45.VS湯水(part5)



……お兄ちゃんと本当の意味での二人暮らしが始まってから、私はもう楽しくって仕方なかった。


だって、だってだって、お兄ちゃんと二人きり。前の家もほとんどそうだったけど、でも、今度はホントの二人きり。自分達の選んだお部屋で、一緒に暮らす喜びって、こんなに大きいんだって思った。今は家賃を隆一パパから貰っているけど、お兄ちゃんが就職した後は、もう完全に私たちが自立する時。


今家賃を貰っていることすらお兄ちゃんはあんまり好んでないけど、隆一パパは今まで構ってやれなかったからってことで、お金をくれている。柊さんと城谷さんも言ってたけど、貰えるものは貰っておいていいと私は思うな。


「ただいまー」


私が夕飯の準備をしていた時に、お兄ちゃんが玄関から帰ってくる。私はすぐに玄関へ向かい、「お帰り!」と言ってお兄ちゃんを出迎える。


「ただいま美結!今日のご飯はなにかな?」


「今日は肉じゃが!もう少しでできるよ!」


「おー!いいね!何か手伝おうか?」


「えーと、じゃあ食器だけ用意しててくれる?」


「はいよ~」


そうしてお兄ちゃんと共に、キッチンへと向かう。お兄ちゃんがお茶碗にご飯をよそったり、コップにお水を注いでいる横で、私はお鍋に入っている肉じゃがを味見していた。


「よし、もういいかも」


鍋の火を止め、肉じゃがをお皿に盛る。お兄ちゃんと一緒にリビングのテーブルへできた料理を持って行って、座布団を敷いてその上に座る。


今日のメニューは、炊きたてのご飯に、豆腐とワカメのみそ汁、そして豚肉と玉ねぎがたくさん入ってる肉じゃが!


「「いただきまーす」」


手を合わせて、二人一緒にご飯を食べ始める。ホクホクのじゃがいもがあったかくできてて美味しい。


「肉じゃがうまいなー!さすが美結!」


お兄ちゃんがにっこり笑って、そう言ってくれた。私は嬉しさと恥ずかしさで、「えへへ」と肩をすくめて笑い返した。


お兄ちゃんは黙々と私のご飯を食べてくれている。いつもお兄ちゃんは、私のご飯を褒めてくれる。お兄ちゃんの一言だけで、頑張って作った甲斐があるなって、そう思える。


「……………………」


ふと見ると、お兄ちゃんは黙り込んでいた。あれ?と思って、私は首を傾げた。


いつもなら、私の料理を褒めてくれた後、学校であった面白話や、私と土日にするデートの予定なんかを話題にしてくれるのだけど、今日のお兄ちゃんはやたらと寡黙だった。


いや、寡黙というか……何か考え込んでいる感じだった。手にお茶碗を持って、口にご飯を運んでいるけれど、心はここにあらずといった雰囲気で……。一度そういう風に捉えると、心なしか眉も険しくシワがよっているようにさえ思えてくる。


