それでも錆びた剣を振るい続けた
プラ
それでも錆びた剣を振るい続けた
私はしがない武器屋の店主だ。始まりの街で、新米冒険者になった者相手に商売をしている。そんな私はとある疑問を胸に抱いていた。
「錆びた剣いくつあるかね?」
そう言ってカウンターの前に立つのは、冒険者として幾つもの試験をクリアし、最高のランク、マスターの称号を持つシャーリンさんだ。冒険者のなかでも、上位一パーセントほどしか持っておらず、冒険者の憧れの存在。
その中でも、シャーリンさんは最も長く現役を続けている冒険者で、その年齢は驚異の六十。平均、四十で辞めていくこの職業では破格の年齢だ。
少しダンジョンに携わっている人間なら、一度は聞いたことがあるほど有名な人だ。未踏のダンジョンを幾つも攻略に携わった、まさに、生ける伝説で、最近では、昔ほど話題にはなっていないが、一時期では三本の指に入ると言われていた程強かった。
だからこそ、疑問なのだ。なぜこんな凄い人が、こんな始まりの街にいるのか、更に、シャーリンさんレベルになると当たり前に専属の武器屋を雇っているはずだ。初心者用の武器しか売ってない武器屋に用があるわけがない。
更に、最も疑問なことが。それは、わざわざ使いようのない錆びた剣を買っていくのかということだ。
錆びた剣とは、その名の通り剣を禄に手入れせず、錆びて使えない代物になった剣だ。一度こうなってしまえば、どう足掻いても元の剣に戻すことも出来ない。相手に一ダメージしか与えることが出来ない。そして、与えると粉々になってしまうほど脆い。
要するにもう破棄する寸前の剣なのだ。処理のできない冒険者達が私のような武器屋に渡してくるのだが、こんなものに一ミリも価値はない。
どうして、シャーリンさん程の人が、わざわざこんな始まりの地まで足を運び、錆びた剣を買おうとするのか分からない。
それとなく探ろうとするも、余りにもとっかかりがない。ただでさえ、私なんかが話しかけるのなんておこがましいのだ。それでも、頑張ってこの前その話題をそれとなく出した。しかし、すぐに話を変えられてしまった。
シャーリンさんのような有名な冒険者にずけずけと聞けるわけもなく、聞けずじまいのままなのだが……。
この日もあるだけの錆びた剣を渡す。
次に来る日は大体、分かっている。基本的に、この錆びた剣の本数分、日数が経ってからだ。
ゆえに一日一本なにかに使っているという予測が立つ。一体何に使っているんだ。
そんな疑問が積み重なり続け、ついにこの日、限界に達した。
シャーリンさんが出ていった同時に身支度を整え、私はスキルを発動させる。私のスキルはマーキングをつけ、ある一定の範囲まで感覚的に居場所が分かる。錆びた剣にマーキングを付けたおかげで、今剣がどのあたりにあるのか感じ取れた。まだそんな遠くに行ってない。
私は店を閉じ、シャーリンさんの方にいる方向に向かって走り出した。どう使われているか自分の目で確認してみようと考えたのだ。
しかし、いざ実行に移そうとすると、やはり何か良心の呵責がある。更に、向こうはかの有名なシャーリンさんなのだ。余計に何か悪いことをしてる気分が強くなって、申し訳なく感じる。
シャーリンさんには最大限配慮をしよう。大まかに何に使うかを確認するだけだ。それ以上は何もすることはない。変にプライベートに関係しそうであれば、すぐにつけるのをやめよう。
これほど気を付けたら、少しだけ付けるくらいいいんじゃないか? それに、何に使っているとか分かれば、それに対応してまた何か出来るかもしれない。そうだ。アフターフォローのようなものじゃないか。でも……。
そう自分の中での葛藤を繰り返し、結局最後は好奇心に負けて後をつけることにした。
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「ここらへんだよな?」
私は見上げながらポツリと呟いた。
私の目の前には大きな崖がそびえたっている。それは、ダンジョンの一階にある最も大きな山の崖の部分だ。これほど大きな山は上層に行っても早々はないというほど大きいらしい。だからそれに合わせて崖も相当大きくて、見上げて頂上が見えない。
私はあたりを見渡す。
この辺りを最後にマーキングした剣を感じ取れなくなった。マーキングしたものを感じ取れなくなるのは、相当離れた場所に行くか、洞窟など狭い場所にいった時だ。それを考えると、おそらくどこか洞窟のようなものがあると考えられる。
「多分、ここのどこかにあるよな?」
私は崖を見上げた。その崖は岩肌がほとんど見えなくなるほど、蔓が張り巡らされている。この崖のどこかに人が入れるほどの洞窟があると見た。
そこからしばらくの間、私は上下左右、歩きながら崖を観察していた。
「あっ」
不意に崖のある一点に目が行った。
よく目を凝らして、意識しないと分からないが、その部分だけやけに蔦が絡み合っている。それは地上から五メートルくらいの高さにあった。
「見てみるか」
その高さまで蔦は続いているし、太くて切れることはなさそうだ。私は蔦をつかみ、足をかけ上る。案外、丈夫でスイスイと登っていけて、すぐにたどり着いた。
「やっぱり……」
近くで見ると蔦の奥に大きな穴があることに気づいた。人ひとり余裕で入れるほどの大きさがある。
おそらくここだよな……。
そう踏んで、蔦を掻き分けようとした時だった。両手でかき分けようとしてしまったせいで、全体重が足に乗り、蔦が切れた。やばっ。そう思った時には遅く、一気に浮遊感に襲われた。
やばいっ! 手当たり次第に蔦を掴むが、勢いが殺されるだけで止まらない。そのままお尻から地面に落ちる。
ジーンとした痛みが、お尻から喉辺りまで競りあがってきて、思わず呻いた。その後も続く鈍い痛み。地面に横たわり、その場で悶える。これ、動けないままじゃないか。そんな考えが頭をよぎった時だった。急に痛みが引いていった。
「大丈夫ですか?」
上の方から声をかけられる。見ると、数人の冒険者のパーティーがいて、そこの一人が私にヒールの魔法を施してくれていた。
やばい。まずいところを見られた。
「あぁ、ありがとう」
私は急いで立ち上がり、礼を言った。
「いえいえ。それにしても何かあったんですか?」
そう尋ねてくる冒険者たち。
「あーえっと……。いやぁ、ちょっとこの崖登りたくなっちゃってね。ちょっと羽目を外しすぎたよ」
そう誤魔化そうとしたが、
「は、はぁ」
少し困惑したような冒険者たち。咄嗟についた嘘もあって無理があった。向こうはただ気になっていただけの様子だったが、それが訝し気に変わっていくのが表情から分かる。
「じゃ、じゃあ、行かないといけないことがあるから。本当にありがとうね」
気まずさのあまり、半ば無理やりに話を終わらすと、そそくさとその場を去る。
そうして冒険者たちが見えないくらいまで離れて、しばらく時間を潰し、もう流石にどこかに行っただろうと思って、元の場所に戻った。
しかし、予想外のことに、冒険者たちはまだその場にいて、何なら丁度、一人が蔦を上り、その上半身をさっき見つけた洞窟の中に滑り込ませたところだった。私は慌てて木の陰に身を隠す。
しまった。変な言い訳をついたせいで、余計に興味を持たしてしまった。さらに、悪いことに、さっき私が変に蔦を掻き分けたせいで見つかりやすくなってしまった。
何かとてもまずい気がする。
とてつもなくシャーリンさんに迷惑をかけてしまったのではないか……。
しかし、冒険者たちを止めようとも、今頃どう止める? 何も思いつかず、その場であたふたとする私。
その間にも、冒険者たちは続々と洞窟に入っていって、結局、何もできないまま冒険者一行は全員洞窟の中に入っていった。
まずい。非常にまずい気がする。
焦ってその場にうろうろと歩き回るも、見事に何も思いつかない。かと言ってこのまま見なかったことにして店に戻ることも出来ない。
でも、自分がしたことは洞窟を見つけやすくしただけだ。いつか誰かに見つかっているはず。という言い訳を心の中で言い聞かせる。そうだ。まず、シャーリンさんがあそこにいるとも決まっていないんだ。
結局、その場で様々な言い訳で自分を言い聞かせる以外することがなかった。
でも、その間もずっと嫌な胸騒ぎがして、木の陰に隠れたまま、洞窟の様子を伺っていた。それから一時間くらいか。全く変わった様子もない。それほど深い穴なのか? それとも、出口が奥の方にもあるとか?
