くだらない短編集
niuno
第1話 ピアノ
「なんでこんなにできないの!」
黒くて長い髪をバサッと揺らして、優奈は叫ぶ。
「…あーっ、もう!」
その細く長い綺麗な指全てで、鍵盤を全力でおさえ、大きな音を鳴らした。
「ったぁ…」
ああほら、そんなに力いっぱい叩くから。振動で楽譜まで斜めにしちゃって、折れちゃったらどうするのさ。
「…あ、ごめんね」
彼女が几帳面に立て直した楽譜には、《ピアノコンクール》の文字。コンクールが目前に迫って、気がたっているんだ。
「もう、疲れちゃった」
優奈は、そっと僕にもたれかかった。彼女は嫌なことがあると、いつもこうする。
「…懐かしいなぁ、昔はいつもこうしてたっけ」
…そうだね、そんなこともあったっけ。優奈がピアノを初めて間もない頃。
「お母さんとか友達と喧嘩しちゃったときとか、嫌なことがあった日、いつも君に励ましてもらったよね」
「…あの頃は、あんなに大好きで、あんなに楽しかったのに。…今は、苦しくて仕方ないや」
はは、と優奈は笑ったけど、その目は感情を灯していないようにみえた。まるで…囚われてるみたいだ。
ねぇ、優奈。僕のせいで、苦しいの?…僕、いない方がいい?
「…なんてね、さぁ、練習れんしゅ…あっ」
ごう、と風が吹いた。カーテンが大きく揺れて、ピアノの上においてあるたくさんの楽譜が宙を舞う。
あ、待ってそれは、
「だめ!」
優奈が飛び散った楽譜をかき集める。これまでみたことのないくらいの必死な表情。
優奈、どうして。僕のせいで苦しいんでしょう?僕なんて、いない方がいいでしょう?なのに、どうして。どうして、さっきよりも辛そうな顔をしているの。
飛び散った楽譜を全て集め終わると、優奈は安心したというような表情でそれを抱きしめる。鉛筆で書き殴った音楽記号。大きく描かれた〝練習あるのみ〟の文字。涙の跡、汗の跡。
「ふふ、あははっ」
優奈が笑う。こんなに思い切り笑っているのは久しぶりに見た。
「なんだ、私やっぱりピアノ大好きじゃん」
…え?ほんと?嫌じゃない?これからも僕と、笑ってくれる?僕と…音楽を作ってくれる?
「よーし、気分転換に懐かしの曲でも弾きますか!」
優奈が笑ってる。つられて僕も嬉しくなる。共に音を奏でる、昔のように。
「あ、これ懐かしい!確かこの時、先生にすごく怒られちゃって」
「この曲、すごく好きだったなぁ」
なんだ、僕らの時間は、思い出は、なくなってなんかいなかった。ただ、忘れていただけだった。ただ好きだった、楽しかった、その気持ちを。
音が響く。弦の揺れる音が、楽譜が捲れる音が。上手い?下手?できる?できない?…関係ない。僕は、優奈と音を奏でられたら、それでいい。これからもずっと、僕らだけの音楽を。
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