43.VS湯水(part4)
……私は勉強机に座り、ノートを広げながら、現状を整理していた。
部屋の明かりは消しており、勉強机に置かれているスタンドライトが、暗い部屋の中の、手元だけを照らしている。
渡辺と平田へ接触を始めてから、早1ヶ月。渡辺はこの私に……この湯水 舞に振り向く素振りが全くない。平田の方も、劣等感を抱えているはずなのに……まだしぶとく彼女のままでいる。
渡辺は彼女の平田と一緒にいる機会がどんどん増えている。私が話しかける隙もなく、連絡先すら交換されないなんて……そんなこと、ある?
どんな男でも、二週間……私が迫れば必ず堕ちた。可愛い彼女を平気で捨てて、私の方へやってきた。彼女の方だって、私と自分を比べて、その劣等感に苛まれて自分から落ちていった。なのに……なんであの二人は……。
「アプローチの仕方を、もっと変えないといけないか……」
ノートに記していくのは、渡辺 明を堕とすための方法……その案を連ねている。
まず渡辺 明は、私が思う以上に頑固な男だ。一度決めたことは頑なに通すタイプ……。そこはある意味、私と似ている。頑固かどうかというのは、プライドの高さと比例する。渡辺 明も私ほどではないにしろ、プライドの高い人間だということが分かる。
「一丁前に凡人がプライドを持ってても……仕方ないだろうにね」
プライドとは、その人物の品格の高さがあってこそ、持つに値するもの。凡人たちにプライドなんぞあったところで、傲慢になるだけ。
「はあ……つまらないわね」
今、一年生たちの間では、渡辺 明の評判は少しずつ熱が引いてきている。彼が歩いてても黄色い声援を上げなくなったし、話題に上がることも大分減った。要するに、もう時の人ではなくなったということだ。
そんな過去の人を手に入れたところで、私に最早メリットはない。さっさと渡辺なんて辞めて、次のターゲットへ移るべきなのだろうけど……
『湯水さん、俺のことが本当に好きであろうと、本当は心底嫌いであろうと、どっちでもいい。ただひとつ言えるのは、君に本当の誠実さは分からないということだ。そんな子とは、俺は彼女であろうと友達であろうと、なる気はない』
「……なんなのよあいつ…………!この私に向かって……!私に向かってなんて……!!」
私は拳を握り締めて、歯をギリギリと食い縛った。悔しい。悔しくて仕方ない。脇役にあんなセリフを言われるのが……どんなに屈辱的なことか。
あいつはきっちり落とさないと気がすまない。私に惚れさせて、そしてその上で……徹底的に心を蝕んでやる。私が舐めた辛辣以上の苦痛を与えるまで、あの男を諦めるものか……!!
「……湯水さん!僕と付き合ってください!」
翌日の放課後、私は体育館の校舎裏で名前も知らない男子生徒から告白された。顔を真っ赤にして頭を下げる彼の姿は、なんとも滑稽だった。
身長も低ければ、顔もブサイク。脇役中の脇役って感じ……。言葉を交わす時間すら惜しいと思うくらいの底辺だ。
「ごめんなさい……」
当然、私の答えはノー。お前と付き合っても何もメリットがない。もちろん、申し訳なさそうな表情くらいはサービスするけど。
「ゆ、湯水さん!どうしてもダメですか!?僕は湯水さんが思ってる以上に、あなたが好きで好きで……」
あ~~~気持ち悪い。だからお前と居ても仕方ないっつーの。こういうめんどくさい輩は、丁寧に相手しないのが一番。私は平謝りしつつ、その場を退散した。
「全く……自分の鏡を見てから話せ……。カースト最下位の陰キャ野郎が」
誰もいない廊下を歩きながら、私は独り毒づいた。
この世の中に、愛なんてものは存在しない。恋愛も友愛も家族愛も、全部まやかし。全ては駆け引きが産む幻想でしかない。
どんな人間関係にも、メリットとデメリットが必ずある。友達付き合いは「人気のあの人と一緒にいればカースト上位組にいられる」というメリットを見い出し、恋人には「セックスしたい体つきだから」とか「顔が好みだから」というメリットがある。そのメリットを満たさない人間とは交流をしない。それが人間の本質。
