いつかにいっか〈上〉

[短編] [ミディアム] [ファンタジー度★☆☆]

※3分割して投稿しています。こちらは「上・中・下」のうちの「上」です。




「台風、来るって」

 そんな会話を遠く遠く、遠くに、聞いた。




     ○    ◎    ●




「マズったなぁ、遅かった……!」

 面倒くさがってセットしなかった頭をわしわしと掻いて、スーパー入口、そう俺はひとりごつ。

 〝人生の夏休み〟の夏休みにあかして、代わり映えしない毎日に輪をかけて変化のない日々に、いつも通り惰眠をむさぼっていたのが悪かった。午前中に買い出しに行けば、多少は物も残っていただろうに。


 ひとまず俺は買い物カゴを持った。持ったは良いが、台風襲来を目前にした個人経営の小さなスーパーの棚は、もういっそすがすがしい程までにカラッポだった。

 パンもカップ麺もパック飯も、当然のごとく全滅。惣菜たちもとうに出払ってしまってすっからかん。普段用事はないけれど今日は一応覗いてみた店の一画、生鮮食品売り場。野菜類は入荷がなかったことが一目で分かり、肉も魚も、少ないパイ・・を奪い合ったその名残すら残ってやいない。店内にかかっている流行り曲をゆるめにアレンジしたBGMだけが、妙にあっけらかんと鳴り響いていた。

 俺の腹がうらめしそうにグゥと音を立てる。文句言うなよ。俺だってガックリきてるんだ。 

あいにく、俺の部屋にマトモな食糧なんてない。一人暮らしの男子大学生の食生活、ナメんなよ? そう自分でもよく分からないイキりをしながら、ちょっとでも腹の足しになりそうなものを探して、狭い店の中、棚の間を練り歩く。


 棚の棚との間に店員の姿はちっとも見当たらない。レジに一人、人影が見えるだけだ。……そりゃそうだよな。台風来るんだし、品出しするものもない。やる仕事がなければ、バイトの学生もパートのおばちゃんも帰すだろう。

 そんなことを頭の片隅でぼんやりと思いながら一方で、台風をやり過ごす間の空腹を紛らわせるためには何を買ったものか……と、俺は思考の大半をそちらに割いた。

 迷走しつつどうにか、焼き海苔とカルパスとわかめスープの素をカゴに放り込んでレジに向かう。カゴをレジ台に乗せた時の軽さ、カタカタと鳴る乾いた音が、つくづく物悲しいぜ。


「あっ……、し、少々お待ちください……!」

 レジ台の向こう側から慌てたような声がした。視線を上げて見れば、俺と同い年くらいの女子。あぁ、ツイてない日にシフト入っちまったんだな。店長、この子も帰してやればいいのに。そう俺が内心憤慨したのは、その女子が少し泣きそうな顔をしていたからかもしれない。

 一度も染めたことがなさそうな黒髪を一つに縛り、その上からスーパーの制服の三角巾を巻いている。大人しそうな子だった。

「す、すみません。さっき変なとこ押しちゃったみたいで、レジ動かなくなってて……」

 見ると、制服エプロンのところに初心者マークのワッペンがついている。バイト入りたてなのか。……こういうところは妙に気が回るっていうか手厚いっていうかなんだよな、ここのスーパー……。


「多分直せると思うんですけど、今はちょっと……。すみません……!」

「あー」

 そう曖昧な声を発して、俺は出入口の自動ドアの方を見た。

 裏返しになった『営業時間』の文字の向こう側、ガラス越しに見える空は、曇っているがそこまで暗くはない。降り出すまではまだ時間がありそうだ。

 ……ここで俺は、何かを忘れているような気がチラリとした。したんだが、うまく思い出せなかったので、そのまま視線をレジの女子の方に戻す。


「大丈夫ですよ、えーと……。どうぞ落ち着いて、直してください。他に待っているお客さんもいないですし」

 すみませんすみません、と頭を下げる女子。その横で無情にも、ピーッという音と共にレシートを延々と吐き出し始めるレジ。

「あわわわ……」

 これは思ったより大変そうだぞ……。そうは思ったものの、ここで「じゃあ買うのやめます、はいサヨウナラ」とはいかないよな。

「あー」

 再び曖昧な声をまず発して、それから俺は言葉を綴った。

「止まるまで待ってみましょうか。……雑談でも、してます?」


 そこからは何てこともない話をした。まず手始めに当たりさわりなく天気の話題、これからの台風の進路のことについて。それから、俺は一人暮らしをしてるってことを。彼女は学費のためにバイトをしてるってことを。ぎこちなくそれぞれ話し終えた後に、レジは異音とレシートを吐き出すのを止めた。




 その後どうにかこうにか会計を済ませて出てきた時の空は、普段の夕焼け空とは全く違う、妙な具合に毒々しい薄ピンクに染まった曇り空で。もう出歩いている人影は一つも見当たらない。道端に植えられた木々の騒めきが、そのうちにひどい大荒れになることをまざまざと予感させた。なんてったって、『近年稀に見る大型台風』の予報だもんな。

 いわゆる学生街の中。建ち並ぶ、小ぎれいだったりボロっちかったりするアパートたちと、たまにある一軒家の間を、気持ち急ぎ足で帰る。


 そして辿り着く安アパートの一室。電気ケトルで湯を沸かし、せめて見た目だけでもと、大きめのどんぶりに入れた二袋分のわかめスープと、薄く薄くなるべくたくさんの枚数になるようスライスしたカルパスの、わびしい夕食を用意する。焼き海苔は小腹が空いたらかじる用だ。

