26.人々の助け





「…………兄貴」


オレは学校の中庭にあるベンチに座って、デッケー空を眺めてた。


周りには校舎に囲まれてて、足元にはちっちぇー花壇だとか置いてある。


思い出してんのは、兄貴のことだった。なんでなのかっていうと、昨日の月曜日、兄貴がバイトを休んだからだ。感染性胃腸炎?とかいうやつにかかっちまったらしい。それで今週は来れそうにないんだと。


一週間も来れねーほど辛いのかよ!と思って、またお見舞いに行くべ!と思って、昼飯食う前、ついさっき兄貴に電話したんだ。けどなんか……そん時ちょっと様子が変だった。



『藤田くん……君にはちゃんと話しておくよ。俺は今、胃腸炎なんかじゃないんだ。とある事情でどうしても休まなきゃいけなくなっちゃったんだ。もしかしたら今週どころか、1ヶ月近く休まなきゃいけないかも知れない。だから、もし今週中に決着がつかなかったら、バイトを辞めるつもりだよ。長らくシフトに穴を空けるのも迷惑かけちゃうからさ……。いきなりのことで本当に申し訳ない。藤田くんが俺を慕ってくれたお陰で……バイト先でも楽しく過ごせたよ。ありがとう。そういうわけだから、お見舞いは大丈夫だ。またいつか会おうね、藤田くん』



「……兄貴がバイト、辞めちまったら…………オレ寂しいっすよ………」


今週中に決着がとかなんとかって、一体兄貴に何が起こってんだ?


「公平くん」


オレを呼んだのは、ベンチの隣にやってきたオレの彼女……日髙 ひだか あおいだった。


黒髪お下げで、前髪がケッコー伸びてて、目が隠れてる。でも時々だけど、葵の優しい雰囲気の目が前髪の隙間からちらりちらりって見える瞬間は、スゲー得した気分になる。


「うっす葵!」


「遅れてごめんね公平くん。“ボク”……先生に宿題出すの忘れてて、今しがた職員室に出しに行ってたんだ」


「いーって!気にしてねーよ!つーかオレの方こそワリーな!先に弁当食っちまってて!」


「ううん、気にしないで。ボクが遅かったのが悪いから」


葵は女だけど、自分のことをボクって呼ぶ。オレは呼び方なんざ細けえこと気にしねーけど、わりとオレの周りのヤツが『女なのにボクってやべえよな』と笑ってたりすることがある。だから葵は、普段は私で、オレの前だけボクになる。


それがなんか……オレだけ特別感あるっつーか……彼氏だけ感あって、なんか嬉しい。


「それにしても公平くん、何やら思い詰めた顔をしてたけど……どうかしたのかい?」


「いやー……なんかよお、最近兄貴の様子がおかしくってよお」


「“兄貴”…………時々公平くんが話してくれる、バイト先の先輩のことだね。ボクたちの間を繋げてくれのも、その兄貴なんだとか」


「そう、その兄貴がよー……なんかトラブってるっぽくてよー。解決すんのに少なくとも一週間、長くて1ヶ月以上かかるみたいでさ、いよいよになったらバイトを辞めるかもみたいな話をされてよー」


「そんな状況に……?一体、何があったんだろう?」


「わっかんねー!深く訊く前に電話切られちまったからさー!モヤモヤすんだよなあ」


「確かに、心配になるね」


「ふーむ…………」


オレは食い終わった弁当箱を横に置いて、腕組んだ。どーすんのが一番いいのか、うだうだうだうだ考えたけどよー、もうどんだけ考えてもよくわかんねーから意味ねーなと思った。


「よしっ!行くか!兄貴んとこ!」


「行くって?」


「放課後にさ、兄貴んちに行ってみんだよ!トラブってんのをオレがどうこう解決できる気はしねーけど、せめてなんか……役には立ちてえじゃん」


「いいのかな……かなりデリケートな問題だと思うよ?部外者は入らない方がいいかも」


「それならそれで黙って帰るけどよー、なんにもしねーままいたくねーんだ!兄貴にも会いたいしよ!」


「……ふふふ、そっか」


葵はなぜか、ちょっとだけ笑った。


「せっかくだから、ボクも行くよ」


「お?葵もか?」


「兄貴さんには、ボクらもお世話になったんだし、挨拶くらいしておきたくて」


「そうだな。よし!じゃあ一緒に行こうぜ!」


そうしてオレは、葵と兄貴んちに行く約束をした。




……放課後、オレは葵とバスん乗って兄貴んちに来てみた。家に行く前に一回電話してみたけど繋がなかった。アポなしだけど、しゃーねーや。


ピンポーン


オレが呼び鈴を鳴らすと、玄関がバンッ!と開けられた。兄貴かな?と思ったけど、違った。出迎えたのは知らないおばさんだった。すんげー形相でオレらを見てて、「何よあんたたち?」と訊いてきた。


