深夜の散歩なんて、悪いことをしてるみたいね
川木
悪いこと、もっと
ぱちり、と目を開けた。暗闇になれた目は見慣れない天井をうつしている。
ちらりと時計のある方へ目を向ける。カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされた壁掛け時計は針を光らせていて、日付が変わったことを示している。
寝れない。
夏休みも明日で終わり、と言うことで何か特別なことをしたいと思っていた。
忍ちゃんと恋人になり、初めての夏休み。色んな思い出が出来た。だけどまだ物足りない。もう少しなにかしたいな。なんて思ってはいた。
でもまさか、忍ちゃんのお家にお泊まりすることになるなんて。
ちらりと忍ちゃんを見る。普通に私は床で寝るつもりだったけど、二人して相手にベッドを譲ろうとした結果、二人とも客用布団で床に寝ている。でもそのおかげで、寝転がった状態でも忍ちゃんがみえる。
もちろん夜だし、かすかに輪郭がわかる程度だ。だけど、すぐ隣に忍ちゃんがいる。そう思うとどきどきして、とてもじゃないけど眠れそうになかった。
今日も1日デートして、手を繋いで、夕飯をご馳走になって、お風呂上がりの姿にドキドキしながら、そっとお休みのキスをした。
それからもう一時間以上たっている。だけど一向に胸のトキメキがおさまる気配はない。
「……」
ごそり、と忍ちゃんが寝返りをうった。動き出した瞬間、見とがめられたわけでもないのにとっさに目を閉じた。
「……はぁ」
そうしてしばし固まっていると、どうやら忍ちゃんは目が覚めたようでごそごそと起き上がって部屋をでていった。
遠慮する相手がいなくなったことで私も起き上がる。トイレだろうか。お休みと言う前にすませているので大丈夫だけど、ついでに私も行ってしまおうか。
もう一度時計を見る。さっきから十分くらい経過している。
このままじゃあ、いつ眠りにつけるのか。
「あ、す、すみません。起こしちゃいましたか?」
静かに戻ってきた忍ちゃんは私に気がつき、小さな声でそう謝罪してきた。ドアを閉めてゆっくり布団に戻ってきた忍ちゃんに近寄り、私も小声で返事をする。
「ううん。その、寝付けなくて。ずっと起きてたわ」
「そう、ですか。その、実は私も」
「そうなの? うーん、じゃあ、いっそ眠くなるまで起きてましょうか?」
静かにじっとしていたので、てっきり忍ちゃんは自分の部屋だし眠ったのかと思っていた。だけど明日もデートだから早く寝なきゃ、と言う話なので、二人とも起きているなら、いっそのことずっと起きてしまうのも手だ。
「それもいいですね……じゃあ、ちょっと、飲み物でも買いに行きます?」
「え、こんな時間に? 大丈夫なの? 危なくないかしら」
立ち上がってされた提案に、びっくりして聞き返しながら恋とは違う意味でドキドキしてしまう。
だって、日付が変わった夜中だ。こんな夜中に外に出るなんて。考えたこともない。帰宅時に日が暮れているならともかく、夜になってから外出と言うこと自体がない。そんなことをして大丈夫なのだろうか。
「大丈夫ですよ。もし危ないことがあっても、私が読子さんを守りますから」
あっ、好き。
にこっと何でもないように笑う忍ちゃんが素敵すぎて、また恋のドキドキで塗り替えられてしまった。
「そ、そう。じゃあ、行きましょうか」
「はい。着替えるのでちょっと待ってくださいね」
私も自分の家なら寝間着を切るけれど、さすがに忍ちゃんの部屋で下着を薄着でいるのは恥ずかしくてできないので、普通に服を着ている。今思うと下着の締め付けも眠りの邪魔をしていたのかもしれない。
でもそのお陰で、上に一枚羽織って下を変えれば外に出ることができる。忍ちゃんもシャツみたいだからそうなのかと思っていたけど、どうやら着ていなかったみたいで、腕を袖の中に入れだしたので慌てて顔をそむける。脱がずに着るのかもしれないけど、さすがに恋人の着替えはちょっと刺激が強すぎる。
あんまり露骨に顔をそらすのも、逆に意識しているみたいでどうかな、とも思うので、私もスカートに時間をかけて履き替えたし自分の鞄をいじったりして準備をしている風に見せかけた。
「お待たせしました」
膝に乗せた鞄を意味なくいじりながら待っていると、忍ちゃんに声をかけられた。振り向くと上下ともに変わっていて、さっきの衣擦れの音、私の後ろでシャツもズボンも脱いでいた瞬間があったと思うと今更恥ずかしい。
