〈スカム・マスタ〉が使用している記号と酷似しているパグラ族の表記記号が、それを表している。すなわち、
1はI、2はII、3はIII、4はIIII、5はIIIII、6は−、7は−I、8は−II、9は−IIIさらに、各々の数値の6倍を・が、12倍を:が表す。
従って、IIIは3、IIII・は4の6倍で24、
最後のIIIII:は5の12倍=60となるわけだ。
これがもしパグラ族のものと同類であるとすれば、この3名の〈スカム・マスタ〉の階級は上席者より順に60の∽、24の∞、3の∝となる。
要するに、この艇の最高責任者は60の∽である。
要するに、この艇の最高責任者は60の∽である。
∝と∞は技師か科学者だろう。
ただしこのデータだけでは、情報不足である。パグラ族に関するデータを更にレベルアップさせ、入力・再分析する必要があろう。
——————————————————————————————————————
1枚目には、ここまでが記されていた。あの色っぽい口調からは想像できないほど、かっきりと線の太い———むしろ男っぽい文章に、さすがはドクター……と、ダイシュナルは変なところで感心していた。
ともかくレム女史をもう一度訪ねてみよう……。ダイシュナルは2枚目に目を走らせながら、エアパイプの方へ向かった。
心地好いエアプレッシャーを受け、彼は数分後には、女史の研究室に到着した。
女史は頭を抱え込んで、デスクにつっぷしていた。開いた拍子にドアがかなり大きな音をたてたにもかかわらず、彼女は気付かなかった。ダイシュナルはもう一度、バタンとさらに大きな音をたててドアを閉め直した。
「え……?」ようやく女史は気が付いて、振り返った。朦朧と霧でもかかったように目がうつろだった。
「大丈夫ですか?」ダイシュナルが訊くと、女史は大きく伸びをした。
「ああ、ダイちゃんだったの……。いらっしゃい、よく入れたわね」
「危ないもんだ……。ドア、開けっぱなしだったよ。ドロボウでも入って荒らされてるんじゃないか、と思った」
「そう———閉め忘れたか」ちょっと恥ずかしげに女史は笑った。
「ひどいもんよ。昨日からずーっと、コンピュータとにらめっこ。他のことは、すべてお預けですもの、ドアぐらい閉め忘れてもしょうがないわね……」
「コーヒーでも入れようか?」
ダイシュナルは、部屋の中を見回した。この前来た時には、きちんと片付いていた部屋の中が、今はぐしゃぐしゃだった。本当に、泥棒にでも入られてみたいに……。
「ありがと。でも、まだ夕べいれたカップ・コーヒーが、どっかに残ってるはずよ。ああ、ほら、そのCD-Rの下。大して美味しいものじゃないけど、電子サーモ機能付きのマグだから、冷めないのが有り難いわよね」
ダイシュナルがマグカップを手渡してやると、レム女史は一気に半分ほどを飲みほして、ようやくしゃんと頭をあげた。
「頭、疲れてるからなぁ。こんな時はカフェインの覚醒作用に感謝ね」
女史はゆっくり両腕を挙げて上体を伸ばすと、天を仰いでそんな感想を洩らした。
『本当、コーヒー好きなんだな。そう言や、この前の時は、古典的にも自分でコーヒーを立ててくれたっけ……』とダイシュナルは思った。
「で、FAXは読んでくれた?」
「ああ、約束守ってくれてありがとう。まだ、途中なんだけど、1枚めは読んだよ。……どうもオレは文章ってのが苦手でね。で、直接話を聞きに来たってわけさ」
女史は笑って、コーヒーの残りを飲み干すと、デスクの上の書類をかきあつめ、話し始めた。
「私の推理は、つまりこういうことなの…………。
トーキンは、深海で別種知的生命体————〈スカム・マスタ〉の乗った浮上艇(フロート・マシン)に接近遭遇しちゃって、攻撃されたわけね。それが原因で、ダイちゃんは意識を失った————正確に言えば、トーキンの思考エネルギーにシンクロして、意識を補助エネルギーとしてトーキンに吸い取られていたわけよ。
その間も、トーキンは彼自身の特殊能力をフル活用して、〈スカム・マスタ〉とコンタクトを取り続けていたと思われるフシがあるの。最初は、彼が思考のコントロールしていたみたいなんだけど、途中からどうやら〈スカム・マスタ〉に乗っ取られ、最終的には脳髄そのものを抜き取られちゃたらしい。その間際に、それでもトーキンはどうにか最後の思考力を振り絞って、ダイちゃんの思考を元に戻した————ううん、放り出したって言った方がいいかも知れないわ。
