47.VS湯水(part7)
「さあ、次はあの服屋に行きましょうよ」
土曜日の昼下がり。私は澪と喜楽里を連れて、ショッピングモールを徘徊していた。両手には、服屋で買ったものをつめた紙袋を下げている。
人混みを抜けてぐんぐん進む私の後ろを、二人が必死になってついてくる。
喜楽里が私に向かって、「そろそろ休憩しない?」なんてことを言ってくるので、私はくると振り返った。
「なによ、まだ七件目でしょう?」
「いや、まだっていうか……もうっていうか……」
「喜楽里にしては珍しいわね。あんなにファッション好きなのに」
「ま、まあ……それでも七件廻ることはないかな……」
「ふーんそう。分かった、じゃあそろそろ休憩にしましょう」
私がそう言うと、喜楽里と澪がほっと安堵したような顔をした。いつもなら『なぜ安堵したのか?』を延々と問い詰めるところだが、今日の私は機嫌がいい。だから彼女たちの無礼な姿も寛大な心で許した。
フードコートの六人かけのテーブルに、私たち三人は座った。余っている三席の椅子には、私たちが買った服の入っている紙袋を置いた。
近くの店で適当にミルクティーを買った私は、席につきながら、スマホでとある遊園地を検索していた。
それは、明日の日曜日に渡辺と行く遊園地……『ディステニーランド』。若い子たちに人気の遊園地で、私も何度か行ったことがある。その遊園地の公式サイトを眺めつつ、渡辺を惚れさせるには何をするべきか?……必死に頭をフル回転させていた。
(本当にたまにしか見かけない少数派だけど、渡辺は顔面で人を判断しないタイプ。そして、かなり硬派な性格……。だから色仕掛けだのボディタッチだの、そうしたものもさして効果はないものと思われる)
自分でも驚くほどに冷静な私は、公式サイト内にあるアトラクションを見ながら、具体的なデートルートを計画していく。
(渡辺好みに性格を変えることもできるけど……なんかそれは、負けた気がする。あいつを完膚なきまでに惚れさせるには、それじゃ足りない……)
「……ね、ねえ舞?」
「何よ澪?」
「明日……例の、60点男とデートするんでしょ?」
「そうね、それがなに?」
「いや…………」
澪は何か……歯にものがつまるような、イマイチ曖昧な答えをしてくるので、スマホから眼を離さずに、「なによ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」と彼女に問いかけた。
「いや、舞……やけに熱心だなあって。今まで見たことないくらいに」
「別に、ただ負けたくないだけよ」
「……手強そうな感じなの?」
「そうね、今までの雑魚よりは」
「私らもなんか手伝おうか?たとえば……私らの方でナンパ男役を用意してさ、舞をナンパしてもらって、そこに60点男に助けにきてもらって……もっと良い雰囲気にするとか……」
「……………………」
「ほら、男ってなんだかんだ『女の子を守りたい欲』みたいなのあんじゃん?だからそこを狙う感じでさ……」
「澪、余計なことしないで」
「え……………」
「今回の勝負は、今までの相手とは違う。そんな小細工は通用しない。あいつは……自分の本心を剥き出しにすることを、全然恐れない人間。だから、こっちが本音かどうかもすぐに見抜いてくる。そんな小細工をしたって、私の中にある細工した心……それを悟られる気がする」
「……………………」
あ、この遊園地、お化け屋敷あるのね……。うーん、吊り橋効果……普通の男なら有効な場所なのよね。『怖い怖い』って言ってボディタッチも自然にできるし、澪の言う通り、男にありがちな『俺が女の子を守るんだ!』っていう間抜けなヒーロー欲求を満たせるから、だいたいの男は間違いなく落とせるけど……あいつに有効かどうかは疑問ね。
(渡辺……明。よくもこの私を悩ませてくれるわね)
攻略の構想を何十にも練りながら、私はミルクティーを口に含んだ。
……翌日の日曜日、午前9時30分。私は、駅前にある広場……その噴水の前で渡辺を待っていた。
9件以上の服屋を廻ったというのに、結局着てきたのは、水色のワンピースという……いかにもありがちな清楚系。
昨夜の晩……深夜三時まで、ああでもないこうでもないと頭を巡らせ続けた結果がこれだ。私にしては、かなり弱気な……無難すぎる選択だ。
「ねえねえ、君可愛いね。これからどこ行くの?」
二人組のナンパ男たちが私に声をかけるが、「失せろ」と一言告げて無視した。
いつもならこういう場面でも『え?可愛いですか?ありがとうございます~』なんていう風に応えるものだが、今の私にそんな余裕はない。完全に男たちを“この場にいない人間”として扱った。
「えー?なになに?結構ツンデレ系なの?」
「俺、そういう子タイプなんだー。良かったらさー、これからカラオケ行かね?」
だが、意外にも男たちはしつこかった。まだまだねこの男たちも。ナンパする時は、相手の隙が本当にあるかどうかをきちんと観なさいよ。隙のない相手にしつこく迫っても、うざがられて終わるのが分からないの?