一見すると分け隔てない愛のように見えるものも、内心は「自分が良い人でありたい」という気持ちを、他人を救うことで満たそうとしているだけ。自分を優しい人間だと思いたいがための行為。そこも所詮は損得なのだ。
この世は損得が全ての世界。分け隔てない愛だの誰にでも与える思いやりだの、そんなものが本気であると思ってるヤツは、よっぽどのバカか、あるいは心が病んだキチガイか。
いずれにしろ……この世に確固たる愛なんてものはない。それが私の思うこの世のあり方だ。
というわけで陰キャくん、二度と私には話しかけないでもらいたいわね。
「ん?」
ふと見ると、下駄箱に渡辺が一人でいた。いつもなら平田と共にいるはずだが……珍しい。
「渡辺先輩!」
わざと上目遣いをして、にこっと渡辺に笑いかけた。彼は私を一目見るなり、ふっと視線を下に切って、上履きから靴へと履き替えていた。やっぱりムカつくこいつ……。
「渡辺先輩、今日は平田さんと一緒じゃないんですね」
「……………………」
「もしかして、喧嘩しちゃったとか?」
「……ただ時間が合わなかっただけだよ。余計な詮索はしないでもらいたい」
私の顔を見ることもなく、彼はそう答えた。前々から思っていたが、この渡辺は私に対して妙に辛辣な態度を取る。他の人でこんなに冷たい感じでいることはほとんどない。
(やけに私にだけ冷たいのは……何か意図があるのか?)
そのふてぶてしい態度も、はっきり言って気にくわない。絶対に私を好きにさせてやる!!
「渡辺先輩、一緒に帰りましょう?」
「断る。彼女に変な誤解をされたくない」
ぐぬぬぬ……こいつ本当に頑固。
「ねえ渡辺先輩!待ってくださいってー!」
私の声も無視して、渡辺はスタスタと校門を出ていく。ムッかつくー!!この私に走らせるなんて!!絶対にいつか!私のために走らせてやるんだから!!
「渡辺先輩ってばー!」
私も上履きから靴に履き替えて、校門を出た。その時、右手を何者かに捕まれた。
「舞!」
振り向く前に、その掴んできた者の声が、私の耳につんざくように入ってきた。その声の主に顔を向けてみると……それは、立花という男だった。
彼は私の中学時代の元カレで、サッカー部のキャプテンだった。彼が怪我をしてサッカー部を引退したのと同時に、私も彼と縁を切ってやったのだ。
しかし、それ以来こうしてまとわりついて来るようになった。
「立花くん……ダメだよ、私たちもう別れたでしょう?」
「舞……なあ、頼むからよりを戻してくれよ。俺、お前じゃないといけないんだよ。お前以外の女の子は、みんなブサイクに見えちまう……」
「…………それで、私の学校まで来てくれたの?」
「そ、そうだよ!お前に会いたくて……わざわざ、ここまで来たんだぜ!なあ!舞!頼むよ……」
正直、私はこの状況が気持ちよかった。みんなの憧れであるイケメンサッカー部元キャプテンが、未練たらたらで私にすがり付く様が、気持ちよくって仕方なかった。
だから敢えて、そこまで邪険にしていなかったし……微妙にまだ気があるかのような振る舞いもする。
哀願するような彼の瞳に、ゾクゾクと胸が震える。私が完全に『彼より上の立場である』という……その証明みたいな瞳。私なしでは生きていけないという眼差し。
ああ……気持ちいい。
「でも立花くん……私はもう、君から心が離れちゃったの。だから……」
「ま、舞……!そんなこと言わないでくれよ!なあ!」
彼は私の腕を掴んだまま、自分の元へと引っ張ろうとする。私はその場で踏みとどまり、彼と私の綱引きになる。
良いわねこのシーン……!ドラマのワンシーンみたいね!私がこの世の主人公であることが、こうしてどんどん証明されていく……!
ひとつ惜しいところがあるとすれば、周りに観客がいないことね。「舞さん、イケメンの元カレにまとまりたかれて可哀想だけど羨ましい」なんて思われたら、もっと気持ちよかったのに……!