まったく……。あのね、ダイちゃん。もし、この推理が当たりなら、今あなたが、あなた自身の意志でそうしてること自体、奇跡に近いのよ……。
ともあれ、トーキンは自分の脳髄までは守れなかったの。異生物に奪い取られて、あのバリアント・シーグル322ファゾムに置き去りにされてるのよ。トーキンの体は、今ここに帰って来て、脳波パルスも一見正常に見えるけど……でも、それは異生物による偽装にすぎない……そうとしか思えないところがあるのよ。
もし、この推理通りならば……、かりに減圧に成功したとしても、彼はあの眠りから目覚めることはないわ……」
「…………。クソッ!! なんてことだ。ヤツの頭の中は空っぽだっていうのか。だが、どうやって抜き取ったっていうんだ。もし、そんなことが可能だとしたら、ヤツらの科学水準は半端じゃないレベルだぜ」
ダイシュナルが息巻いて言った。
女史は、気の毒そうにちらっとダイシュナルを見て言葉を続けた。
「あの後、トーキンの脳を再スキャンしてみて、分かったんだけど……。
時間を置いて3回スキャンしたんだけど、その時のスキャン結果を見てくれる」
そう言うと女史は、モニタにその画像を呼び出し、3回分のスキャン画像を横一列に並べ、さらにそれをオーバーラップさせて見せた。
「ほら、この3つの画像。全く同じでしょ。ぴったり重なるわ」
「ああ、同じだが……いったいそれがどういうことなんだ」
ちんぷんかんぷんで、ダイシュナルは再び問いかけた。
「いい……。あなたに分かるように説明すると、この3つの画像が全く同じってことは本来ありえないの。なぜなら、人間の脳は生きているから。生態反応は元より、シナプスは絶えず情報を伝達するために活動してるの……。もちろん、昏睡状態でもね。だから、微細ではあるけど、この3つの画像に、変化が表れなきゃおかしいのよ。そこに脳が存在するかぎりね」
「ってことは、このスキャン画像は……」
「そう、何者かがトーキンの脳を取り出し、意図的に擬装したイミテーションよ。間違いないわ。もっと詳しく調べなきゃならないけど、たぶんこのウソの画像を作り出すための、チップかなにかが代わりに埋め込まれているはずだわ。……くやしい。今までわからなかったなんて。
ごめんね、トーキン。このままじゃ、あなたが減圧に成功しても、覚醒することはありえないわ……」
勝ち気な彼女には、めずらしく……というより、だからこそすっかり消沈してしまった。
「それじゃ、このあいだの脳波通信は……。あのメッセージは何だったんだ」
ダイシュナルの執拗な質問に、女史はすぐに気を取り直し、答えた。
「残留思念よ。トーキンは、どうしてもあなたにそれを伝えたかった。
たぶん、彼の脳がチップにコピーされた時の、記憶だと思うわ。3度のスキャンに同じように焼き付けられてたから、間違いない……。
それよりも、驚くべきはその医療水準よ。外科手術の痕跡も残さず、これだけのことを一瞬にしてやってのけた……としたら、確かにあなたの言うとおり私たちM.O.Cより100年は進んでる……」
「くそっ! どうすりゃいいんだ」
いきり立つダイシュナルを、落ち着かせるように女史は話した。
「トーキンを目覚めさせることは、でも、私の命題よ。誓って彼をもと通りにして見せる。私は医者ですもの、彼は私の患者ですもの……。
で、今彼の脳髄を取り返す方法をさがしてるんだけど……。
そのために残りのロゴス・メッセージを解読しようとしてたわけ。でも、だめ。
《太陽の国》《時間が止まる》それに《赤い音》…………この3つが、どうしても分析できないの。
ただね、パグラ族のデータと噛み合わせると《太陽の国》—これだけはどうにか、推理できるのよ。推理の範囲をまだ出ないんだけど……。つまりね、ほら、パグラ族って太陽暦を使っていたでしょう? もし、このメッセージが〈スカム・マスタ〉のものならば、彼らの文明も、もしかしたら昔は太陽の下……。地上にあった文明だったってことに、ならないかしら。例えば、なんらかの地質的な異変とか、何かそんなものがあって、今の海底8000ファゾムへと移行したとしたら?…………それも、地盤沈下とかマントル移動とかいう一過性のものじゃなく、もっと長い長い時間をかけてもぐって行ったような……。だって、そうとしか考えられないじゃない。
彼らが地上から海底種へと変化したとしたら、それには気が遠くなるほどの時間が必要だったはずだし……。