大方、最近大学デビューして女の子と遊ぶことが増えて、『自分がモテてる』と勘違いして調子にのってるバカたちって感じね。
(は~~~うざったい。今すぐ車にはねられて死んでくれないかしら?この二人)
腕を組んで、無視を決め込んでいたその時……
「!」
私の真正面にある人混みの……その中に渡辺の姿を見つけた。
「渡辺!」
男二人を置き去りにして、私は渡辺の元へと走った。
彼も私のことに気づいて、その場に立ち止まった。私も彼の前で脚を止め、初手から一言挨拶をしてやった。
「やけに遅かったじゃない?私という美少女を待たせるようじゃ、この先思いやられるわね」
「美少女?はて、どこに美少女がいる?」
「くっ……!!」
「あ、あそこにあるミルクキーのペコンちゃん人形は確かに美少女かも」
「この!バカにしないで!」
「俺は時間通りに来ただけだ。それ以上文句を言われる筋合いはないね」
相変わらずムカつくことを……!!何がペコンちゃん人形よ!舐めた口聞いて……!!
「ふん!今に見てなさいよ!その傲慢な態度も……絶対に改めさせてやるんだから!」
「傲慢な態度を止めてほしけりゃ、まず自分が止めることだ」
「うるさい!一丁前に口答えしないで!」
「おいおい、近くに蚊でも飛んでるのか?やけに耳が騒がしいぜ」
「こ、こんのぉ!」
「ほら、さっさと行くぞ。電車の時間、あるんだろ?」
そう言って、渡辺はスタスタと駅の改札口へ向かうので、私も負けじと走っていった。
遊園地まで、乗り換えをひとつ挟んでおおよそ一時間。電車に揺られる間、隣同士に座っているのにも関わらず、私たちの間に会話はなかった。渡辺は腕を組んで、むすっとした表情で前を睨んでいるだけ。
私は……肩を密着させてみたり、太ももを触れあわせてみたりしたが、まるで無反応。ちらりとも私の方へ見ようとしない。照れているわけでも、恥ずかしがっている素振りもない。
本当にこいつ男なの?チ◯コついてるの?
(でもやっぱり……私の予想通り、ボディタッチは効果なし……ね)
デート当日だというのに、この男を落とす決定打を見つけられずにいた。まあ、それは正直仕方ないと思っていた。渡辺は根っからの変人……一朝一夕で理解できる人間とは思っていない。だからこうして、デートの約束を取り付けた。何回もデートを重ねていけば、次第にこいつのことも把握できていけるはず……!
だから今回は、大量の失敗を経ていく覚悟で望む。
「渡辺、私とひとつ勝負をしましょうよ」
私がそう言うと、目線だけを私の方へ向けた。
「今日を含めて、私と四回デートをしなさい。最後のデートまでに、あなたが私に惚れてしまったら……あなたの負け。平田と別れて私と付き合いなさい」
「……………………」
「そして、その逆……あなたを惚れさせることができなかったら……私はあなたと平田から完全に手を引く。二度と関わらないし、近寄らない」
「……おいおい、天下の湯水様にしちゃあ、随分と弱気な勝負だな」
「……………………」
「俺を一回で仕留められないと思ったから、四回のデートという勝負を改めてもちかける……と」
「……………………」
「……まあいい。それでお前が金輪際関わらないならな」
よし!条件を飲ませた!バカねえ渡辺……自分が不利な条件を飲むなんて。これで私の勝ちは決まったようなものよ。
「だがひとつだけ気になるところがある。近寄らないのは……“お前一人だけ”か?」
「え?」
「お前が近寄らないのはいいとしても、お前のクラスメイトたちや、お前と懇意にしている者が……メグちゃんに余計なことをしないと、そこも含めて約束しろ」
……ふふふ、そこは目ざといわね、この男。
もしこの男が惚れなかった場合、クラスメイトたちを使って平田の浮気現場を捏造して、強引に別れさせるつもりだった。だって、この私をフッたのよ?それ相応の報いがあって当然でしょう?
もちろん、今それを実行してもいいのだけど……タイミングが悪い。明らかに『私が意図的に仕組んだ』と思われやすいからだ。
「いいわ、約束してあげる」
そう、口頭でならいくらでも約束してあげる。でもうっかり……それを“忘れてしまう”ことがあっても、私を責めないでね?“渡辺先輩?”
「……………………」
渡辺の眼が鋭く光っている。ふふふ、私の思惑を粗方察しているようね。まあいいわ、浮気云々の小細工はひとまず置いておきましょう。考える必要なんてそもそもないんだもの。
だって……私は必ず、あなたを惚れさせるんだから。ねえ……?
