エピローグ、モノローグ、プロローグ

[短編] [ダーク] [ファンタジー度★★★]




「心外だなあ、あんなにかわいがってやったのに」

 そうぽつりとつぶやいて、振り抜いた剣を下ろす。先ほどまばゆい光の斬撃を飛ばした剣。その斬撃ひとつで悪魔を千々に吹き飛ばした剣。……私の使い魔パートナーだった魔物を、亡き者にした剣。

「……うそつき」

 私の唇から声が漏れる。


 魔王城最奥。私以外もう誰もいない。魔王も、仲間も、彼も、みんなみんな死んでしまった。千切れた彼の黒い残滓だけが、未だ魔力が濃く立ち込める空気の中をゆらゆらと漂っている。

 私はうつむいて剣を鞘に収める。ことの始まりの、勇者の剣を。

 かちり。乾いた金属音が虚しく響いた。



 ~~~



 “なぜか勇者の剣を引き抜けてしまった、落ちこぼれ魔物使いテイマーの小娘”。それが“勇者”と呼ばれる私の本当の姿。

 鏡になった水面に向かえば、赤毛にそばかすの顔が映る。このそばかすと、この先ずっと付き合っていくのかあ……って、ため息をついたりなんかして。




 十六歳になった者がみな王都で受ける“勇者探しの儀”。そこで私が勇者の剣を手に取った途端、誰にも抜けなかった剣がすぽんと抜けた。

 更に驚いたことにその時、これまで簡単な召喚すら一度も成功させられなかった私だったのに、上位の魔物である悪魔の召喚ができてしまった。

 それからあれよあれよという間に私は“強大な魔物を従える、うら若き可憐な勇者様”ということになり、押し流されるように魔王討伐の旅へと出発。

 旅の仲間はいた。王様から“勇者を支えるように”と任命された、腕の立つすごい人たち。悪い人ではない……とは分かっているけれど、私からしてみれば、仲間というよりは見張りのように思えて。私が本当に魔王を倒せるのか……って。




「ねえ、ちょっと出てきて」

 だから私は旅の道中、もっぱら使い魔パートナーたる悪魔とばかり話していた。召喚っていう繋がりがあるんだもの。そんな証が何もない人たちより、ずっとずっと安心できる。

「お前追い詰められすぎ、ウケる」

 姿を現すなり、悪魔はそう言ってへらりと笑った。

 野営地。みんなから離れた場所。焚火の明かりは遠く、辺りは夜の闇で暗いけれど、彼の姿ははっきりと見えた。全身真っ黒なのに、まるで秘めたる輝きを内側から放つように。


 彼は人間の若い男性に似た姿をしていた。違うのは、その漆黒のなめらかな肌と翼、黒髪の間から覗くやわらかそうな垂れ耳と優雅に巻いた角、そして何よりも、整った顔立ちの中で真っ赤に燃える双眸そうぼう

 初めの頃こそドギマギしたけど、この通り口は悪いし態度もデカい。悪魔の名に恥じないイジワルだ。でも彼は、ウジウジした私の話を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。

 ……まぁ、その時も相変わらず口は悪くて態度もデカかったんだけど。それに、嫌な顔ひとつせずにっていうか、むしろなんかどうも楽しんでそうだったけど。

 でも、彼との会話は私にとって大事なものだった。


「もっと堂々としとけよ、大悪魔を従える勇者サマでござい、って」

 宙に浮いたまま、足を組み両手を首の後ろに回して。ゆったりと寝そべったその体勢通りの気楽さで、彼は言った。

「どうあれ、今のお前は勇者サマなんだから。勇者って便利な立場は最大限利用しないと、なあ」

 彼は事もなげにクツクツ笑う。目を細めた奥で瞳がいたずらっぽく輝いていた。そのまま空中でぐるりと体の向きを変え、腹ばいの体勢でほおづえをついて。そうして彼は私を見つめる。

「賢くいこうぜ、賢く」

 彼は言いながら人差し指で自分の頭をトントンと叩いて見せた。ニッと横に開いた口から、短いが鋭い、白い牙が覗く。私はその光る牙をじっと眺めていた。


「ま。と言っても、お前が死ぬほどガンバる……とか、そういうことはしなくて良いからな」

 ふいに声のトーンが変わる。からかうような笑いの一切含まれない声だった。いつの間にか彼は私の目の前に立っていた。彼の声が、言葉が、頭の上から降り注ぐ。

「お前はそのままでいれば良いんだよ」

 ぽん、と。私の頭に手が置かれた。彼の大きな手。鉤爪こそ生えてはいるけれど、それが当たらないように気を遣ってくれているのが分かる。そこからじんわりと伝わってくる温かさ。

「オレがついているから。お前のそばに、ずっと。な?」

 今まで聞いた事もない優しい声。それにハッと目を上げると、声と同じ優しい笑みを浮かべた美しい悪魔がそこにいた。私の心臓は高鳴る。もう慣れたものだって思ってたのに。


 彼はすいと空中に浮きあがる。その動きを目で追って彼を見上げる私。

「任せとけって、この大悪魔たるオレに。そうすれば何もかも上手くいく」

 そして彼は笑う。憎たらしいほど、そしてまぶしいほど、あっけらかんと爽やかに。

「悪魔はうそをつかないんだ」



