深夜の散歩で起きた出来事
相内充希
それは、想像もしなかった未来
運命の出会いというものは本当にあるのかもしれない――。
そんなことを四十の大台に片足入りかけたような女が思うようになるなんて、あの時までは夢にも思わなかったよね……。
***
数年前から在宅で仕事をする日が多くなったけれど、月に何度かは会社でしかできない仕事が発生する。その日の朝は、たまたまそんな出社日だった。
【四月生まれのあなたはお散歩が吉。いい出会いがあるよ】
朝の通勤時。地下鉄の中で目にしたそれは車内広告だったのか、それともスマホだったか。
可愛らしい二等身のキャラの吹き出しに書いてあった言葉は、まるで直接言われたみたいに、私、坪井
私は普段、占いなんて気にしない。
両親が生きてた頃は、朝のニュースの終わりに流れてた占いコーナーを見ていたけれど、あくまであれはそろそろ出かける時間だという合図だった。内容が良くても悪くても、玄関を出るころには全部忘れちゃう。
雑誌の占いコーナーくらいなら、誰かが見てれば話題のひとつとして付き合うこともあるけれど、お金を出して占ってもらおうなんて考えたこともない。だって単純に興味がないから。
なのに、偶然目にしたあれが脳内をちらついたのはたまたま。うん、たまたま印象に残ってしまっただけなのだ。きっとあのキャラが私のツボだったんだね。
とはいえ会社に出てしまえば、ついでにあれもこれもとやるべきことが出てくる。明日からまた在宅で働くための前準備も必要だったから、占いの事なんてきれいさっぱり忘れてしまっていた。
残業時間は少なかったけれど、夕飯の買い物をしたりなんだかんだと用事を済ませているうちに、あっという間に夜中になる。
私は睡眠不足がモロ体調に直結するため、普段だったらさっさと寝てしまう。なのに風呂上り。なぜか昼間は忘れていた占いの内容が、聞いてないはずの可愛い声つきで脳内で再生され、どうにも気になって仕方がなくなってしまった。
しかもあの二等身の妖精(?)に可愛くおねだりされながら、つんつんと服の裾を引っ張られたような錯覚さえあり、疲れてるのかなと苦笑する。
【ねえねえ、花蓮ちゃん。今日はまだ終わってないんだからお散歩に行こうよ。素敵な出会いがあるよ?】
脳内妖精よ。そんな可愛い声で下の名前で呼ぶのはおよしなさい、恥ずかしいから。とはいえ……
「うーん。こんな夜中に散歩かぁ」
正直な話、私は別に出会いなんて求めていない。
三十も半ばで天涯孤独の身の上でも、同級生のほとんどが結婚していても、とくにそんな気持ちは浮かんでこなかった。
仕事はそこそこやりがいがあるし、親が残してくれた家もある。
一人で住むには広いけど、生まれたときから住んでるここを離れる気は今のところない。
亡くなった両親のように仲のいい夫婦には憧れるけど、だからと言って結婚願望があるかと問われたらNOだ。
どこかのベテラン女優も言ってたじゃない?
