鬼は外

絶飩XAYZ@広島文フリ

鬼は外

 丑三つ時には鬼が出る――――夜歩きは禁物、血を食らい尽くされる。




 屋敷から一匹出て来た。

 頭に生えた白い二本の角、赤く血走った目、右手には簪を持ち、左上腕には何かが噛んだような傷があった。傷から赤黒い血が流れているのを気にせず、走り去っていく。

 ――――鬼だ。

 また屋敷から一匹出て来た。

 今度は折烏帽子を被った青年だった。鼻がはっきりして、目が細長く、綺麗な睫毛をしている。一見すると女性のように美しい。彼はその身一つで追いかける。

 彼は屋敷の主人の長子の親友であり、両親は幼い頃に亡くしたため、兄弟も同然に育てられている。

 鬼の行き先は屋敷の近くにある山であった。

 その山で昼間は人間が狩りや山菜取り、散歩等で使い、夜は鳥や獣達の寝床として使われていた。

 しかし、今は夜になると一変した姿を見せ、蛇や屍肉を漁る烏すら立ち入らない。

 鬼が出る、と噂されていたからだ。

 出ると言われるようになったのは、この一月程度である。

 初めはただの見間違いか、青年達が管理する山だからと言って、彼らのことを気に入らない者が、あることないことを吹いて回っているのかと思った。

 しかし、話を聞いているとそうではないようである。

 ある日の朝のこと、村の牛が首と胴が離れた状態で見つかった。奇妙なことに血が殆どなく、まるで何かが飲み干したようであった。

 またある日の朝のこと、肝試しで山へ行った若者達が、全身バラバラになって見つかる。それも血がなかった。

 そのようなことが毎日のようにあり、村人や青年達は手を焼いていた。

 なんとか見つけようとしたが、いかんせん相手が妖しであろうということもあって、そう勇気を出して退治しようと話に進展がなかった。

 感情は大事だが、それだけでは簡単に人は動かない。命あっての物種……そういう者も居た。

 解決の糸口にしようとした者が遂にその正体を掴んだ。


 ある満月の夜、何かが馬を食っているのを見つけた。

 彼は物陰で口から飛び出す心臓を抑え込むように口を閉ざし、全身に駆け巡る血が凍るような思いを殺しながら、馬を食っているものの正体を見た。

 その姿は黒い塊のようであり、それに四肢をつけたような姿であった。

 黒い塊に見えたのは黒髪で、それは体を覆い尽くす程長かった。そこから垣間見える刃を宿したような鋭く光る目は、墨で染められた空を彩る光と共に浮かぶ三日月にも思えた。

 薄い桜色をした二枚貝のような小さな唇からは骨すら噛み砕こうかと言わんばかりの黒い牙を持っており、その大きさは口すら引き裂こうとしているようであった。

 強靭な力を発揮して牛の首すら殴り飛ばし、大岩すら砕く、正に人間離れした力を発揮するだろうと噂された手は月明りだけにも関わらず、白く仄かに光を帯びていた。

 大木を薙ぎ倒し、骨すら紙のように引き裂くだろうと鋭利な爪は光をも裂いていたが、指先は少しでも力を入れたら折れそうな程細かった。

 丑三つ時には鬼が出る――――夜歩きは禁物、血を食らい尽くされる。人々は口々に言い、畏怖の感情が強くなっていった。


 そんな異形な夜を今宵で終わらせようと、青年は鬼を追って、山に入る。

 月の光に照らされた山道を走る。追っている鬼の匂いが、特徴的であることが幸いして追いやすかった。

 それは血の中におしろいとお歯黒と妹達がよく炊いている沈香の匂いが混じったような匂い。

 鬼が食らったのは右手に持つ簪から考えて、二人の妹のうち一人。まだ十二になったばかりの末妹だった。

 その末妹が傷を負わせたのか、血の跡が道標となって鬼の元へ案内してくれる。

 一滴一滴、溜まった斑点が段々大きくなっていき、遂に斑点ではなくなり、赤い墨による一筆を土に書いていた。

 青年は鬼を追いながらも、思い出していた。親友とその妹達と共に走っては兎を狩り、季節で変わる色を楽しみ、山に育んで貰ったことを……。

 特に今、走っている道はよく妹達を連れて歩いたものだった。

 食われた末妹は青年と二人っきりになりたがっていた。

 理由は単純なものだ。

 青年を独り占めしたかったことと、末妹が更に小さい頃は姉と青年の二人でよく遊んでいたことを聞いたからだ。

 自分にはそういう話がない、と頬を膨らませていた。

 頬を膨らますが、鼻は低く小さく、薄い桜の花びらを尖らせているだけであり、細長い目を更に釣り上がらせていた。

