67.VS湯水(part18)








「……ええ、ええ。もちろんですよ明氏。大丈夫大丈夫、任せてください。はい、はい。ええ、ではまた」


そうして、私は電話を切った。


7月のうだるような暑さの中、スーツの袖を捲り、手で顔を扇ぎながら街を歩く。


身体中から汗が吹き出ているのがわかり、自分の匂いがなんとなく気になってしまう。


「それにしてもお腹空いたな……。バナナを持ってくるべきだったか」


空腹に耐えかねていたところに、ふと見つけた蕎麦屋へ吸い寄せられるようにして入店した私は、店員からカウンターへ案内される。


「天ざるそばひとつ。大盛りで」


「天ざる大はいりまーす!」


私からの注文を受けた後、店員は私の前にお冷やを置いた。それをコップの半分ほど飲み、お蕎麦を待つ。


(……元恋人が40人以上……か。ここまでくると天晴れって思えてくる)


湯水という女は、ブレーキのない車みたいなものだ。合理的で賢い頭を持っているはずなのに、昂る感情を抑えられない。気に入らない人間はひたすらにいじめ倒し、欲しいと思った男は捕まえて支配する。


そんな女が、今回とうとう……自分の合理性すら取り払ってしまいたくなるほどの男に出逢ってしまった。ブレーキのない車はアクセルを思い切り踏み込み、恐ろしいほどのスピードで周りの人たちを轢き殺し、最期には自分も断崖絶壁へと飛び込む……。


そうだ、湯水は確か……明氏に殺されたいとか言ってたみたいだな。あの温厚な明氏が、人を殺したいと思うまで誰かを憎むことがあるだろうか?


中々考えにくいことだが、もしあるとするなら……



「美結氏が殺された時……か」



……自分の出した結論に、思わずブルッと寒気がした。この結論へは、あの湯水も当然至っていることだろう。やはり、絶対に美結氏が見つかってはならない。あの明氏であったとしても、美結氏を殺されたとなったら……何をするかわからない。


「はいよ!天ざる大お待ち!」


私の目の前に、山盛りのお蕎麦と天ぷらの盛り合わせがお盆ごとドカッと置かれた。カウンターにある割り箸を取って、お蕎麦を頬張る。


ずぞぞぞっとすする音が気持ちいい。うん、美味い。ここ城谷ちゃんたちにも紹介しよう。きっと気に入ってくれるはず。


「しかし、湯水は一体どこに潜伏してるんだろう……?」


さくさくの衣に包まれた海老天を一口齧りながら、私は湯水の元カレについて考えてみた。


彼女を匿うとするならば、普通に考えてあり得るのは……一人暮らしの人間だろう。学生でまだ実家暮らしの子どもには、女の子一人を匿えるほど自由があるわけじゃない。当然親にいろいろ言われるだろうし、難色を示されるのは目に見えてる。


(もちろん、家族ぐるみで湯水を家に住まわせてる場合も考えられるだろうし、家出以降に見つけた場所の可能性はあるが……とりあえず当たってみるべきなのは、自由度の高い一人暮らしをしている男だな……。澪と喜楽里が知っている元カレの範囲で、リストを作ってみよう)


コップに入った水を飲み干して、またお蕎麦をすする。


額に浮いた汗を手で拭って、ふうと息を吐いた。


















「……リスト?それは、舞の元カレのってこと?」


警察署にある取調室。椅子に座る私からテーブルを挟んで対面する形で、澪と喜楽里が座っている。


澪の問いかけに対して、私は「そうです」とうなずきながら答える。


「あなたたちが知る限りで……名前、年齢、住所、所属している学校や職場、それから何年から何年の間に付き合っていたか……そのリストを作ってもらいます」


自分の隣にある椅子に置いていたノートパソコンを持って、机の上に置き、それを彼女たち側に向けた。


「このパソコンの中に、Excelシートが入っています。そのExcelで一覧表の様式を作りましたので、今言った必要事項を書いてください」


「「……………………」」


澪と喜楽里は、何やら曇った表情で顔を見合わせていた。そこに私が「どうしました?」と横槍を入れる。


「協力しますと、そう聞いていたはずですが?」


「あ、いや……はい。しますします」


二人は身体を寄り添わせて、パソコンと睨めっこをし始めた。ぎこちない手つきでキーボードとマウスを操作し、「あれ?澪ちゃん、純一って誰だっけ?」「あれだよ、四組の純一。ほらバスケ部だったやつ」と、ひそひそ相談し合いながら入力していった。


