第4話 黄昏時に

 吹く風が妙に生暖かい・・・・・


 季節の上ではもう秋。まだ残暑厳しい9月では、夕暮れ以降に吹く風は、ヒンヤリと秋の香りを運んでくるようだ。


 しかし今日の夕暮れは、妙に生温かいのだ。まるで人肌の鮮血にどっぷりと浸かっているように生温かく、しかも生臭い。


 真っ赤に焼けた夕陽が西の山の陰に沈み、世界が暗い闇に包まれる前のほんの僅かな刻、昼と夜の間、逢魔ヶ刻。


 まだ薄明かるいのに何故かほの暗く、夜ではないのに闇の気配と妖しい香りが漂う。


 俯きながら自宅への帰路を急ぐ。ふと強い視線を感じ立ち止まった。


 10mほど先に若い女性が立っていた。薄闇に細い人影が翳る。


 女性の後ろは4車線の国道であり、夕暮れに急ぐ車たちが、大きな河の流れのように隙間なく走り抜けていく。


 ただ横断歩道で信号待ちしているだけなのだろうが、横断歩道に背中を向けて、こちらを見ているのが不思議な感じがした。


 もしかしたらご近所さんか知り合いかもしれない。横断歩道に向かってゆっくりと歩き始めた。


 若い女性、寂しげな蒼白い顔。私と目線が重なる。知り合いではない、初めて見かける顔であった。


 幽かな声で女性が、何かを囁いたように見えた。声が聞こえたような気がした。


 「別れたくない」


 一声だけ残して女性は、後ろに流れる車の河に躊躇いもなく身を投げた。信号は赤のまま時間は凍り、車の河が鮮烈な真紅に染まる。


 悲鳴さえなく、ひとつの命が消えた。

 恐れもなく、哀しみのみ残して・・・・・


 河の流れは夕陽より紅く染まり、吹く風が生温かくそして生臭く香る。もう2度と逢えない初めて会った女性。


 残された言葉ひとつ

 『別れたくない』


 あの女性は一体誰

 何故オレを見つめていたのか

 初めて会ったはずなのに

 誰と別れたくないないのか

 なせ訴えかけたのか


 名さえ知らぬ、初めて会った女性。

 一方的に投げられたひと言。

 声をかけられる理由などないのに。


 急ぎ近づくパトカーと救急車のサイレンが耳の中に飛び込んで来る。


 呆然と立ち尽くすなか、吹く風が道路から流れる生臭い血臭を運んで来るようだ。


 突然、全身の鳥肌がゾワリとそそけ立つ。見えない手が心臓を握り締め、鼓動が止められそうだ。背中が痛み凍リつく。


 背中のすぐ後ろに何かがいる・・・・・

 体を凍らせ心を恐怖させる何かが

 見てはならない何かが

 振り向けない、振り向かない

 振り向いたら連れていかれるから


 何もしていないのに、なぜ、どうして俺が・・・・・

 

 恐怖の遭遇に理由などない。理由などなく突然憑かれる。だからこそ恐怖、それこそが恐怖なのだ・・・・・

 

 黄昏時、血色の夕陽のみが見ていた。

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