夜天に帰る

津多 時ロウ

夜天に帰る

 深夜の公園に一人、たたずむ。

 辺りには乾いた煉瓦とアスファルト、そして我先にと繁茂する7月の草の匂いが流れる。

 何をするでもなく空を見上げれば、そこにあるのは色とりどりの星の煌めき。

「遠いな……」

 誰に言うでもなく、男は呟いた。


 ここは周囲の住宅地とともに造成された『イギリス公園』。

 市長が宮沢賢治の大ファンだとかで命名したらしいが、ユニオンジャックの気配は見当たらない。しかし、街灯も多いこともあってか、この男のように深夜に散歩、或いは、ジョギングに訪れる者もぽつぽつといる。


「俺は何になりたかったんだっけ」

 俺は再び呟いた。

 ここ最近、立て続けに起こった仕事上のトラブルは、心に想像以上のダメージがあったようで、どうにも眠れなかったのだ。

 だが、こうしていても夜と星は、少し期待していた俺の心を癒してはくれなかった。


 自動販売機で缶ビール……、いや、缶のメロンソーダを購入した。

 プルタブを開ければ、プシュっという清涼な音と甘い匂いが疲れた頭を刺激する。


 一口ひとくち、久しぶりの喉越しを心地よく感じながら、そばのベンチに腰かける。

 二口ふたくち、背もたれに身を任せ、満天の星空を見上げる。

 三口みくち、俺の求めていた答えは見つからず、ただ、遠く故郷の空を思い出して泣いた。


 両親はもういない。妻も、子供も、彼女も、いない。兄弟は、友達は……、元気にしているだろうか?


「寂しいの?」

 不意に誰かに声を掛けられた気がした。どこかで聞いたことがあるような声だった。

「寂しくない」

 俺はどこかもやがかかったような星空を見上げたまま答えた。


「でも、泣いてた。本当は寂しいんじゃない?」

 再び声がした。

「……寂しい」

 寂しい。ああ、そうか。俺は寂しかったんだ。故郷を離れてもう何年経っただろう。愚痴をこぼす相手も、愛を囁く相手も、人生を語る相手も、生き方を請うべき相手もいなかった。ずっと、ずっと、ずっと。ずっと一人だった。


「泣きたいときはね、うーんと泣いたらいいんだよ」

 三度みたび、その声は温かい。

「でも、俺もういい年齢としなんだ。泣いたら駄目だ」

 はなをすする俺の顔はどれだけ不格好だったのか。

年齢としなんて関係あるもんか。泣けったら泣け。出来るだけ思いっきりな」

「あ……、ああ……、ぅぁぁぁぁ……」


 久しぶりに泣いた。子供のとき以来か。

 けれど、あのときのように思いっきりは泣けなかった。

 もう忘れてしまったのだ。感情を曝け出すことを。心を開放することを。

 だけど、一生懸命泣いた。


「ありがとう。父さん、母さん」


 その呟きに返事はなく、ただ満天の星空だけが嘘みたいにきらきらと輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜天に帰る 津多 時ロウ @tsuda_jiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