一度、覗き込んでみるか? と思って木の陰から出ようとした時だった。蔦を掻き分け現れる手。慌ててまた木の陰に隠れる。少しして、木の陰から隠れて見る。
シャーリンさんだった。シャーリンさんは慣れた手つきで洞窟を蔦で隠すと、ダンジョン内にある転送装置の方角に向かって歩いて行った。
やっぱりシャーリンさんはここにいたんだ。しかし、その手には錆びた剣は持っていなかった。つまり、あの洞窟内に錆びた剣があるということか……。一体何のために? さらに疑問は増えてしまった。さっきの冒険者たちは一体どうなったんだ?
いろんな考えが廻ったが、結局勝利を収めたのは好奇心だった。
善は急げだ。シャーリンさんが戻ってくる前に行こう。ほんの少しだけ見て帰ろう。次はちゃんと気を付けて崖を登り、蔦を掻き分け、洞窟の中に入る。
洞窟の中に入ると、蔦で入口が遮られることもあり、中は真っ暗だった。万が一のために持ってきていたライトが役に立つ。光を灯す。奥の方を照らすも、先は見えない。私がいる洞窟は長く続いているようだった。
洞窟の周りの様子を確認する。意外なほどに壁は滑らかだった。凹凸もほとんど無い。道も勾配もほとんどない。
まるで、人が堀ったような洞窟だ。
他にも安全性など考えないといけないことはあるだろう。でも、先に何があるか知りたい気持ちが強くて、我慢できなかった。
更にさっきまではシャーリンさんに申し訳ないとか考えていたが、ここまでくると好奇心が強すぎてそんな感情は掠れてしまっている。
私は荒く鼻息を鳴らすと早速、私は進み始めた。
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穴は相当長かった。もう、二十分ほど歩いている。何よりも物凄くくねくねとしている。少し進んだだけで方向感覚が無くなってしまった。
フワッ
不意に風が吹くのを感じた。しかも、穴の先から。もうすぐに出口なのか? しかし、更に、進んでも出口は見当たらない。
それどころか、進めば進むほど風は強く、風の吹くタイミングに規則性があることにも気づいた。この時点ですでに嫌な予感がした。そのいやな予感は進むごとに、どんどん強くなっていった。
風が生暖かさを帯び始めたのだ。それと同じくらいに何かうなり声のような音が聞こえてきて、地面が小刻みに震えている気がする。
どんどん嫌な予感が強くなっていく。自分が思っていたものを遥かに上回っているものに関わっていくような。
でも、何故か足は止まらなかった。もうテンションがハイになっていたのだろう。どんどんと進んでいく。最後はもう早足に近かった。
「あれっ?」
思わず足を止めた。急に周りを囲っている岩肌が消え、あたりは闇が囲い始めたからだ。
数秒、戸惑った後、どうやら私は洞窟の中で広い空間に出たようだと気づいた。明かりをいろんな方向に向ける。だが、どこを向けてもあるのは闇だけだった。
「グゥゥ、グゥゥゥ」
何か腹の底に響いてくるほどの重低音がして、それに合わせて生暖かい風が吹くたびに、服と髪が軽くたなびく。
さっきからの風の発生源がもうすぐそこにあるというのは、感覚的に分かった。
今になったらわかる。これだけで相当やばい状況に頭を突っ込んでいると。しかし、あろうことか、この時の私は本当に何も考えていなかった。
ただ、見知らぬところに進み、目の前に見知らぬものがある。その事実に好奇心が強く刺激され、少し思考が麻痺していたのかもしれない。今から考えれば、不思議だ。でも、その時は本当にただ純粋な興味で一歩を踏み出し、光を向けた。目を爛々と輝かせながら。
遠くの方にぼんやりと光に照らされたのは、赤い壁か? よく見ると、その壁は赤黒い様々な形をするタイルのようなものが並べられていて出来上がっていた。その一つ一つのタイルは私の光によってヌラヌラとテカっている。その壁はゆっくりと上下に動いている。
私は光を強くし、より広い範囲を照らした。
その壁は目の前を覆いつくすほど大きかった。そのまま左の方にも照らしてみると、光に照らされ凹凸が見えた。まるで巨大な爬虫類の顔のような……。
「えっ?」
思わず声が漏れた。
その時になって、ようやく恐怖心が好奇心を上回った。まるで自分の物でもないように足に力が入らない、変わらないまるで痙攣しているかのように震えだす。
目を瞑っているにも拘らず、圧倒的な威圧感。それは、容易に私の死を連想させた。
ドラゴンだ。その言葉は無意識的に浮かんだ。
………………えっ? ドラゴン?
