71.翻弄
8月15日、午前11時23分。
私、城谷 楓は千秋ちゃんを連れてパトカーに乗り、ある“男”の家へと向かっていた。
私が運転する横で、千秋ちゃんはじっと窓の外を睨んでいる。
「本当に……明くんはいるのかな?その男の家に」
私が運転しながら彼女へそう尋ねる。千秋ちゃんは「正直、いる確率は30%未満だと思う」と、自身の推察をはっきり口にした。
私たちが向かっているのは、『真田 仁』という独身男の住むマンションであった。
明くんの行方が分からなくなってから、早2日。私たちは彼の行方の手がかりとして、明くんが所有していたスマホに眼をつけた。スマホには紛失時にすぐ発見できるよう、GPSで捜索する設定を付与する機能がある。よって、彼のスマホ端末の場所を検索することで、自ずと彼の居場所も特定できると推察した。
もっとも、ピンポイントでここ!と場所が特定できるわけではない。半径300メートルくらいの誤差は生じてしまう。その誤差を解消するために役立ったのが、千秋ちゃんが澪と喜楽里に作成させた『湯水の元カレリスト』だった。
湯水が自分の身を隠し、その上で明くんを誘拐し監禁するとなったら、ホテルや宿泊施設を借りるというのは難しい。少なくとも共犯者がいて、なおかつその共犯者の自宅を借りることが、湯水にとって最も都合のいい場所だと言える。つまり、スマホのGPS捜索で把握した半径300メートルの中に、湯水の元カレ宅が含まれていたら、その場所が最も怪しいと睨めるのだ。
そしてその元カレ宅こそ、『真田 仁』という男の家だった。
「年齢27歳、職業は美容師……だったよね?千秋ちゃん」
「そう、湯水と付き合っていたのは約2年前……真田が25歳の頃。湯水の行きつけの美容院が真田のところだったって、澪と喜楽里からは聞いてる」
「明くんのスマホ探索によって絞られた範囲と、その範囲の中にあった湯水の元カレの家……。私としては、ほぼ間違いなく彼の家に明くんがいると思っているんだけど、千秋ちゃんは違うの?」
「そうね……湯水が誘導してる可能性も捨てきれない」
「誘導……」
「スマホがGPSにて捜索できることを、あの湯水が知らないとは考えにくい。明氏が外部と連絡を取れないようにするためにも、湯水がスマホを預かり、破損あるいは廃棄するのが普通だと思う。それをせず、敢えてスマホを生かしたまま、私たちに捜索される余地を与えるようなミスを、あの湯水が犯すだろうか?」
「それは……まあ、確かに」
「もし私が湯水なら、そのスマホは囮に使う。自分たちの居場所とは真逆の方向……そこに住む元カレに明氏のスマホを託し、警察の捜索を目眩ましする」
「ってことは、真田は明くんのスマホを所有しているだけで、明くん本人はいないと?」
「おそらく。ただ、明氏のスマホを湯水から預かっている以上、少なくとも今回の事件に関与していることは明白。明氏のスマホが見つかり次第、誘拐の容疑をかけて真田を確保、事情聴取を実施して明氏及び湯水の行方を聞き出す……」
「なるほど……」
「そして、湯水もたぶんそのことを予測しているはず。だから真田は、口が固くて押し黙るか、あるいはでたらめばかりを言う人間だと思う」
「あ……そっか。囮の人間から情報が漏れないようにするために……」
「そう、それを踏まえると、真田から聞き出せる情報はおそらく少ない。だからあまり期待しないでおこう。それより、真田の住所……その付近に湯水はいないと考え、捜査する箇所を新たに決定する。ま、たぶんそんな流れになるかな」
「ふーむ、確かに……。でも千秋ちゃん、そこまで分かっているんなら、どうして今日は千秋ちゃんも真田の家へ行くことにしたの?」
「私の推測が、きちんと確証を持てるものかどうか、真田を観て判断しようと思ったから。現場も観てみたいし、何か他に手がかりを見つけられるかもしれない」
……相変わらず、千秋ちゃんの洞察力は鋭い。知らぬ間に、相手の二手先、三手先まで読んでいる。
「さすがだね、千秋ちゃん。あなたの推理力には、いつも驚かされちゃう」
「……今回の相手は、似てるかも知れない」
「え?似てる?」
「うん」
「似てるって、誰に?」
「私に」
