Ep.75 スパイ組織との決着

「待て、明星……!」


「……!?」


 狂ったように地面を叩いては霧散する、滝のような沛然はいぜんたる豪雨に掻き消されないように、ライフルの引き金に手を掛けて精神を研ぎ澄ませるように集中している憎き眼前の女に向かって、腹の底から声を響かせる。


 ──カン……!


 生者の気配など微塵も感じられない廃ビルの屋上にて、先んじて物陰に隠れていた俺とアイーシャの存在など露ほども意識していなかったであろう明星は、唐突に大声で名前を呼ばれたことに驚きながらも眉ひとつ動かさず声の主である俺の方へと銃口を向け、迷わずに弾丸を射出した。ライフルの弾は凄まじい風切り音と共に俺の耳元を通り過ぎて、背後にあった空調室外機を物ともせずに貫通する。明星による容赦ない殺意に晒された俺たちは、再び物陰に身を隠す。


「あっぶねぇ! 咄嗟に屈んでなかったら死んでたぞ……。」


「サイレンサー付きか。いずれにせよ、彼女が暗殺犯の一味であることは間違いなさそうだ……!」


 凄まじい威力を誇るスナイパーライフルを打ち放ったにもかかわらず、ほとんど銃声が聞こえなかったことから、明星はやはり死に損なった陸奥首相を再び暗殺するために現れた犯人グループの1人で間違いないだろう。目的達成のためならば躊躇なく目撃者を殺そうという判断能力と的確に俺の頭を撃ち抜こうとした射撃能力、そして殺人を一切厭わない冷酷さ、俺はその全てに覚えがあった。


「明星! ジミーという名前に聞き覚えは……!?」


 物陰を隔てて、虎視眈々と俺たちの命を狙う明星に対して問いを投げかける。


「ジミー……? あぁ。あの1年くらい前に貴方に殺されたという無能のことを言っているのかしら?」


 実際にジミーを殺したのは俺ではないが、この際そんなことはどうでも良い。以前栄泉リゾーツで密室殺人事件を起こして日本侵攻の足掛かりを作ろうと画策していた、その事実だけで十分だ。


「ジミーを知っているということは、やはりあんたも中国スパイの一味なんだな!?」


「どうしてそう思うのかしら? 例の事件は世界中で大々的に報道されたのだから、犯人の名前を知っていたところで私をスパイだと決めつけるのは、とても浅はかじゃないかしら?」


「しらばくれるな! だったら何故俺が探偵であることまで知っている!?」


 探偵業を営んでいることは、心美の身の安全にも関わることなので俺はそう簡単に他人へ吹聴することはしない。俺が探偵であることを言い当てたということは、やはり明星は俺の正体を知っていた上で接近してきたスパイであるということに他ならない。


「語るに落ちたな。あんたは今回の陸奥首相暗殺を滞りなく成功させるため、警察以上に優秀で中国のスパイ組織にとって目の上のたん瘤に等しい心美を事件から遠ざけようと、この俺を利用した!」


「面白い考えね。続けて……?」


「過去の事件で俺たちの探偵事務所の場所を突き止めた中国スパイの一味であるあんたは、その情報を基に近くへと引っ越した上で、偶然を装って俺に話し掛けた。俺の行動パターンを言葉巧みに聞き出して、過剰なスキンシップによって同居人である心美が俺の浮気を疑うように誘導して、皮肉にも良く頭の回る彼女はすぐに俺が不貞行為に及んだと疑った。」


「ご名答よ。やはり貴方も予め殺しておく方が確実だったかしらね。」


 ここまで築き上げてきた俺の推理をいとも容易く認めた明星は、この期に及んで悪びれもせず非道な物言いで挑発する。沸々と込み上げてくる怒りを抑えて、努めて冷静に状況を打開する方策を練るべく思慮を巡らせようとする俺とは逆に、アイーシャは俺の肩を叩いて焦りの色を浮かべた表情で小さく呟く。


「ケンシン、見て!」


 ライフルの脅威に怯えて中々物陰から顔を出せずにいる間、会話によって注意を惹きつけていた俺の反対側から明星の様子を観察していたアイーシャが手招きするので、ゆっくりと顔を出す。