私が思い浮かべた言葉なのに、自分で驚いていた。それは当たり前だ。ドラゴンなんて、ダンジョンの最上階レベルでも数匹しか目撃されていない。厄災レベルのモンスターだ。 こんな、ダンジョンの初階にいるようなモンスターではない。しかし、目の前にいるモンスターの放つ威圧感がそんな常識も吹き飛ばす。
ドラゴンが体を軽く震わす、それだけでも地面はグラグラと揺れた。
頭が真っ白になった。体の芯から震えが込み上げてきた。私は気づくとその場にヘタリと座り込んでいて。
逃げれなかった………。体の芯から湧き上がってくる恐怖すら脳の処理は追いついてなかった。ただただ、圧倒されていた。永遠の時間に感じられるほどドラゴンを見つめていた私。
「やはり、さっきの方々は違いましたか」
そんな時、後方から声が聞こえた。
同時に至る所から火が付き、その洞窟の全貌が見えるほどに明るくなった。私は振り返る。
「シ、シ、シャーリンさん………」
笑顔で立つシャーリンさんがいた。
目の前に視線を戻すと、ドラゴンの全貌が分かる。数十メートルの大きさがある。翼は畳まれているが広げれば更に途方のない大きさになるだろう。その気になればこのあたり一帯など消し炭にしてしまっても何らおかしくないと思わされるほどに、その存在は別格だった。
「ちょっと待ってくださいね」
シャーリンさんはそう言って、後ろに引きずっていっているものをドラゴンの目の前まで持っていく。
それは、モンスターの死体だった。見たことのないモンスター。しかし、その見た目の仰々しさはこの低い階には決していないモンスターだと言うのが分かる。
さっきの純粋な恐怖とはまた違った足元からじりじりと焦がしてくるような嫌な予感を覚えた。
そんな時に、視界の端で洞窟の隅に倒れている人を数人見つける。
その手前にいる女性に見覚えがあった。さっき私にヒール魔法をかけてくれた冒険者だ。つまり、そこで倒れているのはさっきのパーティー。
嫌な予感が確信に変わる。同時に、自分がどれほど大事に関わってしまったということを。強い恐怖感と強い諦めが交互に襲ってきて、余計に動けなくなった。ただこの場では異質にも映る、笑顔を浮かべるシャーリンさんを見つめるしかなくて。
「大丈夫ですよ。彼らは生きてます。ですが、記憶は無くさせてもらいましたけどね」
私の視線に気づいたかシャーリンさんは愛おしそうにドラゴンの皮膚を撫でながら、言った。
「大丈夫ですよ。動けないです」
そうにっこりと私に笑みを向けるシャーリンさん。続けてこう言った。
「私のスキル拘束をかけているので」
もう何が何だか分からなかった。
「あ、あ、あれは……?」
もう私は訳の分からないまま声を出していた。
「妻ですよ」
シャーリンさんはそう言って笑った。
「私の話聞いてもらってもいいですか?
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「シャーリンさーん!」
そう言って、街の民が私を称える。私はそれに手を振って答える。 マスターランクになって、はや三年。私の名前は世に広がっていた。
「相変わらずシャーリンさんはファンサービスも凄いですね。僕なんて疲れ切ってとてもそんな気分じゃ……」
そう言うのは一緒にダンジョン攻略に連れて行っていた冒険者のライル。すっかり疲れ切った様子だ。
「いつか慣れてくるよ」
そう答えると、ライルは首を横にブンブンと振って、
「僕には無理ですよ。慣れる気がしませんよ。だってシャーリンさんはもう十数年、プライベートも投げうって冒険者を極めようとしてるんですよね? 僕にはそこまで出来ませんよ」
それを言われると少し胸に来るものがある。
「はははは」
何も答えるわけでもなく、いなすために笑った。
そのまま、ギルドへの報告を終わらせ帰り道、不意にライルが訪ねてきた。
「そう言えば、今はお付き合いとかしてないんですか?」
「……まぁ、そうだな」
「だって、いまシャーリンさんモテてますよね? どうしてですか?」
そう聞いた後、ライルはまさかという顔をして、
「まだ、上を目指してるとかじゃないですよね? どこまでストイックなんですか……」
もう、これ以上ないほどの羨望の目で見つめられて、
「ま、まぁ、そんなところかな」
例に違わず、私は期待を裏切れずに思わずそう頷いてしまった。その後、私の返答に心を打たれたライルとは別れ家に向かう。
その帰り道、またやってしまったと後悔する。小さいところから変えていこうとしたのに、結局、また周りの期待に応えるように演じてしまった。
二十歳の時、私は自分が嫌いだった。それは何か特段嫌いな所があったわけじゃない。ただ、マルチタスクが出来ない、地頭がよくない、うっかりが多い、話が上手くない。更に、そこまで突き抜けて光るものもなかった。平均よりできる所もあるけど、それよりも出来ない所が沢山あって、全体では平均より下くらい。
そのくせに心に抱いているものは大層なもので、大きな野心だけ持っていた。その野心と自分があまりに離れていたことで余計に自分を低く見積もっていたところもあるのかもしれない。まぁ、色々と積み重なって、嫌いというか、自分に対して漠然とした不満を持っていた。
そんな私に大きく変わる機会が与えられた。
それは二十歳の時に神から与えられる固有スキルだった。私の与えられたスキルは「拘束」だった。それも、他の人とは違って、圧倒的にスキルとしての質が良かった。持続性、拘束としての強さが頭一つ抜けていた。
モンスターは、一度ダメージを喰らえば、回復することはない。どんな強いモンスターですら、一度拘束してしまえば、理論上、勝てる。
そこからは世界が変わった。周りに急に期待されるようになった。別の自分になれると思った。冒険者になって、全てを捧げ、ダンジョン攻略に精を出してきた。なによりも、周りの期待に応え続けた。
初めは楽しかった。何よりも固有スキルのおかげでどんどん結果を上げることができる。達成感も相まって、しんどいが目に入らなかった。どんどん別人になっていける。周りから素晴らしくできた人だと言われる。そのうちにそんな生活に慣れてきていると思っていた。
しかし、年を取って、考えも変わっていく。求めるものが徐々に変わってきた。他の冒険者はもっと早く気づいたのだろう。妻をもらい、家族を養うため、冒険者をやめていった仲間たちの顔が浮かぶ。
全てを冒険者として過ごしていたことで気づくのが遅くなってしまった。その時には、周りにいる冒険者は自分より半分も若い冒険者ばかりで。
そんな時、マスターランクになった。余計に課された期待。そのまま頑張る方が楽だった。だからこそ、打ち込んで、結局、自分が何をしたいのか分からなくなった。自分も今は四十中盤、この年になってもまだ迷って、一体何をしているんだろう。
「ふぅ~~」
私は気づくと深いため息をはいていた。
そんな日々の中、私は妻、アーリーレントと出会った。彼女も稀有なスキル融合を覚えていた。モンスターと融合し、相手の意識を奪えるというもので、モンスターの巣穴、生体の研究に大いに役に立つ。アーリンは皆からの期待を一斉に受けていた。
