第10話 誘惑されたわけじゃない

「私のせいで、お母様は大変な思いをしていたんだ!

 私が10歳かそこらのころだったかな」


 遠くを見つめるヘルガ。


「その頃、感情のコントロールなんか出来なかったから、ちょっとしたことで魔族化してたんだ。

 ある時、テストが良くできたねって家庭教師の先生に褒められたんだ。

 私は嬉しくって、飛び上がって喜んだんだ。

 そしたら……ふふふ。

 私が無自覚に【誘惑】を使っていたんだろうね、押し倒されて……」


 ヘルガが震えているのに気づいたオレは、ヘルガを抱き寄せた。


「お母様がちょうど気づいてくれたから、大事には至らなかったんだけど。

 でも、そんなことは1度や2度じゃなかったんだ。

 家庭教師や使用人が私に襲い掛かって……

 いつもお母さんが気にかけてくれていたから、守ってくれていたんだけどさ」


 体を震わせるヘルガを抱きしめることしかできない。


「周りの人たちは、何ていやらしい娘なんだ、サキュバスの親もサキュバスだ、淫売だ、とお母様を罵倒して……

 いつもいつも、そんなことばかり。

 ……だから、私は男の人と会うのが怖いんだ。

 また、襲われるんじゃないかって……

 フフ、でもね。

 それは全部、私のせいなんだ」


 それはお前のせいじゃない、お前は悪くないんだって伝えたいけど……

 慰める言葉が出てこない。


 せめて怖がらせないように、ヘルガをゆっくりと抱きしめる。


 他人に入ってきてほしくないので煙幕をもう少し出しておく。

 ヘルガは、抱きしめるオレを拒否せず話を続けた。


「お父様は、私のせいでいつも罵倒されているお母様をかばいもしなかった。

 お母様は、私を手放せばいいのにそうしなかった。

 それで、私とお母様はわずかなお金でこの町へ放り出されたよ。

 貴族の生まれのお母様だったから、親子二人生きていくだけでどれほど大変だったか……」


 オレはヘルガを見つめる。


「頑張ったんだな」


 頭を撫でてやる。

 ヘルガはゆっくり手で払いのける。


「ふふ。

 ほどなくしてお母様は亡くなったんだ。

 体も丈夫なほうじゃなかったから。

 お母様が亡くなってから、女一人で生きていくには体を売るか、剣を握るかしかなかった」


 ヘルガは剣を握りしめた。


「それで剣を選んだのか」

「いら立ちをぶつけられるものが欲しかったんだ、剣士になったことは後悔してない。

 それに、私は女である生き方を選ぶことなんてできないんだ。

 ふふふ、女として生きるとどうしても感情が揺さぶられてしまう。

 何も感じなくなるしか、私の生きる道など無かった」


 ヘルガの瞳には強い意志が宿っている。


「戦いの場に身を置いていれば嫌なことも忘れられるしな。

 フフ、感情を抑えることは出来るようになった。

 感情さえ抑えていれば魔族化することもない」


 ヘルガは抱きしめられていた手を振りほどく。


「それで、男みたいな口調なのか。

 さっき、お母さんの話をしていた時、しっかりお前の言葉で話していると思ったぞ。

 感情を抑えていると言うが、なにも感じないようにしてるだけなんじゃないのか」

「……そんなとこはない」


 ヘルガは怒りに体を震わせた。


「ヘルガ似合わないんだよな。

 男っぽく振舞うの」

「お前に何がわかるんだ!」


 真っ赤な瞳。

 翼もはためいている。


「ほら、感情のコントロール出来てないだろ」

「お前が怒らせるからだろう!」


 ヘルガはオレに指を立てて責め立てる。

 オレにはその仕草が愛しかった。


「お前じゃない。

 リクって名前がある」

「……リク」


 ヘルガの瞳はまっすぐオレを見つめている。


「どうしたヘルガ」

「私の目、真っ赤なまんまじゃない。

 早く戻してよ」


 オレはヘルガの瞳に吸い込まれた。


「きれいな瞳だな」

「な、何」


 ヘルガは動揺していた。


「そう思っただけ」

「自分で良く見たことないから、そんなこと言われても困る」


 頬を上気させるヘルガ。


「今、怒ってる?」

「そんなことないよ」

「じゃあ、何で目が赤いの?」


 目だけじゃなく顔も真っ赤だけどな。


「……知らない」


 オレはヘルガを抱きしめる。


「ほら、目を戻さないから誘惑されちゃったじゃない」


 左手でヘルガの髪を撫でる。

 ヘルガの髪色と翼を元に戻した。


「……なんてタイミングで元に戻すのよ」

「誘惑されたわけじゃないよって伝えたいから」

「……ばか」


 そっと、抱きしめた。

 ずっとこのままでもいいけど試合中なんだよな。

 他から様子は見えなくするために煙幕を上げているが、さすがに怪しまれそうだ。


 ヘルガがオレを見つめる。

 微笑みを浮かべて、オレから距離をとり、剣を拾った。

 戦うつもりらしい。

 

「リク、全力でいくよ。

 私のすべて受け止めてくれる?」

「全力で来いよ、受け止めて見せるから」


 【煙よ、消えろ!】

……ご苦労だった。

長いことありがとう、煙。


「煙幕が晴れた!」

「リクといったか、やるじゃねえか。

 ヘルガ様とやり合って、まだ立っていやがる!」


 騎士たちが騒ぎだした。

 さっきまで煙で視界を遮っていたからな。


「行くよ、リク!」


 ヘルガは漆黒の翼で空に飛びあがり、剣で突撃してくる。

 もちろん、瞳は赤い。

 とっても嬉しそうにしている。


 魔族で、サキュバスで、紅蓮の剣士の、人間の女の子――ヘルガ。

 

 ヘルガが自分のすべてで来てくれるならば、オレも全力で答えよう。

 

 ヘルガの突撃に合わせ、【瞬間移動】してヘルガの背後に。


「いつの間に!」

「動きが見えない!」


 瞬間移動だからな。

 動きが見えるはずがない。


 ヘルガの手をつかみ、【上空へ飛ばせ!】

 20メートルほど上空に飛ばし、【瞬間移動でさらに上空を確保】!

両手を組んで地面に向けてスマッシュヒット(した風に【テレキネシスで飛ばす】)


 【着地の瞬間を衝撃】を和らげて、その上から、【軽く圧力】をかける。

 ついでにあたりに【小爆発】


 フフ、この世のすべてを状態変化できるオレに不可能など無い。


「な、何が起こった!」

「ヘルガ様は無事かッ!」


 煙幕が収まると――


「く、くはあ。」


 そこには、地面に大の字に転がされるヘルガがいた。


「私の負け。

 降参するよ」


 こうして決闘は終わった。

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