27.雨(前編)
……ザーーーーーー……
お外は、雨が降っていた。お昼の三時だというのに、窓の外は夜のように暗くて……なんだか気持ちもブルーになる。
この児童相談所に来てから、早二週間。私とお兄ちゃんは、未だに家に帰れていない。
小さな机がひとつと、敷き布団が二つ、それから小さなテレビと、その横に本棚。そして壁には時計とカレンダーが下がっている。そういう部屋で私とお兄ちゃんは暮らしていた。
床に座って、小さな机の上にノートと参考書を広げたまま、雨の降る窓の外を頬杖をついて眺めていた。
「……………………」
今、部屋の中には私しかいない。お兄ちゃんはたぶん、ちっちゃい子をあやしに行ってるはず。この児童相談所は年齢が本当にバラバラで、私たち中学生、高校生もいれば、まだ小学生にすら入っていない子も居たりする。
私は頬杖をついたまま、ちらりとカレンダーへ目をやった。12/26……。今年もそろそろ終わりが来る。でも私たちにとって、親の問題が解決しない限り、新しい年を迎えられるような気がしない。
「……はあ、もう集中できないや。やーめよ」
私はノートと参考書を閉じて、テレビをつけた。そこには、SNSでバズってるもの特集がなされていた。
『最近の流行は、家族写真!友だちや恋人と撮るのとはまた違った感覚で撮れることが、最近若い家族に大バズり中!』
「…………家族写真」
そんなもの、一度も撮ったことない。前の家庭でも、今の家庭でも。
「……………………」
テレビに映る幸せそうな家族の姿に、私は逃げたくなってしまった。
つけたばかりのテレビを消し、部屋を出た。長い廊下を歩いて少し先に行くと、小さな子どもが遊べる場所がある。そっちの方から、小さな子どもの「もう一回!もう一回やって!」という声と、お兄ちゃんの「よし!見てろよー!」という声が聞こえてきた。
その子どもの遊び場には、大量のおもちゃや絵本がフローリングの床に散らかっていた。お兄ちゃんはその遊び場の中心に胡座をかいて座っていた。手には絵本を持っており、頭にはなぜか小さなピンク色のバケツを被っていた。
その絵本の前には、小さな女の子が座っていて、お兄ちゃんはその子に絵本を見せているらしい。
「むかーし昔、あるところに……」
お兄ちゃんが絵本の絵をその子に見せて、読み聞かせをしている。
「おじいさんと……おばあさんが……いませんでしたーーー!」
と、突然お兄ちゃんはそう叫んで、絵本をバタンっ!と閉じた。女の子は「きゃははははは!」と声を上げて大笑いしている。
その様子が微笑ましくて、私はその場でくすっと笑った。もしお兄ちゃんとの間に子どもができても……きっとお兄ちゃんは、ああして子どもを大切にしてくれそう……なんてことを思った。
お兄ちゃんと私と、そして子どもたち……。それならきっと、あのテレビに出ていたような家族写真だって……夢じゃないかも知れない。
「お、美結」
お兄ちゃんは私に気がついて、絵本を置いてすくっと立ち上がった。
「お兄ちゃん、なんで頭にバケツ被ってるの?」
「へへへ、イカすだろ?」
お兄ちゃんはバケツを深く被って、目がちらっとだけ見えるようにしてカッコつけてた。それに私は、またくすくすと笑った。そうして私が笑ったのを確認すると、お兄ちゃんもにこっと笑ってくれた。
「なんか用事かい?美結」
「ううん、お兄ちゃんに会いにきただけ」
「お、そっか。じゃあそろそろ俺も部屋に戻ろうかな」
お兄ちゃんはバケツを頭から取ると、床に置いた。そして、絵本を見せていた女の子に「またな」と言って、頭を撫でてた。
「ねー!もう一回やってー!もう一回やってー!」
「また今度な
その時、児童相談所の職員さんがちょうどやってきて、「おやつがあるよー」と言って女の子の手を引いて連れていった。
「さて、俺らも帰るか美結」
「うん」
私はお兄ちゃんと並んで、また自室へ帰った。お兄ちゃんは……『お兄ちゃんに会いにきただけ』と言っただけなのに、私がちょっと寂しがってたのを察してくれたみたい。だから、部屋に戻ろうかとお兄ちゃんは提案してくれたんだと思う。
