29.雨(後編)
「渡辺 美喜子、ひとつ質問があります」
私がさらに問い詰めたのは、美結氏を強引に連れ出そうとしたくだりだった。
「先日、渡辺 美結氏を強引に不倫相手と会わせようとしましたね?手を無理やり引き、あまつさえ頬を殴ったとか。なぜそこまでしたのですか?」
「殴ってなんかないわよ!実の娘をぶつわけないでしょ!」
ほう……やはりあなたたちの『事前の打ち合わせ通り』、暴力は否定してきたか。
「では、強引に連れて行くことはなかったと?」
「そ、そうよ!あの子が生意気に行きたがらないから、私も叱っただけよ」
「なぜ、そうまでして彼女を連れて行きたかったのですか?彼女にも行かない選択肢があるはず」
「子どもが親の言うことを聞くのは、当然でしょう!」
あ……ったく、このバカが。またボロが出てるっての。もうあの一撃必殺の盗聴出さなくても良いかも知れない感じになってくるじゃない。
あなたの顔を顔面蒼白にしたいから、なるべくボロ出さないでよね。まあ、ボロが出ていることすら気づいていないバカだろうけど。
「あなたの教育理念は訊いていません。私の質問に対して、適切に答えてください。あなたはなぜ、何のために美結氏を連れ出そうとしたのですか?」
そう……私は、この美結氏を連れ出そうとしたくだりを明氏から聞いた時……明氏の考察も併せて聴いていた。
『俺が思うに、美結を欲しがっているのは間男じゃないかと思ったんです。美喜子さんは、今まで美結にそこまで執着していた素振りはありません。しかし、何度も追いかけてきたり、電話をかけてきたり、今回は異常な執着心を見せています。これが……なんというか、美喜子さんらしくない』
『だから間男が絡んでいると?』
『はい』
『美結氏を引き込むメリット……まず思い付くのは、隆一へ養育費の請求ができること。次に、自分の赤ん坊を美結氏に養わせて、自分達は遊びに出られること。そして最後に……美結氏自身の性的接触を、間男が望んでいること。不倫相手を妊娠させるほど、性的なことに対する倫理観が薄い間男ですから、美結氏を犯したいと思うのはあり得そうですね。とりあえずぱっと思い付くのは、この辺ですかね』
『ええ。最後のひとつは美喜子さんにわざわざ言うことはしないでしょうから、おそらく最初のふたつを理由に、美喜子さんを間男が説得した……そんな気がするんです』
『なるほど』
『……ただ、俺はこれらの理由とは別の理由が……実はあるんじゃないかと思ってて』
『と言うと?』
『……彼女は、非常に何かがズレています。他者への愛や思いやり……そう言ったものが、何か……俺とは異なる場所にいる感じがする。そして、そんな彼女が付き合う間男も、同じようなズレがある気がするんです』
『ズレ……』
『美結を連れ出そうとしたのは、家族仲良く過ごすため……。もしかしたら、本気でそう考えているんじゃなかろうかと』
『……!』
『俺が前から美喜子さんに感じてた違和感は、なんとなくそこだと思ってます。何が本当の仲良し家族なのか分かっていないのに、とりあえず形だけ、見てくれだけ整えようとする……そういう人間なんじゃないかと』
「……………………」
明氏の言う違和感は、私にも理解できる。彼女たちの中には、根本的な思いやりが欠けている。
盗聴している最中、私は彼らが何回もデートに行くところを聴いているが……デート先で店員に横柄な口をきいたり、泣いてる赤ん坊に愚痴を垂れたりしていた。そのくせ、SNSには「赤ちゃんができました♡幸せいっぱいな人生だといいな」とか語っていたりするから、気持ちが悪い。
彼女たちを見ていると、昔……私をいじめていた女の子たちを思い出す。
私は教室の隅っこで、みんなからケラケラ笑われて、踏んづけられていた。その時、城谷ちゃんが助けに来てくれた。「どうしてこんなことするのよ!」と城谷ちゃんは泣きながら訴えてくれた。
だけどいじめっ子たちは、悪びれることも、かと言って逆上することもなかった。淡々と真顔で「なんで城谷ちゃんが泣いてんの?」と呟いた。
その時のゾッとする感覚を、美喜子は持っている感じがする。
そして……美結氏をいじめていた、あの湯水にも。
(……私たちが相手にしているのは、本質的に何か似かよっているのかも知れない)
倫理観、道徳心、そう言った感覚が根こそぎ消え去った人間たち……。一体なぜ、彼女らのような人間がいるのだろう……?