「大丈夫よ。行きましょうか」
「はい」
小声で話してから、そーっと部屋を出る。当然だけど忍ちゃんのご家族の方もお家にはいる。起こさないように静かにそっと家を出た。
「夜でもやっぱり蒸し暑いですね」
「そうね」
クーラーの聞いた室内に比べると、昼間に比べるとずっとマシだけど涼しくはない。こんな真夜中なのに、こんな感じなんだ。そんな風に、何でもない気温すら新鮮だ。
真っ暗な空。遠くの月が雲から出たり隠れたりしているけど、明るいほどじゃない。何度も来た忍ちゃんの家までの公道はこの夏で見慣れたはずなのに、何だか全く別の世界に来たみたいだ。
突きぬけるような開放感を感じる一方で、どこか寂しいようで不安になってしまう。
「忍ちゃん、手、いい?」
「あ、はいっ。えへへ」
玄関に鍵をかけた忍ちゃんは私の提案に振り向いて、照れたように笑いながら握ってくれた。そのぬくもりにほっとする。私はちゃんと、忍ちゃんの隣にいる。そう思うと、心細さはどこかに飛んで行ってしまった。
残るのは未知へのわくわく感と、いけないことをしているような高揚感。わくわくどきどきして、何だかとっても楽しい。突発的に決まった真夜中の散歩だけど、特別な思い出になりそうな、そんな気が今からしていた。
「どこまで行くの?」
「近くのコンビニです。あんまり遠いと、車とか、やっぱり危ないかもですしね」
そう言いながらも忍ちゃんは当たり前みたいにさりげなく、車道側を歩いてくれる。ちらっと警戒するみたいに後ろも振り向いて確認してから歩き出したのに合わせて歩きながら、そんな忍ちゃんの頼りになる姿にときめいてしまう。
ますます好きになってしまいそう。もう、言葉にできないくらい大好きなのに。
「読子さんは夜にでかけることってないんですか?」
「ないわねぇ」
基本的には家ではいつも本を読んでいるし、夜に急にでかけたくなること自体が無い。忍ちゃんと出会ってからは忍ちゃんのこと考えて物思いにふけることもあるけれど、読みたい本はいくらでもあるので暇を感じるということもないから、そもそも元々あまりお出かけが好きなわけでもないし。
だけどこうして出て見ると、街灯に照らされた街は静かで、昼間と違う顔を見せてくれる。こう言った経験を、忍ちゃんと出会ってから私はたくさんしているように思う。
本を読んでるだけでは体験できないこと、忍ちゃんと居ることでたくさん知っていく。世界が色づいていく、なんていうとちょっと陳腐だけど、でも本当の事だ。忍ちゃんと過ごすたび、私の世界はどんどん素敵になっていく。
ぎゅっと忍ちゃんの手を握る手に力をこめる。視線がからみあう。
「だから今、悪いことしてるみたいで、何だかドキドキしてるわ。ふふ」
「読子さん。じゃ、じゃあ折角だし、飲み物だけじゃなくて、お菓子も買っちゃいますか」
「ま、いいわね」
こんな夜中にお菓子なんて、体に良くないに決まっている。でも、きっととっても美味しくて楽しいだろう。
「あそこのコンビニです」
「24時間営業って、こうして夜にみると本当にすごいわね」
忍ちゃんが指示したコンビニはどこにでもあるチェーン店だ。かあかあと明かりがついていて、駐車場には車はないけど店員さんがいるのが外からも見える。
たまたま起きだしているのと違って、働くために頑張って起きているのだ。そう思うと頭が下がる。
「いらっしゃーせー」
中に入ると店員さんの挨拶と昼間と変わらない蛍光灯に迎えられる。その光のまぶしさに目を細め、思わず忍ちゃんの腕を空いている手でつかんで寄り添ってしまう。
「大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ」
「私に掴まってても大丈夫ですからね」
「ありがとう」
ああ、好き。忍ちゃんとだから、ただコンビニに行くだけの深夜の散歩一つでこんなにも私の心は踊るのだろう。
コンビニに入って目がなれてしまうと、そこは昼間と変わらない世界だ。何を飲もう、夜だからさすがにカフェインのはいっていないやつを、なんて言ってお菓子と一緒に選ぶ。
そんなつもりはなかったのに、商品を見ているとちょっとお腹が減ったかも、なんて風に感じてしまうから、私って単純だ。
買い物を終わらせて外に出ると、途端にそこはまた夜の世界だ。激しい場面転換に、また少し目がなれなくて私は忍ちゃんに寄ってしまう。