「うふふ」
「ん?なんだ美結、やけに上機嫌だな」
「なんでもないよ。お兄ちゃんが大好きってだけ♡」
お兄ちゃんはきょとんとした顔で、頭を傾げていた。
……部屋についた私たちは、床に座ってくつろいだ。お兄ちゃんが「よいしょ」と言って胡座をかくと、ズボンのポケットからコロンと何かが出てきた。
それは、赤い色をしたアーチ上の……小さな積み木?のようなものだった。
「おっと、これ寧音ちゃんにポケットぶちこまれたやつか」
お兄ちゃんはポケットをまさぐると、他にもいくつか出てきた。赤、橙、黄、黄緑、緑、青、そして紫……。ちょうど虹の七色が揃っていた。
「それ、なんのおもちゃなの?お兄ちゃん」
「虹だよ。ほら、7つ全部くっつけられるんだ」
ひとつひとつが小さなアーチであり、そのアーチを虹の色順にくっつけられるようになっている。全部をくっつけると、綺麗な虹のアーチができるのだ。
「虹……か」
お兄ちゃんがなんだか意味深に呟くので、私は「虹がどうかしたの?」と尋ねた。お兄ちゃんは私の方を見て少しはにかんだ後、「母さんとの思い出があるんだ、虹って」と前置きしてから、話し始めた。
「母さんと幼い頃、一緒に家の近所を散歩していた時にさ、ちょうど虹が見えたんだ。すると母さんが『虹には人に伝えたいメッセージがあるんだよ』って話し出したんだよ」
「人に伝えたい……メッセージ?それは、虹が人に対してってこと?」
「うん」
「……なんだろう?どんなメッセージなの?」
「母さんが言うには、『あなたらしさを思い出して』って伝えてるらしい」
「あなたらしさ?」
「虹ってほら、何色もあるだろ?人間も色のようにさ、いろんな性格の人がいる。だから、各人が心に持つ色……それを忘れないでと、そういうメッセージを虹は送ってるらしい」
「なるほど……」
「虹が人にメッセージを送るってなんかオカルトすぎない?って今なら思うけどさ、それでも虹を見ると……なんか、自分が許されてるような、そんな気になるんだよな」
「ふふふ、博美ママってやっぱり不思議で、とっても素敵だね。見てる場所が人と違ってて……博美ママの眼で、世界を覗いてみたくなるもの」
「ははは、それは確かに思うな。いつもどんなことを考えて生きていたのか、もう少し話を……訊いてみたかったな」
お兄ちゃんはなんだか寂しそうに笑うと、その虹のアーチをきゅっと握りしめた。外から聞こえる雨音だけが部屋の中に響いていて、少し悲しくなってしまった私は、咄嗟にこんな質問をお兄ちゃんへしてみた。
「あの……博美ママってたんぽぽ好きだったよね?それには、何か理由があるの?」
「ああ、母さんが言ってたのは……たんぽぽには、『成長することを恐れない強さがある』って言ってた」
「成長することを恐れない?」
「たんぽぽの綿毛はさ、風に吹かれてどこまでも飛んで行くだろ?見知らぬ場所に降りて、そこで必死に根を生やす……。どんな場所に降り立っても、懸命に生きる力がある。それは、成長することを恐れない力……前向きに生きることを恐れない力。たんぽぽにはそれがある。だから好きなんだって、そう言ってた」
「……………………」
「聴いた当時はよく分からなかったけど、今なら俺……その意味が分かるかも知れないな。成長するって、かなり大変だよな。自分が持つ固定観念や拘りを一回崩す必要がある。自分の周りに囲ってた殻を、自分から破っていかなきゃいけない。でも大人になればなるほど、その殻を破りにくくなる。保守的に保守的に、今のままでいいやがどんどん積み重なって、気がつくと少しも動けなくなってる」
「……うん。それ私も、分かるかも」
「だからたんぽぽのように、一回芽吹いた場所からさらに遠くへ……知らない場所へ旅立つ強さっていうのは、人には必要なのかも知れない。母さんはたぶん、そのことを語ってたんだと思う」
