last.とある二人
……朝の六時半。
ワタシは、誰もいない電車の駅のホームで、ベンチに座りながら欠伸をしていた。
足元には、割れたコンクリートの隙間からたんぽぽが生えており、既に綿毛になっていた。よくもまあそんな生命力があるよねと、私はそのたんぽぽを羨ましく思った。
ひゅううううう……
「うう……寒い……」
ひんやりとした朝の空気が、ワタシをぶるっと小さく震わせた。まるで『眠るな!』と言われてるみたいで、なんかムカついた。
「はあ……なーんでいきなり朝一発目から会議あるのよ……ふざけんじゃないっての。あれマジで、ただの部長の自己満じゃん……」
ワタシはスマホのカメラ機能で、自分の姿を撮した。うわーひどい……朝の化粧も全然できなかったし、スーツもちょっと寄れてる。髪もなんか、若干ボサボサだし……。
「あーあ……毎日毎日忙しいのに、心は退屈ってどういうこと……?なんかこう、面白いことないかな~?イケメンが爽やかに声かけてきてくれたりしないかなあ~……?」
なんてことをぼやいていたら、突然「すみません」と声をかけられた。
「え!?あ、はい!」
ワタシはベンチから飛び上がって、その声の主を見た。そこには、ワタシよりも幾分か若い男の子がいた。年齢は、たぶん高校生か大学生?くらいの感じ。残念ながら私好みのイケメンではないけど、感じの良さそうな印象ではあった。
その彼の隣には、女の子もいた。彼女はピンク色のボブヘアで、たぶんその彼と同学年くらいなんだろうけど、顔つき的に男の子よりは年下っぽい。
男の子の方は、大きな藍色のキャリーバッグを片手で引いており、女の子の方はちいさなポーチを肩にかけ、ベビーカーを押していた。そのベビーカーには、一歳か二歳くらいの赤ちゃんがすやすやと眠っている。
(え……?こんなに若そうなのに、もう夫婦なのかな?)
なんてことを詮索していると、男の子の方が「すみません、驚かせちゃって」と、申し訳なさそうに眉を潜めて謝ってきた。
「あ、いえ……別に大丈夫です。どうかしましたか?」
「あの、俺たち新幹線に乗りたいんですけど、どの駅に向かえばいいんでしょうか?」
「ああそれなら……この四番線のホームに来る電車に乗って、三駅くらいで新幹線がある駅につきますよ」
「ああ、そうでしたか。ありがとうございます」
男の子が恥ずかしそうにはにかんで、頭を掻いて「やっぱりこっちで良かったな」と隣にいた女の子に話しかけた。彼女もそれに答えて、「分かって良かったね、お兄ちゃん」と言って笑った。
(『お兄ちゃん』……か。なるほど、この二人は兄妹なんだ。ん?じゃあこの赤ちゃんは一体誰なんだろう?親戚の子を預かってる的な?)
いまいちこの子たちの関係性を把握できないワタシであった。首をひねり、いろいろと推測してみる。
「教えてくださり、ありがとうございました」
男の子の方が丁寧にお辞儀をすると、妹ちゃんの方もぺこっと頭を下げた。ワタシは妙に大人びた二人に面食らって、「いえ、お気になさらず」と思わず敬語になった。
それから二人は、ワタシから五メートルほど横に離れたベンチに荷物を下ろした。
「お、そうだ美結、何か飲むか?」
お兄ちゃんの方が妹ちゃんの名前?を呼んで、ベンチの近くにあった自販機の前で、お財布を取り出した。
「あ、じゃあココアちょうだい」
「はいよー」
お兄ちゃんの方がふたつ自販機で購入すると、片方を妹ちゃんに手渡した。妹は嬉しそうな顔で「ありがとう」と言った。お兄ちゃんの方はココアを開けて、妹ちゃんの横に座った。
「結喜ちゃんは、すやすや眠っているかい?」
「うん、かれこれ一時間は寝てるかな」
「うむうむ、いい寝顔だ!天使ですな天使!」
「ふふふ」
二人の微笑ましい会話が、ワタシの耳に届く。
うーん、それにしてもあの赤ちゃんは誰の子なんだろう?一向に関係性が分からない……。
「なあ美結、お昼は何か食べたいものあるか?」
「うーん、せっかくならご当地ものがいいよね」
「そうだな!何か調べてみるか」
「でもどうせなら、その場でふらりって見つけたところに入っちゃうのも良くない?」
「おー!いいなそれ!粋なスタイルじゃないか!」