「……湯水」
渡辺は目線を前へ戻して、私に話しかけてきた。
「お前にとって……愛ってなんだ?」
「愛?」
「そうだ」
「いきなり変な質問ね……まあ、あなたらしいけど。そうねえ……私にとっての愛は、トロフィーみたいなものかしら」
「トロフィーだと?」
「優れたものだけが得られるもの。勝ち取った戦利品……そんなところね」
「……なるほどな。まあ、お前ならそう言うだろうな」
「……じゃあ、あなたにとっての愛はなんなの?」
「……………………」
「私に答えさせたんだから、あなたも答えなさいよ」
「……わかった、いいだろう」
彼は少しの間、眼を閉じて黙っていた。そして、もう一度眼を開いた時に……はっきりとした口調で、彼はこう言った。
「俺が、俺であるための証明だ」
「…………証、明?なに?どういうこと?」
「……湯水、まずお前と俺の中にある解釈の違いから話してやる」
「……………………」
「お前は、愛をトロフィーだと語った。それはつまり、『愛は受け取るもの、手に入れるもの』という風に解釈していることになる。そうだろ?」
「……ええ、そうね」
「俺は逆だ。『愛は発するもの、自分から生み出すもの』という解釈をしている。まずそこから違う」
「……待ってよ、その、生み出すのが愛だってのはいいにしても、それがなんで、『自分の証明』とかいうワケわかんないとこに繋がるのよ」
「……言葉にしたところで、お前に理解してもらえるとは思えないが……まあ、話そう。これは俺の知人の言葉だが……」
『人生は、何に愛されたかじゃない。何を愛したか。そうは思いませんか?』
「何かを愛すること……それは、自分の心を表に出すこと。自分というものを包み隠さず捧げること。つまり、何かを愛するというのことは、自分らしく生きることと繋がるんだ」
「……………………」
「だから、愛することを止めない限り、俺は俺らしくいられる。それが俺であるための証明だと……そう答えた理由だ」
「……ふっ、自分らしくねえ……」
私は思わず笑ってしまった。今日び、『自分らしく生きよう』なんて言葉は、耳にタコができるくらいに聞こえてくる。私はね……その言葉が大嫌いなのよ。
「自分らしくだなんて、バカのすることよ。人間は、社会の中で生きていかなきゃいけないのよ?どんな場所にも社会がある。学校、職場、そして家……。大小の差はあれ、どこもかしこも小さな組織、社会を形成してる。そんな中で、自分らしくなんてトンチンカンなことを言ってたら、社会が崩壊するじゃない。『自分らしく生きたいから人を殺します』なんてヤツがいても、あなたは良いと言うわけ?」
「……………………」
「人間として産まれた以上、社会を強いられるのは必須。なら、その社会に合わせて生きるしかないじゃない。だから私は、その社会の中で愛という名のトロフィーを手にするように生きている。その社会の中で競争している。これが人間としての正しい生き方……そうでしょう?」
「……そうだな、確かにお前の言う通りかもしれない」
「なら……」
「だが、ひとつ訊きたいことがある」
渡辺は私の方に顔を向けた。そして……驚くほどに真っ直ぐな瞳で、私に問うた。
「空の中には、社会があるか?」
「は?」
「風の中に社会はあるか?雲は?土は?樹の世界には?」
「な、なに?何を言ってるの……?」
「……いいか湯水、俺たちの生きる人間社会なんて、幻想みたいなもんだ。あってないようなものだ」
「はぁ?なに言ってるのよ。そんなわけないじゃない」
「たとえば、数百年前……江戸時代の社会だったら、武士は過ちを犯したら切腹してた。それが美徳だとされてた。数十年前、戦争をしていた時代は、兵隊が人を殺すのを良しとされていた。だが今はどうだ?」
「……………………」
「俺たちの生きる社会というのは、服のファッションみたいなものだ。すぐ流行が産まれて、飽きられて、廃れていく。そんな幻想でしかないんだ」
「……………………」
「そして、その幻想のような社会は、いとも容易く壊れる。日本という国だって、いつ滅ぶかわからない。住民票もなく、金もなく、社会から全て切り離され……ぽつんと荒野に一人立った時、お前には何が残っている?」
「……なにが、なにがって……」
……私は、その問いかけに答えられなかった。口が乾いて、少しも動く気配がなかった。
「……いいか湯水、この……社会も何もかもが無くなったこの時に……心に何が残っているか?これが大事だと俺は思っている」
「……………………」
「この時に残っているのが、何かを愛した記憶であったなら……俺は、少しも寂しくない。たとえその場にひとりぼっちであったとしても、その愛の記憶を胸に、生きていける。俺は俺として生きたんだと、胸を張れる」
「……………………」
……私は、渡辺の……『少しも寂しくない』という言葉が、なぜだか妙に、印象に残った。
こんなの、渡辺の戯れ言……私を動揺させるために適当なことを言っているだけだと、そういう風に頭で思おうとしているのだけど……渡辺の顔は、ずっと真剣で、本気の顔だ。混じりっ気なしの、本音だ。
……寂しく、ない?
本当に?そうなのだろうか?
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