 ~~~



 結果として、私は旅の果てに魔王を倒せた。他ならぬ彼のおかげで。

 でも、その彼は――



「ねえ、ちょっと出てきて」


 これはただの呼び掛け。呪文でも何でもない。でも彼は、いつもそれに応えて姿を現してくれた。強制力なんて何もないのに、ね。

 彼はとてもとても強いのに、召喚者の私を前に軽口だっていくらでも叩くのに、妙なところで律儀で。だから私も、彼には誠実でいようって思ってて。

 国から贈られた魔道具も、道中で魔王の手下を倒して手に入れた魔力源も、全部ぜーんぶ彼に注ぎ込んだ。私が今こうして生きていられるのは、間違いなく彼のおかげだもの。

 その一方で『本気で許せないことがあったら迷わず罰するから、覚悟して』そう伝えたこともあったっけ。うん、ちゃんと覚えてる。……忘れちゃえば良かったなあ、そんなこと。




 魔王を倒した後。その魔力を多分に含んだ血に酔ったのか、彼はコントロールがきかなくなった。そして彼は、魔王をほふったその力を“仲間たち”に向けた。

 ……その時の、ひどく楽しそうに口端が吊り上がった彼の表情が、今も目に焼きついている。反対に、恐怖と絶望に染まった“仲間たち”の顔も。

 そして、床の血溜まりが更に広がった。

 彼らには特に思い入れも何もなかったけど、でも、これはさすがに看過できない。彼を諫め、そして彼の目を覚まさせるつもりで、私は勇者の剣を振るった。

 それであっけなく、彼は消えてしまって。



 私はその場で、じっとうつむいたままでいた。でも、いつまでもこうしていたって仕方がない。ここにはもう誰もいないのだから。魔王も、仲間も、彼も、みんなみんな。彼の黒い残滓も、もう辺りに漂ってはいなかった。

 私は半ば無理矢理に頭を働かせて、この先のことを考える。

 戻って王様に報告しなきゃ。魔王を倒しましたって。仲間たちのこともきちんと伝えて、使い魔パートナーを失ったことを話して。そうしてこの剣を返して。勇者なんて、辞めてしまおう。

 私、きっと初めから、ダメだったんだ……

 そう自分の中で結論付けて、踏ん切りをつけるようにわざと勢いよく顔を上げる。帰ろう、元の冴えない毎日に。



 その瞬間。

 燃えるように赤い双眸そうぼうが、私の視界に映った。黒髪の間から見えるやわらかそうな垂れ耳と優雅に巻いた角、漆黒のなめらかな肌と翼。闇の中、秘めたる輝きを内側から放つように。


 なんで、どうして……?


 彼がそこにいた。野営地で私の呼びかけに応えた時と同じように。王都で初めて私の前に現れた時と同じように。悪魔の美しい顔が私の目の前で微笑んでいた。今までと何ら変わりなく。


 ……それは、どうして?