二人はベンチに腰かけて、電車が来るまでずっと談笑していた。他に誰もいないとは言え、彼らからそこそこ離れているワタシにすら聞こえるくらいに、その弾んだ声は大きかった。
(仲良し兄妹だな~……。ワタシにも弟がいるけど、あんなに近寄って話すなんて絶対無理だわ。あそこまで仲良いのはマジで稀だと思う)
それにしても、彼らの荷物はやけに多い。時期的に春休みだろうから、その休みを利用して旅行……とかなのかな?量的にも、日帰りとかじゃなさそう。まあ何にせよ、遠出であることは間違いないよね。
二人は一体、どこへ行くんだろう?あんなにワクワクした様子を見せられると、さすがに赤の他人であるワタシも、ちょっと気になっちゃう。
『四番線に、電車が参ります。黄色い線まで、お下がりください』
ホーム内に、無機質なアナウンスが流れた。
「あ、そろそろ来るな」
「うん、そうだね」
兄妹は二人してベンチから立ち、各々の荷物を持った。電車がやって来て、扉が開く。そこに向かって兄妹が歩き出す。
「じゃあ、行こうか美結」
「うん、お兄ちゃん」
二人はにっこりと笑いあうと、一緒に並んで電車に乗った。
二人が電車内を歩いている姿が、窓越しに確認できた。二人はワタシに背を向ける形で席に座った。電車が動き出すまで、また二人はずっと談笑していた。
(マジでずっと喋ってるな、あの二人。あれだけ会話が続くのもすごいなあ……。本当に、今日の旅行?的なのが楽しみなんだろうな)
『ドアが閉まります、ご注意ください』
またもやアナウンスが流れた。ゆっくりとドアが音を立てて閉まる。まもなく、出発だ。
ワタシはその間も、ずっと兄妹の後ろ姿を眺めていた。全然知らない二人なんだけど、あまりに微笑ましくてついつい眺めしまう。
「……………………」
その時の瞬間を、ワタシはきっと忘れない。
「あっ」
ワタシは、思わず声が出た。妹ちゃんの方が、兄の方に身体を寄せて、自分の頭を相手の肩にこてんと乗せた。
兄の方も、妹ちゃんの頭に寄り添うようにして、自分の頭を傾けた。
「……………………」
電車がゆっくりと進みだした。少しずつ速度を増していって……やがて、ホームから去っていく。
遠くなっていく二人のことを、ワタシは最後まで眼で追った。
……あの二人は、本当に兄妹なのだろうか?最後に見せた寄り添う姿は、兄妹というより……まるで、恋人みたいだった。
そう、恋人だと思うと、いろいろつじつまが合う。あんなに距離が近いのも、互いを観る目に愛おしさが宿っているのも。赤ちゃんだって、まるで……自分たちの子を観ているかのようだった。
でも……それでも妹ちゃんは「お兄ちゃん」と呼んでいた。
兄妹なのか、恋人なのか、はたまた全く違う関係なのか、まるでわからない。困惑するばかりだ。
「……………………」
いろんな思いが交差する中、ワタシはふいに空を見上げた。
深く爽やかな青い空が、天高く広がっていた。
「……いいか、別に。そんなのどっちでも」
ワタシはなぜか、そんな言葉がふいに溢れた。
あの二人が、どういう関係なのか、ワタシなんかが知るよしもない。恋人かも知れないし、兄妹かも知れない。あるいは、全然別の関係性かも知れない。だけど……間違いなく言えるのは……あの二人は、一緒にいられて幸せなんだろうということだ。
そして、きっとこの先も……幸せであるために、二人は一緒に支えあって、頑張って生きていくんだろうな。その様子が……驚くほど鮮明に、眼に浮かぶ。
「……………………」
本当に、ワタシは彼らのことを全然知らない赤の他人だけど、あの二人がこれからも微笑ましい二人であることを……あの二人の笑顔が絶えない毎日であることを、ひっそりと心の中で祈った。
ひゅううううう……
朝の冷たい風が吹き抜けていく。
それに煽られて、足元にあったたんぽぽの綿毛が、ふわっと風に乗って飛び立った。
その綿毛は、大きな空の彼方へと向かっていった。
恐れを知らずに歩む旅人のように、どこまでもどこまでも、飛んでいった。
おしまい
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