16.兄貴と後輩

「いらっしゃいませー」


そう言ってお客さんに声をかけるのは、まさしくバイト中の俺である。今、探偵への依頼料のため、そして美結とともに家を出る時のためのお金……そのためにバイトを何件か始めた。


ひとつは、このファミレスのバイト。月、水、金の3日、午後5時~夜9時まで雇っていただいている。また、土曜日は、古本屋の方で午前9時~夕方6時まで雇っていただいている。


それから、美結の方も自宅でできるバイトをしてくれている。やってもらっているのは、中学生向けの塾のテスト採点バイト。データでテストの答案を送ってもらい、それに採点をしていくもの。もちろん、答えや採点方法のマニュアルは貰えるので美結が分からない箇所も対応できる。ま、本当は年齢的に彼女はバイトできないのだが、俺がやっているという体で実務を美結にしてもらっている。在宅バイトはこういうところが便利だ。


このバイトを、美結は月~土まで毎日5時間ほど家でしてくれている。


そんな俺たちの一週間で得られるお金は、ファミレスだと時給900円×4時間×3日=10,800円。古本屋で時給1,000円×8時間(昼休み1時間時給換算なし)×1日=8,000円。塾の採点バイトで時給800円×5時間×6日=24,000円。


よって、合計で42,800円。


このバイトの方法にしてから、貯金が210,000円ほど貯まった。先日、とある探偵に依頼料について尋ねたところ、俺の依頼したい内容だと300,000円ほどになるという。もう少し貯められたら、依頼を始めたいと思う。


「ふう…………」


美結も一緒にバイトを始めてくれたのは、かなりありがたい。「お兄ちゃんと一緒に支え合いたい。それに、お兄ちゃんが学校に行ったりバイトしてる間、おうちで手持ちぶさただもん」と言って、快く働いてくれている。


また、塾の採点というのも美結には刺激になっているらしく、中学三年生としての勉強も併せてできるらしい。


「……美結」


現在、秋の寂寥感が増してきた10月の半ば。美結はいじめの件以来、ずっと不登校だ。まあ中学なので不登校でも卒業はできるが、問題はその後。


(……早く大人になって、美結を養えるようになりたい)


俺たちの計画は、こうだ。


高校二年の俺と、中学三年の美結。二人で一緒に、今できるだけお金を稼ぐ。探偵料を稼ぐのと、引っ越した先で少しでもお金に困らないように。


高校卒業した後、俺はすぐに県外へ就職する。そして、その職場に近いところへすぐ引っ越す。その時、美結も一緒に連れていく。


そこで俺は働き、美結は通信制の高校に通う。美結へ高校卒業後はどうしたいか?と尋ねたが、「とにかくお兄ちゃんのお嫁さんになりたい」とだけ言ってきて、照れ臭くなった。


問題は、美喜子さんや親父の言葉をどう無視し続けるかだな……。自分の望む方向にどう持っていくか、俺たちの手腕が問われる。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ~」


レジで会計を終え、店から出ていくお客様へ頭を下げて、THE お店的文言を語る。こういう時『自分は今、店員なんだなあ』と変な気持ちにさせられる。


「渡辺くん、お疲れ様」


バイトが終わり際の夜10時半。男性の先輩が声をかけてきた。彼は大学生の21歳で、メガネをかけている。非常に真面目な性格で、山中 純一やまなか じゅんいちという名前の先輩だ。


「交代しよう、そろそろ疲れたろ?」


「山中先輩、ありがとうございます」


「休憩室にまかないがあるから、それ食べてなよ」


「はい、いただきます」


俺は額の汗をぬぐい、休憩室へと向かった。休憩室は、四角テーブルひとつに、椅子四つ、そして四人がけのベンチという、簡素な場所だった。


「お疲れ様でーす」


「渡辺先輩、お疲れ様っす!」


休憩室に入ると、二人のバイト仲間が先に賄いを食べていた。一人は、黒髪ロングを後ろでポニーテールに結んだ、目付きの鋭い同い年の女の子で、もう一人は金髪をバリッバリにワックスでセットした、いかにもチャラ男という風貌の、1個年下の男の子。