「……よろしくお願いします!」
そう緊張した面持ちの彼女は年齢に比べてひどく幼い。それでも必死に強くあろうとする努力が節々から感じられて、昔の自分を見ている気分になった。
「これが彼女の精神状態を表す機械だ。アーリンの精神状況に合わせて波形で表される。ある程度を超えるとアラームを鳴らすようにしてある」
そう言ってポアン博士は四角い機械を渡してくる。ポアン博士は有名なスキル研究科だ。いち早くアーリンのスキルに目をつけ、研究をしていたらしい。
「それじゃあ行こうか」
ポアン博士がそう言って歩き出した。その後ろをついていくアーリン。不意に視線がアーリンの左手に向いた。
軽く震えていた。よく目を凝らさないほどの小さな震え。それとは打って変わってアーリンの浮かべる表情は真顔で。私は何か見続けては悪い気がして、すぐに目を離した。
怖いに決まってる。それはアーリンのスキルのデメリットだった。
融合したモンスターに意識を乗っ取り返される可能性がある。
その事件によりアーリンは精神的なダメージを受けた。今までは乗っ取ることが出来ていたモンスターも失敗してしまうようになった。本当はしたくないのだろう。でも、皆の期待を裏切ることも出来ないのだろう。
私はもうすでにこの時からアーリンに自分の境遇に近いものを感じ、特別な思いを抱いていた。
だからこそ今の自分の立場に苦しんでいた。それは自分が同行する意味だ。
『モンスターを拘束し、安全に実験するため』そして、『乗っ取られて戻ってこれないと判断した場合、殺傷する』という命令が課せられていた。
アーリンが融合したモンスターを傷つけた場合、アーリンにも傷がつく。だからこそモンスターを殺すと、間違いなくアーリンを殺すことになる。
それを望んだのは、他でもないアーリンだった。
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「よしいいよ」
そう言って私はスキルを使ってゴブリンを拘束した。
「…………行きます」
そうギリギリ聞き取れる声で言ってアーリンがゴブリンに向かって走っていく。アーリンはゴブリンに触れると同時に水のようにゴブリンに溶け込んでいった。
「どうだい?」
ゴブリンはすぐに手で丸を作って私に見せてくる。
どうやらうまく行っているようだ。私は胸をなでおろした。しかし、次の瞬間、ゴブリンの手は震えだし、
「……はぁはぁはぁ」
ゴブリンから黒い影が現れ、ぜぇぜぇと肩で息をするアーリンが現れる。
「…………すいません」
唇を噛み、悔しそうに顔をゆがませるアーリン。正直どれだけ融合のスキルが便利だと言え、ゴブリン程度、余裕で乗っ取れないと使い物にならない。
「気にしなくてもいいよ。ゆっくり慣れていこう」
ポアン博士はそう声をかける。
そう言うポアン博士の隣で私は真逆のことを考えていた。
無理に頑張る必要はないと、辛かったら逃げればいい。しかし、本人が決めたことだ。本人しか知らない様々な苦しみ、重みがあって、様々なことを鑑みて、今挑戦している。
そう考えると簡単に否定はできず、余計もどかしさを感じていた。
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しかし、数か月後、風向きが大きく変わる。ポアン博士が急死した。
いままで、ポアン博士が受け止めていた上からの圧力が一気に押し寄せてきた。そして、もう一つ悪い事実。低層まで今までは出なかったモンスターが出始めたのだ。生態を解き明かすのが火急の課題になった。余計にアーリンにかかる期待が大きくなったのだ。
そして、その一環としてサーペントウルフの調査を命じられた。そこで事件は起こった。
サーペントウルフをスキルで拘束する。
「用意はできたよ」
「…………行きます」
「アーリン、無理だと思ったらすぐに出てくるんだぞ」
そう声をかけた。
「は、はい……」
そのままアーリンの姿は消え、サーペントウルフに溶け込んでいった。
同時にサーペントウルフは悶え始める。その場にバタンを倒れ、四足を宙に動かす。まるで虫の死に目にある最後のあがきのような動きだった。
いつもと違う様子。いやな気が強くなる。何もできないのがもどかしい。待つしかできない。しかし、あがきは強くなるばかりで、その様子に恐怖が倍増する。
ブイブイブイブイ
そんな中、急に聞いたことのない音が鳴りだした。まるで、アラーム音みたいな。
まさかっ
まさか、嘘だろ。
ブイブイブイブイ
そのアラーム音は、私のカバンのあたりからしているものだった。カバンから漏れ出たアーリンの精神状況を表す機械。そこにはもう振り切れるほど波が表されており、アラーム音が鳴っていた。
「アーリン!!」
溜まらずそう声をかける。サーペントウルフは暴れ続けて、もうめちゃくちゃに、悶えるように吠える。
「アーリン!!」
居てもたってもいられずに、サーペントウルフに近づく。その時に、サーペントウルフの爪がざっくりと私の膝あたりを引き裂く。
「いっつ」
でも、そんなことを気にしてる暇はない。
「アーリン!! アーリン!!」
もうすぐ近くでそう叫んでいた。
「バウバウバウ」
そんな時、サーペントウルフが吠えた。それは今までと違って明確に威嚇のために吠えたものだった。
見ると、もう顔と前足は私を目掛けて攻撃を仕掛けようとしていて、後ろ足だけがかろうじてバタバタと抗うように暴れている。しかし、少しして、その後ろ脚も私を狙うように地面を蹴り上げようとし始めた。
その体にもアーリンが意識を乗っ取ろうとする兆候は見当たらなくなっていた。なんなら、まるでアーリンが乗っ取られたような……。
さぁぁと血が下がったような気がした。
「おいっ、アーリン! アーリン!」
脳裏によぎる。何かあった時は、私がアーリンを殺さないといけない。
ブイブイブイ アラームはけたたましく鳴り続けた。
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「それで……アーリンさんはどうなったんですか……?」
私は心配した面持ちで尋ねた。
シャーリンさんは落ち着いた顔で、
「アーリンは大丈夫でした。呼びかけに応じてくれたか、本人の決死の反抗が功を奏したか、それから一分後くらいに、サーペントウルフから離れることが出来たんです…………。しかし、その時の彼女は衰弱しきっていました」
そう言って、シャーリンさんは物思いにふけった顔でドラゴンを見上げる。もう、それの意味することは分かっていて、私の中に複雑な感情が広がった。
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アーリン大丈夫か? 私はその言葉を飲み込んだ。
もう全身、痙攣してるかのごとく震える体。もう息の吸い方が異常で喘ぐように吸う息。ゼェゼェ、ヒュゥゥ、ヒュウィイ。喉からありえない音が鳴っている。涎がだらだらと口端から流れて落ちる。顔は人間が浮かべるものじゃなかった。人間味を感じないほど青ざめ、焦点が定まってない目をあちらこちらに向ける。手は皮がめくれるのなんて関係なく、地面に爪を立てて引き摺る。体中にあり得ないほど太い血管が浮かび上がってきた。
