流れ星の流れ弾

黒井羊太

流れ星の流れ弾

「今夜の天気は荒れ模様。流れ星警報が発令されています」

 いつも通りの夜。ラジオからアナウンスが流れてくる。

 私は一人、白い息を吐きながら夜道を歩く。歩き慣れた道の夜の姿は、いつもと違って静かで美しく排他的だ。その静謐な空間に、私の足音だけを響かせるのが楽しい。

 冬の夜は、絶好の観察日和。空気が澄んでよく見える。なんなら流れ星の音まで聞こえてきそうだ。

 近所の神社へ行って、開けた場所で夜空を見上げる。今日も戦争だ。流れ星が縦横無尽に飛び交っている。

「きれい……」

 この光景を見るためだけに、毎晩のようにここへ来るのだ。

 

 最近の戦争は、宇宙で繰り広げられる。宇宙といっても、人工衛星が飛び交う高度四百キロメートルくらいの場所。各国が宇宙船を打ち上げて、そこで制空権ならぬ『制宙権』の取り合いのために攻撃を繰り返して破壊する。その攻撃方法というのが、デブリを飛ばす事。たかがゴミと侮るなかれ、秒速8kmで射出されるゴミは、あっさりと宇宙船を破壊する。そしてその飛び散った破片が、デブリが、重力に従って地上に降ってくるのだ。

 とはいえ地上まで到達するような大きな物は滅多に落ちてこない。せいぜい今夜のようにきれいな流れ星が夜空を彩るくらいである。

 念のため政府は、流れ星警報を発令し、警戒を呼び掛けるが、まず降ってくる事はない。誰も気にも留めないのだ。


 私はこの夜空が好きだ。争いの火が美しいだなんて、非難されても仕方ない事かも知れないが、遠くに見える物だからこそ、自分には及ばない物だからこそそういえるのかも知れない。


 と、夜空を見上げていたら、流れ星が一つこちらに降ってきた! 煌々と光る星は一瞬にして迫ってくる!

「え、ちょ、ちょっと!?」

 驚く私を後目に、流れ星は本当に私の方へ飛んできて……!

 かーーん!

 ……落ちた。割と軽い音だったのは、もう燃え尽きて小さくなってしまっていたのだろう。何となくその落ちた先が気になって周辺まで行ってみたが、見つかる事はなかった。


「おはよー……」

 いつも通り、私は死んだ魚のような目で挨拶する。

「おはよーみぽりん! 今日も目が死んでるね!」

 快活に返事をするのは友達の倉田はため。いつも無駄に明るい。ちなみにみぽりんとは私こと卯月美帆(うづきみほ)の不本意な渾名である。もう抵抗した所で陽気にゴリ押してくるので修正は諦めている。

「ういー。はためは元気ねー」

「おうよ! 元気が取り柄!」

 グッと大したことのない力こぶを作ってみせる。だが彼女の笑顔は本当に明るい。

「昨日も夜歩きしてたの?」

「うん……昨日はめっちゃ綺麗だった。さすが冬の空は違うわ~。マジ空気が澄んでる」

「あ! そういえばうちの町に流れ星が落ちたらしいじゃん! みぽりん、見なかった?」

 私は昨日の事を思い出す。

「あー、あれね。確かに落ちたみたい。どこに落ちたかまでは分からないけど……」

「そっかぁ。残念」

 などと話をしていると、

「おはよう!」

 朝の教室、爽やかな挨拶。みんなはギョッとした。

 誰もが知っている事だったが、その男、戸鳴虎夫(となりとらお)はそんな事をする奴ではなかったはずだ。もっとこう、暗くて、きょどきょどしてる奴だったはずだ。

 驚くみんなを余所に、虎夫は爽やかな笑顔のまま教室の掃除を始める。ちょっと気になる汚れや、溜まっていたゴミ捨てや、黒板を綺麗にするなどなど。

 あまりの態度の変わりように一同呆然としている。

 授業が始まっても、虎夫は昨日までの態度とは明らかに違う。次々挙手しては、爽やかな受け答えをする。

「はい、答えはXの2乗です!」

「はい、墾田永年私財法です! これによって農民達は……」

「はい、フェルマーの最終定理です! 内容を説明しますと……」

 先生達も圧倒されていく。

 休み時間にもなると、わっと人集りができて質問攻めに合う。

「おい、虎夫。どうしたんだよ、急に?」

「何か別人みたーい!」

「裏があるんだろー? 今更内申点狙いかぁ?」

 それらの質問に、しかし虎夫は爽やかに回答する。

「ははは、大したことはないよ。ただ昨晩、この町に流れ星が落ちてきたろ? あれが僕の胸に直撃したんだ」

 聞き耳を立てていた私はギョッとした。あの時の奴か! あれが彼に当たっていた!?

