銀河鉄道の立ち食い蕎麦:ニューウッドストックステーション店

和泉茉樹

銀河鉄道の立ち食い蕎麦:ニューウッドストックステーション店

      ◆


 お目覚めのところ、申し訳ございません。当列車のコンシェルジュでございます。

 お客様がご使用の冷凍睡眠装置が、お客様の身体情報に不自然な要素があると通知して参りまして、ご足労とは存じますが、医務室での診療を受けていただけませんでしょうか。重大な健康上の問題はないというのが、冷凍睡眠装置の通知した数値を見た上でのドクターの判断ですが、もしもということがございます。

 次の停車はニューウッドストックステーションになりまして、停車時間は二十四時間ございます。その間に、念のために冷凍睡眠装置の点検をさせていただけますか? ご不便をおかけしますが、仮に装置に問題があるようでしたら、別の客室をご案内致します。

 ……はい、では、そのように致します。よろしくお願い致します。


      ◆


 俺は煮え切らないものを感じながら薄暗い通路を歩いていた。

 薄暗いのは夜というものを表現しているのだ。真夜中の暗さだ。乏しい人工的な灯りに照らされているだけの通路。

 冷凍睡眠装置から目覚めて、普段通りの準備をしてステーションに繰り出すつもりだった。それが唯一の楽しみである。銀河鉄道の娯楽室は狭苦しくて息が詰まるし、自分より金持ちの客を目の当たりにするのは精神衛生上、よろしくない。

 ところが、目が覚めて、さあ、出かけるぞ、と胃腸の状態を整える液薬を飲んだところで、部屋の電話が鳴った。古風なデザインの受話器を取ると、相手はコンシェルジュで、俺の体に異常があるらしい、という趣旨のことを言い出した。

 自分の体のことは自分が一番よく分かる、と断言できる俺ではないが、不調は全くなかった。とはいえ、コンシェルジュの話を適当にやり過ごせる、という感じでもなかった。銀河鉄道の運行会社が最も神経を尖らせているのは乗客の健康、あけすけに言えば、乗客の生死、である。

 冷凍睡眠装置という仕組みは、まだ人々に、永遠に目覚めないのでは、というイメージを持たれている。それは大昔の観念の残滓であり、装置の発展段階における無数の、二度と目覚めなかったものたち、の呪縛でもある。

 ともかく、俺が冷凍睡眠装置で眠っている間に死ぬのは、鉄道会社からすれば非常に好ましくない。俺が個人的な事情で、個人的な理由で死んでも、周りはすんなりとそうは受け取らないし、事情をつまびらかにするには、いくつもの段階を経なくてはいけない。例えば、俺の死体を解剖したりなんだりして調べたり、冷凍睡眠装置を解体して不具合は絶対にないと断言できる証拠を用意したり、もっと言えば、食堂車で提供された料理のせいで死んだわけではない、ということさえも証明する必要があるだろう。

 というわけで、俺は目覚めて早々、医務室に向かったのだった。

 医務室には中年男性に見える医者が待ち構えていて、俺の腕に検査装置を巻きつけて、ディスプレイをぼんやりと眺めた後、「フゥム」と声を漏らした。

 実に不安にさせる、深刻そうな「フゥム」だった。

 俺が何も言わず、医者も何も言わない沈黙の後、やおら医者は検査装置を外すと「内臓かな」と小さな声で言った。

 内臓?

 小さなデスクの上に、デスク一体型のプリンターから何かの書類を出した医者が、サラサラっと何かを書き付け、昔ながらのハンコを押すと差し出してくる。受け取ったが、書類は印刷された部分だけは読めた。要は「以下の理由で検査が必要である」ということだ。

 その理由にあたる部分は医者が手書きした部分だが、読めない。俺の知らない文字で書かれていた。あるいはその言語に通じていても、字体が崩れすぎていて読めないかもしれないが。走り書きそのものなのだ。

「次に停車するステーションで、病院で診てもらいなさい。ほんの数時間で済むだろう」

 医者はそういうと、あくびをした。綺麗な歯並びが目を引いたが、俺としてはあくびも歯並びもどうでもよかった。

 病院?