「あ、あ、アー………リン」
余りの凄みに言葉が喉の奥まで引っ込んで、名前を呼ぶことしかできなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すやすやと眠るアーリン。ようやく落ち着いた。
「ふぅっ」
私は大きく息をついた。一時はもう駄目かと思わされたが、何とか私の回復魔法とアーリンには悪いが拘束魔法を使って、無理やり落ち着かして何とかうまくいった。
私は頭を抱えた。初めて融合に失敗し、モンスターに乗っ取られかける光景を見た。
あれだけ辛かったんだ……。初めて見て、もう衝撃だった。あそこまで苦しむものだとは思ってなかった。思いつくわけもなかった。
どれだけ怖かったんだろう。他人である私ですら恐怖を覚えた。今も体の中に冷たいものを感じる。自分の二倍近く細いアーリンの腕を見ながら思った。
私がアーリンに自分の過去を重ねていたのが申し訳なくて、恥ずかしかった。自分の二十歳を思い浮かべると耐えれるわけがない。
アーリンを心の底から尊敬した。
同時に、十何年も蓋をしていた感情が留め止めなく溢れ出た。恋だ。アーリンを守りたい。アーリンには幸せになって欲しい。アーリンの側にいたい。
たとえ誰に反対されてもいい。アーリンを遠ざけたい。これ以上傷ついてほしくない。
「う、うぅぅん」
目を覚ますアーリン。
「ここは……?」
「もう大丈夫だ。ケガもない。すぐに動けるはずだ」
すると、アーリンの体はカタカタと震え始めて、
「はぁはぁはぁ、また……失敗……」
その細い腕で体を抱きしめ、うつむきながら必死で恐怖を耐えている。
その姿を見て、衝動にかられた。
「アーリン結婚しよう」
考えるよりも先に言葉が出ていた。そして、数秒かけてその言葉の意味を理解して、一気に恥ずかしさが一気にこみあげてきた。人生で告白すら数えるほどしかしていない。なのに突然のプロポーズだ。
アーリンはかがみながら震えているのはそのままだった。しかし、涙で塗れた瞳で、下から覗き込むようにこちらを見ていた。
「……えっ?」
恐怖と困惑がごっちゃになった瞳。私は恥ずかしさで頭が真っ白になって、早口になって話し出す。
「ほらっ、もう辛いんだろ。無理しなくてもいい。周りからの期待が怖いなら、私と結婚すれば……子作りをすると宣言すればダンジョンにもいけない。私の子はみんなが望んでいるはずだ。これで、世間からとやかく言われることはない。私を隠れ蓑に使ってくれ」
恥ずかしさのあまり自分の気持ちではなく、メリットばかり話してしまった。こんなのプロポーズに適してない。アーリンも困惑してしまう。
しかし、私の考えとは裏腹に、アーリンの行動は私が予測していないものだった。
「お願いします」
アーリンは土下座した。震える体で、震えを帯びた声で私に懇願した。
「もう、無理です。私にはもう出来ないんです。お願いします」
そう言って、アーリンは堰が切れたように嗚咽を上げ、誰にもはばかることなく大声で泣いた。
私は何を考えていたのだろう。
私はアーリンの気持ちのほとんどを理解してなかった。ここまで追い込まれて、なのに私は久しぶりに味わった恋という甘い感情に呆けて……。
私は唇をギリッと噛んだ。
「あぁ」
覚悟が決まった。何があってもこの子を幸せにする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
シャーリンさんは愛でるようにドラゴンを眺めながら、少しはにかんだ。
「すぐに私たちは結婚することになりました。年の差もあり、私が冒険しか知らない非常識人だったこともあり、いろいろと大変な部分はありましたが、幸せな日々でした。ずっと自分の楽しみじゃなく、他人の楽しみのために生きてきた私にとっては余りにも温くて、居心地がよくて、それまでの自分の人生が悪いとは言いませんが、味っけないものだと思わされるようなほど幸せだった。もう捨てられないほどに自分の中で大きくなっていきました」
そう言ったシャーリンさんの声はワントーン低かった。
「そして、三年経ったある日でした」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その日は久しぶりアーリンのスキルを使用することになってしまった。
それは、一層に現れたゴブリンのせいだ。どうやら一層のどこかに住処を作っているらしいのだ。確認されるゴブリンも増えてきて、それに比例して被害を受けた新米冒険者も増えた。
ゴブリンは警戒心が強く、人間が近くにいると決して住処に入っていかない。ゴブリンの住処は見つけづらく、駆除が難しい。更に、一層ということもあって、名のある冒険者を長期間配置するのは勿体ない。
だからこそ、アーリンのスキルがうってつけだったのだ。
私はあまり頷けない話だったが。アーリンからもあれから時間もたったし、ゴブリン程度ならいけるはずと強く言い切られたから、了承してしまったのだ。
早速、私はゴブリンを拘束する。すぐにアーリンはゴブリンと融合し、なんなくゴブリンの意識を奪った。時間も経ったことで余裕が生まれたのか、大丈夫そうだ。ゴブリンはにやりと笑って、私に向かってグーサインを向けた。
私はホッと安堵する。アーリンの精神状況を表す、機械を見る。機械に表示されたアーリンの精神の安定の度合いを表す波は、安定しているものの、所々細かく震えている。落ち着いてはないということだ。怖い自分を押し殺しながら頑張っているのだろう。
「頑張ってな」
私はそう声をかけることしか出来なかった。
アーリンが乗っ取ったゴブリンはコクンと頷くと、早速、他のゴブリンを探しに行く。ここから先、私は離れて行動する。手筈では住処を見つけると、狼煙で知らせてくれる予定だ。
私はすぐに高場に移動を始めるが、気が気ではなかった。私が近くにいないときに、万が一のことがあればどうしようと。
私はもう祈り続けた。
私の祈りが届いたのか、しばらくすると、山の近くで狼煙が上がっているのが見えた。
それを見た瞬間、私は一目散に飛んだ。少しでも早くアーリンのスキルを使う時間を短くしたかった。
ものの、数十秒で辿り着く。そこは大きな崖だった。その崖には岩肌が見えないほど蔦で覆われていた。
私は納得する。余計見つかりにくいところだ。ここは、アーリンのスキルがなければ見つからなかったはずだ。
その崖の地面から数メートルの所にゴブリンがいて、そのゴブリンは蔦を掻き分けて、指でその奥を指していた。その奥には大きな穴が開いている。
私は一直線で穴に向かって飛び込んだ。
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「ゴブリン自体は弱いので、掃討するのは一瞬でした。しかし、その時にアーリンがその奥まで道が続いていることに気づいたんです」