「え~! 大丈夫なのかよ!」

「本当に!?」

「やばいじゃーん!」

 みんな口々に言う。それを虎夫は片手で制し、改めて説明する。

「大丈夫だからこうしてここにいるんだ。本当に小さな欠片だったんだけど、胸に突き刺さって。でも血は出なくて。心臓のあたりにこう、凄まじい熱量を感じたんだ。何だか生まれ変わったような感触だったよ。

 戦争を胸に受けて、あの遠い光景が自分たちの世界と連続している事を実感して、僕は変わろう!と思ったんだ。その気持ちをこの熱量が後押ししてくれる」

 胸に手を当て、大人びた語り口で、しかし大袈裟な身振りと共に虎夫は話す。こんなに良い声だったかしら?と女子一同はめろめろである。男子一同も、嫉妬すら湧かない。

 ただ、私には薄い仮面をかぶっているように不思議と見えた。

 虎夫は爽やかに笑って、それから明朗な声で言葉を続けた。

「流れ星の流れ弾には、不思議な力があるみたいだ」

 その言葉は、噂となってネットの海を広がり、世界中へと拡散していった。

 

 その後世界中の若者の間で、夜中に流れ星を見て歩くのが流行した。別に昼間だっていいだろうに、いやしかし夜の方がよく見えるから、という理由で夜歩くらしい。みな一様に、虎夫のようになりたかったのだ。流れ弾に当たってもいない内から、良い奴みたいな振る舞いを始める奴もたくさんいた。

 私の近所もご多分に漏れずすっかり若者の夜歩きが流行してしまって、以前のような静謐さを感じる事ができなくなってしまった。


 私はその事に大層立腹していた。

 夜は私だけの時間だったのに! せっかく静かに流れ星を見ようにも、いちいちきゃーとかわーとか騒ぐ連中がいるために楽しめない!

 夜は私一人のものだったのに! 流れ星は私だけが見上げていたのに!

 

 あまりの立腹故に、その元凶である彼を観察した。

 彼は本当に善人そのものだ。笑顔を振りまいている。

 だがその笑顔をよく観察していると、薄い仮面が見え隠れする、気がする。あれは嘘をついている時に被る奴だ。

 大人は枚数が多い。綺麗事をいう生活指導の高川先生なんかは、信じられない程の厚さを被っている。

 逆に学生は多くない。嘘をつかなければならない場面が圧倒的に少ないからだ。

 だが虎夫の場合、もう大人になろうかという程仮面は分厚い。

 ……別に彼の人生について、私がどうこう言う事はないんだけどさ……

 とはいえ気になってしまうと心にもやもやが張り付いてしまう物である。


 その心のもやもやをどうにかすべく、私は虎夫を夜中に呼び出した。

「どうしたの? 卯月さん。こんな時間にこんな場所へ呼び出して」

 学校の外であっても、虎夫は爽やかだ。一瞬絆されそうになるけども、いやいや、私は今夜問い詰めるためにここに呼び出したんだと頭を振る。

「ねぇ、戸鳴くん。最近、君、変わったよね?」

「よく言われるね、ははは」

 照れながら頭を掻く虎夫。

「流れ星の流れ弾が当たったから?」

「そうだよ。本当に僕の人生が変わった。ところで、どうしてこの場所だったの?」

 町はずれの何もない場所。外れすぎて誰も来ない場所。街灯が立っていて、星空が見えないから不評な場所。私達はおのおの街灯の下に立ち、スポットライトよろしく浴びながら話す。