 私はハタと動きを止めた。何か明確な答えに思い当たるより先に、嫌な汗が背中を伝う。私の足は無意識のうちに彼の元へと、もう既に、踏み出していた。



 彼はいったいどこに現れて。

 私はいったいどこに進んで。



 そもそも。そもそもの話、だ。

 これまで何も召喚できた試しのない私に、どうして召喚の何たるかが判るというのだろうか。私が彼を召喚したんだって、彼が現れたのは私が召喚したからなんだって。何を根拠に、私は。


 私は手を剣の柄にやる。勇者の剣は鞘から抜けない。

 かちり。乾いた金属音が虚しく響いた。


 足を組み両手を首の後ろに回して、ゆったりとした体勢で気楽そうに腰掛ける彼。

 そこは魔王の玉座の上。



「うそつき……」

 私の唇から声が漏れる。

「心外だなあ、あんなにかわいがってやったのに」

 私がつぶやいたのと一言一句たがわぬ言葉を、彼のその口が吐く。

 彼は光に焼かれて消えてなんかいなかった。ずっとそこにいたのだ。しかも彼のその言葉は、強がりでそう言った私とは違って、よっぽど実感みたいなものが込もってて。


「賢くいこうぜ、賢く」

 彼は言いながら人差し指で自分の頭をトントンと叩いて見せた。ニッと横に開いた口から、短いが鋭い、白い牙が覗く。私はその光る牙をじっと眺めていた。

「どうあれ、今のお前は勇者サマなんだから。勇者って便利な立場は最大限利用しないと、なあ」

 彼は事もなげにクツクツ笑う。目を細めた奥で瞳がいたずらっぽく輝いていた。そのまま玉座の上でぐるりと首を回し、ひじ掛けに手を置きほおづえをつく。そうして彼は私を見つめる。

「もっと堂々としとけよ、大悪魔を従える勇者サマでござい、って」


 その言葉で私は悟った。

 私は殺されない。私だけは殺されない。でも、殺される方がマシだった。

 いつも読めなかった彼の考えが今は読める。だからもう、聞かせないで。私に、その先を。悪魔。悪魔。イジワルな、悪魔。


「ま。と言っても、お前が死ぬほどガンバる……とか、そういうことはしなくて良いからな」

 彼の声のトーンは変わらない。からかうような笑いに満ち満ちた、悪魔の声。いつの間にか彼は私の目の前に立っていた。彼の声が、言葉が、頭の上から降り注ぐ。

「お前はそのままでいれば良いんだよ」

 ぽん、と。私の頭に手が置かれた。彼の大きな手。生えている鉤爪は私の頭に当たらない。私自身を手の内にすっぽりと包み込むように。彼の持つ熱がじんわりと私を侵食する。

「オレがついているから。お前のそばに、ずっと。な?」

 いつか聞いた気のする優しい声。それにハッと目を上げると、声と同じ優しい笑みを浮かべた美しい悪魔がそこにいた。私の心臓は打ちつける。こんな感覚、知らない。


 彼はすいと空中に浮きあがる。その動きを目で追って彼を見上げる私。

「任せとけって、この大悪魔たるオレに。そうすれば何もかも上手くいく」

 そして彼は笑う。憎たらしいほど、そしてまぶしいほど、あっけらかんと爽やかに。

「悪魔はうそをつかないんだ」



 その言葉は、紛れもない事実。彼はうそをついてはいない。言葉の外で思い込んだのは、全部、私。

 私、きっと初めから、ダメだったんだ……

 そう自分の中で結論を下さざるを得ない。顔なんて上げられるはずもなかった。もう帰れない、元の穏やかな毎日には。



 私は膝を折った。ぴしゃり。血溜まりに浸かる。手も、足も。

「お前追い詰められすぎ、ウケる」

 悪魔はそう言ってへらりと笑った。




 “勇者の素質があったのに、悪魔に利用され全てを失った魔物使いテイマーの小娘”。それが“勇者”と呼ばれる私の本当の姿。

 鏡になった水面を見やれば、撥ねた血飛沫のついた顔が映る。このまみれた血と、この先、ずっと……。

 私は、ただただ浅い息を吐くより他なかった。




[完]




~お題:指定のセリフ「心外だなあ、あんなにかわいがってやったのに」を使って短編を書く~

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