「あなた!さっきから何様なのよ!失礼にもほどがあるわ!」
美喜子が私の態度にぶちギレた。席を立ち、私を指差して激を飛ばした。
あーあ、だからまだボロ出すなっつってんのに。やっぱりバカだこの女。
「ちゃんとした証拠もないのに、こんな尋問紛いのことして!誹謗中傷よ!起訴してやるわ!」
「……………………」
仕方ない……本当はもうちょい後にしたかったけど、そろそろ出すか。
「そんなに証拠が欲しいですか?」
「なによ!当たり前じゃない!」
「では、お望みのようなので……」
私は胸ポケットからスマホを取り出し、件の盗聴部分を切り取った音声を再生した。
『虐待なんて……!なんで私が悪者扱いなのよ!』
「「!?」」
美喜子と蛭田の顔が、みるみる内に青ざめていく。うんうん、中々いいリアクションじゃない。これは及第点かな。
『……ぱしってちょっとビンタしただけじゃない。あれの何が虐待なのよ!あんなもの、しつけよしつけ!言うこと聞かない美結が悪いんじゃない!』
「こ、こ、これは……」
「証拠が欲しかったんですよね?どうぞ、お納めください」
美喜子の手が震えてる。すごい、あんなにガタガタしてる人初めて見た。おもろ。
『親の言うことを聞かない子にあげるご飯なんかあるわけないじゃない』
「……なるほど」
「これは確かに」
両隣の警察官と児童相談所職員が、静かに頷いていた。
『僕らでもう一度、新しい美結ちゃんを作ってさ、新しい家族にするんだよ。やり直すってことさ』
「と、盗聴……!?盗聴してたのね!?」
「ええ、証拠を欲しがられたんで。ご満足していただけました?」
「盗聴なんて!は、犯罪じゃない!最低よ!あなた最低よ!」
「私が盗聴を仕掛けたのは、依頼人である渡辺 明氏の『自宅』です。依頼人からは設置許可をいただいているので、なんら違法ではありません」
「…………!!」
「あれ?なんでそんなに顔をしかめてらっしゃるんですか?欲しかったんでしょ?証拠。どうして喜ばれないんですか?私はてっきり『きゃー!ありがとうございます探偵さんー!』って黄色い声援が飛ぶものと思っていましたが……」
「ぐっ!!くうう~!!」
「そう顔をしかめないで。お腹にいる『不倫相手との間にできた子』……けふんけふん、失礼。『美結氏の代わりに新たな都合のいい道具として産もうとしてる子』……けふんけふん。どうも風邪気味で。そうそう、お腹の子に良くありませんよ」
「あ、あなた……!よくもぉ!!」
お~、歯がはっきり見えるくらい食い縛ってる。おもしろ。写真撮って美喜子のSNSに上げたいな。#《ハッシュタグ》すっぴん で、フォロワーも半分くらいいなくなるでしょ。
「そうだ、そう言えば先ほど、PTAの会議が12月28日のお昼12時にあったといっていましたね?」
私はスマホで撮った写真を見せた。それは、ジビエ料理店内の窓際に座る美喜子たちだった。
「あなた方は当時、ここでランチを食べてらっしゃいましたね?」
「そ、それは……!」
「ふーん、これがPTAの会議なんですね?私、そういうの出席したことないので、勉強になります」
「きーーーー!この私になんて口をきくのーーー!」
「さて、他に会議はいつされました?その時の記録……私、すべてお出しできますけど、どうします?」
「~~~~~~!!」
美喜子が私に鞄を投げつけようとした時、隣に座っていた警察官がすくっと立ち上がった。
「ぐっ……!」
それを見て、美喜子はしなしなとへこたれて、腕を下ろし……静かに席に座った。
「さて、渡辺 美喜子。まだ答えてもらってない質問があります。あなたはなぜ美結氏を連れて行こうとしたんですか?」
「……………………!!」
「もう、あなた方がどんなに取り繕っても、意味ないですからね。言ってる意味、わかりますでしょ?」
「……………………」
さあ、何のために美結氏を連れ出そうとした?盗聴期間中もそのことに触れる会話はほとんどなかった。だから理由については私も初めて聞くが……大方、おぞましい理由に違いない。そうだろう?アバズレ化粧マシマシ女。
「なぜ美結氏を連れて行こうとしたんですか?答えてください」
「いや……だから、その…………」
「養育費目当てですか?それとも……」
「……写真を」
「は?」
「写真を、撮りたくて」
美喜子は顔をうつむかせた。
「英二くんから……最近……SNSで家族写真がバズってるって教えてもらって……それで……」
……私は、一瞬聞き間違えたかなと思った。SNSで家族写真がバズってる……?なんか確かに、テレビでそんな特集があったような気はするけど……。
「……家族写真が撮りたくて、美結氏を連れて行こうとした?」
「……………………」
「……あのー、バズりに……流行に乗りたいがために、彼女を連れて行こうとしてたと、そういうことですか?」
「…………だって、私のアカウントだけ載せてなかったから、写真」
冗談で話している……わけではなさそうだ。美喜子はかなり真剣な声色で話している。え?美結氏を含めて写真を撮りたくて、強引に連れて行こうとしたと?そんな……お菓子を買ってもらえなかった子どもみたいな理由で?
