暴走中学生

 バギュイィンッ!

 タイヤが恐ろしい悲鳴を上げる。


 俺は慌ててシートベルトをつかんだ。留め具をカチンと鳴らした直後、二人を乗せた車は弾けるように前方へすっ飛んでいった。


 あまりの速度に、全身に重い圧力がかかる。体がシートに引っついたようで、顔も上げらやしない。傾斜の通路を下った時とは比べものにもならない凶悪なスピードに、俺はもうがむしゃらに叫んだ。


「ま、まじ……ま! ちゃんと……運転を……ッ!」

「…………」


 こんな時でも、真島からの返事はゼロだ。

 俺はなんとか目を開ける。駐車場から飛び出した車は、いつの間にやら道路を突っ走っていた。


「ひっ……」


 数え切れないほど車線が引かれた、だだっ広いの道路だった。顔を右に向けても、左を向けても、等間隔に引かれた白い線が延々と続いている。大雨が降りしきるなか、道路には俺たちとおなじく終末から避難しようとする車がたくさん行きかってた。


 非常時でも、優等生は遠慮えんりょを知らない。

 信号も車線も標識も――すべて無視して、真島は車をかっ飛ばしていく。たぶん、時速百キロは越えていたと思う。先行車も対向車も関係ない、右へ左へうように次々車を追い越していった。


「あ、危ない!」


 何度、ほかの車とぶつかりそうになったことか。

 これじゃ、心臓がいくつあっても足りやしない。わかってはいたことだが、我が家の車を運転しているのはしょせん、自動車免許を持たない中学生なのだ。


 大人も認める優等生は、おかまいなしに突き進む。常識やまわりのルールなど目に見えていないといったように。

 だがそのデタラメな運転は、優等生の真島賢治だからこそ許されているのだ。まわりがどれだけ迷惑をこうむっても、彼は……彼なら……彼だからこそ……。


(振りまわされるほうは、たまったもんじゃないよ)


 根暗な考えをイライラに変えて、俺は真島に言ってやった。


「おまえさぁ! お得意の勉強以外はまるでダメなやつなんだな!」


 襲いかかる速度の圧力に負けじと腕を動かして、横で運転する真島の肩をなんとかつかむ。やつの耳に噛みつくように、俺は大声を出した。


「車の運転をするには、ちゃんとルールってもんがあるんだよ! ルール、そう協調性ってやつだ。自分だけじゃなくて、ほかのみんなのこともきちんと考えること!」

「…………」

「いいか? それらを理解していないと、車は運転できないんだぞ、本来はな!」


 やっぱり、真島の表情は変わらない。

 今度ばかりは、俺もはっきり舌打ちをした。結局、こいつは他人の言うことなど、ハナから聞く耳を持たないってわけなのだ。俺がなにを言ったとしても!


(俺がしっかりしないと……)


 暴走する車のゆれや振りに耐えながら、俺は助手席の目の前にあるダッシュボードに手を伸ばした。


「ちょっと待ってろ。このなかに、たしか車のマニュアルがしまってあるはずだから……」


 正しい運転を知るために、マニュアルを読むことからはじめよう。どこかに助手席側の物入れ――グローブボックスがあるはずだ。マニュアルは決まってそこにしまわれている。


 俺はボックスを開けるためのレバーやボタンを決死で探した。しかし、これがなかなか見つからない。イラ立つままに、握りしめた拳でダッシュボードを叩いた。


 それが決め手だったらしい。カコンと、グローブボックスのフタが下りた。


「やったぞーーうわっ!」


 フシュウ、開いたボックスから白い煙が上がる。

 ふくれ上がった熱気が顔にかかって、俺はたまらず宙を手ではたく。それでも薄い目でボックスの奥をのぞき、運転のマニュアルを探そうと……だが、闇の底で光る赤色を見て、思わず顔を引きつらせてしまった。


 ボックス内部は、そのまま車の内側であるエンジンルームへとつながっていた。奥で光る赤色の正体―それは、真っ赤に焼けたエンジンそのものであった。


「まずい、エンジンがオーバーヒートしている!」


 真島の無茶な運転のせいだ。スピードの出し過ぎで負荷がかかり、高熱をため込んでいるのだろう。

 俺はぎりっと奥歯を食いしばる。さらに最悪なことに探していたマニュアルは、焼けるエンジンのそばへと落ちてしまっていた。


「クソッ!」


 なんとかして、マニュアルを取れないだろうか。

 俺は覚悟を決めて、ボックス内へ腕を伸ばそうとした。だが、その間も真島の身勝手な運転が続く。ほかの車を追い越すハンドルさばきに合わせて、俺の体も右へ左へゆれた。


 手元がぶれて、一向にマニュアルが取れない。あとちょっとというところで、とうとう真島の運転がたたって、エンジンから真っ赤な炎が舞い上がった。


(……ああ、ここまでか)


 マニュアルにエンジンの炎が燃え移るのも、時間の問題だろう。なにもかもあきらめて、グローブボックスから腕を引き上げると、フタを静かに閉じた。


 閉じた後、運転席の優等生をにらみつけてやった。いまさらながら、なんて……なんて身勝手なやつなのだろう。なんだかものすごく悔しくなってきて、俺は服の袖で目元をごしごし擦った。


「これだけやらかしても、許されるっていうんだから……本当におまえがうらやましいよ、真島。どうせまた、全部俺が悪いってことになるんだろうけれど」


 人の家の車に乗り込み、勝手に乗りまわして、無茶な運転でエンジンまで燃やして。

 本当に自己チューなやつだよ、真島賢治はさ。


「だけど……」


 疲れてしまった俺は、車の天井をあおいだ。


「世界の終わりっていう極限の状況下なら、それくらい図々しく生きるツラの皮の厚さが必要なのかもな」

「…………」

「皮肉で言っているんだぞ?」


 答えることのない優等生を、俺はひとり静かに軽蔑けいべつした。

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