「……その辺にしといてあげな」
…………いや、観客は……どうやら一人だけいたようだ。
それは、渡辺 明だった。私を無視してさっさと行ったと思ったら、いつの間にか私たち二人の近くにまで戻ってきていた。ポケットに手を入れて、眉間をしわを寄せ不機嫌そうにしていた。
「な!なんだよお前!」
立花が渡辺に向かって吠える。渡辺はめんどくさそうにため息をついて、興奮している彼へ告げる。
「元カレだかなんだか知らないけど、見苦しいし……みっともないから止めな」
「うるさい!お前には関係ないだろ!」
「関係なんざ俺だって持ちたくねえよ。だけど、限度ってもんがある」
「限度だと!」
「ストーカーばりにまとわりつくのは、お前のためにならねえよ。ほら、もう手を離しな。じゃないとほら……」
渡辺はポケットからスマホを取り出して、私たちにその画面を見せた。そこには110の数字が映されていた。
「このまま通話をタップしたら、すぐ警察に繋がる。未成年とは言え、他校の女子生徒にストーカー紛いの……しかも嫌がる彼女の手を強引に引いた……なんて通報されたら、さすがにヤバいと思うぜ?」
「…………!」
立花は渡辺をぎっと睨みつつ、一瞬私の方へをやった。そしてすぐに手を離し、そのまま背を向けて走り去った。
「……………………」
渡辺は黙ったまま頭を掻くと、私の方へと目を向けた。そして、しかめっ面のまま「首突っ込んで悪かったな」と言って、くるりと背を向けて……そのまま歩いていく。
私は……このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「先輩……!」
先輩の腕を掴んで、うるうるした瞳を見せてやった。そして、震える声で「ありがとうございます……!とっても、とっても怖かったんです……!」と言った。
渡辺 明……!ここで私を助けたということは、少なからず私に気があるということ!そんな時にこんな表情されたら、絶対に心が揺らぐはず!
「先輩がいてくれなかったら……本当に私、何をされていたか……」
「……………………」
「ありがとうございます……!私やっぱり、渡辺先輩のこと……」
さあ、どう?渡辺。私の方へ振り向きなさいよ!あの平田とか言う地味女よりも!私のこと見なさいよ!私が誰よりも優れていて、誰よりも可愛いんだから!
「……………………」
渡辺はその場に立ち止まり、目を閉じてうつむいた。
「……はっきり言っておくぞ、湯水」
渡辺は私の方へ振り向いた。そして、さっきと同じしかめっ面を…………いや、どこか悲しそうに眉をひそめて、言った。
「俺は、お前のことが嫌いだ」
「…………え?」
「正直、顔も見たくないほどに、お前のことが嫌いだ。だからさっきも、お前のことを無視しようとした。無視して……痛い目見ればいい、ざまあみろと、そう思うつもりでいた」
渡辺の顔は、苦しみに歪んでいた。私はなぜか……その顔から、目が離せなくなっていた。
「でも……お前を無視して……そのまま家に帰って、お前を『ざまあみろ』と思ったところで……なんだか、虚しい気がした。そんなことを思う俺自身が、ひどく無様な気がした」
「……………………」
「そして、そんな無様な俺の姿を……母さんには見せられないなって、そう思った。だからお前を助けた。俺の自己満足のために助けた」
「自己……満足」
「ほら、腕を離してくれ。歩けないだろ」
私はその言葉を受けて、自分でも驚くほどすんなりと離した。
彼はもう一度前を向いて、深い深呼吸をしてから……こちらを見ることもなく告げた。
「次はもう、助けないからな」
「……………………」
そうして、渡辺はそのまま歩いていった。その背中を、私はずっと見つめていた。
なんでその背中から目が離せないのか……その時の私には、まるで分からなかった。
ムカつくから?腹が立つから?それも当然あったけど……なぜか、渡辺の言葉は、私の頭の中にずっと反響していた。困惑する私が唯一感じ取れたのは、渡辺のあの言葉は、一言一句、紛れもなく本音だということだ。
「……………………」
その本音を、私に思い切りぶつけてきた。それを感じ取れたから、私はなぜか……何も言い返せなかった。
……私は誰かに、あんなに赤裸々に、本音を話したことがあるだろうか?いや、今まで一度たりともないことは、私自身がよく知っている。だって、この世は駆け引きの世界。損得の世界。本音なんて……話すこと自体が不利になる。そこに漬け込まれて、利用されるだけ。だから本音はいつだって……。
「……なによ、何なのよあいつ」
私の独り言に、誰も返してはくれなかった。
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