それぞれ名前を、有馬 瑠璃ありま るりさん、藤田 公平ふじた こうへいくんという。


有馬さんはベンチに座ってスマホをいじっており、藤田くんは椅子に座って、机に置かれた賄いのカレーを山盛り頬張っていた。


「藤田くん、俺を先輩と呼ぶのは止めてよ。君の方がここの歴、長いだろ?」


俺は藤田くんの隣の席に座り、ミートソーススパゲッティが盛られた皿をひとついただいた。


「いやいや!渡辺先輩オレより歳1個上じゃないすか!」


藤田くんはそう言ってニカッと笑う。そう、彼はチャラ男なのだが、意外と中身はフツーに良いヤツなのだ。


「ん……このスパゲッティ美味い。誰が作ったの?」


「それオレっす!美味いすか!?良かったっす!」


「そっか、さすが藤田くん。ありがとう作ってくれて」


「うっす!賄いも仕事っすから!」


「……賄いの料理って、持って帰っちゃダメなんだよね?」


「あーそうっすね~。なんかエーセーカンリ?的なカンテン?からダメらしいっす。カンテンってあれっすよね?なんかぷるぷるしてる美味いやつ」


「……衛生管理的な……カンテン?あ、なるほど『観点』か。うん、藤田くん。君が言いたいのは『寒天』だろうね。ちょっと違うかな」


「そーなんすね!まあいいか!細けーことは気にしない!」


いいのか藤田くん。これ、だいぶ違うぞ。なんかいろいろ全て違うぞ。


「藤田IQ大丈夫?もっかい幼稚園言っとく?」


口角をちょっと上げて笑っているのは、有馬さん。


「有馬先輩!今日も厳しいっす!いじられまくるっす!」


「いじりがいがあるバカがいると、楽しくて仕方ない」


「まあまあ有馬さん、その辺にしといてあげてよ」


俺がそう言うと、藤田くんが俺の方へと向き、「うおー!渡辺先輩ー!」と言って哭いた。


「オレの味方は渡辺先輩だけっすー!」


「いや、そんなことないでしょ?山中先輩とか店長とか、優しそうじゃない」


「優しいっすけど、なんか時々オレがバカだって感じの眼で見てくるっす!二人とも頭いいからきっと余計そう思ってるはずっす!」


「あー……」


「先輩ー!これからは兄貴と呼ばせてくださいー!」


「ちょ、ちょっと止めてよ、恥ずかしいって。だいたいなんで兄貴なのさ」


「んー、なんか兄貴感溢れるバイブス……的な?」


「どーゆーことだよー!!」


「ははは!まあまあ!細けーことは気にしない!」


「ちぇ、藤田くん。細かいこと少しは気にしようぜ……」


と、俺もいいつつも、可愛げのある後輩に懐かれるのはちょっと気持ち良かった。なんか、藤田くんってすごい末っ子感ある。


「藤田くんって、末っ子?」


「バリッバリの末っ子す!姉貴が二人います!」


「あー、うん、ぽいぽい」


「兄貴はマジの兄貴っすか?」


「ホントに兄貴呼びで行くんだね……。そうだね、妹がいるよ」


「へー!可愛いすか!?」


「……まあ」


「マジすか!?写真とか見せてくださいよー!」


「や、やだよ!恥ずかしい!」


「なんでですかー!?」


「いや……なんか……」


……俺は、つい言葉に詰まってしまった。美結はもちろん可愛いと俺は思ってる。でもそれは……俺の中だけにしておきたいっていうか、その、俺だけの可愛い美結でいてほしい的な……。ヤバい、俺ちょっと束縛気味かも?


「……もしかして、渡辺ってシスコンなの?」


有馬さんがニヤニヤした顔で俺を見てくる。ヤバい、これは次の矛先が俺になったか。


「え?え?マジで渡辺、シスコン?顔真っ赤じゃん」


「そ、それは……」


「やばー!キモー!高二でシスコンはダメでしょ!ちょっとは隠した方がいいってその性癖!」


「ち、ちくしょう……なんの反論もできない」


「兄貴!シスコンってマジすか!そんな妹可愛いんすか!?」


「……そ、そうだよ。シスコンだよ俺は。悪いなチクショウ」


「へー!兄貴シスコンなんすねー!ずっと昔から可愛い感じすか?妹ちゃん」


「いや、義理の妹なんだ」


「ギリ?」


「うん。母さんが死んでから……」


……と、ここまで言いかけた時、俺はハッとした。ここから先は、ちょっと重たい話になる。今こんな和気あいあいとしてる時に、この話題は良くない。


しかし、さすがにもうほとんど言いかけてしまったせいで、藤田くんも有馬さんも、少し表情が強張ってた。有馬さんも軽口を叩くのを止め、あの藤田くんでさえも、「兄貴の母ちゃん、亡くなってるんすか……?」と、伺うようにして言ってきた。


