24.逃亡戦
「美結……あんた!あの兄に毒されたんでしょ!!」
ママの怒号が再度飛ぶ。ママに気づかれないように呼吸を整えながら、「なんの話~?」と笑って煽る。
「あの渡辺 明に!!あの失礼なクソガキに何か吹き込まれたのね!!そうなんでしょ!?」
「ん~……そうね、“攻略”はされちゃったかな?」
「攻略……!?」
「私、あの人が初めての相手なの♡」
「……!!」
「そして~、これからも私だけを抱いてくれるって、お兄ちゃん言ってくれたの~!私も“ヤリマンのママと違って”~、あの人にだけ身体を触れてもらいたいかな~♡」
『ヤリマンの~』のくだりをかなり大きく、強調して喋った。ママの顔が火で燃えたように赤くなる。『顔を真っ赤にして怒る』って言葉があるけど、あれって比喩表現じゃなくて、ホントに真っ赤になるんだ……なんてことを頭の片隅で思った。
「美結!あんたなんてこ「ところでさあ、ママ」
私は強引にママの言葉を遮った。そして、玄関の方に顎をしゃくって言った。
「愛しの……『三人目』のパパが待ってんじゃないの?さっさと行きなよ」
「……………………」
ママはこれでもかというほど私を睨みつけた後、くるっと背中を向けて、靴を履いて玄関の扉を開けた。
そして去り際に……私に聞こえるように、大きめの独り言を呟いた。
「あんたなんか、産むんじゃなかった」
そうして、バタンッ!!と激しく音をたてて扉を閉めた。イラつきを隠さない姿が、ちっちゃな子どもでも見ているかのようだった。
「ふん、なにさ。私だってあんたのとこに産まれたくなかったよ」
私は、誰もいなくなったその玄関先に向かって、そう告げた。……だけど、それは結局強がりでしかなかった。
「……はあ……………」
ピンと張りつめた緊張の糸が切れて、その場にへたりこんだ。どうにかして、今この場で連れて行かれることは避けられた。それだけでも……私、頑張れた。
『あんたなんか、産むんじゃなかった』
「…………………」
ママに何を言われても傷つくもんか!って、そう意気込んでいたけど、ちょっとこの言葉は……しばらく後を引いた。
あんなママでも、私……どこかで愛されたいって思ってたのかな?
…………たぶん、そうなんだろうね。そうじゃなきゃ、こんなに……苦しくならないもん。
「ふー!止め止め……。今はそんなこと考えない。とにかく、お兄ちゃんに連絡しよう」
私は二階へと上がり、お兄ちゃんの部屋に入った。そして、ベッドの枕元にある私のスマホを取り出して、お兄ちゃんにLimeを送った。
『お兄ちゃん、ちょっと話したいことがあって。時間のある時に電話したいけど、いつならいいかな?』
「……今は、10時27分……。お昼休みまでちょっとまだ時間があるか……。12時頃にはかけてきてくれるといいけど……」
なんてことを思っていた最中、なんと今、お兄ちゃんから電話がかかってきた。
ピリリリリリ!ピリリリリリ!
電話を取ると、『もしもし美結、どうかしたか?』と早速お兄ちゃんが尋ねてきた。
「お、お兄ちゃん大丈夫?今授業中じゃない?」
『腹が痛いっつって、トイレに逃げてきた。運良くすぐメッセージを確認できてよかったよ』
「そっか、ありがとうね。あの……実はさっき、ママからね?」
……そうして、私は一部始終をお兄ちゃんに語って聞かせた。お兄ちゃんは全部聞き終わると、大きなため息をついていた。そして、『あの人、やっぱり不倫してたか……』と、呆れた口調で呟いていた。
『美結。俺、今から帰るわ』
「え?」
『仮病使って早退する。だから、ちょっと出かける準備だけ、してもらっていいかい?』
「え、えと……どこへ?」
『どこに行くかはまた後から考えよう。とりあえず、家から出ることが先決だ。なんとなくだが……美喜子さんがまた、美結を連れに家へ来るような気がしてさ』
「で、でも……お兄ちゃん、早退までして……」
『動くんなら、早い方がいいさ。それに、今は早く美結のそばにいてやりたい』
「……お兄ちゃん」
『そうだ、帽子とマスクをしておこう。美喜子さんと湯水たち対策にな。それから、できるだけ普段着ない服で動こう。あ、俺の分のマスクと服も用意してくれると助かる』
「うん、分かった」
『それから、もし俺よりも美喜子さんが早かった時は……どうしようか?うーん、部屋に籠るのも怖いよな……』
「私、準備できたら玄関の外で待っておくね。そしたら、お兄ちゃんが来たらすぐに出られるし、ママが来たかどうかも確認できて、すぐ逃げられるから」
『そうだな、そうしよう!何か心配事があったら、遠慮なく連絡くれ!』
「あ、あのお兄ちゃん、何か他に持っていくものは?」
『えーと、そうだな。財布とスマホは必須で……そうだ!銀行のカードも用意しておいてくれ!』
「うん、了解。カードは私のお財布に入れておくね」
『おっけー!頼む!』
「それじゃあ、待ってるね」
『ああ、すぐ帰るよ!』
そう言って、お兄ちゃんは電話を切った。
……まさか、早退までして来てくれるなんて……。本当に、私のお兄ちゃんは……。
「……お兄ちゃん、大好き」
思わず私は、口にその言葉を出していた。何回言っても、胸がドキドキする。何回も何回も、お兄ちゃんに言いたくなる。
「……よし」
私はすくっと立ち上がって、直ぐ様自分の部屋へと駆けていった。そしてお兄ちゃんに言われた通り、帽子とマスク、そして普段着ないような……ちょっとボーイッシュ目の、白いシャツの上からベージュのコートを羽織り、黒いチノパンを履いた。そして、肩掛けの小さなポーチに財布とスマホを入れて、お兄ちゃんを待った。
「……ただいま!」
お兄ちゃんが帰ってきたのは、12時になる直前だった。こっちへと走ってきて私の顔を見るや否や、「遅れてごめん!」と言って額の汗を拭っていた。
「ううん。帰ってきてくれて、ありがとうね」
「なーに、これくらいどうってことないよ!」
「玄関前に、お兄ちゃんの服とマスクがあるから」
「おっけ!サンキュー!すぐ着替えてくるわ!」
そう言って、お兄ちゃんは猛スピードで制服から私の用意した服へと着替えた。お兄ちゃんが着てるのは、青のシャツに白いチノパン。その上から黒いジャンパーを着ていた。
「さ、美結!行こうか」
「まずはどこに行く?」
「銀行だな。貯金してる分を全額引き出そう」
私とお兄ちゃんがバイトで貯めたお金が……今現在、103500円あった。それを銀行から全額引き出して、お兄ちゃんと私とで50000円ずつ折半した。
「端数は、お兄ちゃんが持ってて」
「いいのか?」
「うん、お兄ちゃんが持っててくれたら、安心だから」
「……わかった」
と、二人で話していたその時。
ピリリリリリ!ピリリリリリ!
