雨降り、車のなかで Ⅱ

「あー! 新しいスマホが間に合って、ほんとよかったわぁ」

 

 自分でもわざとらしいと思える声が出た。

 俺はバックミラーに映るよう、手にしたスマートフォンをちらちら振って見せる。


「自分専用のスマホ、っていうのがいいよな。いままでは父さん名義の、容量がスカスカな機種だったからさ。使い勝手がものすごく悪かったし」


 母さん、買ってくれてありがとうな。

 改めて礼を述べる息子に、ミラー越しの母は――やっぱり呆れた表情をしていた。


「コラッ、強引に話をすり替えるんじゃないの!」


 ぴしゃりと注意されてしまった。でも、にこにこ愛想よく笑う俺に、満更でもないのか母の口元はやわらかかった。


「高校に進学する時に持たせてあげる、って約束だったからね。まっ、お父さんと私からの合格祝いってことで」


 使う時間を守ること、友達と悪ふざけして変なことに使わないこと、それから――。

 と、くどくど念を押してくる母の言葉を半ば聞き流し、俺は「わかったよ」と返事をしておいた。


 荷台の整理が終わると、俺は改めて座席に深く腰掛けた。それから背もたれを大きく斜めに倒して、ふぃーっと息をつく。……閉じられた車のなかで、できることは限られている。俺はまた手のなかにある新品のスマホをぼちぼち触ることにした。


 とはいえ、友達のSNSの更新も落ち着いているし、ネットニュースもおおかた巡回してしまった。ゲームアプリもやる気が薄いし、動画のたぐいは通信料を節約するために控えておきたい。


(どうにも、おもしろいことが思いつかないな)


 俺はおもむろに、窓へ顔を向けた。

 ガラスに張りついた大粒の雫が一つ、するっと下へ滑り落ちる。少し曇った結露けつろをぬぐって、窓の外を眺めることにした。


 ――暦は、もう三月である。

 冬を終えて季節は春に入ったというのに、いまだその実感がわいてこなかった。今日のように朝から天気が崩れてしまうと部屋の暖房は必須で、分厚いコートもまだしばらくはクリーニングに出せないなとも思う。


 窓の外、通りすがりのおうちへいから、固い枝が突き出している。梅の木だ。ぽつぽつと白い花が咲いているのだが、それが容赦ようしゃない雨にさらされて、なんだか気の毒に感じてしまった。


(気温だけじゃない。春の陽気な空気を味わえない原因は……毎日の忙しさにもある)


 俺こと筧井頼人かけいよりとは、先月、高校受験という苦しい試練の日々からようやく解放された。

一年以上もの苦労が実り、『合格』の二文字を手にした俺は念願の志望校への進学が決まったのだ。


 ここまでは、よろしい。

 しかし、試練から解放されて喜ぶ俺に待ち受けていたのは、さらに忙しい日々であった。


(まず部活の引き継ぎだろ? それから例の学校行事の練習に、入学準備と、親戚へのあいさつ巡り。塾じゃスタートアップとかなんとか言って、またがっつり勉強を押しつけてくるんだもんな……)


 別れと、はじめの準備に追われる日々。

 今日だって、家族三人で遠出して、ショッピングモールでお買い物……と言えば聞こえはいい。フタを開けてみれば、母の立てた綿密なお買い物スケジュールが待っていたのだが。


(新しいスマホを買ってくれた以上、文句は言えないけれど)


 それでもゲームセンターくらい寄りたかった。というのが、年相応の少年の本音であった。

 いまは帰り道。車は相変わらず、のろのろ進んだり止まったりをくり返している。

 

(……考えてみれば、こんなにゆったり余裕の持てるひと時は久しぶりかもな)


 イライラする母と妹をよそに、俺はこのひょんなことで得たゆとりの時間を満喫しようと決めた。

 肩の力を抜いて、まぶたをだらんと閉じる。雨が窓を打つ音とワイパーの機械的なリズム音が、張りつめていた神経をほどいていった。


 環境音に加えて、車のスピーカーから流れるラジオ番組のBGMと──進行を務める、女性の澄んだ声がさらなる心地よさを生み出す。


『今週から三月がスタートしましたねー』


 和やかなラジオトークが、こり固まった眉間をゆるくする。


『まーだ、ちょっと寒い日が続いちゃってます。三月といえばね、みなさん、えー……一つの節目を迎える時期でもありますよね?』


 リスナーからのメッセージが読み上げられた。内容は『わたしは中学三年生です。卒業してしまうので、中学生最後の時間を友達と一緒に大切に過ごしたいと思います』といった、ありきたりなものであった。


(最後の――だなんて)


 俺はひそかに、くすりと笑った。


(耳にタコができるくらい聞かされた言葉だよ)


 皮肉る俺とは正反対に、進行は『そうですよねー』と明るく同調する。


『学校が変わっちゃうと、中学の友達ともなかなか会えなくなってしまいますからね。最後まで悔いのないよう、仲良くお付き合いしたいものです。特に――』


 ケンカしてしまった友達とも。


(別に、永遠のお別れをするわけじゃないだろう)


 おおげさだな。

 と、俺はひとりごちた。もちろん、心のなかで。


 ゆれる車に、俺の口から大きなあくびが出た。

 誰も彼もが『最後の』という言葉を使いたがる。その気持ちはわからなくもない。けれど、俺こと筧井頼人の場合は……どうも『別れ』というものに、いまひとつピンとくるものがなかった。


(いいや。疲れているし、考えないようにしよう……)


 適当に耳に流すことにして、俺はひと眠りつこうとした。


『それでは、こちらの曲にいってみましょう』

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