「……!」


 俺の視線の先には、スナイパーライフルに弾丸を込め直して、ボルトを操作している明星の姿があった。卑怯にも明星は、敢えて会話を引き伸ばして次弾装填までの時間を稼ぎつつ、俺とアイーシャを完全に無視して、撤収作業を開始している街宣車に乗り込んだ陸奥首相の影武者・東條を改めて狙撃するべく淡々と準備をしていた。


「あの女……!」


 このまま物陰で身を潜めたまま手をこまぬいていては、東條の命が危ない。かと言って、弾丸の装填を終えた明星の前へ無策のまま不用意に突っ込んでいったところで、格好の的となるだけだ。そうなれば、俺とアイーシャの命が危ない。──こんなとき、心美が居てくれれば。


 相棒を失ったことで、今まで自分がどれだけ彼女の存在に助けられていたのかを痛感する。天才探偵・茉莉花心美の知略に頼らなければいざという時に何もできない無力な自分への怒りと、このままでは東條が殺害されてしまうかもしれないという焦燥感に駆られて、まともな思考能力が徐々に奪われていくのを感じる。


「ケンシン、しっかりして! 君はココミが攫われた時だって、立派に苦境を乗り越えてきたでしょう!?」


 小声ながらも魂の籠ったアイーシャの活に目を覚ます。オーストラリアでスパイと対峙した時でさえ、俺はアイーシャの力を借りながらも何とか心美を助け出すことができたのだ。あの時と状況は大差ないのだから、今回に限って成し得ないことはないはずだ。確固たる決意を胸に、アイーシャの方へ向き直って大きく頷くと、彼女は手短に状況説明する。


「明星が持っているスナイパーライフルを見て。」


 言われるがままに明星の方へと視線を移すと、そこには、先端に銃の発射音を抑制するサイレンサーが装着された、身の丈の半分ほどはありそうな大きさの狙撃銃が奴の両手に構えられていた。スコープを覗き込みながら目標に狙いを定める明星は狙撃に集中しながらも、頭を動かさず頻りに物陰に隠れている俺たちに目線だけを配って一瞬たりとも警戒を解かないので、迂闊に近づいては確実なる死が訪れることを否が応でも意識させられる。


「彼女の得物はボルトアクション方式の単発銃よ。威力や命中精度は折り紙付きだけど、初撃を外した場合は致命的な隙が生じる。」


 世界有数の警備会社のCEOとして、的確に敵戦力を分析するアイーシャによって、俺の脳裏には確かな閃きが過る。


「つまり、今装填されている1発の弾丸をどうにか吐き出させることができれば、一気に攻勢を仕掛けることができると……!」


「ビンゴ! さっすがケンシン!」


 膠着状態を打破するため一筋の光明が差したものの、今まで相対してきた中国スパイの誰よりも冷静沈着で付け入る隙を見せない立ち振る舞いをしている明星の前に出て、無駄弾を誘発させることの難しさは計り知れない。しかし、あまり時間を掛けてはいられない。奴は狙撃犯の存在など露程も知らないであろう東條に向かって、今にも引き金を引いてしまいそうだ。


「こんなこともあろうかと、念のため持って来ておいて正解だった!」


 必死に脳を回転させている俺を余所目に、アイーシャは懐から手の平に収まる程度の筒状の物体を取り出して、俺に手渡す。


「はい、我が社の新商品。」


「これは……?」


「GBSが開発した非致死性のスタングレネードだよ。ピンを抜いたら爆音と閃光で一時的に対象を無力化できる。できれば穏便に解決したかったけど、この際仕方ないよね。」


 自慢気に講釈を垂れるアイーシャには悪いが、もはや一刻の猶予もない。俺は一切の迷いもなくピンを引き抜いて、乾坤一擲、物陰からスタングレネードを明星に向かって投げ捨てた。


「もう、せっかちだなぁ……! 耳塞いで目を瞑って!!」


「はい!」


 アイーシャに言われるがまま瞼を力強く閉じて、耳に人差し指を詰め入れる。刹那、腹の奥を揺さぶるような轟音と共に瞼の奥が白くかすむ。次の瞬間、俺は物陰から飛び出して狙撃銃を持ったまま頭を抱えてふらついている明星に向かって走り出した。

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