「あのーオレら兄貴……明先輩の後輩なんすけど、明先輩いねーすか?」


「さあ、知らないわよ」


めっちゃ冷めてーなこの人!顔もマジどうでもいいって思ってる感ハンパねーし……。つーかこの人は誰だ?兄貴の母ちゃんとかなのか?あ、いやでも母ちゃんは亡くなったって言ってたっけ……。


「どこかに出掛けているのでしょうか?」


葵がそう訊いても、やっぱりおばさんは冷たくって、「だから知らないって言ってるでしょ!」と叫んで、玄関を閉めやがった。なんだこの人。そんなイラついてたらシワ増えんぞ。


「なんだかボクら、歓迎されてなかったね……」


一旦兄貴の家から離れて、その辺の住宅街を葵と一緒にうろちょろしてた。


「やっぱ、でりけーと?な問題なんだなー。つーか、兄貴は家にいないのか」


「……もしかして、家出してるのかも」


「家出!?」


「トラブルっていうのは、家庭内のことでさ……少なくとも一週間、長くて1ヶ月以上、家出をすることなんだとしたら……辻褄が合うよね。玄関に出てきた女の人も、兄貴さんのお姉さんにしては老けすぎてる。おそらくお母さんなんだろうけど、そのお母さんが行き先を知らない……なんてこと、普通はあり得ないと思うんだ」


「むーん」


「そのお母さんが、息子の行き先を知らないどころか、感心すら持ってない雰囲気だった。少なくとも、兄貴さんとの仲が険悪なのは間違いないよね。だからもしかして家出……なのかなって」


「家出……あ!そうか……!」



『……あんまり言うとあれだけど、ウチの家、ちょっと環境が良くなくてさ……。その妹と一緒に、家を出ようって約束してるんだ。そのお金を稼ぐために、ここで働いてる』



「そうだ兄貴は……!妹ちゃんと家を出るために金を稼いでるって言ってた!思い出したぜ!」


「となると……ひょっとしたら、今兄貴さんはずっと計画していた家出作戦を……妹さんと実行してるのかも知れない」


「やべー!!マジ漫画みたいじゃん!兄貴マジか!」


興奮がハンパなくなってきた時、ちょうど兄貴から折り返しの電話がかかってきた。


『藤田くん、さっきは電話に出れなくてごめん。ちょっと充電がなくなって切れちゃってさ』


「全然いいっす!つーか兄貴、今家出中なんすか!?」


『えっ!?だ、誰からそれを!?』


オレは二人で兄貴の家に行って、いろいろ考察したことを話した。


『……そっか。藤田くんたちには、変に心配をかけちゃったね。もう少し、ちゃんと説明しておくべきだった。ごめんよ』


「いーっすよ!たぶん、なんかあんま時間なくて話せなかった系っしょ?」


『そうだね、確かに最初に電話をもらった時は、ちょっと時間のない時だった』


「兄貴!オレ……なんかできることないすか!?」


『藤田くん……』


「家出ってオレ、やったことないすけど、絶対大変っすよね?飯とか金とか、あとフツーに居場所とか。そういうのないと大変じゃないすか。だから……なんかたとえば~……そうだ!オレんち来てくれたっていいっすよ!」


『…………………』


「兄貴と妹ちゃんと二人、オレんち駆け込んでくださいよ!オレの母ちゃんも父ちゃんも、話せば分かってくれる人ですし、上の姉貴は男苦手っすけど、兄貴のことならきっと受け入れてくれるはずっす!」