「……うん、あの……なんというか、その写真を撮りたいという話を……美結氏にまずそのことを言いましたか?美結氏にちゃんと合意を取ろうとしましたか?家族写真というのは、ちゃんとみんなが家族と認めあってできるものでしょう?美結氏には、その時家族としての……」
「うううううう!!もう止めてよー!!私だってーー!私だって良いママになりたかったのよー!!」
美喜子は突然、机に突っ伏して泣き出した。私も、横の警官と児童相談所職員も、全員「は?」って顔をした。
「私だって頑張ってるのにー!!頑張ってきたのにーー!!家族の思い出が欲しかっただけなのにー!!」
な、なんだその安っぽいドラマみたいな台詞……。欠片も共感できない。
『だって、私のアカウントだけ載せてなかったから、写真』
家族の思い出とかなんとか言って……本当はただ、SNSに自分だけ載せられなくて焦っただけだろう。愛もなにもない、ただの虚像の写真……。そのためだけに、美結氏を追いかけ回した……。
「……アホくさ」
私は天井を仰いで、どっと椅子の背もたれに身体をあずけた。
「どれもこれも!あんたのせいよ!あんたが写真を撮ろうとか言わなければ!」
とうとう美喜子は、隣に座る蛭田に八つ当たりをし始めた。当然蛭田は「はあ!?俺のせいかよ!」と応戦する。
「あんたのせいで!私がこんなに責められるはめになったんじゃない!」
「ざっけんな!お、俺関係ねーし!」
そのままヒートアップしていく二人。あーあ……なんて愚かな言い争い。本当に非生産的すぎる……。
(明氏……私たちはどうやら、美喜子たちのことを誤って認識していたようです。彼女たちに、養育費云々なんて高度なことを思い付く頭はありません。彼女たちは……まだ2歳です。2しゃい。大人になれなかった子どもでしかありませんでした……)
いろいろとガッカリな気持ちを抱えたまま、私は児童相談所の職員の方へちらりと眼をやった。
その職員は、苦笑したまま黙って頷いた。
(……とりあえずこれで、美喜子のネグレクトを公にすることができた。この後は……さらに細かく証拠を集めて、正式に裁判をして……美喜子は数年ちょいの懲役で落ち着くかな。それに併せて民事の接近禁止命令を出してもらって……完全に縁切り、か。DV法で親子間での接近禁止命令を認めてないのがシャクだけど、まあ……ないよりはマシか)
ふー……と、お腹の中に貯まっていた息を吐いて、明氏と美結氏の顔を……私は思い浮かべていた。二人が笑っていてくれる毎日であるように……ここ最近、寝る間も惜しんでずっと頑張ってきた。
「……笑ってくれるだろうか、あの二人は」
ふいにそんな言葉が、私の口をついて出た。
「城谷さん。私は近々、死のうと思っているんです」
……渡辺 隆一は、雨が降る窓の外を見ながら、ぽつりと呟いていた。机を挟んで向かい合っていた私は、思わず唖然として……何も返せないでいた。
「もっと早くに……死んでおけば良かった。早く博美の元へ向かっていれば……明にも、そして美結ちゃんにも、迷惑をかけずに済んだのに……」
「……………………」
「美喜子さんは、私の死んだ妻に……よく似ているんです。顔に関しては、ですが……」
「……………………」
「……城谷さん。私は……どういう処分を受けてもいいです。死刑になったって構わない。いや、むしろいっそ殺してくれる方がいい……」
「……………………」
「いつかは、こんな日が来るんじゃないかと思っていました。でも、ずっと私は現実から逃げた。逃げて逃げて逃げ続けて……とうとう、もう一度家庭が壊れました」
1月だというのに、なぜこんなにも雨がふっているのだろう。外から聞こえる雨音のせいで、渡辺 隆一のか細い声が時折聞こえないことがある。
「美喜子さんが……明たちにとってよくない親であることは、私も薄々分かっていました。分かっていながら、私は逃げました」
「それは……なぜ?」
「……彼女が、博美でないことを思い知らされるのが怖かった。だから博美と違うところは、必死に見ないように努めた。そうすることでしか、博美の死を埋められる気がしなかった」
