68.幸せになりたい子どもたち






……カランッと、氷が溶ける音がした。


8月13日の、午後2時ちょうど。

私、平田 恵実はとある喫茶店にいた。四人かげのテーブル席のひとつを私で埋めて、残り三席を、私が呼んだ三人に座ってもらっている。


私の対面にいるのが藤田さんで、私の左隣に座るのが葵さん。そして私の左斜め向かいにいるのが、明さんの友人である……圭さん。彼は藤田さんたちとは初対面だけど、今回の話に関わってもらいたくて、私からお願いしてここに来てもらった。


私たちの目の前には、各々が注文したジュースが置かれている。私と葵さんがアイスコーヒーで、藤田さんがコーラ、圭さんがお冷やだった。


それぞれのコップにぎっしり詰められた氷が、ジキジキと音を立てている。


「何かできると思うんです、私たち」


私がそう言って口火を切ると、葵さんと藤田さんは私の方を見た。圭さんは険しい顔をして腕を組み、じっと目の前にあるお冷やを睨んでいる。


「というより……私の場合、何かしないと気が済まないと思ってます」


「「……………………」」


「今、美結と明さん……二人の一番の支えになれるのは、私たちなんじゃないかって。どう……思いますか?」


私の問いかけに対して真っ先に回答してきたのは、藤田さんだった。


「分かるぜメグっち……!なんつーかこう、居てもたってもいられねえ気になるよな!何をすりゃいいのかオレもよくわかんね~けどよ~!何かしなきゃいけねーってことだけはよく分かるぜ!」


やや興奮気味に話す藤田さんへ、葵さんが冷静な言葉を放つ。


「でも公平くん、結局はその“何をするか”が大事だと思うんだ。下手に動くと、湯水の網にかかってしまう」


「そーなんだよなー!オレがバイトをクビになったのも、湯水の子分的な奴が細工してたっていうじゃん?マジびびったわ!そんなことできんのかって!」


「私もまさか、家にゴミを投げ入れられてるのが湯水たちの仕業だとは思わなかったよ。悪質な嫌がらせってことに腹が立つけど、でも……それ以上に、うちの住所を知られてるってことの恐怖が勝っちゃってさ」


「……確かに、私もアカウントの炎上が湯水たちの攻撃だったって言われた時は、言い様のない寒気を覚えました」


一体、どうやって調べたのだろう?SNSのアカウントやバイト先、そして家の住所……。個人情報をどこまで握っているのか分からない相手と戦うのは、非常に怖い。


「だから今回、私はみなさんに集まってもらったんです。これから私たちはどうしたらいいんだろうって……その相談をしたくって」


私たちが最初にするべきなのは、一致団結だと思う。澪と喜楽里の二人が捕まったとは言え、他に湯水の仲間がどれだけいるのか分からない。対抗するためにも、こちらがバラバラだと絶対に危ない。


「まず、連絡網を作るのはどう?」


葵さんが私の方を見ながら話し始める。


「簡単なLimeグループを作ってさ、何かあったらすぐ連絡を取り合えるようにしておくんだ。毎朝挨拶を交わすようにしておけば、互いの……ちょっと仰々しい言い方になるけど、生存確認もできるわけだし」


「なるほど……」


私はテーブルに置いていたスマホを開き、メモアプリを起動して葵さんの意見を書き記した。


「葵さん、Limeグループのメンバーは……まず美結と明さん、それからここにいる四人と……あとはどうします?」


「兄貴さんたちと一緒にいる、城谷さんって警察官と、柊さんって探偵の方は入れさせてもらおう。それから、私達の親も可能であれば入ってもらった方がいいよね。私たちだけの問題にするのは危ないし、人数はなるだけ多い方がいい」


「わかりました。城谷さんと柊さんに……私達の親、と」


メモへ追記していく中、藤田さんが「あ、そー言えばよー」と言って話し始めた。


「あの捕まった二人……名前なんだっけ?まあいいや。湯水の子分の二人はよ、親分の居場所知らねーのかな?」


「そう、それ私も柊さんから聴いたことあるんですけど、二人とも湯水からはメールでしかやり取りしてなかったみたいで、居場所はわからないみたいです。ただ、彼女が付き合っていた元カレとかに匿ってもらってるんじゃないかって推測はされてます」


「へー!まあ確かに、家出したらそりゃ居場所も限られてくるかー」


藤田さんは唇を尖らせて、「むーん」と唸る。


「あとオレらがやれることっつったらよー、湯水の居場所知らねー?っていろんな奴に訊いてまわることだよなー。湯水の元同級の奴とかに話訊くとかさー」


「ですね……。答えがすぐ分かるものでもないとは思いますが、手がかりを探るくらいにはなるかも知れません」


藤田さんの意見もメモに加えた後、私は圭さんの方へ眼を向けた。


「圭さん……どうですか?何かありませんか?私たちでしたいこと」


私がそう告げると、藤田さんも葵さんも、圭さんの方へ眼を向けた。圭さんは相変わらず、腕を組んで眉間にしわを寄せていた。


圭さんって、雰囲気が厳ついこともあって、ちょっと話しかけづらい。でも、あの明さんと同級生の間で一番仲がいいのはこの人らしいので……たぶん、悪い人ではないはず。だから今回同席してもらったし、きっとこの人も、何かしたいって思ってくれてるんじゃないだろうか。