 部屋に戻って、少し考えてからコンシェルジュに電話してみた。例の古風な受話器を手に取って、コンシェルジュを、というだけで人工知能が自動で繋いでくれる。ちなみにコンシェルジュは人工知能でもアンドロイドでもなく、本物の人間だ。

 コンシェルジュに文句を言っても仕方がないので、ニューウッドストックステーションの病院を教えてもらい、そこまでの移動手段を手配してもらった。心得たもので、コンシェルジュもすぐに手配してくれたし、追加料金はいらないとも言った。

 言い知れない不安の中、やがて列車はステーションに停車し、俺は足早に列車を降りた。

 病院へ向かう自動運転車の席で、俺はいろんな場面を想像した。体に異常があれば、ここで足止めを食う。手術が必要かもしれないし、安静が必要かもしれない。そういうことが必要なくても、定期的に薬を飲む必要があるかもしれない。

 いや、何より、冷凍睡眠に適さない、と判断されたら、今の生き方はできない。銀河鉄道で各地を巡り歩く、根無し草の生き方は。

 あまりにも悲観的な想像に没頭したせいか、気づくと病院の前に自動運転車は止まっていた。

 なんとなく重い足取りになりながら病院に入ると、すでに鉄道会社の方から連絡が行っていたようで、受付はすんなりといった。しかし待合室には大勢が待っている。優先してもらえるだろうか、と思ったら、本当に優先してもらえて、待合室の大勢から冷たい目を向けられた。申し訳ないとも思ったが、俺は二十四時間しか時間を与えられていない。

 診察室で待ち構えていた医者は平然とした顔で俺が持参した紹介状を眺め、「検査室に連れて行って」と看護師に指示した。

 一度、待合室の横を抜けたが、また白い目だ。

 検査室は無人化された検査装置がいくつもあり、あっという間に検査とやらは終わった。

 だが、そこからが長かった。待合室でお待ち下さい、と言われて長椅子の端に腰掛けたが、いっかな、呼ばれない。他に待っていた患者は診察室に入り、出てきて、薬をもらい、去っていく。

 俺は待ち続けた。一時間待って、看護師に声をかけた。もう少しお待ちください、というお返事。さらに一時間待った。看護師も困惑していた。すでに待合室にいた人は半分以下に減っている。

 なんとか一時間、さらに耐えたところで、診察室に呼ばれた。俺ははっきり言って疲れ切ってたし、同時に苛立っていたけれど、医者は泰然自若、悪く言えば平然としていた。興が削がれる、という表現が浮かぶほどに。

「三時間後、もう一度、検査です」

 三時間後?

「閉院前に来て頂ければ、今日中に結果が出ます。あ、検査まで飲食は禁止です」

 はっきり言って、怒りのあまり気を失いそうだったけれど、耐えた。

 三時間、俺はステーションを歩き回り、映画館で時間を潰したけれど、途中で退出しなくてはいけなかった。約束の三時間が来たからだ。

 ニューウッドストックステーションには昼夜があるので、薄暗い通路を病院に戻り、もう待合室には誰もいないのを横目に、また検査室に入った。出て、待機。もう呼ばれないことを覚悟していたので、俺は無人の待合室で長椅子に寝そべって眠って待った。空腹だけが辛かった。

 やっと呼ばれた時、時計を見ると深夜に近い。俺がいると知っているはずなのに、室内の照明が最低限になっていた。

 診察室では今度ばかりはあくびをかみ殺しながら医者が待っており、「ちょっとした貧血ですな」とあっさり診断結果を口にした。

 ちょっとした貧血のために七時間ほど拘束されたとは信じられなかった。この科学万能の時代に許せることだろうか。

「冷凍睡眠装置も使えます。一応、薬を処方しますが、具合が悪ければ飲んでください」

 こうして俺は晴れて自由の身になったが、薬を受け取って建物を出ると、すでに真夜中だった。

 どこかで何か食おう、そうでないと死んでしまう。貧血で死ぬことは、あるのだろうか。よく分からないが、もう検査は終わったのだ。

 食事について考え、もはや開き直って、今日はこだわって飯を食おうと決めた。通路に並ぶ店を眺めるが、時間が時間で開いている店がない。足を止める場所がないので、まるで俺はただ歩いているようだった。端から見れば散歩しているも同然だっただろう。