「……うん、数年前にね。それから親父が再婚してさ、妹は相手方の連れ子なんだ」


「へー……だから義理の……」


「……あんまり言うとあれだけど、ウチの家、ちょっと環境が良くなくてさ……。その妹と一緒に、家を出ようって約束してるんだ。そのお金を稼ぐために、ここで働いてる」


「…………………」


「シスコンって言われてバカにされるのはちょっとシャクだけど……ま、別に好きに呼んでくれて構わない。俺は確かに、彼女が好きだ。それがたまたま、シスコンって名前のつく現象だっただけに過ぎない。好きだと思うなら、堂々と好きだと、胸を張って公言する。その方が気持ちを隠すよりカッコ良くない?」


俺は喋る際、なるべく和気あいあいムードを壊さないように、声色をなるべく柔らかくするよう心がけた。藤田くんはこちらを見つめて、少し固まった後に……叫んだ。


「兄貴ーーーーー!やっぱり兄貴は兄貴っすねーーーー!」


「うおっ!?ど、どうしたの藤田くん?」


「いや……ホントにガチで、兄貴は兄貴なんだなあと」


「なんのこっちゃ」


「とにかく!兄貴はすげーっす!オレ、なんかちょっと感動しました!」


俺の手を握って、ぐわんぐわん上下に揺らす彼の顔は、ものすっごいニコニコしてた。





「……お疲れ様でしたー。お先しまーす」


……バイトが終わり、お店の服から私服に着替えて、俺は店を後にした。夜の11時、真っ暗な空には満月が見えてた。


「兄貴ー!」


ふと、背後から声をかけられた。振り返ると、バイクを手で押して走ってくる藤田くんが、俺に手を振っていた。


「途中まで一緒に帰りましょうや!」


「おお、いいよ」


暗い夜道を二人で歩きながら、藤田くんは学校で起きたバカ話なんかを聞かせてくれた。並んで歩くとよく分かるが、彼の方が俺よりも頭ひとつ背が高い。だから余計に『兄貴』と言われるのが気恥ずかしかった。


「そんでオレ!女装して登校したんすよ!ガチの制服を女子から借りて!」


「えー!?マジで!?せ、先生とかから叱られなかったの?」


「くっそ怒鳴られました!」


「ははは!そりゃそうか!でも、楽しそうでなによりじゃん」


「うっす!超楽しいっす!」


いいなあ、藤田くん。明るくて元気で。これからも彼が元気でいてくれるといいなあ。


と、そんなことを思っていた矢先、少しだけ彼の顔が神妙になった。口元は笑っているのだが、眼がどこか……少し、迷いのあるような色をしていた。


「……藤田くん、どうかした?」


「……あの、兄貴。ちょっとだけ、相談いいすか?」


「うん、なにさ?」


「……あの、兄貴って、ガチで妹ちゃん、好きっすよね?」


「……?うん、そうだけど?」


「それ、どんな感じっすか?」


「どんなって……なんだよ?藤田くん、どうかしたの?」


藤田くんは少しだけ逡巡した後、彼にしては珍しく、小さな声でささやくように言った。


「……オレ、好きな人がいるんすよ」


「ほう?」


「学校のクラスメイトで……なんか、隅っこでいつも隠れてるみたいな……なんかよく陰キャ陰キャっつって、みんなからいじられてる女子なんすけど……」


「なるほど」


「でもオレ、あいつのこと好きなんすよ」


「どうして?」


「あのー、オレって結構マンガとか読むの好きなんすよ。で、そいつもマンガ好きで……たまたま放課後に教室で二人だけだった時、その話題で盛り上がったんすよ。そん時、オレの好きなマンガのキャラとか、絵に描いてくれたり、マンガ貸してくれたりして……笑った顔もなんか、良いなあって。オレのダチらとはちょっと違う優しさってか……そういうのを感じたんすよ」