……なんとも要領を得ない答えだった。私は横目でちらりと、一瞬だけ千秋ちゃんを見た。彼女は窓の外を眺めたまま、なんだかじっと考え込んでいた。
「千秋ちゃんに似てるっていうのは……その、真田が?」
「いや、湯水に」
「千秋ちゃんが湯水に似てる?そうかな……?私はそんなことないと思うよ?」
「……………………」
「どうして、似てるって思ったの?」
「……わからない。だけど、直感的にそう思う。仮面を被っていた頃は全くそう思わなかったけれど、今……明氏を必死に愛そうとする奴の行動を観てみると……私の姿とダブるところがあるのを感じる」
「ダブる……ところ」
「私にはひとつのポリシーがある。愛されるより、愛すること。それが生きることだというポリシーが」
「うん、よく千秋ちゃんが話してくれるよね」
「あの湯水も、今……不器用ながらも、明氏を愛そうとしている。だけど、その愛し方がよく分からなくて、暴走している感じ。私も一時……そんな時期があったから、よく分かる」
「……………………」
「城谷ちゃんから学生時代に、いじめのこととか……いろいろ助けてもらった時、私は最初……城谷ちゃんのこと避けてしまった。『自分が愛されるわけがない』『自分が何かを愛せるわけがない』と、そんな風に殻に閉じ籠った。城谷ちゃんには迷惑かけちゃったし、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになる」
「そんな……気にしなくていいのに」
私は千秋ちゃんの言葉に苦笑しつつ、運転席側と助手席側の窓を少し開けた。蒸し暑くなってきたので、風を入れようと思ったのだ。
ぶわあーっと外から入り込む風に、私と千秋ちゃんの髪がたなびく。
「でも、じゃあ……今の湯水は、当時の千秋ちゃんと似てるってことなのかな?」
「そう……彼女は彼女なりに、自分の殻を破ろうとしているのかも知れない。今まで死体のような人生だったのが、何かを愛そうとすることで、ようやく生き始めた。そんな風に思える。もちろん、やっていることは最悪極まりないことだけど……なんとなくその感覚が、昔の私を見ているような気がしてならない」
「……………………」
千秋ちゃんのことを、私はまた横目でちらりと見やった。彼女は未だに窓の外を眺めていたが、どことなく哀しそうな……切なげな空気をその瞳にたたえていた。
「湯水、ひょっとしたらお前も……死にたいと思っているのかな」
千秋ちゃんは最後に、そうぽつりと呟いた。
私たちの車は、そのまま真っ直ぐ進み、真田宅へと向かっていった。
……窓の外から見える入道雲が、びっくりするほどに大きかった。
その入道雲を目掛けて、自転車を走らせる日はいつか来るんだろうか?と、そんな風に思う日の午後、私はメグとスマホを介して電話をしていた。
『美結、明さんの行方は、まだ分からない……のかな?』
メグの心配そうな声が、私の耳に届く。
「うん……。柊さんたちがお兄ちゃんのスマホをGPSで探索して、行方を探してる最中なの」
『そっか……。やっぱり、湯水が誘拐したんだろうね』
「……………………」
『……でも、きっと大丈夫……だよ。あの明さんのことだから、きっと湯水のこと上手く言いくるめて、無事でいられるはずだよ』
「……………………」
『……ごめん、美結。無責任に……大丈夫とか、言っちゃって』
「……ううん、気にしないで」
『……………………』
「メグの方は、大丈夫?もう、変なことされてない?」
『うん、澪と喜楽里が捕まってから、SNSの炎上も落ち着いていったし、藤田さんや葵さんへの嫌がらせもぴたりと無くなった。やっぱりあの二人が、湯水の命令を主で受けてたんだと思う』
「そっか、それなら……良かった」
『……………………』
……どうしよう、上手く会話が続かない。今こうしている間にも、お兄ちゃんが湯水に酷いことされてるんじゃないかと思って……気が気じゃない。
あの湯水のことだから、本当に容赦ないことしてそうで……。その不安が時間を増す毎に強くなっていって、心臓がバクンバクンって揺れる。
このまま、この場所に留まっているだけでいいんだろうか?何か私は、お兄ちゃんのためにできることはないんだろうか?