シャーリンさんがぽつりと言った。
「もしかするとゴブリンが奥の方まで逃げているかもしれないという話になりました。そして、私たちはこの場所に出てきました」
シャーリンさんはあたりを見渡しながら言う。
「ところで、あなたは限りなく知性を持ったモンスター、例えば人の言葉を話すほど知性を持ったモンスターのことを知ってますか?」
突然シャーリンさんは問いを投げかけてきて。
「いえ……。噂程度に聞いたことがある程度です」
「実際に存在していますよ。しかし、ほとんどまだ確認されていませんけどね。でも、知っておいて下さい。どういう法則かはまだ解明されていませんが、知性と強さは比例しているんです。ゴブリンですら、言葉が話せるほど知性がある個体は強さが跳ね上がって、私ですら気合を入れて臨まないといけないほど強いんです」
難しい顔をするシャーリンさん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私とアーリンは洞窟を抜け、何やら広い空間に出た。炎の明かりでは周りを照らせなかった。
「へぇ、こんなところがあるんだね」
そう言いながら、アーリンは様々な方向に火を向ける。しかし、あるのは暗闇だけだった。
「……っ」
その時、どう表現していいのか分からない。もう本能的だった。急に、心臓を貫くような寒気が走ったのだ。それまで考えていたことが全て吹き飛び、『逃げろ』というアラートのようなものが頭の中を満たした。その理由を考えるより前に私の体はアーリンを抱きかかえ、横に飛んでいた。
ドガンッ
同時にさっきまでの場所から耳をつんざく音が聞こえて、同時に私の体目掛けいくつも岩がいくつも飛んできた。私はそれをギリギリで破壊するも、破片が皮膚を裂く。と同時に、私は炎魔法を発動し、あたりを一気に照らした。
私は目を疑った。
赤い皮膚に巨大な爬虫類を思わせるその体と顔。
そこにいたのはドラゴンだった。
「…………はっ」
信じられなかった。ここは一層だ。そこに、まだ私たちが到達している最上階でもほとんど生息していない。そして、そんなドラゴンがいるのに、ギリギリまでその気配すら気づかなかったことに。
しかし、その片方の疑問はすぐに解消された。
「ナ……ナニ……キタ?」
重くて重厚で地割れみたいな腹の底まで響く音。その声で、完璧には程遠いが、人間の言葉を話そうとしていることははっきりと分かった。
それほどの知性があるから、気配を消して、私たちに不意打ちが出来たことを。それは私たちに力が劣るからではない。その方法をとったのは楽だったからだと。別に私たちを殺すことは容易いことだろう。今の一撃でそれがはっきりと分かった。
勝てるわけがない。私に訪れたのは絶望を遥かに超えたもの、諦観だった。逃れられない死。私は私自身が死ぬということを既成事実として捉えていた。
気づくと私の足は止まっていた。目の前ではドラゴンの口からは火花が散っていて、今にも攻撃が繰り出されようとしているのにだ。
「シャーリン!」
しかし、その叫び声で我に返る。そうだ。私の腕の中にはアーリンがいる。
走馬灯のように今までのアーリンとの記憶が蘇った。幸せな記憶の数々。それが、諦めで埋め尽くされた私の中に、アーリンだけは失いたくないという激情を芽生えさせた。
私はいち早くアーリンを横に投げた。かわし切れない可能性を考えたから。そして、自分も横によける。もうそれは、ドラゴンの口から眩しくて目を閉じてしまうほどの炎の塊が発射されたのと同じくらいだった。
本当にギリギリだった。炎の塊の直撃は避け切れた。でも、その塊の持つ熱と、炎の塊が地面に着弾したことによる爆発によって、体の至る所が焼け、口から熱波が体内に侵入し、気管が焼けただれたようで、咳と同時に小さな血塊が口から出ていき、口の中に鉄分の生臭い味が充満する。
この時点でもう普通なら勝負は決している。
でも、このまま死ねない。私が死ねば、間違いなくアーリンは逃げきれない。アーリンも死んでしまう。
スゥっと周りの音が消えた。体中至る所からの悲鳴というノイズがありながらも、私の脳は異様なほど落ち着いて、目の前のドラゴンに意識のすべてを向けていた。
この刃を当てよう。拘束スキルを纏わせた刃を抜き、私は考えた。
私の拘束スキルを発動するには二種類方法がある。拘束スキルを魔法のように飛ばして拘束する方法。武器にスキルを纏わせて、相手に傷をつけることで拘束する方法。この方法で大きく変わるのは、拘束力だ。武器にまとわせると段違いに拘束力が変わる。今までに拘束を解かれた相手はいない。
武器で傷をつければ可能性がある。
しかし、それでさえ厳しい。圧倒的な実力差だ。その時点で自分の中で無傷とか軽傷とかの選択肢は消していた。死ぬ、もしくは運が良くて重症。それくらいの覚悟で成功率は限りなく低いと言った所だろう。
ここまで考えるのに、数秒もかかってしまった。この差では残り数秒でも時間を稼ぐのは厳しいか。何か他の案を考える時間はない。
私はドラゴンの方に向かって飛んだ。
「アーリン。動きを止める。その間に街に行ってありったけの冒険者を呼んでくれ!」
そう叫んだ。私の声が届いているか確認する暇はなかった。
ドラゴンは右手を私めがけて振りかぶる。
よしっ、最初の賭けに勝った。ここで、飛び攻撃で来ると、間違いなく何も出来なくて死んでいた。
剣の柄を強く握る。あとは、ドラゴンの右手によって私の意識が刈り取られる前に拘束スキルを発動できるかだ。
そのまま私は剣を差し出した。そして全神経を剣に込めた。
迫ってくるドラゴンの右手、その一枚一枚、赤黒いタイルが張り巡らされたような皮膚がはっきりと見えた。タイル部分はこの剣では貫けない。うまくその隙間に剣を刺さないといけない。
この時の私はゾーンに入っていたと思う。ドラゴンの右手の皺まではっきりと見えていて、すべての動きがスローモーションに見えた。
しかし、それは私の体も同じで、頭でイメージした動きに体がついてこない。
やばい……間に合わない。私はすでに察してしまった。
ゆっくりと近づいてくるドラゴンの右手。どうしよう。目まぐるしく回る脳。でも、何も思いつかない。そのまま剣を差し出し続けるしかなかった。
しかし、さらに私はゾーンにのめり込んだのか、さらにドラゴンの右手の動きは遅くなった。
これならいける。
グシュゥ
剣はタイルの間の部分にうまい具合に傷をつける。
ギュルルギュルルル
剣から幾つもの小さな青白い鎖が表れ、ドラゴンの体を這うように巻き付いていく。
そのままドラゴンの右手にゆっくりと直撃した私の体。
当たったな。そう認識した途端、時間は通常再生された。勢いよく吹っ飛ばされる私。背中に響く鈍痛と鈍い音。でも、なぜか意識もあって、全身を突き抜けるほどの痛みはなく、何なら軽く骨は折れているようだが、動けるほどに軽傷だった。
「ア…………」
何か言う前にドラゴンの口にも鎖が巻かれて、全身鎖で雁字搦めになって、身動き一つとれなくなった。
「アーリン。いまだ! 行ってくれ!」
