囚われのマリオネット

Ch.7 ED 自我が芽生えた造華

 暫くして、日の光すらも届かない邸館の一室で、両手足の縄は解かれたものの、それぞれ片足に重たいかせを括り付けられた俺と心美の軟禁は決して解かれることはなかった。理不尽かつ不可解な誘拐犯の行動に嫌気が差し、痺れを切らした心美は、同じくプルンバゴ邸と呼ばれたこの館に残された杉本に吠えるのだが──。


「いい加減にしなさい! 勿体振ってないで、何か要求があるならさっさと言ったらどうなのよ!?」


「貴方たちとの交渉の余地はありません。私からの要求はただ大人しくしていること、それだけです。」


 この調子である。もう似たような応酬を何度繰り返したかも分からず、まるで先の見えない状況に直面して、心美はいよいよ正気を保てなくなっていた。


「杉本さん、貴方はあのオリヴィアとかいう女に殴られていたみたいだけど、そんな奴にどうして従っているのよ。気色悪いくらい私と瓜二つのオリヴィアが年齢までそっくりだとしたら、貴方はひと回りくらい歳が離れているように見えるわ。名前も家名も外国人の彼女と違って、貴方は日本人なんでしょう?」


「詮索は無用です……。」


 心美による矢継ぎ早の追及に、杉本は慌てて頬の傷を髪で隠して目を背ける。これまで冷静沈着で、自らの言動に絶対的な自信を滲ませていた杉本が初めて動揺している様子を前にして、心美は粘り強く揺さぶりをかける。


「言っておくけど、もし私たちの身柄を押さえて誰かに身代金でも要求しようって腹積もりなら、無駄な努力よ。私たちの肉親は既に他界しているし、親交のある人も限られてる。」


「残念ですが、それも見当違いです。」


 言葉を尽くして誘拐犯側の目論見を探ろうとする心美だが、けんもほろろにかわされてしまう。


「ひとつだけ、私からお伝えできることがあるとするならば……。お嬢様が申し上げていた通り、今日から茉莉花様──貴方をこのプルンバゴ家の当主としてお仕えさせて頂くことになる、ということです。」


「意味が分からない……。だったら、これが公爵家の主に向かってする仕打ちかしら?」


 心美は恨めしそうに杉本をきつく睨むと、金属製の枷が纏わりついた左足をぶらぶらと遊ばせて、わざとらしく鎖同士がぶつかる音を立てる。


「仰る通りでございます。ご無礼をお許しください。」


 なんと意外にも、杉本は大人しく心美への謝罪と同時に、足枷をあっさりと外したのだ。自由の身となった心美はそのまま俺の方を向き、杉本へ命ずる。


「堅慎のも外してあげて。」


「それは──」


「できないとは言わせない。貴方はの命令なら、何でも聞くんでしょう?」


「っ、承知しました……。」


 言い訳の余地も与えない心美の命により、杉本は俺の自由を奪っていた枷から解放してくれた。錠が解かれた枷の鎖はだらりと垂れ下がり、重りとなっていた金属製の球が床を転がって鈍い音を響かせる。


「しかし、恐れながら、列車の時と同じように脱出を試みるなどは決しておすすめできません。ここは館の最上階に位置する大部屋ですが、各階下には貴方をここへお連れする際に日本にも帯同していた屈強な従者たちが、大勢で待機しています。」


「くっ……。」


 なるほど、確かに機を窺ってプルンバゴ邸から脱することは不可能に近い。仮に杉本の言う大勢の従者たちによる追跡を振り切れたところで、この館の詳細な現在地も分からない以上は、線路に沿って歩くだけだったあの時とは異なり、生還は困難を極めるだろう。


 中途半端に自由を与え、されど目的は明かさないまま館に幽閉するといった誘拐犯側の目的が見えない状況に辟易していた時だった。杉本の手に握られていたスマホが短く数回震え、画面が点灯する。


「失礼します。」


 こちらを一瞥してから、薄暗い部屋に灯るブルーライトへと顔を近づけた杉本の表情は、次第に険しいものへと変わっていった。


「時に、茉莉花様おじょうさま。最近、周辺の平野部にて熊害ゆうがいによる犠牲者が増加傾向にあるのですが、このままではこのプルンバゴ邸にも被害が及びかねません。少々お知恵を借りることはできませんか。」


「何よ、藪から棒に……。熊害って、具体的には?」


「被害に遭うのは、主に都市部から離れて平穏に暮らしている老人です。無惨にも身体を大きく切り裂かれて即死したと思われる死体が、激しく荒らされた家屋に残されるという事件が多発しており、地元ハンターよる熊の駆除を進めても一向に被害が減らないのです。」


 すると、心美は僅かに考え込むような仕草を見せてから、毅然として告げる。


「熊の個体数を減らしても終わらない、都会の喧騒から離れてひっそりと暮らす老人を狙った被害、それでいて現場は荒らされていると。もしかしたら、熊害を偽装した人為的かつ常習的な強盗殺人事件の線を探った方が良いんじゃないかしら。実際に私が現場を見た訳ではないから、何とも言えないけれど……。」


「ありがとうございます。それで十分です。では、私は近くの者にお食事の用意をするよう申し付けて参りますので、これにて。」


 そう言い残すと、杉本はどこか慌ただしく部屋を飛び出していった。


「訳の分からないことを一方的に喋りだしたかと思えば、今度はとっとと部屋を出ていくだなんて。あの女、マジでどういうつもりなんだ……。」


「それより、願ってもないチャンスよ、堅慎。杉本は各階下にも誘拐犯が待機しているって言ってたけど、この部屋の高さによってはそっちの窓から脱出できる。」


「お、おう。確かにそうだ。」


 俺は紫外線に弱い心美に代わり、部屋の窓に近づいてカーテンを乱雑に払い除けて外を眺める。日の傾き具合からして夕方と思われる外界の景色は、見渡す限りの背の高い木々に覆われていた。そして下側に視線を移すと、草花が生い茂る地面までの距離はかなりのもので、飛び降りれば無事では済まないということは、火を見るよりも明らかだった。


 カーテンを閉じ、口惜しさのあまり首を横に振る俺の仕草から事情を察した心美は、ふと溜息を吐く。彼女自身も、杉本がそう易々と二度も脱出を許す訳がないことくらい、承知済みだったのだろう。


 あの手この手で探りを入れても埒が明かない誘拐犯の目的だが、最早それを知らないことには、このプルンバゴ邸を脱し、平穏無事な生活に回帰することはできないのかもしれない。これから俺たちは、茉莉花心美を騙る謎の人物・オリヴィア・プルンバゴと、公爵家を取り巻く事件の真相に立ち向かっていくことになる。

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