『……そっか、ありがとうね藤田くん。優しい後輩に出会えて、俺は本当に嬉しいよ』


「いやーそんなことないっすよ!オレは兄貴に借りがあるんで!ここで返さなきゃやっぱいけねえっしょって!」


『ありがとう、気持ちは本当に嬉しい。今、俺たちは児童相談所ってところにいる。そこに一時的に住まわせてもらってるから、今は大丈夫だよ』


「そーなんすね!それは良かったっす!」


『もし何かあったら、藤田くんのところを頼らせてもらうよ』


「うす!全然いつでも良いんで!来ちゃってください!」


『ありがとう。それじゃあ、またいつか会おうね』


そう言って、兄貴は電話を切った。


「兄貴さん、やっぱり家出だった?」


「ああ、葵の考察してた通りっぽかったぜ!行く先で困ってるならオレんちどうすか?って訊いたんだけど、今は……なんだっけ、ジドーソーダンジョ?ってことにいるから大丈夫だってさ!」


「児童相談所!?今、兄貴さんたちは児童相談所にいるの!?」


葵の顔がびっくりするくらい真っ青になっていた。


「な、なんだ?そこってやべーとこなの?」


「児童相談所って……虐待を受けた子どもたちを保護したりするところだよ」


「虐待!?マジか!」


「兄貴さんたちは……あのお母さんに虐待されてたのかも知れない。だから家出を……」


「虐待って……こう、あれだよな?殴られたり蹴られたり的な……」


「それももちろんあると思うけど、ひどい暴言を吐いたり、ネグレクト……つまり、子どもを無視し続けるようなことも、虐待としてはあるよ」


「……………………」


……兄貴と妹ちゃんは、ずっとそんな家で暮らしてたのか。


どんな虐待があったのかはわかんねーけど、あの温厚な兄貴が家を出るほどだ、結構やべー感じだったに違いねー。


「……実はよー葵、オレ……あんま言っちゃいけねえかなと思って隠してたんだけどよ、兄貴の母ちゃんってもう亡くなってるんだ」


「亡くなってる……!?」


「だから、たぶんあの玄関にでてきたのは、二人目のっつーか、新しい母ちゃんなんじゃねえかな?」


「義理の母からの虐待……。漫画なんかではよく見る展開だけど、こうして現実に……身近に起きてるのを見ると……なんだかとても、やりきれない気持ちになるね」


「……オレ!あのババアぶん殴ってくる!だんだんなんか!すげームカついてきた!」


「藤田くん……!」


「なんで兄貴たちが家出しなきゃいけねーんだよ!あのババアが家を出るべきだろ!」


「止めなよ藤田くん!ボクらが下手に関わると、余計にややこしくなる!それに、兄貴さんはきちんと児童相談所に行って、正式な手続きを踏もうとしてるんだ!それを邪魔しちゃいけない!」


「……!!」


「藤田くん……。ボクは君の……そういう優しいところ、大好きだよ。でも今は……堪えよう。兄貴さんたちを信じてさ……」


「……………………」


「兄貴さんが力になってほしいって言ってきてくれたら、二人で力になろう?ね?」


……葵は、オレのことをぎゅっと抱き締めた。オレはなんか……胸ん中にある意味わかんねー気持ちがぐちゃぐちゃあった。


だからオレは、兄貴の家の方を睨んだ。あのババアを睨むつもりで……思い切り睨んだ。そうしねーと、このぐちゃぐちゃな気持ちがおさまんない気がした。


だけど、どれだけ睨んでも、どれだけ時間が経っても、このぐちゃぐちゃは胸から消えねー感じだった。















「……ありがとう、藤田くん」


俺は、スマホに映る藤田くんの連絡先を眺めながら、そう呟いた。


俺たちが今いるのは、児童相談所内にある相談室だった。四方が壁で囲まれてて、四角いテーブルが中央にぽんと置いてあるだけ。


そのテーブルの椅子に、俺と美結が隣同士に、向かい側に柊さんと城谷さんが並んで座っていた。


「今のはどなたから?」


柊さんにそう訊かれたので、俺はバイト先の後輩からであることを伝えた。


「俺のことを気にかけて、連絡してきてくれたみたいです」


「ほう、バイト先の後輩から……。渡辺氏は慕われていますね」


「いや、彼が単にいいヤツだからですよ」


俺はスマホを切って、ポケットの中にしまった。


「話を遮ってすみません」


「いえいえ、お気になさらず。ではまず、今回の件をどう解決に導くか、お話いたします」


柊さんが俺と美結を交互に見ながら説明し始めた。


「まずは私の方で、虐待についての証拠を揃えます。それが出揃ったところで、渡辺 美喜子には明氏と美結氏への接近禁止命令を出します。その後、渡辺 隆一と美喜子の間で離婚調停をしてもらいます」