「ふむふむ」


「で……オレ、できたらその……そいつと、付き合いたいんすけど、周りのヤツが言うんすよ。『陰キャとかブスとかと付き合うのはダセー』って」


「…………………」


「まあ、正直その……そいつはめっちゃ顔がかわいいとか、くっそ美人とか、そんなんじゃねーですけど、でも人を好きになるのって、オレ……なんかそういうことじゃないと思うんすよ」


「……うん」


「でもオレ…………なんか、すっげえダセぇんすけど、周りの眼、気にしちまって……そいつにちゃんと、好きって言えてなくて……。向こうもたぶん、オレのこと意識してくれてんのは分かるんすけど……どうしても踏ん切りがつかなくて」


「うんうん」


「それで今日、兄貴のシスコンの話……聴いて、やっぱオレ、堂々と好きって言えてねえの超ダセぇわってなって……。でも、オレどうしたら、兄貴みたいな感じになれんのかな?って……」


「…………………」


俺は彼の話を聴いて、その場に立ち止まった。藤田くんもそれに合わせて止まってくれた。俺は……しばらく自分の考えを整理してから、彼に話し始めた。


「……藤田くんは、恋愛マンガ好き?」


「へ?恋愛マンガ……すか?まあ、フツーに好きっすけど」


「禁断の恋ものとかは?ほら、本当は付き合っちゃいけない二人が頑張って愛を貫くやつ。怪物の女の子と人間の男の子とかさ、ヤクザの男と警察の女とかさ。いわゆるロミオとジュリエットみたいな」


「いいっすねそれ!うん、好きっすよオレ!」


「藤田くんもさ、そのマンガの主人公になっちゃえばいいんだよ」


「え?」


彼は、眼をまんまるにして俺を見つめていた。


「大袈裟にさ、禁断の恋ごっこ!って感じで、その子と付き合ったらいいんだよ。そんで二人でさ、恋愛マンガの主人公たちになるんだ。陽キャの君と、陰キャの彼女。本当は結ばれてはいけないはずの二人……だけど、惹かれあわずにはいられない運命にあった!みたいな」


「…………………」


「そのくらい、その恋にのめりこんじゃいなよ。『陰キャと付き合ってるのかよ!ダサ!』って言われるのも、恋のドラマを面白くするための糧にしてさ、むしろ恋が燃え上がる!ってくらいに、その状況に浸って悲劇の主人公を楽しむんだ。本当に逆境に強い人間は、その逆境すらも楽しめる人間だと俺は思う」


「…………………」


「何事も盲目になりすぎるのは、もちろんよくない。だけど、他人の眼を意識しすぎて、本当に好きな人へ想いを伝えられないくらいなら、盲目になったっていい。変に賢くなくったっていい」


「それはつまり……バカになれってことすか?」


「ま、極端に言うとそうかな。他人から見ればバカなことかも知れない。陰キャやブスの子と付き合ってやがるって、他の人は君を笑うかも知れない。でも、他人にとってバカなことが、君にとって無価値であるとは限らない。むしろ、バカだバカだと言われても、何かをひたむきに愛した君の方が、君をバカだと笑った奴らより数段、立派な人間だと思うよ」


「オレ……できますかね?そんな、難けーこと……」


「大丈夫、君ならできるよ。だって、細けーことは気にしない、だろ?」


「!」


「脇役の台詞に棹されて、ヒロインを諦める主人公と、それでもがむしゃらにヒロインを愛する主人公と……君は、どっちになりたい?」


……藤田くんは、しばらくうつむいていた。唇をぐっと噛み締めて、眉を逆八の字にして、額をしかめていた。そして、ばっと顔を上げて俺を見ると、「そんなの答え決まってます!」と言った。