「……………………」
「…………そうだ、あの日も……雨が降っていた。明は後ろに乗ってて……………」
……渡辺 隆一の顔が、窓の外から差し込む青黒い光に照らされて、生気のない顔が余計に……本当に死人かのような雰囲気でそこにいた。
「……渡辺さん、なぜ今……そんなことを話す気になったのですか?今までずっと、ほとんど話してこられなかったのに」
「…………もう、何もかも取り返しがつかないからです。私は父親として……いや、人として既に失格している。美喜子さんも、その間男も、ある程度の処罰を受けるでしょう。なら私も……もうどうにでもなれと、そう思いまして」
「……………………」
私は、いろいろと言いたいことが口許まで迫っていたが……その半分以上を口に出す前に止めた。しかし、残りのもう半分は、出さねばならない……出さなきゃいけないと思った。
「渡辺さん、あなたが死ぬことは、ただの逃げです」
「……………………」
「明くんや美結ちゃんに、本当に申し訳ないと思うなら……ちゃんと生きて、ちゃんとお詫びをするんです。死を望むのは、あなたが今までしてきた……ただ逃げるだけの人生と、何も変わりありません」
「……………………」
「身近な人の死は……確かに、辛いものです。その人の幻影が……思い出が、自分を苦しめる。そんなことだって、たくさんありますでしょう」
そう……私も未だに、妹と最後に会った時のことを思い出す。疲れた顔をする彼女に大丈夫?と声をかけて、『うん』と笑って答えたあの顔を……。
なんでもっと、もっと気にかけてやれなかったんだろう。なんでもっとそばにいてやれなかったんだろう。そんな想いがぐるぐる……頭を駆け巡って……。
「……ですが渡辺さん、その幻影に惑わされて、一体何になると言うんですか。そこで立ち止まってしまったら、亡くなられた奥様もきっと、悲しむと思います。亡くなった方を本当に愛するのであれば……今を元気に、立派に生きてあげることが、亡くなった方々への最大限の供養になりませんか?」
「……………………」
隆一は、窓の外に向けていた視線を、ゆっくりと目の前の机へと動かした。そして…………本当に薄く、苦しそうに笑うと、一言だけ言った。
「厳しいですね、城谷さん」
……私とお兄ちゃんは、児童相談所内にある相談室にいた。
四方が壁で囲まれてて、四角いテーブルが中央に置いてある。 そのテーブルの椅子に、私とお兄ちゃんが隣同士に、向かい側に柊さんと城谷さんが並んで座っていた。
柊さんと城谷さんがしてくれた、ママや隆一パパへのヒアリング結果を、私たち兄妹は詳細に聞いた。
「そうして、1月4日にヒアリングを開始してから、ようやく昨日……1月7日に、美喜子が虐待を認めました」
柊さんが、最後にそう言って話を締めた。
「一旦、彼女は留置所に行くことになります。その後、裁判にて……数年ほどの懲役と、子どもたちへの接近禁止を言い渡すよう、主張していきます」
「……懲役、ですか」
私がそう呟くと、柊さんは頷いた。
「裁判の手続きについては、私と城谷ちゃんの方で進めます。美結氏たちは、もう……安心してもらって大丈夫です。無事、美喜子のいない家へ……帰れます」
「……………………」
私はお兄ちゃんの方へ顔を向けた。そして、『良かったねお兄ちゃん』と、そう言おうとしたんだけれど……。なぜだか上手く、言葉が出なかった。
「……?どうされました?美結氏」
「いえ……」
私はまた、真正面へと顔を向けた。お兄ちゃんが少し心配そうに私を見ているを、横目でちらりと見えた。
「なお、隆一の方も虐待を助長したというところで、いくばくかの処分を受けることになるでしょう」
「まあ……そうですよね」
そう言って、お兄ちゃんは寂しそうに苦笑していた。
「ただ隆一の方は、本人の意向が具体的でないため、もう少しヒアリングをする必要があります。そこは引き続き城谷ちゃんがやってくれます」