「離婚調停……」


「美喜子のお腹に隆一の実子でない胎児がいることは、かなり大きな証拠です。裁判に至るまでもなく、離婚は成立するでしょう」


「……………………」


「また、隆一の方にも、虐待を助長したとして少なからず責任を問われることになるでしょう。同じ世帯に住むはずの人間なのに、なぜ気がつかなかったのか?当然の話です」


柊さんの話を、俺と美結、そして城谷さんが頷きながら聴いている。話の本筋とはあんまり関係ないけど、柊さんって人を呼ぶ時「○○氏」とつけるのが普通だけど、美喜子さんと父さんには呼び捨てだった。多分個人的に好きじゃない人間は、呼び捨てで充分と、そう思っているのかも知れない。


「この全てがうまくいけば……明氏と美結氏は、美喜子のいない家に帰れます」


「……それは、本当に心休まりますね。まあ、普段から家にいなかったので、日々の生活自体はそう変わらないでしょうけど」


「ねえ、千秋ちゃん」


城谷さんが柊さんへ問いかける。


「親権については、どう整理するの?基本的に離婚の場合って母親に親権が行くことが多いじゃない?」


「虐待によって接近禁止命令を受けていること、かつ不倫という倫理観に欠けた行動を取っていること。以上から、子どもを育てる母親としては不適任と主張する。まあ隆一の方も親として適任かと言われると微妙だけど」


「うん、普通に考えると接近禁止命令を受けてる母親に親権が行くわけない……と思うんだけど、結構ひどい母親でも親権取れちゃったりするじゃない?あれが怖くて……」


「そこはなんとかする。私の方から美喜子に、親権を隆一へ譲るように洗脳………じゃなくて、説得する」


「だ、大丈夫……?」


「大丈夫」


無表情のまま頷く柊さんを、この場にいる三人が冷や汗を垂らして見つめていた。


「……じゃあ、うん。そっちの方は千秋ちゃんに任せるね」


「うん」


「私の方は、隆一……お父さんに事情聴取をする。明くん、お父さんの連絡先を教えてもらえる?」


「はい」


城谷さんと柊さんのお陰で、話がぐんぐん進んでいく。本当に、二人と知り合いでいられて良かった。ただ普通に警察や相談所に駆け込んだだけだったら、ここまで上手く進展しなかったろう。最悪、一時保護の待機期限を終えて、家にそのまま返される……みたいなことだってあったはずだ。


「俺たちは、しばらくどうすればいいですか?」


「ひとまずは、明くんも美結ちゃんも、この一時保護施設で暮らしていてくれたらいいよ。外には中々出れなくて大変かも知れないけど、ここが一番安全だから」


「分かりました」


「困ったことがあったら、私や千秋ちゃんに連絡してね」


「はい、ありがとうございます」


「あの……城谷さん」


俺と城谷さんの会話に、美結が加わった。


「一時保護のお部屋って……今、お兄ちゃんと別々なんですけど、一緒にしてもらうことって……できるんでしょうか?」


「うん、相談所の職員さんに相談してみるといいよ。たぶんできるんじゃないかな?兄妹だし」


「分かりました。ちょっと……お願い、してみます」


その二人のやり取りを眺めていた柊さんが……突然、爆弾を投下した。


「美結氏、明氏と性交する場合は、自室ではなく違う場所ですることをオススメします。一時保護の部屋は壁が薄い。他の子どもたちに聞こえてしまうかも知れない」


「へ!?」


「「ちょ、ちょっと柊さん(千秋ちゃん)!なんてことを!!」」


顔を真っ赤にする美結に、言葉がハモった俺と城谷さんを、柊さんはきょとんとした目で見ていた。


「……?だって、美結氏と明氏ってそういう仲ですよね?傍目に見ても容易に分かる」


「千秋ちゃん!分かるからって言っていいことじゃないでしょ!」


「……??し、しかし……二人のことを思うなら、あらかじめ教えておかないと、二人が恥をかくことに……」


「俺は今!すでに恥をかいてますよ!柊さん!」


「???……むーん、人間って難しい。美結氏もそう思いませんか?」


「私は柊さんのことが一番難しいです!」


俺たち三人にそう言われても、柊さんは終始、ぽかーんとしていた。



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