私は叫んだ。スキルのフル発動に加えてドラゴンの攻撃をもろに食らい。もう疲労困憊だった。少なくともしばらく動けそうになかった。
しかし、返事はないことに違和感を覚える。
もう既に行ってくれたのか? シンと静かな洞窟。
ブイブイブイブイ
そんな洞窟内に音が鳴っていた。それはドラゴンの声を聴いた時よりも、私の耳をつんざいた。
まさかっ
私は跳ね起きた。
ブイブイブイブイ
そのアラーム音は、私の吹き飛ばされたカバンのあたりからしているものだった 。
やめてくれ。やめてくれ。体の内臓という内臓がきゅうきゅうと締め付けられたようにしんどい。体は冷え切っているくせに汗はだらだらと流れて、震えが止まらなかった。
カバンから漏れ出たアーリンの精神状況を表す機械。そこにはもう振り切れるほど波が立っており、アラーム音が鳴っていた。
それが意味することは一つ。
「あぁぎゃぁぁがぁぁぁぁ」
私は喉がちぎれるほど叫んだ。
あの中にアーリンがいる。それは紛れもない事実だった。
「モンスターに乗っ取られる恐怖は相当なもんらしいぜ」「早く殺すためだよ。苦しさから解放するためだ」
サーペントウルフから出てきた時のアーリンが蘇った。ドラゴンなんてサーペントウルフの時とは比べ物にならないほど強い。一体どれほどの苦しみが……。
早く楽にしてほしい。アーリンが願ったことだ。
私は剣を震える手で握った。でも、それをすぐに捨てた。出来るわけがない。殺せない。私は頭をぶんぶん振りまわして。
ブイブイブイブイ
やめろ、やめろ、やめろ。ブイブイブイブイブイ。やめろ。やめてくれ。ブイブイブイブイ
「アーリン、アーリン」
もうずっとドラゴンの耳元で名前を叫び続けた。サーペントウルフ同様に帰ってくるかもしれない。帰ってくるはずだ。帰ってきてくれ。
ブイブイ……ブイ……………ブイ…………………………
そんな時、機械からなるアラーム音が小さくなっていくことに気づいた。
「えっ」
どんどん、アーリンの精神状況を表す波が収まり始めて、なんなら通常時より波の揺れが小さくなっていって、一瞬の間、揺れもないただ一本の線になった。またすぐに、少しだけ揺れ始めて、でも、それもまた小さくなっていって。
完全にドラゴンに意識を乗っ取られかけている。
ガシャンッ
私は気づくと、機械を地面にたたきつけていた。粉々になる機械。
信じられなかった。信じたくなかった。知りたくなかった。あの日々が無くなること。アーリンがいなくなってしまうこと。あり得ない。そんなことはあり得ない。いやだ。駄目だ。
「はぁはぁはぁ、んっ、はぁはぁ」
膝が自分の物でもないくらいに震えて、目の前がぼやけて見えない。どこにもぶつけようのない、でも受けきれるはずもない激情。痒くもないのに、肌をかきむしった。
「はぁはぁはぁはぁはぁ」
呼吸がどんどん早くなっていく。どんどん今の状況が鮮明に理解し始めてきて。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
私は叫んだ。地面に何度も頭をたたきつける。頭を滅茶苦茶に振る。
アーリンは戻ってくる。戻ってくる。
「アーリン! アーリン! 戻ってきてくれ! アーリン!」
喉が張り裂けそうなほど叫んだ。頻繁に咳が出て、血が飛んでいく。
やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。
そんな時だった。ドラゴンの黒目の部分はじろりと私の方に向けられる。そして、ドラゴンは口を開き、何かを言おうとした。
現実を押し付けられる気がした。
気づくと、私は剣を取り出し、拘束スキルを纏わせたまま、ドラゴンを切る。その瞬間、鎖がドラゴンの口を再度、拘束した。
聞きたくない。聞けない。無意識的にその行動をとっていた。
その時に、ドラゴンの浮かべた目はどんなものだったのだろうか。私には見れなかった。ただ、少し経って振り向くと、ドラゴンは目を閉じ寝ていた。
目から涙がとめどなく流れ落ちた。私は叫び声をあげ、むせび泣いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「私は聞けなかった。聞く覚悟が出来てなかったです。現実と向き合う覚悟が。それは年月が出来ても出来るものじゃないですね」
そのシャーリンさんの一言はぽつりと呟いたものだったのに、胸の奥にずしっとのしかかる。
シャーリンさんが錆びた剣を買う理由が分かった。分かってしまった。
この世界のモンスターは受けたダメージを回復することはない。
だから、シャーリンさんは一ダメージしか与えない錆びた剣を使い、少しでもドラゴン、いやアーリンさんを長く生かそうとしていたのだ。
「もう私はアーリンなしで生きていくビジョンが見えなくないんです。私は……今も毎日、朝起きていたら隣にアーリンが寝ている夢を見るんです」
シャーリンさんの体は小刻みに震えていた。
私はなんと声をかけていいか分からなかった。シャーリンさんがどれだけ苦しんだのか。分かるわけもない。ただ、涙が止まらなくなった。
毎日、一度、妻を死期に近づけないといけない。いつかこのドラゴンはHPが尽きれば死ぬ。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。よく見ればドラゴンの体はボロボロだった。もう先は長くはないだろう。
だが、拘束魔法を解けばドラゴンは暴れだし、間違いなく討伐隊が組まれるどころか、大きな被害が起こってしまう可能性がある。
ここ、十数年、毎日妻の死期へと一ダメージずつ近づけていく日々。創造を絶するほどの苦しみを味わったはずだ。
アーリンさんを殺せない自分を責めたこともあるのだろう。他にも今、シャーリンさんの中でどんな感情が渦巻いているのだろう。
シャーリンさんはそれでも錆びた剣を振るい続けた。
そう考えると、何も言えなくなった。
「あなたは何も言わないんですね」
シャーリンさんはぽつりと言った。
「どういえばいいか分からなくて……」
私には到底測りかねる話だった。そう答えたのと同時に私の体の周りに鎖が表れて、私の体を縛る。シャーリンさんが私にスキルを使ったのだ。
「ありがとうございます。少しだけ気が楽になりました。やはり、冒険者だと私に憧れがあるのでしょうね。こう言われるんですよ。いつものように気高い私であってくれと。こんなドラゴンを生かすような国家に反逆行為を辞めてくれって。気持ちは分かるが。現実に目を向けてくれと。彼らのようにね」
そう言って、シャーリンさんは倒れている冒険者たちを見る。
「本当の私は妻の期待すら添えない出来ない男だというのに……」
その時、浮かべた表情はまるで自分を卑下するかのような表情で。哀愁が濃く漂っていて。普段、ドラゴンを目の前に一人、このような表情を浮かべているのだろうとイメージ出来て。
それを考えると、もう堪らなくなった。しかし、どう声をかけてもいいかも、鎖で縛られているせいで口を開くことも出来ない。