「お兄ちゃん?」


私がそう尋ねると、お兄ちゃんは「ん?」と言って私に顔を向けた。私はお兄ちゃんに「何かあったの?」と続けて告げる。


「何かあったかって?」


「いや、お兄ちゃん……なんとなーく考え込んでる感じだったから」


「……ふふ、そうか。さすが美結。バレちゃったか」


「バレちゃった……?」


「……ちょっと、湯水の件で……困ったことになってさ」


「何か……湯水に嫌なことされた?」


「……少し長くなるけど、話しても大丈夫かい?」


「う、うん」


私がうなずくと、お兄ちゃんはお箸を置いて、私に今日の出来事を語ってくれた。







……事の起こりは、朝方の……ホームルームすら始まる前だった。俺が自分の教室に向かうと、その入り口付近に湯水が立っていた。


俺のクラスメイトたちが、「なんでここに一年生が?」といった表情で彼女を見ていたけど、当の本人は丸っきり気にしていなさそうだった。


「あ!渡辺先輩!」


彼女は俺を見つけたるや否や、スタスタと俺の元まで歩いてきた。そして、俺に遊園地のチケットを差し出した。


俺が、これはなに?と尋ねる前に、彼女の方から答えてきた。


「今度の日曜日、私とデートしてください」


「は?」


「もうチケットは買いました。だからデートしてください」


「な、何を言ってるんだ……?」


この前、あれだけはっきり『嫌いだ』と言われておいて、まだ懲りずに俺を誘ってくるのか……?鋼のメンタルというか、頑固者というか……。


当然、俺の答えは決まっている。「行くわけないだろ」と、彼女も理解しているはずの返事をした。


「湯水、俺はちゃんと言っただろ。俺はお前が嫌いだ。本当なら顔だって見たくない。そんな子とデートなんて……するわけないだろ」


「渡辺先輩、あなたは私を誤解してます」


「誤解?」


「ええ、その誤解を……このデートで払拭したいんです」


何がなにやら分からない。どういうことだ?俺が一体、何を誤解していると?


「誤解だかなんだか知らないけど、湯水、俺には彼女がいる。お前であろうとなかろうと、デートなんてできるわけない」


「……………………」


「ほら、さっさと教室へ帰んな。そろそろホームルームが始ま……」


と、そこまで言いかけた時、俺は湯水の顔を見てぎょっとした。


なんと彼女は、泣いていた。目に涙をためて、うるうると濡れた瞳から、一筋の涙が頬をつたる。


もちろん、それが嘘泣きであろうことはすぐ予想できたが、まさかこいつが泣くところを見ることになるとは……と、そんな驚きが俺の中にあった。


「なんだなんだ?」


「見て……あの子泣いてる」


「明が泣かしたのか?」


辺りがざわつき始めたのを感じて、俺はハッとした。そうか、こいつ……わざわざ人通りの多いところでデートの誘いなんてお前らしくもないと思ったら……そういうことか!


俺にフラれて泣いている様を見たら……見物人たちが集まってくる。そして、デートを受けない俺が悪いという空気になる。俺はその空気に負けて、しぶしぶデートを受ける……と、そんな作戦だってことか。くそったれめ!そんな戦略に乗せられてたまるか!


「じゃあな湯水、お前も早く自分のクラスに帰れ」


そう言って、素っ気なく帰ろうとした時、なんと湯水は、俺の袖を掴んできた。


「渡辺先輩……一回だけ、一回だけで良いですから」


そしてさらに、うるうるした上目遣いで俺を攻めてくる。


「一回も糞もあるか!行かねえと言ったら行かねえよ!」


さすがにイラついてきた俺は、自ずと語気が荒くなった。その時、クラスメイトの女の子が「そう怒ることないじゃん渡辺くーん」と野次を飛ばしてきた。


「渡辺くんの彼女ちゃんには一言説明してさ、その子とデートしてあげなよー。一回だけなんでしょー?」


「俺は浮気なんて真っ平ごめんだよ!一回やるも百回やるも同じだ!」


「そう意固地にならずにさ~。彼女ちゃんが許してくれたら、万事解決じゃん?相談くらいしてみなって~」


「……………………」


彼女の言葉を皮切りに、周りにいた何人かが俺へ次々に言葉をかけてくる。


「その子、めっちゃ渡辺のこと好きっぽいんだしよ、ちょっとは許してやったらどうだ?」


「そんな可愛い子泣かせちゃうのはよくないってー!渡辺くんも譲歩してあげたら?」


「バカ言うな!泣いてるからって浮気していい理由にはならないだろ!むしろ、相手が泣くくらい俺に対して本気なら、俺も本気の気持ちで接するんだ!俺の本気は、彼女以外とはデートしないってこと!だから絶対に断る!」


「相変わらず硬派だな~明は!もう少し柔軟になれよ~」


アウェーな空気の中、俺は必死に抵抗した。百歩譲って、美結の親友であるメグちゃんならまだいいが……相手はあの湯水だ、美結をいじめた湯水 舞だ。死んでもデートなんてできるか!



キーンコーンカーンコーン



俺を焦らせるチャイムが、廊下や教室に鳴り響いた。周りの野次馬たちは、急いでクラスの自席へと座っていく。当然俺もクラスに入りたいのだが、湯水が離してくれない。


「湯水!いい加減にしてくれよ!お前も俺も先生から怒られちまうぞ!」


「ねえ渡辺先輩!お願いですから!デートして!デートして!」


……湯水に対しての腹立たしさはもちろんあるが、それ以上に……なぜこんなにも必死なのか分からなくて、非常に不気味だった。


湯水は今まで、影でこっそり男を落としていくタイプだった。柊さんの分析では、表沙汰にすると他の人間から妬みを買うので、それを避けるために彼氏を公にしない……そんな人間だと思われていた。


しかし、ここにきてまさかの……公どころか、面前の前でこんな展開は、さすがに予想していなかった。ひょっとして本当に……俺はこいつに好かれてしまったのだろうか?と、そう錯覚してしまうほどに……。


「……………………」


いや、そんなわけない。湯水はそんな甘い人間ではない。必ずこれも意図的だ……!俺が最も断りずらい状況に追い込むための、そういう戦略だ!