結婚なんて、分別がつく前にするものだって。
あれ、真理だと思う。
働いて生活のリズムができて、そこそこ責任ある立場になってから結婚相手を探すのって、すっごいパワーがいると思うんだよね。生活が一変するのって怖いじゃない。
もちろん恋人ができて自然の流れで結婚するならいい。今はフリーだけど、元彼とそんな話が出なかったわけでもない。
でもねぇ、一番身近な例があまりにも良すぎたんだろうな。
私の両親は年の差夫婦だった。
しかもなかなか子宝に恵まれなかったとかで、私は父が四十七歳、母が二十九歳の時にようやく生まれた一人娘だったのだ。
父は見てるこっちが苦笑するくらい母にデレデレで、母は父の姿によく見とれていたっけ。あんなふうになれる相手に出会うなんて、奇跡以外の何ものでもないと思うのよ。子だくさんを夢見てた二人に、一人娘の自分がこれでもかというくらい愛情を注がれて育った自負もあるし。
だから母が還暦を過ぎて間もなく、脳溢血であっという間に亡くなったときは驚いた。しかもほんの一か月後に父が後を追うように息を引き取ったのは、悲しいよりも先に妙に納得するものがあった。父は母なしで生きていける人じゃなかったから。
一人になって三年ちょっとたったけど、私にはそんな相手は現れていない。
会社で男性社員たちが、
「嫁さん欲しい。家に帰ったら明かりがついててさ、あったかいご飯が用意されてるのに憧れる。かわいい嫁さんに癒されてぇぇ!」
と冗談半分言ってたときは、
(私もそんな嫁が欲しい)
なんて、心の中で何度も頷いちゃったけどね。
私も女だけど、共感してた女子社員は私だけじゃなかったわ。本人が嫁であるはずの既婚女性まで「うん、私も欲しい」って、深く頷いてて笑っちゃったもの。
ま、私だって本気で嫁が欲しいわけではないけど、今ぽっかり空いてしまった何かを埋めたい。そんな気持ちが、正直ないわけではない。うん、それは認める。
でも父以外の男性が我が家にいるなんて想像もできないし、現状にも満足してるから、深く考えることもないわけ。
(だからこれは、ただ単にコンビニスイーツが食べたくなったってだけなのよ)
誰に対する言い訳なのか。
深夜のコンビニで買い物を済ませた私は、まだヒンヤリとする空気にかすかに身を震わせた。
昼間気温が高かったけど、まだ三月だ。夜は冷えるに決まってる。厚手のパーカー着てきた私、グッジョブ。
散歩に出てきたとはいえ、実際は車なのでドライブだ。女が深夜に徘徊ってあやしいものね?
車のロックを解除しようとしたとき、なにか目の端に映ったものが気になった。
親子だろうか?
後ろ向きの男女と、小学生くらいの子供? こんな真夜中に?
首をかしげると、視線を感じたのか女性の方が振り向いてぱっと顔を輝かせた。
「花蓮! いいところにいた! スマホ持ってる? 私たち忘れちゃって」
振り向いたのは幼馴染で同級生でもある桃香だった。隣の男性は彼女の夫で、赤ちゃんを抱っこしてる。夜泣きが続くため散歩に出てたらしい。今はすやすやと眠ってるみたい。確かこの子が第一子だよね。
じゃあ、彼らの前にいた子はと言えば――
「あれ?
それは元お隣さんの息子で、たしか小学一年生だか二年生の松原朝陽だった。
(つい先日転勤で他県に引っ越したはずなのに、どうしてこんな深夜にいるの? まさか迷子?)
朝陽から事情を聴きだしたらしい桃香たち夫婦によると、どうやら彼は家出をしてきたらしい。
(家出?)
「松原さんのところに連絡しようと思ったんだけど、私たちうっかりスマホを忘れてきちゃったのよ。で、ちょっと離れてるけど交番に連れて行くか、もしくは一度うちに連れ帰るか考えてたら、花蓮がちょうど来たってわけ」
「なるほど?」
下手に連れ帰って誘拐扱いされても困るもんね。そりゃ、どうしようってなるわ。
うつむく朝陽は、うつむいたまま微動だにしない。背中の大きなリュックは空っぽに見えるし、腕に抱いている子犬はいったい?