「ここにね、小さなねじが落ちていたの」

「うん? ねじ?」

「そう。このどろどろに溶けたねじ。まるで宇宙から降ってきたような」

 私の言葉に、虎夫は真顔になる。私の言いたい事が分かったらしい。

「これ、先日町に落ちてきた流れ星だと思うの。あの時の落ちてきた『かーん』って音、こういうことだったのよね。

 ……はっきり言うね? あなた、あの日流れ星に当たってなんかいないでしょ?」

 彼は悪びれもせず答えた。

「うん、当たってない」

「……そうよね、ここにあるんだもの」

 そう、あの後私はあの日落ちた流れ星を見つけだしたのだ。見つかったと言う事は、彼の胸には流れ星は落ちていない。

「……あなたは一体何をしたかったの?」

 ふう、と溜息を一つ吐き、顔から薄い仮面を外すようにしながら、彼はとつとつと答え始めた。

「部屋から流れ星を見ていたんだ。毎晩見える、あの戦争の輝き。それを見て、僕は心が苦しかった。

 だって、あそこでは誰も死んでいない。だけど、あの流れ星の下では誰かが死んでいる。『制宙権』が取られて、領土が取られて、地上にいる人間を駆除するために攻撃する。今の戦争って言うのはそういうものだ。それが当たり前のように毎日続いていて、それを眺め続ける僕らの日常がある。

 平和なこの国で、死ぬって事から隔離されたはずなのに、それがそこにあるって見せつけられているようで辛かった。」

 淡々と語る虎夫。俯いているその顔は、頭上からのスポットライトが濃く影を作っているために伺う事ができない。

「だからといって、僕にはそれを変える力なんて無い。ただの学生だ。

 けど」

 カッと顔を上げてキラキラとした眩しい顔で話を続ける。仮面がふわっと被せられる。

「この町に流れ弾が飛んできた時、僕はチャンスだ!と思ったんだ! これで僕は当事者になれる! 戦争被害者として、それでも強く生きていこうと、生まれ変われるんだ!」

 私はあきれ果てた。当たってもいないのに、被害者を装って、生まれ変わったフリをしてみんなを騙していたんだ!

「……ペテン師」

 私の心からの非難に、しかし彼は動じなかった。それどころか、仮面は重ねられていく。

「何とでも言ってくれ。僕は、砕け散った兵士の心を受け取った。生物でなくても、確かに熱量を胸に感じたんだ。それで生まれ変わるって決めたんだよ」

「……」

「それの何が悪いの?」

 ……言い返せない。彼が良くなって、何か困る事があるだろうか?

「夜がうるさくなった」

 最大限の非難を込めて。

 彼は爆笑した。

「それは仕方ないじゃないか。

 みんなこうして夜に出て、生まれ変わるきっかけを探している。それが見えるようになっただけなんだよ。誰もが世の中の当事者になりたい、誰もが生まれ変わりたいって心の底では願っているんだ」

「そうかしら?」

 流れ星を見てはわーきゃー騒いでいる連中の事を思い出しながら、私は半信半疑である。

「君はそうじゃないの? 流れ星の、何か不思議な力に魅せられて夜の道を歩くんじゃないのかい?」

 考えた事もなかった。

「そうして大人のフリをするために、仮面を被るのね」

「そうさ、僕らは仮面を被る。大人なんてみんなそうじゃないか」

「そんな大人になりたいの?」

「なるさ。僕の望みが叶うならね」

 何枚も何枚も、虎夫の顔には仮面が被さっていく。

 それでも僅かに見える隙間からは、彼が本心からそう言っている事が分かった。

「誰かの為に生きる、志を継ぐって言うのは、悪い事ばかりじゃないよ」

 彼はそう言いながら去っていった。

 見上げた夜空では、いつもと変わらぬ流星群。ただの美しい光景などではない、繰り返される戦争だ。

 謎の力で虎夫の願いを叶え、そして世界を変えようとしているその光。私は元と同じままで素直に受け取る事ができなくなってしまっていた。


「おはよー」

「あら、今日は元気」

 意外そうな顔を向けるはため。

「夜歩きしなくなったからね」

「そうなの? どうしたの?」

 はためからの純粋な問いに、私は少し悩んだ後に

「大人になったからかな?」

 薄い仮面を一枚被りながら答える。

 ふーん、と興味なさげに呟くはため。チャイムが鳴って授業が始まる。

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流れ星の流れ弾 黒井羊太 @kurohitsuji

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