「ねえ渡辺先輩!私のこと、好きじゃなくてもいいですから!一度だけ……思い出をちょうだい……?」


うっ……!ちくしょう、この女優め……!俺の罪悪感を突っついてくるセリフを上手いこと吐きやがる……!


「……………湯水」


俺はもう、これ以上怒っても仕方ないと思い、一旦深呼吸をしてから、彼女の目を見て言った。


「とりあえず、今は一旦帰れ。話は後から聞いてやるから」


「嫌です!デートを承諾してくれるまで帰りません!」


く~~~~!!なんて女だこの野郎!切れ者め!俺を焦らせる状況にことごとく追い詰めてきやがる!


「おい、何をしてるんだ?渡辺」


ふと気がつくと、廊下には既に担任の先生が立っていた。俺と湯水を交互に見て、怪訝な顔をして俺たちに言った。


「もうホームルーム始まるぞ?席につきなさい」


「ほら湯水、先生もこう言ってるだろ!?早く帰れよ!」


「うう~~!ううう~~~!」


湯水は涙に濡れた頬を手で拭いながら、俺の先生に向かって言った。


「先生……渡辺先輩が、デートに来てくれないんです……」


はあ!?こ、こいつ、先生まで巻き込むつもりかよ……!


「デ、デート?」


ほら見ろよ!先生はさすがに驚いてるぞ!これ以上お前が騒いだら、お前の信用を落とすだけだぞ!


「あ~、ごほん。渡辺と~、それから一年生の君。そういうことは授業が終わってからにしなさい。いいね?」


「……………………」


湯水は唇を尖らせてうつむくと、小さく「はい……」と言って、ようやく俺から腕を離した。


そうして、名残惜しそうに俺へ一瞥を送ると、とぼとぼと自分の教室に帰っていった。


「はあ~~~…………」


盛大にため息をついた俺は、先生とともに教室へと入った。


「ひゅーひゅー!明モテモテじゃーん!」


「渡辺くん、女の子泣かすなんてサイテー!」


「ねーねー!ホントにデートしないのー!?もったいないなー!」


クラスメイトたちから、やいのやいのまたもや野次が飛ぶ。


「ちぇ、他人事だと思って、言いたい放題言いやがって!デートなんかするわけねえよ!」


俺が野次に対してそう答えるが、クラスメイトたちはまだまだ熱が冷めないでいた。


「なんか渡辺くん、珍しく怒ってるねー!なんでー?」


「そうそう、渡辺くんがあんなに怖い顔してるの、初めて見たかも」


「明ー!お前あれだろ!ホントは好きだけど意地悪したくなる系のやつだろ!」


「渡辺ー!カッコつけんなー!素直になれー!」


矢継ぎ早に送られる野次は、先生によって止められた。


「はいはい、そこまで。渡辺、男女間のもつれは、ほどほどにするように」


「……すんません」


謝りたくなんかなかったけど、俺は一言そう告げる他なかった。なんともモヤモヤした気分を抱えながら、その日のスタートを切る羽目になった。









「……と、まあ朝方に起こったのが、まずそんな感じだ」


そう言ってお兄ちゃんは、グラスに入ったお水を一気に飲み干した。


「危うくさ、『美結をいじめたお前なんかと誰が行くか!』って言いそうになったよ」


「……そっか、湯水…………今までと方法を変えてきたんだね」


「ああ、さすがに俺も困惑した。だが……俺よりも大変な思いをしたのは、メグちゃんの方だ」


「メグ?」


「そうだ。当然、彼女の方にもこの件が飛び火するのは予想がつくが……。あーあ、メグちゃんには迷惑をかけちまったなあ」


お兄ちゃんはひとつため息をつくと、話の続きを聞かせてくれた。




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