第6話 終焉

 白い花は巨大化したままの姿だった。

 その横に、豪奢なイメージを抱かせる美女が立っている。

「あらあ? べっぴんさん、お待ちかねです……」

 琉葵に抱えられた、山の主の使いである兎が目を覆った。

「なんでだ? もしかしてこっちの行動がバレてんのか?」

 琉葵は警戒しながら、山肌に足をつける。

 女と花からは、十分に距離をとっていた。

 今回は前回と違って、あの薄紫色の靄はない上、こちらには璃蘭という幻術使いがいる。

 今度こそ、遅れはとらない。

「うむ、確かに美しいな」

 琉葵の隣に立つ璃蘭は、女の容姿に目を細めた。

 波打つブロンドの髪は足元まで伸び、青い瞳ははっきりとした二重で大きい。バラ色に染まった頬に赤い唇が真っ白な肌によく映えている。

 その厚ぼったい唇の端を持ち上げ、女は妖艶な流し目を璃蘭に向けた。

「うむ、ボディラインもなかなか」

 璃蘭は顎に手を当て、満足気に頷いた。

「べっぴんさん、ぼんっきゅっぼーん! ですからね! しかもそれがよくわかるお洋服をお召でいらっしゃる!」

 兎は言い、琉葵の体をジロジロと眺め回した。

「……八つ裂きと丸焼き、好きな方を選べ」

 低い声音で呟き、強い殺意を込めて瞳を輝かせる琉葵に、兎は飛び上がって璃蘭の足に縋りついた。

 その体は恐怖でガタガタと震えている。

「お前、自分の努力不足をそいつに当たるな」

 璃蘭が視線を女に向けたまま、にやりと笑う。

「努力でなんとかなるか! それに私はあんな脂肪の塊は要らん! 重くて肩が凝りそうだからな!」

 琉葵はこめかみに青筋を浮かべ、吐き捨てるように言った。

「そんなことよりあの女、私達がここに来るのがわかってたのか? もしやスパイか、お前?」

 琉葵は璃蘭の足に隠れたままの兎に、鋭い視線を投げつける。

「ひっ! わ、私はなにも知りませんよ! 私はたんなるいたいけな兎さんです!」

「聞いてみるか、本人に」

「おっ、いけいけ璃蘭! 行って喰われてこい!」

 琉葵はにこにこと笑って璃蘭をけしかけた。

 それも悪くないな……

 璃蘭は微笑を浮かべながら、ゆっくりと女に近づいていく。

「初めまして、運命の人……よくぞ、私があなたに会いに来るのがおわかりになりましたね」

 璃蘭はきらきらと光り輝く笑みを女に向けた。

 その瞳には、女顔負けの妖艶な色気が漂っている。

「うーむ、色気VS色気!」

「どっちも負けてませんよ!」

 琉葵と兎が口々に叫ぶ。

「美しいな、お前は……妖魔緑王の王族か……」

 女はうっとりとした瞳で、璃蘭の黄緑色の瞳を覗き込んだ。

 心臓を鷲掴みにされるような感覚に、璃蘭の全身に鳥肌が立つ。

 久しぶりだな、この感覚……

 璃蘭はにやりと口元を歪める。

「よくおわかりで……流石は我が運命の人」

 璃蘭はその視線を優しく包み、受け止める。

 女はすっと長い手を伸ばすと、長くて細い指で兎を指さした。

「私の目がつけてあるのだ、あの小動物に」

「えっ! 嘘! どこ、どこにっ⁉」

 兎は慌てて体を見回すが、さっぱりわからない。

「魔族か……しかも上位の……流石に王族じゃなさそうだが」

 琉葵が冷たい視線を兎に送る。

「ううぅ、ショックです……姉さん達に口すべらしたこと、べっぴんさんに全部バレてるってことじゃありませんか!」

 兎は顔を覆って嘆き悲しんだ。

「許してやってくれませんか、あのいたいけなかわいい仔羊を」

 璃蘭は女の手をそっと取り、もう片方の手を女の腰に回すと、女の青い瞳をじっと見つめた。

「おおっ! 璃蘭が攻めてるぜ!」

 琉葵は至近距離まで急接近した二人に、思わず拳を握りしめた。

「璃蘭さん、頑張ってください! べっぴんさんをこの山から追い出してくださいっ! お願いしますっ!」

 兎が必死の形相で祈る。

「あれは羊ではなく兎だ」

 女は熱を帯びた手を、璃蘭の手にすっと添わせた。

「失礼しました……やはり魔族の美しい姫君には、仔羊がお似合いかと思いまして」

「わかるか、私が魔族だと?」

 女がにやりと笑う。

 その瞬間、ぞわりと女から多量の魔力が漏れ出る。

「わかりますとも……我々妖魔には、いたいけな仔兎に己の目をつけるなどという芸当はできませんからね」

 璃蘭の緩やかなウェーブを描く髪が、女の放つ魔力の圧を受けてざわざわとなびく。

 女はそれをうっとりとかきあげ、目を伏せる。

「あ……」

 琉葵はその気配に気づき顔色を失った。

 ばきばきっ! ズドーン!