「うん、任せておいて」
「ありがとうございます。そうだ、父さんと美喜子さんの……離婚の方ってどうなるんですか?」
「虐待の裁判で正式な判決が出た後に、離婚調停を行います。まあ、結果はもうあらかた見えてますけどね。隆一が美喜子と間男に慰謝料を請求して、明氏と美結氏の親権を隆一氏に譲渡するよう要求する。服役中の彼女が親権を有するのは、客観的に見ても教育上良くないことが明らかに分かりますからね。なので、懲役の判決が出た後に進める方が良いのです」
「なるほど……」
「美結ちゃんも明くんも、長い間……よく頑張ったね。後のことは私たちに任せて……二人で安心して、おうちで過ごせるからね」
城谷さんの……太陽のように眩しくて綺麗な笑顔と、柊さんの含み笑いのような……月明かりのように控え目な微笑みが、私とお兄ちゃんに向けられた。
「……ありがとうございます、何から何まで」
お兄ちゃんと私は、二人に頭を下げた。城谷さんは「何言ってるのよー!」と笑って、私たちに頭を上げるよう言ってきた。
「一番頑張ったのは、二人なんだよ?」
「そんなこと……」
「そんなことある!ね?千秋ちゃん」
「ええ、当然です」
「……………………」
私とお兄ちゃんは、顔を見合せた。そして、肩をすくめて小さく笑った。それから……私は、柊さんの方に顔を向けて、ひとつお願いごとをはかってみた。
「……あの、柊さん」
「なんでしょう?美結氏」
「ママは今、どこにいますか?もう、留置所に……いるんでしょうか?」
「ええ、おそらくそうだと思いますが……なぜですか?」
「もし良ければ、一言だけ、伝言を伝えて貰ってもいいですか?」
「もちろん、構いませんが」
「……あの、メモか何か貰えますか?」
「こちらをどうぞ」
柊さんは手帳の1ページを千切ったものと、ボールペンを手渡してくれた。そして、さあいざ書こうとした時……
「……………………」
私はしばらく……ペンを持ったまま固まっていた。不思議な涙が、つう……と頬を滑って、紙の上に落ちた。
「美結……」
お兄ちゃんが、私の背中をさすってくれた。柊さんも城谷さんも、心配そうに私を見てくれてる。
「ごめんなさい……。なんでかな、私……どうしたんだろう……」
涙が溢れてくるのと一緒に……私は、自分の本心も溢れだしていた。
ママ……あなたはいつもワガママで、おうちにいなくて、私はずっと無視されて……。だから、私、ずっとママのこと恨んでた。恨んで恨んで……どっか行っちゃえばいいってそう思ってたけど……
………………だけど、私……本当は、そんなあなたのことを、愛したかったのかも知れない。
派手で高級な料理店じゃなくていい。有名なブランドの服じゃなくていい。近所のファミレスで一緒にご飯を食べたり、近所の服屋さんで一緒に服を買ったり……そんなことを、してみたかった。親子として……ちゃんと繋がりを持ってみたかった。
いざこうして離れる瞬間……私は、あの人があんまりにも悲しい人だったことに気づいて、どうしようもなく切なくなってしまった。
それはたぶん……あの人は、『お兄ちゃんに会わなかった私』だったような気がするから。
もしお兄ちゃんに会わずに、ずっとそのまま生きていたら…… 私はあなたのようになっていた気がします。
それは逆に言うなら……もしかしたらあの人も、お兄ちゃんみたいにちゃんと愛してくれる人と出会っていたら……何か変われたんじゃないか、もう少し違った未来があったんじゃないかって……。
もう私は……あなたとは、もう二度と会いません。きっとこれからの人生で、指先ひとつ触れ合うことはないでしょう。
でも、どこか遠くで……あなたがいつか、本当の愛が何か気づけることを、私は祈っています。
「……………………」
私は……この人へ、おそらく人生で最後のメッセージになるだろう言葉を、そこに書き連ねた。
さようなら、私のママ
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