 ニューウッドストックの名物はなんだったか、記憶を探るが、何も浮かばなかった。どうも血の巡りが悪いようだ。貧血のせいではなく、空腹のせいだ。

 ひたすら歩いたが、これといってピンとくるものがなかった。ハンバーガーは軽すぎる気がしたし、ステーキというのも違う。スシという炊いた米と生魚と合わせた料理もあったが、今の腹の状態で生魚というのも不安だった。コーヒーショップのチェーン店があったが、サンドイッチというのも違うだろう。

 結局、半時間ほども歩き続けた結果、俺はニューウッドストックステーションの入り組んだ通路で半ば迷子になっていた。

 ただ、少し先に明かりが灯っている場所がある。

 近づいてみると暖簾とかいうものを玄関先に掲げている店だった。暖簾には「サラシナ」という文字があり、すぐ横に「蕎麦」と書かれていた。「立ち食い」ともある。ファストフードということか。

 しかし、蕎麦か。久しく食ってないし、もうここで済ましちまおう。他に店もなさそうだし、翌朝まで空腹をしのぐ手段を思いつかなかった。

 暖簾をくぐって店に入る。

 しかし「いらっしゃい」の声もない。

 カウンターの向こうで白髪で痩せこけた老人が、椅子に座って居眠りをしていた。もちろん、客は一人もいない。ただ明かりだけがついて、無音だった。

 おかしなところに迷い込んだな、とやっと理解したが、出るに出れない気分だった。

 下手に逃げようとすると、今は眠っている老人が襲いかかってくるのでは、という妄想が生じていた。そんな馬鹿なことがあるわけがない。あるわけがないが……。

 咳払いが自然と出ていた。そんなこと、しないほうがよかったのに。

 咳払いとはいえ、極めてささやかな咳払いだったけど、ビクッと老人の肩が震え、ゆっくりゆっくり顔が上がる。

 皺だらけの顔で、老人は目を細めて俺を見ているようだったが、明らかに焦点が合っていない。ついでに唇からよだれが垂れていた。

「また来ます」

 今度は意識的に言葉が出た。そう言う以外になかった。

 老人が口を開くそぶりを見せた時には、俺は素早く回れ右して通路に飛び出すように戻り、足早に店の前を離れた。本当は駆け出したかったけれど、下手に刺激すると老人が躍起になりそうだった。客を引き止めるのに躍起になる、というより、獲物を逃さないのに躍起になる、という感じだ。

 なんとか比較的、広い通路に無事に出られた。

 しかしあの店は、なんだったんだ?

 俺はゆっくりと歩きながら、老人と蕎麦屋のことは忘れることに決めた。考えないほうがいい。忘れるのがベストだ。

 歩を進める通路は、夜を演出する薄暗さと定間隔の明かりが続き、シンと静まり返っている。

 もう少し歩いたところで、食事のことは再考するとしようと自然と思っていた。この静けさの中を歩いていれば、そのうち、妙案も浮かぶだろうと楽観できるようになった。あるいはおかしな老人がいるおかしな蕎麦屋のせいで、何かがリセットされたようでもあった。

 両側にある店舗の全てのシャッターが閉まっている中を、俺はできるだけ遅く、歩いた。

 この夜もいつかは明ける。

 悪夢のような一日だったが、それもまたこうして、終わろうとしているのだから、夜も終わるのだ。

 また長い長い眠りに戻るとしても、どこかに区切りのようなものはあるものだ。

 しかし、腹が減ったな……。



(了)

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