Ep.106 プルンバゴ家の闇

「堅慎、そっちは何かあった?」


「いや、目ぼしいものは何も。」


 誘拐の主犯格にして公爵家・プルンバゴの令嬢を名乗ったオリヴィアの企みを知った俺と心美は、より詳細な情報を掴むため、邸館の内部を隅々まで歩き回っていた。しかし、流石は貴族家の豪邸とあって、豪華絢爛な西洋風の内装と濃い赤を基調としたカーペットと壁紙に、高価そうな絵画が等間隔に並べられている広大な屋内は、幾ら歩けども正確な間取りすら分からない。


「オリヴィアと公爵家の秘密を探るにしても、この広さじゃ手掛かりひとつ掴むのも一筋縄ではいかないわね……。」


「全くだ。取り敢えず屋敷全体の構造を把握したくて、壁掛けの絵を目印にあちこち回ってみたけど、ひとつとして同じ絵を見なかった。どんだけ広いんだよ……。」


 プルンバゴ邸の敷地面積を甘く見ていた俺たちは、最初に閉じ込められていた部屋から抜け出て、屋内を手当たり次第に探索しようと、中央部に位置する螺旋階段を3回降った先の最下層のフロアから二手に分かれて行動を開始した。今のところ邸館に潜んでいるはずの誘拐犯一味の姿は見えず、一定の自由が許されているとはいえ、誘拐犯に怪しい動きを気取られては拙い上、ふたりきりでは手に余るほど広大な館の中で、闇雲に探索を続けるのは得策ではないだろう。


「そうだ。今までオリヴィアの過ごしてきたプルンパゴ邸なら、きっと奴自身の部屋がこの邸館の何処かにあるはずだ。もしかしたら……。」


「私も同じことを考えてたわ。彼女がこの館の主なのだとしたら、きっと部屋は私たちの元居た最上階よ。急ぎましょう。」


 頷き合って互いの意思を確かめた俺たちは、今度こそ迷いなく来た道を引き返し、最上階を目指すべく再び階段の方へと向かうのだった。



 §



 一気に駆け上がると思わず息を切らしてしまうほど長い螺旋階段が途切れた先、つい先程まで過ごしていた薄暗い大部屋を含め、両手の指では数えきれないほどの扉が立ち並ぶ廊下が左右と中央へ、三叉状に続く分岐点にて、俺たちは再び選択を迫られた。


「当主の部屋なら、きっとあの大部屋に匹敵するほど大きくて目立つ場所にあるはずだ。」


「そうね。きっとフロアの最奥、真ん中の廊下の突き当りじゃないかしら。」


 適当に当たりを付けると、今度は手分けすることなく俺は心美と一緒に中央の廊下を選んで、確かな足取りで赤いカーペットの中央部を歩み始めた。気の遠くなるほど長い廊下を無心で進む中、心美との間には一切の会話もなく、ここが誘拐犯の根城であるために僅かな油断すら命取りになり得ることを改めて肌で感じ取った。


 警戒心を研ぎ澄ませつつ歩き続けると、やがて視界の先にぼんやりと、一際目を引く両開きの赤扉が現れた。異質な雰囲気を漂わせるその扉からは、俺たちの選択がやはり間違っていなかったことが直感的に察知できた。期待感から歩調を強め、近づくにつれて次第に大きくなっていく扉の正面までやっとの思いで辿り着くと、逸る気持ちを抑えながら扉を開くべく取っ手を掴む。


「この扉、重たいな……。」


「ちょっと貸して。」


 固い扉に手子摺てこずる俺に代わって、心美が両方の扉に正面から全体重を預けて押し込もうとするも、甲高い声で鳴く扉は微動だにせず、埃が宙を舞うのみである。


「施錠されている訳じゃないみたいね。堅慎、せーのでいくわよ。」


「ああ分かった。いくぞ、せーの──」


 俺の合図で一斉に両方の扉へと勢い良く体当たりすると、扉は鈍い断末魔と同時に大人しくその大口を開いた。御多分に漏れず、薄暗く見通しの悪い室内は暫く使われていないのか埃っぽく、心美は腕で鼻口を抑えて喉奥に突き上げるせきを必死に押し殺している。


「なにここ……。掃除も全然行き届いてないし、汚いわね。」


「人の手が加わってないということは、裏を返せば、ここが不在のオリヴィアが普段過ごしていた部屋ってことだろうな。大正解だ。」


「ええ。ここなら何か、彼女に繋がる大きな手掛かりが残されているに違いないわ。」


「よし、早速調べてみよう。」


 中央に大きなデスクとテーブルが置かれた部屋には、壁沿いを見上げるほど高い天井まで伸びたダークブラウンの本棚に埋め尽くされ、可動式の梯子はしごがレールに沿って動かせるようになっていた。あまりにも膨大な量の書籍の山は、そう易々と調べられるものではなさそうだが、何やら近くの床には一部の本が棚から下ろされ、無造作に積み上げられていた。おそらくは、最近までオリヴィアにより読まれていたと思しき本が棚に収納されることなく放置されていたもので、調べ物として優先度は高そうだ。