「がむしゃらがやっぱ!熱いっしょ!」


「うん!そうだよな。気持ちをちゃんと伝えてあげるのが、きっと一番だ」


「あざます兄貴!オレ、無駄に細けーこと、考えすぎてたっす!」


「気にすんな。恋愛は誰しもを詩人に変える……ってね」


「なんすかそれ!カッコよさげな言葉っすね!どーゆー意味すか!?」


「ん、いや……気にしないで。むしろ無視しといて。カッコつけようとして失敗した先輩を無視しといて……。うう、恥ずかしい……」


藤田くんはよく分からなそうに首を傾げてたけど、「ま!いいか!細けーことは!」と言って、眼を細めてニカッと笑った。


「じゃあオレ!早速行ってくるっす!」


「え?どこへ?」


「あいつんとこ!今から告白しに行きます!」


「ええ!?」


「確かあいつ、この辺の塾に通ってるって言ってたんで!探したらいるかも知んないんで!」


「マジか……決断早……」


「だって、なんつーか……こう……!」


藤田くんはヘルメットを被り、バイクに跨いで言った。


「なんか、心臓がドックンドックンして!気持ちが溢れて!いても立ってもいられないっす!」


「……そうか。じゃあ、事故にだけは遭わないようにな」


「今日はマジであざした兄貴!オレ!兄貴がホントの兄貴みたいに思えたっす!」


「なに言ってんのさ。ほら、早く行ってあげな?彼女もきっと、君を待ってるよ」


「うす!あざす兄貴!行ってきます!」


そう言って、彼はバイクに乗って去っていった。


台風が去ったかのように、辺りはしーんと静まり返った。その静かな空間の中に、「きっと大丈夫さ、藤田くん」と、俺の小さな呟きが染みていった。




……そして、後日。


藤田くんとまたバイトのシフトが被った日。休憩中に「兄貴ー!これ!これ見てくださいよー!」と言って、俺にスマホの画面を見せてきた。


そこに映ってたのは、顔を真っ赤にしてプリクラを撮っている、藤田くんと……女の子のツーショットだった。


黒髪お下げの彼女の方は、前髪が目元まで伸びてて眼が見えにくいけど、それでも口元が嬉しそうに笑っている。


藤田くんは、もう眩しいばかりの笑顔でピースサインをしていた。そして、そのプリクラには「初デート!10/24!」という落書きが書いてあった。


「……ふふ、良いじゃん。素敵な写真だよ」


俺も思わず、二人の写真に頬を緩めた。藤田くんは「兄貴のお陰っす!」と言っていたけど、それは違う。


「君たちがちゃんと想いあっているから、この写真ができたのさ。俺は何もしてないよ」


「いや!でもマジで兄貴が背中押してくれたからっす!」


「いやいやそんな」「でも兄貴のお陰で!」と、そんな押し問答を彼としていた時、「ねえ」と一言、声をかけられた。


その声の主は、有馬さんだった。


「有馬さん?どうしたの?」


「…………これ」


彼女がぶっきらぼうに片手を付き出してきた。その手の平には、チロルチョコがひとつ置かれていた。


「……?これは?」


「………………いや、前に…………シスコンとか言って、バカにして、その…………」


「……お詫びってこと?」


「…………………」


有馬さんは何も言わずに、俺の手に無理やりチョコを握らせた。そして、くるっと背中を向けてスタスタと去っていこうとした。


「有馬さん!」


その背中に向かって、俺は声をかけた。有馬さんは「なに?」と言って、顔だけこちらに向けた。


「有馬さん、ありがとう。優しいね」


「!」


有馬さんは何を驚いたのか、頬から耳にかけて真っ赤に染まっていた。そして、「な、やさ、優しくなんか……」と、目が泳ぎながらボソボソ独り言を言っていた。


「そんなことないよ、謝ってくれてありがとう」


「……や、別に……私……」


「あれー!?有馬先輩!もしかして兄貴のこと好きなんすか!?」


「は、はあ!?んなわけないし!誰が!こ、こんなシスコン!!」


「でも、めっちゃ顔赤いじゃないすか!トマトみたいっすよ!」


「止めてよ!いや、そりゃちょっと……あんなに堂々と……胸張って妹を好きって言ってたのは……ちょっとカッコ良かったけど…………」


「え!?なんて言ったんすか!?声小さすぎて聞こえないっすよ!」


「い、いや、だから……!!」


「有馬先輩!気持ちはちゃんと伝えた方がいいっすよ!兄貴もそう言ってましたもん!」


「もうーーー!うるさいうるさいうるさい!!このバカ藤田ーーー!!」


有馬さんの平手打ちがもろに藤田くんの頬に決まった。パーンっ!という痛々しい音が、休憩室内に響き渡った。

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