「……………………」


彼女たちは、思いの外協力的だった。もちろん、それは積極的にではなく、「もう捕まっちゃったし、仕方ないか」みたいな、そんな諦めがついた感覚だった。


二人の処分については、湯水を捕まれた後に決定される。当然だ、指示を受けていただけとは言え、それに加担していた罪はもちろん問われる。だから私は、湯水を捕まえるのを協力すれば、情状酌量の余地を与えると言って、二人を動かしたのだ。


最初は喜楽里の方が渋っていたが、案外冷静だった澪の方が『もうここらで止めようよ』と言い出した。


(湯水よりは、まともな神経をしているみたいだな……。まあ、あの女に比べたら、だいたいの人間はまともになってしまうか)


私はその場で腕組をし、彼女たちのことをじっと見つめた。



作業を始めてから、約一時間。澪がおそるおそる私の方を見て、「できたけど……」と小さな声で言った。


私は席を立ち、彼女たち側へ歩いていった。そして、一覧が入力されているのを確認する。


「よし、それじゃあこの一覧から、さらに18歳以上だけに絞ってください」


「それって、どうやってやるの?それ以外は消せってこと?」


「そうじゃなくて、ほら、条件を絞るんですよ。フィルターをかけて。知りませんか?」


「えー……と…………」


「……………わかりました、私が代わりにします」


澪からマウスを譲り受けて、一覧にフィルターをかける。18歳以上のリストのセルを青で着色する。


「あなた方Z世代は、パソコンもお手のものかと思ってましたが」


「使わないもん、パソコンなんか。スマホで十分じゃん」


「パソコンはちゃんと使えた方がいいですよ。あなた方だっていつかは就職するんですから」


「……就職、できるの?」


「できるもなにも、日本国憲法では労働の義務が課せられてるんですから、働かなきゃいけないんですよ」


「「……………………」」


私の言葉を受けて、突然二人は黙り込んでしまった。不思議に思った私は、二人に「どうしました?」と尋ねてみた。


すると、澪がうつむき加減に「私たちって、本当に就職できるの?逮捕されるんじゃないの?」と、か細い声で尋ねてきた。


「……まあ、あなた方は未成年なので、逮捕されることにはなりませんけど、少なくとも学校は退学になると思います」


「「……………………」」


「何を今さら後悔してるんですか。はっきり言っておきますけど、私はあなた方にはきっちり責任を取ってもらいたいと思ってますからね」


「責任って……何をするんですか?」


「…………そうですね、たとえば……」


私はマウスから手を離した。しばらく考えた後に、パソコンの方を向いたまま、両隣にいる彼女たちに告げた。


「私の探偵事務所に入るのも、良いかも知れませんね」


「探偵……事務所?」


喜楽里が首を傾げている。


「湯水を含めて、あなた方三人を、私の事務所で面倒見るのもひとつの手です。当然、お給料なんか出ませんよ。ボランティアです」


「「……………………」」


「私は、ハラスメントやいじめを専門に調査しています。証拠を集めるためなら、何日も徹夜して張り込みし、四六時中、証拠集めのために走り回ります。あなた方はいじめた側の人間です。罪をつぐなうのなら、いじめられた側の人間を守る方法を取らなきゃ、つぐなったことにはならないでしょう?」


「「……………………」」


「ま、その前にまず……自分がいじめた子たちへの謝罪が第一歩ですけどね。謝ったって許してもらえるかどうかも疑問ですが」


……二人は静かにため息をついて、そのままうつむいていた。


彼女たちは今、ようやく……自分のしてきたことの重大さを感じつつあった。遅すぎると思うし、物事を軽く考えすぎだと思うが……まあ、それも若さなのだろう。


今はまだ、自己保身のために落ち込んでいる段階だが、もしいじめた子に対して、本当に心から謝罪し、罪をつぐないたいと思う時が来たのなら……まだこの子たちも、救いようがある。


……湯水。お前は一体、どっちなんだ?もう……取り返しのつかない地点にまで……行ってしまったのか?


私には……もうそこまで奴は行ってしまったような気がしてならない。













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