 狭い部屋の真ん中、小さな机。その上の散らかった……いや、散らかってない! ちょっと一時的に置いているだけだから……! その荷物をぐいと端に寄せて、食べるスペースを確保。いくつかバサバサと物が落ちたが、とりあえず今は気にしないことにしよう。

 四十インチ、部屋に対してそこそこデカめのテレビを点けようとリモコンを探す。ない。ない。……あった。今さっき落ちた物の中に紛れていた。

「あー、くそっ」

 どこに向けたものやら分からない悪態をついてリモコンのボタンを押す。


 テレビは天気予報を映し出した。台風の進路予想図だ。アナウンサー、それとも気象予報士か? 誰かが喋っている声がする。

「――この近年稀に見る大型台風は、激しい雨風を伴い、非常にゆっくりとした速度で……――」

 そのテレビいわく、台風の進路予想に変化はないそうだ。このまま進むと明日に直撃、この地域一帯すっぽりと台風に飲まれる。現に今の時点でもう風はかなり強まっていて、薄っぺらなカーテンの向こう側、安アパートの窓がガタガタと鳴っていた。

 別に眠くもないけど、腹の減らないうちに眠りについてしまおう。そして明日も昼の遅い時間まで寝ていよう。その方が空腹もごまかせるし……。

 そうして俺は、惰眠をむさぼって、起きる。






「あれ……」

 頭をわしわしと掻く。枕元のケータイの液晶は午後の遅い時間を表示していた。薄っぺらなカーテンにすら阻まれる弱い弱い光、薄暗い部屋。しかし妙なことに外からは風の音がしない。雨の音もだ。

 だがそのことを改めて気にしてみるよりも先に、どうしようもないひもじさが腹から俺に訴えかけてくる。……ま、外が荒れてないんだったら買い出しに行ってしまおうか。そうして俺はどんよりと息の詰まるような曇り空の下、出かけて行った。




「それもそうか……」

 スーパーの入口にて、そう俺はひとりごつ。そりゃあ昨日の今日だ。台風の予報だったんだし、まだ物が入ってきてなくても当然だよな。俺はまた狭い棚の間を一人巡り、試行錯誤の末にミントガムとパスタソースを買い物カゴに放り込んで、まぁ良しとした。


「あっ……、し、少々お待ちください……!」

 レジ台の向こう側から、慌てたような声。視線を上げて見れば。

「す、すみません。さっき変なとこ押しちゃったみたいで、レジ動かなくなってて……」

 少し泣きそうな顔をした、縛った黒髪の大人しそうな、同い年くらいの女子がそこにいた。制服のエプロンには初心者マークのワッペン。


 あれっ、昨日……。俺はそう言いかけたが、その前に彼女はあわあわと言葉を付け足した。

「多分直せると思うんですけど、今はちょっと……。すみません……!」

「あー」

 俺は、曖昧な言葉を発する。

 デジャブか? 俺は内心で頭をひねる。いや、これがデジャブってことあるか……? 困惑。すぐには判断がつかない。ただ、ここでこのまま黙っていても変に思われそうだ。だから俺は続けて言葉を発した。確かに以前言った覚えのある言葉セリフを。

「大丈夫ですよ、えーと……。どうぞ落ち着いて、直してください。他に待っているお客さんもいないですし」

 すみませんと頭を下げる女子の横、ピーッという音とレシートを吐くレジ。

「あわわわ……」

「あー」

 俺は再び曖昧な声を。

「止まるまで待ってみましょうか。……雑談でも、してます?」

 そう言ってから手始めに、台風の話題。


 やがてレジは異音とレシートを吐き出すのを止める。俺はそれまで相槌を打って笑っていた口をつぐんだ。

 知っている話だった。その間、彼女が口にした内容は。彼女は、学費のためにバイトをしている。




 不気味な色をした空の下、街路樹がざわめく中を小走りで帰り、安アパートのノブを回す。

「あー、くそっ」

 昨日二袋まとめて使った後で無造作にそこらへ置いたわかめスープの箱と、三分の一残しておいたカルパス、まだ封を開けなかった焼き海苔。それらが、狭い部屋ワンルームのどこにも見当たらない。確かに俺の部屋はそれなりに・・・・・散らかってるが、昨日買ったばかりのものを即、見失うわけは……。


 床に座り込んで呆然とミントガムを噛む。口はスース―するのに、頭は一向に冴えてこない。

 まるで狐につままれたような気分だった。俺は夢でも見てたんだろうか? だとしたらあれは正夢か何かだったのか? それとも、俺がずっと寝ぼけていた……?

 味のしなくなったガムを銀紙に出し、丸めて捨てる。こんな時に逆に癪だが、その投げたものはゴミ箱に一発で入った。ナイスシュート、ははっ。


 スープの味変のつもりで買ってきたパスタソースの封を切る気力もなく、空腹すらも忘れ、俺は釈然としないまま布団に潜り込み眠りについた。そういえば今日はテレビを点けなかったな。そうぼんやりと思いながら。






※3分割して投稿しています。こちらは「上・中・下」のうちの「上」です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る