幕間・まどろみ


 ――三曲目が終わりかけたころだ。

 ふと、俺は気づいた。母がなにかこちらを向いて、モゴモゴしゃべっていることに。


「なに?」


 片耳のイヤホンを外して、俺は尋ねる。

 車の運転をしながら、母はこう言った。


「いまお父さんからね、メッセージが入ったのよ。『栄養ドリンクが切れたから買ってきて』って」


 もうちょっと早く連絡をくれればいいのに。と、ぼやく母は話を続ける。


「だから、これからドラッグストアに寄っていってもいい?」

「ああ。いいよ、べつに」


 俺が答えると、今度は助手席の妹が母に「ジュースも買って」とねだった。俺のほうはこれ以上買い物をする必要がないため、店には入らず車のなかで待っていると母に伝えた。


 ここから近いドラッグストアは、スーパーや牛丼屋など複数のテナントが集まる中規模の商業施設のなかにあった。

 夕方という時間帯も重なって、駐車場は非常に混み合っている。地上スペースはすでに満車のようで、しかたなく車は屋上へ駐車することになった。


「もうラジオは聞かないから」


 消していってくれ、と俺は母に頼んだ。「一応、車の鍵は差したままにしておくわね」と母は言って、半開きのドアの隙間からパンッと傘を開いた。

 一本の傘に母と妹が寄り添い、足早に建物のほうへ駆けていく。その後ろ姿を俺はひとり、車のなかでぼんやり見送った。



 * * *



 俺は、もう片方のイヤホンも外した。

 ラジオが切れて静かになった車のなかで、まぶたを落とす。


 外したイヤホンから、まだシャカシャカ音楽が漏れている。俺は薄目を開いて、スマホの画面から停止ボタンをタップした。

 手探りで足元のレバーを引いて、座席の背もたれを限界まで倒す。ベッドに早変わりした座席の上で、俺は大きく深呼吸した。肺のなかの空気をいったん、外へすべて吐き出す。


(こう静かだと、雨の音も悪くないかも……)


 今度は思いっきり息を吸い込みながら、俺は思った。

 せからしい日々から解き放たれて、こんな静けさがもっとずっと……続いてくれればいいのにと切に願う。


 今日も朝から、わちゃわちゃしていた。

 明日は月曜日だ。また卒業式の練習に出なくてはいけない。女子が合唱の練習をしようって……朝早く来れる人はできるだけ参加してほしいって……言っていた。


 火曜日は、放課後に部活の集まりがある。田中の家に全員集合して――その次の曜日は……。


(あとどれだけ、残っているんだろう……)


 疲れのせいか、自分の体がグルグル回転しているような感覚に襲われる。

 あの真島賢治の顔を見るのも、あとわずかだ。卒業式では、いやでも指揮者と顔を向き合わせなければならない。けど、それさえ乗り越えれば……。


(もう二度と、あいつと会わなくていいんだ)


 別々の高校へ進学するのだから。

 そしたら、やつのことなんてきっぱり忘れてやるのだ。


 俺は、ふぅっと息をつく。

 それから次第に雨の音につられて、うとうとしはじめる。閉じたまぶたはそのままに、俺は浅い眠りの世界へといざなわれていった。

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