桜。
志野理迷吾
桜舞う
その日は、季節外れの雪が降っていた。
橋塚と佐々木さんは、朝から研究室にこもり作業中である。佐々木さんは、次年度からM2になることもあり、春休み中であるにも関わらず、ほぼ毎日大学に来ている。そして、次年度からM1となる橋塚も、佐々木さんに「こい」と言われれば、はいかyesか喜んでしか言えないのである。
「そろそろ休憩しよう。」
「佐々木さん、少し頑張りすぎじゃないですか。」
橋塚は、早く帰りたいと思っている。なぜなら、外は大雪であり、いつ電車が止まってもおかしくないからである。午後になってから雪が勢いを増したこともあり、隣の研究室の人たちは、早々に帰宅していた。時計の短針は8を少し過ぎ、晴れていれば見える月が完全に隠れている。しかし、休憩もそこそこに実験装置の方へと歩き出している佐々木さんに、その思いは届くはずもない。
「何してるの?早くやるよ。」
「はぁ。」
溜息をつく橋塚のことを気にする素振りもなく、佐々木さんは真顔で橋塚を見つめている。今更ながらこの研究室に来たことを後悔する橋塚であった。
「初めまして、佐々木です。」
「は、初めまして、僕ははひづか、橋塚です!」
橋塚が、初めて佐々木さんと出会ったのは昨年の春休み、桜が舞い始めた頃であった。卒業研究を行う研究室選びのため、いろいろな研究室を訪問していた時のことである。橋塚は、佐々木さんの所属する研究室が行う説明会に参加した。
「人多いな…」
陽が沈み始める中、説明会開始5分前に到着した橋塚は、人の多さにやや気後れしつつ研究室に入って行った。研究室に用意されている椅子5個の全てに学生が座り、その椅子の後ろにも多くの学生が立っていた。中には、一眼レフを首からぶら下げている者もいる。
「えー、私の研究室のことについて話したいのだが、学生多いな…」
明らかに教授も動揺しているのであった。長い説明会を終えると、個別に質問を受け付ける時間となった。橋塚は、教授が他の学生につかまる前にと、足早に教授のもとへと歩き出す。
「え、そっち?」
しかし橋塚の予想に反し、他の学生は、教授に見向きもせず隣の女性の方へ集まっている。教授が不憫でならない。橋塚は、偶然隣に立っていた同級生に話しかけた。
「あの集まりは…」
「あぁ、あれはミスコンの準グランプリをとった佐々木さんだよ。」
同級生は当たり前のように答え、その囲いへと急いで参加しに行ってしまった。橋塚は、一瞬気になったがすぐに教授のもとへと向かった。そう、佐々木さんはミスコン準グランプリである。なぜ準なのか、最後の水着審査で水着が嫌だと断り、一人だけ白いTシャツで審査に登場したからである。そのあたりの話はまた別の機会に。
結局、橋塚は教授と話が弾み3時間も話していた。当然、研究室を見回しても他に学生の姿はない。いや、正確には一人の女性、佐々木さんがパソコンに向き合って何やら作業中である。
「橋塚くん、これからご飯に行こうかと思うんだが、一緒にどうかね。」
「ぜひ、お願いします!」
目を輝かす橋塚に、教授は軽く頷くと、目線を佐々木さんに移した。彼女は相変わらずパソコンと睨めっこをしている。
「佐々木くんはどうかね?」
「いえ、私は——」
「まぁ、今日くらいはいいじゃないか、橋塚くんもいるし。」
「……はい。」
パソコンを閉じ、黒いシンプルな鞄から財布を取り出した佐々木さんは、橋塚と教授の方へとやって来る。佐々木さんの顔を見た橋塚は、開いた口が塞がらない。舞うはずのない桜の花びらが、佐々木さんの周りで踊っているように見えるのであった。
こうして、橋塚と佐々木さんは、風もなくなり桜の舞うことのない静かな夜に初めて言葉を交わしたのであった。
「初めまして、佐々木です。」
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