海のまにまに

相生 碧

空っぽの私、飛び込む君



くらく、冷たくて静かな水面。

海の中から夜空を見上げれば、青白く輝くお月様が見える。

海の中は安心する。何も考えなくていいから。この中にいれば、私の空っぽの心が満たされていく気がするから。


ーーー人魚に魂はない。

彼女達は、人間とは違う時を生きるから。

人魚を祖先に持つ両親から生まれた私は先祖返りというやつで、海水を浴びると人魚の姿に変わる奇妙な体質で生まれた。

だからなのか、私の心も偽物なんだと思う。人を見よう見まねで真似しているだけ。

いつも何処か、嘘っぽいと思って生きてきた。


海は好き。余計な事を考えなくて済むし、この蒼の中なら…いつもよりも心が動くような感覚がするから。

…ずっと、この中に居られたらいいのに。



………………。



この土地には、古くから人魚の伝説がある。

町の灯台には、不老不死の女がいる。いや、人魚の末裔の女だ。何処かから流れ着いた人魚そのものが人間に化けている…等々、そんな噂がまことしやかに囁かれている。

そんな灯台の灯りが照らす深夜の海岸に、海を睨む様に見つめる少年が一人。

少し儚げで、今にも消えてしまいそうなほど、弱々しい。

その少年を、少し心配そうに海の波間から見つめる黒々しい光が2つ。


(何をするつもりなのかな)

それは海の中にいた。人間の少女の姿の上半身に、魚の形をした下半身の…人魚の姿。

人魚体質の異能力を持つ私…新菜は少年の格好を見て気付いた。

少年は新菜の通う高校の制服姿だった。しかも学年カラーの青いラインの入った体操着がシャツの下から覗いていた。

新菜と同級生っぽかった。

(だれ…?)

しかし、あまり周りの人に無頓着な彼女は、この少年の事を覚えていなかった。

彼は一体、ここへ何をしに来たのだろうか、と新菜は考える。


「……ここなら、泳げるかな…」


(こんな真夜中に海水浴…?)

という雰囲気じゃないのは、新菜にも分かる。けれど、少年の何処か辛そうな顔が、水面に向けられていた。

海の中だからか、新菜の心が少しだけ動く。

ふわ、と少年の体が海の方へと傾く。

海の中の少女は、声にならない叫びを上げようとして、それは全て泡に変わった。

ばしゃん、と少年の体が海の中へと落ちた。


(……え、うそ。どうして…)

彼はもがく事もせずに、空気の泡を吐きながら海の中へと沈んでいく。

体が硬直しているかのように。

人が海の中に入ったら、本能的にもがく筈…それなのにおかしい。

違う、これはまさか『人魚病』…?


少年が、ゆっくりと瞼を閉じる。

この姿を見られるのはまずいけど……そんなことを言っている場合じゃなかった。

人魚の少女は尾ひれで水を蹴ると、速やかに少年の元へと向かって、沈みゆく彼を受け止めた。

体温は温かい、まだ大丈夫だと思われた。少年を抱えて、海面を目指して進む。

そこからは早かった。海面まで浮上すると、近場の砂浜へ少年を引っ張っていった。

海水に浸かっていて少し冷えた手で、少年の頬を触ってみる。体温は…大丈夫、顔色は…少し青い。

続けて顔を近づけると、取りあえず息はしているっぽい。

思わず、ほっと息をつく。


「……はあ、何とか、無事…?」


よかった。

流石にこの海の中で亡くなられたら、悲しくなってしまうし。

濃い茶色の髪の毛に目がいく。それから目を閉じている少年の顔をよく見る。

……やっぱり、見覚えがないと思った。

整った顔をしていたので、見たことがあれば印象に残る筈だ。

(…じゃない。早く離れなくちゃ)

この姿を見られたらまずい。現代の人間からしたら、人魚はお伽噺の住人なんだから。

そこまで考えてから、新菜は海の中へ戻ろうとして…


「……待って!」

「!?」


人魚の少女はぎょっとした。

強い力で手首を掴まれて、ぴたりと動きが止められてしまう。


「探してたんだ、人魚に会えれば…俺のこれも治るかもって……言われて」

「あの、その。私は通りすがりの人魚で…!」

「頼む、もう一度泳げるようになりたいんだ」


その意味が解らなくて、新菜は少年の腕を振り払った。


「…ごめんなさい!」


とぷん、と海の中へと逃げ込んだ。

少年は、ぽかんとしたまま海を見つめる。


「……本当にいた…」


信じられない、といった感じだろうか。

そんな少年の近くに何かが落ちていた。気づいて、それを拾うと…。



………………。



(どうしようどうしよう、人にこの姿を見られてしまった)


海の中に潜った人魚の少女は、頭を抱えていた。

この姿は秘密。きっとバレたら、おばあちゃんに怒られてしまう…。

でも……なんだか少年をほっとけなかったのも本当だった。

困っているみたいだった。もしかしら、本当に『人魚病』の患者なのかもしれないと思うと少し心が痛む。

私に危害を加えるような雰囲気はなかったし……

(名前、聞いておけばよかった)

慌てて逃げずに、少し話をしてみたかった気がする。それは純粋な興味からだったが、少し気になっていた。

どうして、海の中に飛び込んだのかな。

思わず助けてしまったけど、これでよかったのだろうか。

(………。)

少年の事を考えていると…何だか落ち着かない。


(……あれ?)

海の中に居るのに、満たされていない?


こぽこぽ、と空気の泡が溢れる。

泡は揺らぎながら、水面の方へと上がっていく。




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