 白く細い指で青年の袖を引っ張り、地面まで届こうかという黒髪は墨をつけた筆を紙に滑らせるように揺らす。

 そんな全く怖くない怒った表情を見て、親友と妹と一緒に笑ったものだった。

 だが、それも昔の話だ。青年は十八になり、親友が妖退治をなりわいとし、産まれた運命に従ったため、青年も協力している。

 拳を振るい、人に仇なす者達とは言え、首を殴り飛ばし、時には甚振り、血を全身に浴びる様は、鬼と変わらない姿をしていると思われる。

 よく妹達からは二人の拳が見たいとせがまれていたが、その二人の姿に恐怖し、泣くか逃げるかする妹達の姿を容易に想像出来る為、見せたくなかった。

 しかし、今だけは自らを悪鬼羅刹となりて、この鬼を冥界まで殴り飛ばす姿を見せてやりたいと思えた。


 鬼は相変わらず、月の明かりだけを頼りにして走る。しかし、この追儺の終わりは見えていた。

 この先は木が生えていない広場のようなところになっているが、周りが高い壁のようになっていて先へは進めない。妹達にもここへ追い込んでは、捕まえて、遊んだものだ。

 その広場に着くと鬼は立ち止まった。この状況は鬼なのに袋のネズミ、なんとも笑える話だった。

 地面に着く程長い黒髪しか見えないが、赤い顔をした鬼が青ざめていくのが想像出来た。

 さぁ、その顔を見せろ、可愛い妹を食った鬼よと、青年は息を整えながらゆっくり近づいていく。

 疲れもあってか、一歩一歩が重く、遅かったが確実に仇が晴らせることを胸の鼓動が喜んでいた。

 すると、鬼がゆっくり振り向いた。糸のように繊細で長い黒髪が、顔を覆い隠していた。

 その黒髪の間から見えたのは赤く光る目と桜の花びらのような唇、その唇を遮るように黒い牙が出ていた。

 また、赤い切袴を穿いており、土や血だらけの裾が目立っていた。しかし、上には何も着ていなかったようだ。

 腕は髪が纏わりついたため、はっきり見えないが新雪のような肌と細く長い両腕と小枝のような指と強く尖った爪。

 胸は少し尖ったような張りのある山が見られ、その頂きは薄い桃色の円と同じ色に染まった突起物で出来ていた。

 鬼の顔は見えにくいが、口角の上がっているところを見るに笑っているようであった。

 右腕を見ると、簪を強く握られていた。左上腕に噛み跡のような傷があり、そこから血が出ていた。

 なるほど、一矢報いたのだろうか? 冥土の土産をくれてやるとしよう、と言わんばかりに青年は左の拳を強く握りしめた。

 青年は走った。左腕を弓のように強く引きながら、鬼に向かっていく。

 それに対して鬼は何もしない。ただ、立っているだけだった。どうやら観念したのか? しかし、青年の怒りは収まらない。

 その怒りに応えるように青年の左手が燃えた。深紫色の炎は青年の拳の周りを覆い、その熱気は辺りすら燃えるかという熱量だった。

 間合いに入ったところで青年は右足を強く踏み込み、左手を横へ薙ぎ払うように強く振る。

 振った瞬間、拳の炎が鬼の右腕に移ったと思えば、全身を炎が包んだ。

 その炎の熱気で鬼の黒髪が舞い上がり、顔がようやく見えた。

 刃のように鋭く、切長の綺麗な目と小さく纏まった鼻を持つ、少女の顔であった。少女は微笑みながら青年を見ていた。

 往生際が悪い、ともう一度、右腕を振り上げたがすぐに下ろす。

 炎の熱さや燃やされていく皮や肉の焦げ臭いが鼻をつき、脂が溶けるベタつく不快感を覚え、煙が目に染みて涙が瞳を守ろうとした。

 しかし、それらを忘れて、彼は少女を見つめていた。

 太陽の輝きよりも強く輝く深紫の炎。

 天すらも燻す勢いのある煙。

 体が炭になっていき、水分と脂が燃やされていく少女の姿。

 それらを脳裏に焼き付けようとしていた。

 桜色の唇が微かに動いた。鬼は外、と少女が言った気がした。

 次は俺の番だ、と青年は応えた。少女は首を縦に振り、目を閉じる。

 鬼は妹を殺した。血の繋がりはないが、青年のことも兄と慕い、成年も実の妹のように可愛がっていた少女を食ったため、その怒りの炎で鬼を焼き殺した。

 妹を弔うため、餞別として青年の拳を見せた。見せてくれとせがんだ拳を……。

 それだけだ。そんな二人だけの時間は、炭と化した体と煙だけを残して過ぎ去っていった。

 青年は頭に被せた折烏帽子を取ると、秘めた思いが、小さく伸びていた。

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