53.VS湯水(part12)
「……はあ」
朝の七時半。私……湯水 舞は、誰もいない下駄箱で盛大なため息をついた。
下駄箱は、上段に上履きを入れ、下段に靴を入れるようになっているのだが、その上段……上履きの方に、手紙が入っていた。白い便箋に入れられた、丁寧な作りの手紙だ。
「……………………」
その手紙を取って便箋を破り、中身を取り出す。一通り読んでみると、それは私の想定通り、ラブレターだった。
ビリリリリッ!!
手紙を真っ二つに引き裂いて、ぐしゃぐしゃと丸めた。そして、それを廊下に置いてあるゴミ箱へ放り投げた。
「バカにすんじゃないわよ」
クラスへ向かう廊下の途中で、私は捨て台詞を吐いた。
だって、あの手紙……あまりにも無神経すぎるんだもの。『最近、湯水さん髪の毛を水色にしたね。とってもかわいいよ』だなんて書いてあるのよ?何を言ってるのよ。お前のために染めたんじゃないから。勘違いも甚だしい。
これだから頭の悪い脇役は嫌いなのよ。脇役はね、脇役としての自覚を持つべきよ。あくまで主役である私を輝かせるための舞台装置……。シンデレラが結婚するのは王子であって、村人Aじゃないんだから。
「私、バカはやっぱり嫌いね。この世のバカはみんな死んでくれないかしら」
再度捨て台詞を吐いて、私は自分のクラスに入った。
クラスメイトは誰一人としていない。当然よね、朝7時半なんて誰もいるわけないわ。いつもならこんな時間に来ることはないんだけれど、考え事をしたくって、わざわざ誰もいない時間帯を狙って来たってわけ。
私は自分の席まで歩いていって、鞄を机に置いて、椅子に腰を降ろす。そして、その机に突っ伏して、ぼーっとその考え事をする。
考え事というのは、アキラのことだ。
(……残るデートは、あと二回。その二回で……なんとかアキラを惚れさせたい……)
しかし、アキラを惚れさせるには、一体どうすればいいのだろう?
どんな場所に行っても、どんな体験を一緒にしても、アキラが私に靡くイメージができない。
成功するイメージができないというのは、私にとってかなり……屈辱的なことだった。イメージとは、成功するために不可欠な要素。イメージがあって初めて、人は動くことができる。本当の天才とは、そのイメージが隅々まで行き渡っていて、それ通りに物事を運べることができ……そしてついには『当たり前にこなせる』ようになる人間のことを言うのだ。
(……だから、この私がイメージできない……なんてこと、あってはならない。なのに、あのアキラは……きっと平田のことを裏切らないだろうなって、それがアリアリと分かってしまう)
私は顔を机へ横向きに乗っけたまま、平田の席へ眼を移らせた。
(そして……アキラが平田を裏切らないことを…………心のどこかで、望んでいる自分がいる)
この気持ちが、私にとっても非常に驚きだった。意味が分からない。私に靡かないことを望む?あまりに心がちぐはぐすぎる。
私はアキラがほしい。何がなんでもほしい。でも、アキラが平田を見捨てて私のところへ来てしまうと、私はアキラにひどく失望するような気がする。その他の有象無象とアキラも同じだったのかと、そんな風に思うんじゃないかしら?
だから私は、平田に何も手を出さない。やろうと思えば、彼女の浮気をいくらでも捏造して、別れさせてやることだってできる。たぶん、今までの私なら平気でやってる。それをやらないのは、平田にそんなことをしたところで、アキラはたぶん、彼女を見捨てやしないだろうからだ。
(……それに…………)
それに、もし私が平田の浮気を捏造したら、おそらくアキラは真っ先に私を疑う。『湯水の捏造に違いない』と、妙に感度のいい鼻で探ってくる。
そうなれば、アキラの私に対する信用はガタ落ち……。今まで以上に、嫌われることになる。
「……………………」
……この際だからはっきりしよう。私は、アキラに嫌われたくない。
この事実から目を背けてしまっていたが、いよいよ受け入れるしかなくなった。いや、というより……受け入れるもなにも、嫌われたくないというのは、別に何も恥ずかしいものではないと自覚したからだ。
だって、私はアキラをほしいと思ってるのよ?ほしいと思う人間に嫌われるのは、不快というか……まあ、普通に嫌じゃない?だから嫌われたくないと思うのは、至極当然のことなの。
そう、あくまで合理的に考えた上で、嫌われたくない事実を認めた。そういうことよ。
「……………………」
……アキラ、私はあなたがほしいと思ってる。でも私に靡いてしまったら、きっと失望する。
変な感情よね、全く。今まで経験したことのない……極めて非合理的な気持ち。
そのことを、アキラ……あなたに話したら、あなたはバカらしいと言って笑うかしら?それとも、気持ち悪いと言って顔をしかめるかしら?