「……作戦通りだよ、陽葵」

 璃蘭は立ち上る砂煙に向かって、にっこりと微笑んだ。

「嘘つけ……璃蘭……今更遅いぞ……」

 琉葵は遠くから、璃蘭に哀れみの視線を送る。

 微笑む璃蘭の瞳には、穏やかな陽だまりのように微笑む璃蘭の妻、陽葵が立っていた。

 腰まである真っ直ぐな髪は美しく、可愛らしい印象を見る者に抱かせる。

 花に例えるなら、雛菊がふさわしいだろう。

 穏やかに夫に微笑みかける陽葵の真横には、根こそぎ抜かれた白い花が転がり、無惨な醜態を晒していた。

「なっ……なんだお前は!」

 女は振り向き、苛立ちと驚きが入り混じった表情で陽葵に向かって叫ぶ。

「その人は、私の夫なんです……わかりますよね、私の言っている意味が?」

 陽葵はにこりと女に笑いかける。

 ぞぞっ、と女の全身に鳥肌が立つ。

 この私が恐怖を覚えるだと……この女……それに、あの男はこの女に向かって、作戦通りだと言った……まさか私の目に気づいて、裏で策を?

 一瞬の内に様々な考えが交差する女に、陽葵は手のひらを向けた。

 そこから、すべてを叩き潰し、すり潰すかのような濃い殺気が放たれる。

 それでも、その顔は穏やかな笑みを浮かべたままだ。

 璃蘭は既に女から離れ、素知らぬ顔をしている。

「貴様……」

 女は鬼のような形相で、明後日の方向を見ている璃蘭を睨んだ。

「あなた、私の夫になんて口をきくのです……許しませんよ!」

 陽葵の放つ濃い殺気が、そのまま衝撃波として放たれようとしたその瞬間、ぐらぐらと地面が激しく揺れた。

「な、なに?」

 琉葵は慌てて兎を抱き抱え、空中に移動する。

「あっ、主!」

 その腕の中で、兎は身を乗り出す。

 見れば、地面の揺れは収まっており、陽葵の目の前には平伏し深々と頭を下げている老人がいる。

「おい、危ないぞ!」

 兎は琉葵が止めるのも聞かず、その腕から飛び降り、じっとひれ伏す老人にすり寄った。

「これはどういうことですか? 山の主様?」

 陽葵が静かな口調で老人に問う。

 その手のひらは、女に向けられたままだ。

 主に寄り添う兎が耳をピクピクと動かした。

 そしてそのつぶらな黒い瞳を、陽葵に向ける。

「我が主は、大きな声を出せるほどの体力がありません! ですので、私が代弁致します! 葵の姫よ、ここは儂の顔に免じて女を許してやってはくださらぬか?」 

「嫌です」

「即答かよ」

 琉葵は宙に浮かびながら苦笑いを浮かべた。

 陽葵は非常に嫉妬深い性格なのだ。

「この女は、私の妻なのです! え? そうだったんですか、主? いやあ、私はてっきりどっかから攫ってきたついでに乗っ取られたんだと思っていましたよ……いやあ、たはは!」

 兎は誤魔化すかのように大笑いした。

「あ、えっと……すみません」

 しん、と静まり返る空気の気まずさに、兎はごほんと咳払いする。

「というわけで、妻の犯した罪は私の罪です。償いは私が致しますので、どうかお許しを……主!」

 兎は瞳を潤ませた。

「そうですね……どうしてもと言うのなら、その方が永遠に皺くちゃのお婆さんの姿になるのでしたら、許してあげます」

 陽葵の言葉に、にやりと笑ったのは女だ。

 だが陽葵の言葉には続きがあった。

「しかし、その女は上位の魔族。その容姿を変えることなど造作もないはず……さあ、どうします、山の主様?」

 女の顔から笑みが消えた。

 主はよろよろと立ち上がると、女に寄り掛かった。

「なにを……」

 女はすぐさま異変に気がつく。

 腹部の焼けるような痛みと、体の内側から出ていく体液と魔力の感覚。

 思わず手を当てると、ぬるりとした感触と硬い何かが深々と刺さっているのがわかった。

 それはただの刃ではない。精霊の塊である、水晶だ。

 陽の存在である精霊の力は、陰の存在である魔族の天敵である。

「貴様……」

 女はそれを抜こうとするが、びくとも動かない山の主の体がそれを阻止する。

 次第に女の顔と体が変貌していった。

 若々しかった肉体は骨が浮き、美しかった白い肌はどす黒く色が変わり、水色の瞳は落ち窪んでいく。

「山の主、そっくりになっちまったな……」

 その様を見た琉葵が、ぽつりと呟いた。

「おのれ……許さぬ……許さぬぞ……」

 呪いの言葉を口にする、すっかりやせ細った女に、山の主の口がぱくぱくと動く。

 兎は耳をぴくりと動かした後、その瞳をつやりと光らせた。

 強い風が、茶色い山肌を駆け抜ける。

 ぼろりと崩れ落ちた女の体が、さらさらと風に乗り、流れていく。

 後に残ったのは水晶の刃だけだった。

 それを取り落とし、山の主はぺたりと座り込む。

「山に緑が……」

 琉葵は目を瞠った。

 魔族の女から流れ出た大量の血液が山肌に染み込み、そこから一気に緑が広がっていく。

「主……」

 兎が、本来の姿を取り戻した山の主にすり寄る。

 焦げ茶色の瞳を細め、山の主は兎を抱き上げた。

「いつか、こうしなければと思っていたんです」

 若々しく凛とした声音で言い、山の主は陽葵に向かって微笑みかけた。

「ぬぅ、山の主の奴め……なかなかいいつらしてるじゃないか」

 山の主と陽葵とを見つめる璃蘭が、ぴくりと眉尻を動かした。

 その様をちらりと見、陽葵は嬉しそうに微笑む。

「これで一件落着か……私の出番はなかったなぁ……残念」

 琉葵はうーんと体を伸ばし、兎を見た。

 兎は山の主の腕に抱かれ、幸せそうに寄り添っている。

 きっと今頃、あのバカ坊主の体も回復に向かっているだろう。

 琉葵は宙でくるりと踵を返す。

 依頼主の待つ、緑王の里に向かって。

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