「……………………」


圭さんは、自分の前にあるコップを見つめながら、ようやくその口を開いた。


「……ボディーガード、だな」


「ボディーガード?」


「やるのは俺一人でいい。明か、明の妹か……。まあたぶん、明は妹を守ってくれって言うだろうが、とにかく、あの兄妹のどちらか一人のボディーガードを……俺がするべきだ」


「……お一人で、ですか?」


「ああ」


私と葵さん、そして藤田さんの三人で顔を見合わせた。ボディーガード……口で言うのは簡単だけど、その仕事はかなりハードだし、とても危険だと思う。当然そのことを、圭さんも承知の上だろうけど……。


「借りがあるんだよ、あいつには」


圭さんは私達の考えを察したように、言葉を繋いだ。


「借り、ですか?」


「ああ……ほぼほぼ初対面のあんたらに言うのもちょいと気が引けるが……。俺は昔、明のことをいじめていた」


「…………!」


「でも明が良い奴だったから、俺は変わることができた。だからこの借りを、いつか必ず返さなきゃならねえと、ずっとそう考えてた」


「……………………」


「あのイカれた女をぶん殴ってでも、俺は明たちを守らなきゃいけねえ。そう思ってる」


……圭さんの眼の奥に、炎が見えた。彼は今、本当に湯水に対して……これ以上ないくらいに怒っているのだろう。


それにしても……まさか明さんがいじめられていたことがあるなんて。慕われる場面はイメージできても、誰かにいじめられているところなんて、まるで頭に浮かばない……。


「……………………」


明さんをいじめていたという事実を聴いて、圭さんに対する印象が複雑になってしまった。圭さんの気持ちが、私の気持ちとダブってしまったからだ。


私も昔、美結に酷いことをした。SNSに良からぬことを書いて……彼女を追い詰めてしまった。私と圭さんの背負った業は、似ているのかも知れない。


(……美結、明さん)


私たちみんなで、一緒に幸せになりたい。毎日毎日、そう願っています。



















『…………はい、こちら慈恵園です~』


電話口で応対してくれたのは、穏やかな口調の女性の方だった。私は自室のベッドに三角座りをして、やや緊張を含んだ声色でこちらの名前を伝えた。


「あの……私、渡辺 美結と言います」


『ああ、渡辺様ですね。柊様から聞いておりますよ。“結喜ちゃん”の写真の件ですね?』


「はい、そうです」


そう………私が今電話をかけているのは、ママが先日出産した赤ちゃんの……つまり、私にとっての妹がいる、子ども養護施設『慈恵園』なのだ。


妹の名は、渡辺 結喜(わたなべ ゆき)。これは私が考えた名前だった。


ママも生前、彼女にいくつか名前の案を考えていたらしいけど、中々決めかねていたらしく、結局『顔を見て名前を決めよう』と言っていたと、産婦人科の先生からお聞きした。


でも……ママは名前をつける前に亡くなってしまった。だから彼女には、まだ名前がなかった。なので先日、私が考えた名前を……彼女につけさせてもらった。


結喜の『結』は、私の名である美結の『結』から。『喜』はママの……美喜子の『喜』から、それぞれ組み合わせたんだ。


結ぶ喜びと書くその名前の通り……“人との結び、繋がりを喜べる子”になってほしいという願いを込めて、名付けさせてもらった。


この話をお兄ちゃんに電話越しにした時、少しだけお兄ちゃんは泣いていた。


『えーと、写真……どうしましょう?メールアドレスか何か教えてもらえます?』


「は、はい。口頭で伝えても大丈夫ですか?」


『はーい、どーぞ~』


受付の女性へ、私のメアドを一言ずつ伝えていく。


私は先日、柊さんを通じてこの施設に連絡を取らせてもらうようお願いしていたのだ。結喜の写真や様子を、私に教えてほしいと思って。


『じゃあ、こちらのメールアドレスに今から写真をお送りしますね~。一時間たっても届かなかった時は、また電話してくださーい』


「わかりました、ありがとうございます」


そう言って電話を切り、待つこと数分。先方へ教えたメールアドレスに受信があった。


「……………………」


添付されているのは、結喜の写真。全部で五枚あり、その内の三枚が眠っている時の姿を撮していた。


「…………結喜」


私は思わず、涙腺が緩んでしまった。この子の親は、今どこにもいない。精一杯産んでくれたママは他界してしまい、父親は責務から逃げて隠れる……。彼女は一歳にも満たない内から、過酷な環境にいるんだと思うと……胸から込み上げてくるものがある。


ああ、こうして見ると確かに……ママと私に似てる。つり目なところなんか生き写しみたい。


でもその他は、本当にひ弱な赤ちゃん……。手も足も身体も、何もかもが小さくて……。


「結喜……大丈夫だよ、必ずお姉ちゃんとお兄ちゃんが……迎えに行くからね」


本当なら、ちゃんと彼女に会って抱っこがしたい。あの子の体温を直に感じたい。でも、まだ湯水のことが決着しない内に、彼女へ会いに行くことはとても危険……。もし湯水に結喜のことを知られたら、どんなことをされるか分かったものじゃない。絶対にそれだけは避けなきゃいけない。


だけど、やっぱり顔だけでもいいから見たかった。写真をもらうだけでも全然違う。


お兄ちゃんにも、この写真を送ろう。お兄ちゃんはなんて言ってくれるかな。可愛いねって言ってくれるかな。


(そうだ、その前にまず……お礼しなきゃ)


私は写真をくれた慈恵園へ、お礼のメールを返信した。




写真を送っていただき、ありがとうございます。もしよければ、今後も写真とか動画とか、送ってもらえると嬉しいです。














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