「……博美ママのそういう……不思議な感性ってさ、どこから出てくるんだろうね。確かに、聴いたら私も『虹ってそうかも』『たんぽぽってそうかも』って思うけど、その発想の思い付き方が……あまりに不思議というか」
「そう言えば母さん、昔は詩人になりたかったとか言ってたなあ。本棚に詩集がいくつかあったのを覚えてるわ」
「ああ……それ聴いて、すごく納得したかも。着眼点がそんな感じするよね」
「もしかしたら母さん、すっごい有名な詩人とかになってたかもな」
「うん、それはありそうだね。本屋さんにあったら、私買っちゃうかも」
「ははは!」
お兄ちゃんは虹のおもちゃを、愛おしげに眺めていた。外は未だに雨が降り続いていた。
……雨の中、私は傘をさしてコートを羽織り、明氏と美結氏宅を訪問していた。
いや、正確には訪問ではない。明氏たちから合鍵を渡してもらい、合意の上での侵入をしているのだ。
『千秋ちゃん、くれぐれもやりすぎ注意ね?』
ここへ来る前に城谷ちゃんからそう言われたけど……城谷ちゃん、やりすぎかどうかは、全部が終わってから判断すること。終わらない内はどんな手でも使う……それが私。
ガチャガチャ
明氏たちの家の鍵を開けて、中へと入る。今、家の中には誰もいない。数分前に、美喜子とその間男が家を出るのを遠目で確認していたからだ。この数日間、毎日この家の前で張り込みをしていたが、彼女たちはこの時間帯……18:00~20:00までは必ずどこかへ出掛けている。侵入するには絶好の機会なのだ。
「さてと……」
私は寝室と食卓、お風呂場に三つずつ、そして彼女のよく着るコートと、数日に一回は使う黒い肩掛けのバッグに一つずつ、盗聴器を仕掛けた。もちろん、指紋を残さないよう手袋をしている。
「バカなことをたくさん喋ってくれますように」
寝室のクローゼットの中にある、黒いバッグに盗聴器を仕掛けながら、私はそんな神頼みをしていた、そんな時だった。
「あ~いけないいけない!バッグを忘れてたわ!」
「……!」
美喜子が、忘れ物のバッグを取りに一時帰宅してきた。私は咄嗟に、寝室にあるベッドの下に潜り込んだ。
ガチャ バタバタバタ……
扉を開けて、美喜子が寝室に入ってきたことが、音で分かる。私は視線をクローゼットの方へ向けた。彼女の足首から先が、忙しなく動いているのが見える。
「やっぱりこのバッグが一番ね。どんな服ともよくマッチしてる」
美喜子の独り言に、私は内心『お前のファッションショーなんざどうでもいいわ。さっさと行けアバズレ』と悪態をついていた。
(……ん?)
ふと、私の右手側に、何かが落ちているのを見つけた。ベッドの下なので、暗くてそれがなんなのか分からなかった。
私は興味本位でその何かを手に取り、自分の目の前に持ってきた。それは、使用済みのコンドームだった。
(…………今世紀最大の屈辱)
手袋をしているし、“液”はないとはいえ、最高に気持ち悪すぎた。帰ったら百回手を洗おう。
美喜子がバタバタと歩いて寝室を出ていき、玄関の方も出ていった音がしたのを確認して……私はベッドの下から這い出てきた。
「……………………」
私は右手に持ってたコンドームを、美喜子のクローゼットの中にある服のポケットにでもぶちこんでやろうかと思ったが、こちらが侵入した証拠を残さないためにも、そのイタズラは断念した。偉いぞ私。後で城谷ちゃんに褒めてもらおう。
そうして、私はコンドームを元あった場所に戻し、その家を後にした。
傘をさして耳にイヤホンをつけ、盗聴器から録っている彼女たちの会話をずっと録音し続けた。
『……ねえねえ、今日はフランス料理でも食べましょうよ』
『そうだね、じゃあ行こうか』
(よし、ちゃんと音もクリアに聞こえる。さあボロを出しまくれ。必ず明氏と美結氏への報いを受けさせる)
ザーザーと降る雨の中、私の心は熱く燃えていた。
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