私の携帯が、けたましく鳴り出した。かけてきたのは……ママだった。
「お、お兄ちゃん……」
「……やっぱり来たか。よし、着信拒否しよう」
「う、うん」
「あ、ちょっと待っててな。向こうが電話を自分から切ったタイミングで、拒否にしよう。こっちから切ると完全に拒否ったことが相手に伝わる」
「わ、分かった」
お兄ちゃんに言われたように、私はママが電話を切るのをしばらく待った。ピリリ!ピリリ!と携帯がバイブレーションしながら鳴る間、早く終わらないか終わらないかと、そわそわして落ち着かなかった。
ピリリ!ピリリ!ピリリ……
「よし」
着信が終わったのを見計らって、ママの番号を着信拒否設定にした。そうして安心したのもつかの間、今度はお兄ちゃんの電話が鳴り始めた。
「うお!美喜子さん、俺にまでかけてきたか」
「怖い……ママ、なんでそんなに私が……」
「……美結、俺……この電話出てみるな」
「え?」
お兄ちゃんは通話をオンにして、なぜだか自分の指を軽く噛んで「ふぁい?もひもひ?」と、口にものを含んでいる感じで電話に出た。
『明くん!あなた!美結を連れていったわね!?』
「…………え?なにを言ってるんですか?美喜子さん。いきなりなんの話ですか?」
『美結が家にいないのよ!あなたが連れて行ったんでしょう!?』
「美結がいない?ああ、ご飯の買い出しじゃないですか?だいたいいつもその時間帯は出てるはずですよ?」
『惚けないでよ!あなたが絶対連れて行ったんだわ!私には分かってるのよ!』
「いやいや美喜子さん、俺は今、学校のお昼休みに弁当食ってる最中ですよ?美結をどうこうできるわけないじゃないですか」
あ……それでさっき、わざと指を咥えてたんだ。お弁当食べてる臨場感を出すために。
『……あなた今、学校なの?』
「ええ、だって普通に月曜日ですし。ていうか美喜子さん、美結と何かあったんですか?」
『…………………』
ママが黙っている間、お兄ちゃんはスマホを自分から遠ざけて、私の耳元で「ごめん、ネットで学校のチャイムの音、検索して流してくれるか?」と囁いてきた。
私は黙って頷いて、すぐに自分のスマホで、動画アプリを開いて『学校 チャイム』と検索。動画を1本選んで、それを再生した。
キーンコーン カーンコーン
私のスマホから、あのチャイムの音が鳴り出すと、お兄ちゃんが「あ、やべ。お昼休み終わっちゃった」と独り言を呟いた。そして、またスマホを耳につけて、ママとの会話を再開した。
「美喜子さん、ちょっと昼休み終わっちゃったんで、そろそろ電話切りますね」
『……そう、本当にあなた、学校なのね』
「ええ。まあ美結はその内帰ってくるんじゃないですか?待っててあげたらいいですよ」
『…………………』
「それじゃあ、失礼します」
そう言って、お兄ちゃんは電話を切った。そして「いつも遊んでばっかいるから、曜日感覚狂うんだよ!」と小さく悪態をついていた。
「お兄ちゃん……」
「すまんな美結、時間を取らせて。ここは出ておかないと、たぶんヤバかったと思うんだ。俺は本来、学校にいるはずの人間で、事のあらましを知らない状況だからな」
「うん、確かに……」
「これで美喜子さんは、しばらく家で待つことになる。その間に、俺たちはなるべく遠くに行こう!」
「うん!」
私とお兄ちゃんは小走りで、電車の駅へと向かった。
「それにしても、美喜子さんはやっぱり怖いな。俺が美結を連れ出してるんだ!って妄想が先行して、俺に突然電話をかけて……。まあ、実際ホントに俺が連れ出してるんだけどさ」
「……連れ出しじゃないよ?」
「え?」
「私が自分の意思で逃げたいと思ったから、お兄ちゃんと一緒にいたいと思ったから……今こうして、ここにいるんだよ?」
「……ふふ」
お兄ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でると、優しくにこっと笑ってくれた。
「じゃあ、美結。このまま一緒に逃げよう」
「うん、お兄ちゃん」
私たち……どこまでだって、一緒だよ。
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