とはいえ、まずは親の方に連絡しなきゃ。
松原家は母一人子一人のお宅だ。今頃絶対大騒ぎでしょ。
「あっくん、今お母さんに電話するからね」
心配しないでという意味で声をかけると、泣く寸前のような顔をした朝陽が「ダメ!」と叫んだ。
「ダメなの。お母さんが来たらダメ!」
けんかでもしたのかしら。
首をかしげる私に桃香が苦笑した。すでに疲れ切っている子供に、二度も事情を本人に話させるのは酷だと思ったらしい。
「朝陽くんね、新居でその子犬を飼うのは無理だってお母さんに言われたんだって」
人懐こい朝陽は引っ越した先でもさっそく友達ができ、子犬はその友達にもらったらしい。お母さんに確認もしないで決めてしまったそうだ。
でも朝陽の母親は、たいていのことは「いいよ」と言ってくれるし、ペットも飼える借り上げのアパートだったから、返して来いと言われるとは夢にも思わなかったのだという。
新しい友人に絶対大事にすると約束した朝陽は悩み、電車に飛び乗って気づくとこの町に帰ってきていたらしい。ICカードの残金が不足してたらもっと早く保護されただろうけど、偶然とはいえ、誘拐されたり知らない町に行ったりしなくてよかった。
「そっかぁ。ダメって言われちゃったのか。しょうがないね。あっくんのお母さん、犬アレルギーだもんねぇ」
昔した雑談を振り返って思い出したそれを伝えると、朝陽が不思議そうに目を瞬かせた。アレルギーがよくわからないのかもしれない。
「お母さん、くしゃみして顔が赤くなってなかった?」
「……してた」
朝陽の母親は決して動物が嫌いなわけではない。むしろ好きだったと思う。ただ、犬のそばにある程度いると蕁麻疹が出来たりくしゃみや鼻水が止まらなくなるらしいのだ。目がかゆくなりコンタクトも入れられなくなるとも言ってたっけ。
一戸建てならともかく、狭いアパートで室内飼いは難しかったのだろう。
考え込むように座り込んだ朝陽を桃香たちに任せ、まずは朝陽の母親の頼子の携帯に連絡を入れた。
「えっ? 朝陽がそこにいるんですか!?」
うん。驚くよね。県をまたいでるんだもの。
これからタクシーで迎えに来るという朝陽の母に、うちで待ってるからゆっくり来てと伝えた。
桃香たちにもその旨を伝え、コンビニでいくつか買い物を済ませると、朝陽はうちに連れ帰ることにする。
よっぽど頑張ってたのだろう。家まで数分の距離なのに舟を漕ぎだした朝陽と子犬を家に入れるのにちょっと苦労したわ。
一時間後。
迎えに来た朝陽の母親も、ぐっすり寝てる朝陽と子犬共々うちにお泊りにしてもらった。
朝陽は春休みで彼女も明日休みだっていうし、私は在宅仕事。子犬を言離れたところに寝かせることも、疲れてる親子を休ませるのにも、何の問題もない。
引き留めた理由のひとつが、やっぱり家に誰かがいるっていいなと、ちょっと思ってしまったからっていうのは内緒だけどね。
明朝、子供にもわかるようしっかり話をした結果。子犬はうちの子になることになった。
けっこう大きくなるであろうことが予測されるため、頼子は心配してたけど、番犬にちょうどいいいいと言えば納得だったらしい。
これは半分本当で、もう一つの理由は一目惚れだ。起き出して走る子犬の可愛いこと!
じっと見つめられた瞬間、私はこの子と暮らす運命だと確信してしまった。
「あっくん、この子に名前はもう付けたの?」
「うん。
愛おしそうに撫でる朝陽にとって、大地はすでに弟に近い存在だったのかもしれない。それでも、「いつでも会いに来ていい」と約束したためか、名残惜しそうにしながら朝陽も納得してくれた。
それから約一年後の春。
この大地が家族になったことをきっかけに、トントン拍子で私が結婚することになったなんて誰が想像しただろう? お式には朝陽と頼子、そしてやっぱり大地をきっかけに出会った、彼女の再婚予定の相手までもが参列することになるなんて――。
ほんと、だれも思わなかったよね?
深夜の散歩で起きた出来事 相内充希 @mituki_aiuchi
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