どんな些細なことでもいいから、お兄ちゃんのために何か動きたい。そうでなきゃ、気が狂いそう。部屋で一人悶々と、お兄ちゃんの身を案じている時間を過ごすしかないなんて、頭がおかしくなる。
もちろん、柊さんからは『今美結氏が動くのは危険です』と釘を刺されている。お兄ちゃんを拐ったことで、私のことを炙り出す計画かも知れないからだ。しかし、かと言ってこのまま何もしないのは、私もいい加減どうにかなってしまいそう。
『ねえ、美結』
「……なに?」
『私たちでさ、何かできること……したいよね』
「!」
『いや……実はちょっと前にもね?藤田さんたちとその話をしてたところなの。美結は立場上難しいかも知れないけど、きっと一番……何かしたくてたまらないよね』
「……………………」
さすがメグ……私の気持ちを察してくれている。そう、本当に今、居ても立ってもいられない状況にいる。下手な焦りは禁物だけど……でも、でも……。
『確か今、柊さんたちが明さんのスマホから位置情報を割り出して、そこに向かってるんだっけ?』
「そう、柊さん曰く“たぶん囮”だという話だけど、どうなんだろう……?」
『そう言えば、湯水は澪と喜楽里にメールや電話で指示をしてたみたいだけど、湯水のスマホの位置情報は検索できないのかな?』
「いや、それが電話とかは公衆電話から、メールもどこから送信されてるか分からないように、いろんな端末機器から送信されてるみたいなの」
『うーん、用意周到だね』
「うん」
『……どうやってるのかな?湯水の仲間の携帯とかを借りてるのかも?』
「仲間……うん、たぶんそうだよね」
『むーん……』
「……あ、そうだ、仲間って一体誰なんだろうね?澪も喜楽里も確保されちゃってるけど、お兄ちゃんを誘拐できるってことは、まだあと何人か協力者がいるってことだよね?」
『うんうん、たぶんそれが湯水の元カレなんじゃないか?って柊さんは睨んでるよね。自分に依存させてた相手だから、手駒にしやすいだろうって』
「元カレ……」
そう聞いて、一番最初に思い浮かぶのは、立花という男。私は彼に一度デートに誘われたことがあるし、それがきっかけで湯水に目をつけられるようになった。
そう言えば、立花は湯水のことをしつこくつきまとってたんだっけ?そこをお兄ちゃんが助けたって話を聞いたことある。それから考えると、少なくとも立花は湯水に未練たらたら……。湯水が一声かけたら、すぐに仲間になりそうな感じがする。
「立花は……湯水の仲間なのだろうか?」
『え?』
「あ、いや、湯水の元カレで私が唯一面識あるのは立花って人なんだけど、その人は湯水にしつこくつきまとってたみたいでね?」
『ふむふむ』
「湯水が仲間にするなら、そういう人間を使いそうだなと思って」
『確かに……。じゃあ、その立花の行方も併せて捜査してみると、いいかもしれないね。柊さんにそれ、伝えてみる?』
「うん」
そう言って、私は頷いた。窓の外に見える入道雲は、相も変わらず同じ場所に、どっしりと鎮座していた。
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