「すいません。もう私も歳でね。一人で抱えるほどの気力がなくなってしまったんですよ。時折、誰かに話したくなってしまう。……すいませんね。私につき合わせたのに、記憶を消させていただきますよ」
そうして、シャーリンさんは手を私の頭めがけて掲げる。忘却魔法を唱える。
こうやって、またシャーリンさんは一人で苦しみ続けるのか。毎日、一人で自分を責めて、一人で苦しみ続ける日々なのだろう。胸には罪悪感と、そんな現実を認めたくない自分とで押しつぶされそうになるのだろう。
シャーリンさんの手が青白く光りだした。そんな時だった。
「…………ァァ………クゥ」
小さな音だった。でも、その声は人のものとは違う重低音。見ると、ドラゴンの口が今にも開きそうになっていた。鎖がギシギシと止めるが、少しずつ緩まっていっていて。
シャーリンさんの顔が強張るのが分かった。その目には明らかに恐怖の色が濃く表れていた。
シャーリンさんはすぐに錆びた剣を掲げ、ドラゴンに振り下ろす。粉々に砕ける剣。同時にいくつもの青白い鎖が表れ、ドラゴンに巻き付きかけた。しかし、すぐに鎖が霧散していく。シャーリンさんは何とか、口の周りだけさらに鎖を巻き付け、口を開かせることを止めた。
「はぁはぁはぁはぁ」
シャーリンさんは肩で息をしていた。その額には汗がにじみ出ている。
そういえば、もうあの冒険者たちにもスキルを使用して更に忘却魔法を使ったのだろう。人の記憶をなくさせるほど繊細な魔法だ。相当な体力を消耗しているはずだ。
疲労困憊と言った表情で、ふらふらと歩くシャーリンさんは小さく見えた。
息を荒く吐きながら、シャーリンさんは再度、私の頭に向かって手を掲げる。
私は唇を強く噛んだ。
もう記憶を失うことはどうでもいい。それより、私は自分に腹が立った。何もかける声が思いつかない自分に。
しかし、次の瞬間、状況が大きく変わった。
一瞬にして、目の前からシャーリンさんはいなくなったのだ。
ドガンッ、
代わりに左の方から鈍い音が聞こえた。見ると、シャーリンさんが壁にめり込んでいた。同時にお腹にかかるG。体に感じる風。目の前にいたドラゴンがものすごい勢いで離れていき、すぐに、周りは岩肌だらけになった。
どういう状況か分からなかった。
「大丈夫ですか?」
そんな私の耳元で声がした。その声には聞き覚えがある。何とか動かない体で後ろを振り向くと、さっきの倒れていた冒険者たちだった。いつの間にか目を覚ましていたのか。
「どうするの? テイル」
そのテイルと呼ばれたパーティーのリーダーだろう。
「今すぐに町へ行って討伐隊を組むように申請しよう」
テイルは頭を押さえて、
「くそっ、一体何がどうなってるんだ? どうして僕たちはあんなところに……。それに、あの男は誰だ。あなたに何かしようとしてたんで、吹き飛ばしましたけど」
そう言って私を見るテイル。
「んーんーーーんーんーー」
私は必至で抵抗した。私のしょうもない好奇心でシャーリンさんは苦しんで。やめてくれ。
そんな時、鎖がパチンと弾けた。
シャーリンさんの力が弱まっているんだ。ということは……。
もう、じっとしてられなかった。シャーリンさんの過去を知るのは、この世界に私しかいない。こんな状況でただ静観なんて出来ない。
「ちょっと! 何してるんですか⁉」
私は急に暴れた。面食ったのかテイルの力が弱まったすきに私は腕を引き離し、シャーリンさんのもとに走り出した。
「なにやってるんですか⁉ お前たちは頼んだ。僕はあの人を追いかける」
そんな言葉が後ろから聞こえた。捕まってはだめだ。もう、怪我を覚悟で洞窟内を全力で駆ける。
「待ってください!」
そんな声が後ろから聞こえるが、お構いなしに走り続ける。奥の方に光が見える。どんどんそれは大きくなって。
「シャー……」
私は広い空間に出ると同時に叫んだ。しかし、その声はそれより大きな声によってかき消される。
「ヨク………モ…………ナガイ………トメテ……クレタ…ナ。ユル……サンゾ……ォ!」
地響きと勘違いするほど、大きな音。体の芯まで重い振動が届いて、思わず耳を塞いだ。ドラゴンが怒っている。そこに、アーリンさんの意識は感じれなかった。
その時、私の目映ったシャーリンさんの浮かべていた表情は諦めだった。もう現実から目を背けられないという。そこからゆっくりと絶望が顔を染めていった。
「シャーリンさん……」
私が気軽に後をつけたから……。
私になんかかけれる言葉があるのか……。ただ、その場に佇むことしか出来なかった。
「ヴォ……ォァァァ……」
ドラゴンの咆哮が洞窟内に響き渡る。もう、空気からびりびりと振動を感じるほどの声で。
その中で、ゆっくりとシャーリンさんの顔つきは変わっていった。真っすぐにドラゴンを睨んで、その顔は絶望から諦観に戻っていった。この場には異様なほど、何も感情がなくて落ち着いていた。腰に携えていた剣を抜く。
そして、真っすぐにドラゴンに飛んで行った。
勝負は一瞬で。そして、余りにも拍子抜けであっさりとしたものだった。
もうドラゴンのHPはもうなかったのだろう。シャーリンさんが差し出した剣がその肌を触れるとともに絶命し、光の粒子となって霧散した。
シャーリンさんはそのまま崩れ落ちるようにその場に膝をついた。そして、上を向いた。声は出さなかった。肩をかすかにふるわして……。
「シャーリンさん……」
私には隣に立ち、名前を出すのが精いっぱいだった。
「シャーリンさんでしたか!」
打って変わって興奮気味のテイル。
「人の言葉を話せるドラゴンを倒したとなると、もう凄すぎますよ! もう、国から賞賛レベルです!」
そう盛り上がるテイル。黙ってシャーリンさんは天を見上げたままで。
「もうそれ以上は……」
私はそうテイルを止めようとした。しかし、興奮したテイルの耳には入らなかった。
「ようやく繋がりました。シャーリンさんが戦っている最中だったんですね。だから、あれだけ弱ってたんだ」
いいように捉えるテイル。まだまだ熱は冷めないようで、
「それにしても最後の所凄かったです。ドラゴンの最後の攻撃、途中で動きが鈍くなったように感じたんですけど、拘束魔法を使ったんですか?」
そう早口で興奮気味に言うテイル。
「……私は何もしてないですよ」
そう答えるシャーリンさん声は掠れて震えて弱弱しくて。
「私は何もしてやれなかったんですよ」
シャーリンさんはその言葉を聞いた途端、私は目頭が熱くなって、涙があふれて留まらなかった。
「……まん………まん……………す……まん」
シャーリンさんは地面に四つん這いになって。
「…………すまん……す……すまん、すまん、すまん、すまん、すまん、すまん、すまん」
何もない空間に謝り続ける。もう人目を気にせずにむせび泣きながら。
私は罪悪感を噛みしめ、それを眺めることしか出来なかった。
ーーーーーーーー ♦お願い♦ーーーーーーーー
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それでも錆びた剣を振るい続けた プラ @Novelpura
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