ああ、でもだめ! これ以上推理が進まないのよ。地殻変動なんて、まるっきり私の専門外だし」
再び頭を抱え込んでしまった女史を、ダイシュナルはじっと見つめた。オレはもしかしたら、この人を少し誤解してたかな……。
彼は黙って、デキャンタを取り上げると、レギュラー・コーヒーをいれ、女史のカップに注いでやった。
「ドクター……、大丈夫ですよ。データが足りないんなら、オレがもう一度バリアント・シーグルに行ってきます。どっちにしたってトーキンの脳を奪い返さなきゃ…。深海なら、オレのテリトリーです。
大丈夫、その深海野郎の正体を確かめて来ますよ。
ともかく、こんな断片的なデータじゃ、謎解きなんて無理なんだ。
頭、ぶっこわれちゃいますよ」
ところが、励ますつもりの言葉は、かえって女史を飛び上がらせた。
「だめよ! なんてこと言い出すの! わからないの? あそこは危険過ぎるわ。トーキンがどうなっちゃったか……、あなた自身だってどんな目にあったか ……だめ。あそこに近づいちゃ」
レム女史は、息を詰まらせ、唾を飲み込んだ。
「ね、ダイちゃん。私、もっと頑張るから。パグラ族のデータなら、まだ古代文明研究所にもっと詳しいのがあるはずよ。コンピュータに侵入してやるわ。それに、2万年前に遡る地質学的変動の方は、大学教授のライスターに協力してもらうしかないけど……、まったくテがないわけじゃないし」
今度はダイシュナルが、仰天して怒鳴った。
「そっちこそ、何を言ってるんだ! メイルピー賞まで取った天才が、ハッカーなんてそれこそとんでもないよ。それにライスター教授っていったら、M.O.C.の創立当時からのメンバーじゃないか。オレは絶対に信用できない。……とにかく、この件に関しては他人を介入させるなんて、絶対反対だ。わかってくれよ。ヘムの命がかかってるんだ。命だけじゃない。彼の秘密がかかってるんだよ。彼の秘密は、オレたちにはバラす権利なんかない。これは、オレたちだけで解明すべきなんだ、しなくちゃならないんだ」唇をなめて、彼は続けた。
「トーキンの脳を取り戻すためなんだ。だから、オレは喜んであの海峡に再トライする気になれたんだ。頼む、行かせてくれよ。敵の正体がある程度わかってるんだし、今はヘムもいない。今度こそ気を失ったりしないで、必ずデータを集めてくるからさ」
「だめよ」しかし女史は、なかなかうんとは言わなかった。
「ダメダメ。バリアントの危険性は、そんな生易しいものじゃないでしょう。〈スカム・マスタ〉は、あなたが考えている以上に非友好的な種族だと思われるのよ。正体がわかってる、ですって!? とんでもないわ。
今度こそ、どんな攻撃を受けるか知れたものじゃない……。
未知の知的生命体とのコンタクトは、いつもとても重要で……
だから、慎重な上にも慎重であるべきなのよ。なのに、あなたは……」
「じゃ、どうするんだ。データは必要なんだろう? ヤツらとコンタクトしない限り、必要不可欠なデータは取れない道理じゃないか」
「それなら私も一緒に行くわ。どうしても行くなら、ついて行くわよ。
これでも、ダイブの腕はちょっとしたもんよ。先月ダイブ・ランクがCからBに上がったの。Bランクになれば、ゼロナンバーとペアを組めるんでしょ? ……あ。ごめん……彼、降格するかもしれないんだったわね……。
不謹慎なこと言っちゃった」
女史は一瞬唇を噛んで俯いたが、思い直したようにキッとダイシュナルを見つめた。
「私だって、ゼロナンバーのダイちゃんと対等にできるなんて思っちゃいないわ。でも、トーキンを降格させないためにも、M.O.C.のコンピュータに、あのダイブ自体が彼の責任じゃなかったって認めさせなきゃならないじゃない! ……だから、連れてってほしいの。現場に行けば、私なりに精神学的な裏づけがとれるかもしれない。それに、トーキンの脳髄を安全に運び出せるのは、医師である私以外にはムリよ」
ダイシュナルは呆気にとられて、女史の利かん気な目をみつめ、しばらく言葉もなかった。Bランクになったばかりの、それも女性ダイバーとペアを組んで、あんな秘境に挑むなんて、常識で考えたってばかげている。
それこそむやみに命を捨てに行くようなものだ。確かに、ゼロナンバーであるダイシュナルには、ペアを選択する最高権限があったが、彼女を選ぶわけには……。
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