「当たり前だけど、ほとんどは外国語の文献みたいね。こっちは私に任せて、堅慎はデスク周りをお願い。」


「了解だ。そっちは頼んだぞ。」


 心美の指示により、オリヴィアのものであろうデスクを間近で観察するべく歩み寄る。すると机上には、妖気を纏った黒い羽があしらわれた如何にも高価そうなペンとインクボトル、そしてインクを吸って小さな染みができた羊皮紙に封蝋と、火の消えた蝋燭ろうそくを立てた燭台が置かれていた。


「誰かに手紙でも書いていたのか……?」


 ペンの先端にインクが付着したままだったことから、何らかの文章をしたためている途中であったことは一目瞭然だが、羊皮紙の表面に目を移しても、そこに意味のありそうな文字はひとつもなかった。燭台には溶け出した蝋の水溜まりが冷え固まった跡が残り、乾き切ったインクと蓋が開いたままのボトルは、オリヴィアがここを離れてから相当の時間が経過していることを物語っていた。


「痛っ──」


 何かが足にぶつかった感触を覚え下を向くと、床には封蝋を押すために用いられるであろう金属製のシーリングスタンプが転がっていた。拾い上げてみると、スタンプの底面には、茉莉花によく似た花の形を模した絵柄が彫られていた。貴族の送る手紙の封蝋だ。きっとプルンバゴの家紋といったところだろう。


 それきり、机上には目ぼしいものが他になかった。次に、俺はその場に膝を突いて、数段あるデスクの引き出しを下側からひとつずつ調べ始めた。


「これは……!」


 何段目かの引き出しに手を掛けた時だった。その場所だけ何度も開閉が繰り返されたのか、歪みが生じていたために引くのに少しだけ力の要る小さな引き出しがあったので、思い切り良く肘を引いて無理やりに抉じ開けたのだ。


 そして、その中を埋め尽くしていたのは、おびただしい数の新聞記事の切り抜きだった。薄く埃を被った紙切れをひとつ手に取って、軽くはたいてみるも汚れは落ちない。どうやら、この記事自体が随分と古びたもののようだ。仕方なくそのまま紙面に目を凝らすと、そこには見覚えのある名前が刻まれていた。


、か……?」


 当然ながら、記事の内容はおよそスウェーデン語と思しき外国語の羅列であるため、俺の理解力の範疇を越えていた。そこで、適当に読み飛ばしてみれば、そこにはオリヴィアが自ら名乗っていたファミリーネームに相当する単語が頻りに登場していたのだ。しかし、その前後の文章に何度目を通してみようと、ファーストネームと思しき大文字から始まる単語は、俺の拙い語学力を以てしてもと読むには明らかに綴りがおかしいことは理解できた。


「堅慎、何か見つかった!?」


 その時、丁度本棚の調べを終えた心美が、血相を変えて俺のもとに駆け寄ってきた。


「お、おい。そんなに慌てて、一体どうしたんだってんだ。」


「驚かないで聞いて。このプルンバゴ家は……。オリヴィアの真の目的は──」


「どうやら、お嬢様の秘密を、真実を知ってしまわれたようですね。」


 突如として部屋の外から聞こえた声に驚いて振り返ると、部屋の外から差す光の中、諦めにも似た落ち着いた表情で、腕組みしながら開いた扉へと肩から寄り掛かる杉本の姿があった。


「知られてしまった以上、もはや貴方とのお嬢様ごっこもここまでですね。茉莉花様。」


「くそっ、斯くなる上は──」


 杉本にオリヴィアの謀略を嗅ぎ回っていたことが発覚してしまった動揺から、俺は震える両手に拳銃を構えた。そう、最後に調べたデスクの引き出しの最上段には、オリヴィアが護身用に携帯していたと思しき小型の銃が仕舞われていたのだ。こうなってしまった以上、杉本を人質にとってプルンバゴ邸を脱出するという強硬手段すらも、もはややぶさかではない。


「堅慎、落ち着いて!」


 あくまで冷静に、銃口を杉本へと向ける俺を腕で制止し、一歩前へと出た心美はそのまま彼女と対話を試みた。


「邸館の中でも特に立派な部屋、ここはオリヴィアが過ごしていた場所よね。」


「違うと否定すれば、今からでも信じて頂けますか?」


「そもそも、どうして年端もいかない彼女が公爵家・プルンバゴの当主を務めているのか──その答えは、この部屋に隠されていたのよ。」


「ほう。では、お聞かせ願えますか。その答えとやらを。」


 杉本の求めに応じるように、心美はゆっくりと朝の冷たい空気を吸い、数瞬の間を経て凍るような沈黙を破った。

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