「……いいえ、違うわね」
あなたは……悲しい顔をして、何も言わずに私を見つめてるような気がする。
そうよアキラ、私には分かってるんだから……。
「……………………」
耳をすますと、グラウンドで朝練をしている野球部たちの声が、微かにうっすらと聞こえる。そのくらい、教室の中は静かだった。
「……だな」
「……ですね。だから……」
ふと、その野球部たちの声に混じって、廊下の方から話し声が聞こえた。小さすぎて確認できないけれど、もしかするとそれは……
「……アキラ?」
そう、たぶん……アキラだと思う。アキラと……それから女。おそらく平田だろう。その二人の会話する声が聞こえる。
「……………………」
何を話しているのか興味が沸いた私は、音を立てずに席を立ち、抜き足差し足で、教室の引き戸まで歩いてきいった。
「……としては、そういう気持ち……なのかなあって思うんだよ」
「でも、私はまだ時期尚早な気がします。湯水と近づけるは、やっぱり危険だと思います」
「俺もそう思うんだけど……。うーん、一回柊さんとかに相談してみようかな」
「そうですね、その方がいいと思います」
私が引き戸に近づくにつれ、その声がだんだんと鮮明になってくる。
(私の話をしている……?)
余計に気になった私は、引き戸をそー……と開けて、顔を少しだけ廊下へ覗かせた。
すっと伸びるその廊下の先、おそらく5mくらいの距離の地点で、やはりアキラと平田が会話をしていた。
その場にしゃがみこんで、廊下側からは見えないように、引き戸を背にして聞き耳を立てる。
「それじゃあメグちゃん、またお昼休みに」
「はい、お待ちしてます」
「ごめんね、いつも俺と一緒にさせてしまって」
「いえいえ、私は全然構いません。本当の彼女みたいで、嬉しいです」
そう言われたアキラの、照れ臭そうに笑う声が廊下に響いた。
(……なに?どういうこと?)
私は、彼らの会話の中にあった……とある単語が脳裏に焼き付いた。
“本当の彼女みたいで、嬉しいです”
(……なに言ってるのよ平田、あなた……あなたが本当の彼女……でしょ?え?違うの?本当の彼女じゃないの?)
私は額に手を当てて、ぐっと眉間にしわを寄せた。
あの会話をそのまま受けとると、平田とアキラは本当は恋人同士じゃなくて……偽物の恋人ってことになるけれど……
(まさか、でも……そんなわけ……)
だって、あの平田は……間違いなくアキラが好きだ。それは感覚的に理解できる。なぜなら、眼差しが違う。あれは本当に、恋をしている人間の眼差し。
(私は、大量の男たちを落としてきた女……。恋を込めた眼差しがどんなものか、熟知している。今日の朝だってラブレターを貰った。この前だって告白された。元カレにも未だに執着される。彼らが私に向ける眼は、まさしく切望の眼差し。心から欲する眼差し。すなわちそれが……恋の眼差し……)
そんな私だからこそ、平田がアキラに向ける眼差しが本物の恋であることくらい、すぐにわかる。
……いや、待って。眼差し云々以前に、あの女は今『彼女みたいで嬉しいです』と答えた。この言葉からもわかるように、平田は絶対にアキラが好きだ。本物の恋人関係かどうかはこの際置いておいて、平田の好意そのものは、間違いなく本物だ。
(じゃあ、仮にその関係が偽物だったとして……なんで二人は、そんなことをしているの?)
目的はなに?なんのために偽物の恋人を演じるの?なぜ演じる必要があるの?
……今すぐに予測できるものとしたら、おそらく……平田からの要望。
1.平田がアキラに告白する
2.アキラは恋人になることを渋ったので、平田が「少しの間、仮の彼女にさせてください」と要望する。
3.しばらく二人で過ごしてみて、本当に気が合うと判断したら……晴れてちゃんとした恋人になる
……みたいな感じ?
いやでも、これでは筋が通らない。
アキラは常々、私にこう言ってる。『自分はメグちゃん一筋だ』『湯水、お前とのデートで彼女を不安にさせるのは嫌だ』と。
つまり、アキラの方もちゃんと平田へ好意を抱いてる。つまり両想い……であるはず。
それに、あのアキラよ?アキラは絶対、人に対して曖昧な態度を取る人間じゃない。
告白されて、その人と付き合えないと想ったら、ちゃんときちんと断る。付き合いたいと思ったら、仮ではなく正式に受ける。『それが誠実さ』だろ?と……そう語る人間だ。仮の彼女だなんだって、本命以外の女の子をキープして思わせ振りなことをするなんて、あの男はしない。
(なのに、偽物の恋人?まさか、そんなはずはないわ)
そう……頭で弾き出した理屈では、そういう答えに行き着くのだが、あの平田の言葉が……どうしてもその答えを納得させてくれない。
朝の静かな教室と対照的に、私の胸はざわつきで満ちていた。理解できない、納得できないという思考が、不安と不気味さを呼び起こす。
アキラ……あなた、一体何を考えているの?
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