「ふふ。ちょっとだけ、飲んで休憩しましょうか」
優しく微笑む忍ちゃんは特別なデートの延長を申し出てくれて、その何気ない仕草も全部好きで、掴んでいるのは私なのに、まるで忍ちゃんに捕まえられてしまったような気にさえなる。
入り口を避けて喫煙スペースに移動する。別のお客さんがやってきたけど、今のところ喫煙所はゼロなので大丈夫だろう。袋から取り出したのはレモンソーダ。しゅわしゅわしてあまずっぱい。歯磨きは必要だけど、どうせクッキーも食べるのだからいいだろう。
「落ち着きました」
「ん。ありがとう。ふふ、忍ちゃんと一緒だと、楽しいことでいっぱいね」
「……あの」
忍ちゃんが何か言いかけたところで、二台の車がそこそこのスピードで駐車場に入ってきた。
「……そろそろ家に帰りましょうか」
「そうね」
名残惜しいけど、降りてきた男性は煙草を手にもっている。ここにいては邪魔だし、副流煙を摂取する趣味はない。
私たちは手を繋いでコンビニを後にする。ちょっと騒がしくなったコンビニから遠ざかっていくと、静かな住宅街に向かうそのギャップをより一層感じられた。
もうすぐ忍ちゃんの家だ。この特別な散歩は終わってしまう。このあとまだ行くりしてお話したりお菓子を食べるしそれも楽しみだけど、ちょっと残念な気もしてしまう。
「あの、読子さん」
「なぁに?」
忍ちゃんの家が見える通りに入る角、街灯の下で忍ちゃんは立ち止まった。
「その……さっき、悪いことしてるみたいでドキドキするって言ってたじゃないですか」
「え? ええ、そうね。ちょっと子供っぽかったかしら」
考えてみれば私ももう来年には18歳になるのだ。そうなれば成人だ。夜に外に出るだけで悪いこと、なんて発想自体、子供だったかもしれない。実際忍ちゃんは普通にしているし。何だか恥ずかしくなってきた。
「ちょっとだけ、でも、そんな読子さんも可愛いです」
「忍ちゃんたら……」
肯定されてしまった。でも可愛いって。嬉しい。もう、と文句を言いたいような、照れてしまって笑いたいような、そんな気分で私は誤魔化すように髪を耳にかける。
「あの、せっかくだから、って言ったらおかしいかもですけど。……もっと、悪いこと、しませんか?」
「え?」
もっと悪いこと? そ、そこまでいくと本当に悪いことになっちゃうんじゃ? なんだろう。大きな声をだすとか? 口笛をふくとか?
真剣に言われた言葉に戸惑う私に、忍ちゃんはどこか緊張したように固い表情で、繋いでいない手で私の肩を掴んだ。荷物を持ってくれているので、ビニール袋の中のドリンクがゆるく二の腕にあたる。
いつもならすぐに気づいて謝るだろうに、忍ちゃんは真剣な顔で私をまっすぐ見つめている。ドキドキと、心臓が痛いくらいだ。
「わ、悪いことって?」
「……目を、閉じてくれませんか?」
あ、あ。……ここまでされて気づかないほど、私は鈍くないつもりだ。初めてのお泊り。夜の散歩。人目もなく、ずっと繋いでる手は汗ばんでいるくらい体が熱くて、雰囲気も十分だ。つまり、そう言うことだ。
私はそっと目を閉じた。
「……ん」
すぐ近くに気配を感じると同時に、唇に柔らかいものがあてられる。その衝撃に、思わず声が漏れて体が反応してしまう。身じろぎしてしまった私に、唇がはなれていく。目を開けると、すぐ傍に忍ちゃんがいた。
目を閉じるとまつ毛でできる風圧を感じそうな至近距離。ドキドキを通り越して、バクバクと心臓が爆発しているみたいだ。
「キス、しちゃったわね」
「はい……。すみません、強引、でしたよね」
「ううん。とっても素敵な悪いことだったわ。……もう一回、して?」
「……はい」
私は心臓がはじけてしまうギリギリまで、忍ちゃんと悪いことをした。
最後はちりんちりんと自転車がベルをならして横を通り過ぎるまでしていて、人に見られてしまって、本当に悪いことになってしまったのはたまらなく恥ずかしかった。
でも、散歩を開始した時に感じた特別な思い出になりそうな予感と言うのはこれ以上なく当たっていた。初めてのお泊りの深夜の散歩は、特別なイベントが起きた、忘れられない思い出となった。
深夜の散歩なんて、悪いことをしてるみたいね 川木 @kspan
★で称える
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