【長編・連載中】時が止まって夢をみる

鈴木魚(幌宵さかな)

第1話 プロローグ

「おはよう」

 自分しかいない部屋で能勢は小さく呟いた。

 遮光カーテンの隙間から差し込む太陽の光がフローリングの床に一本の白線を作っている。ベッドに寝転んだまま能勢は首だけ動かしてその白線が向かう先をぼんやりと見つめた。

 綿埃がキラキラと輝いている。

 もうお昼ぐらいだろうか?

 枕元の携帯を見れば正確な時間はわかるが、起き上がるのが面倒で、差し込む光の強さと体のだるさで今の時間を推し量る。

 遠くで車のクラクションが聞こえた。

 能勢がこうして惰眠を貪っている間にも世界は何かを生み出し、そして消費するために動いている。正確に、確実に。

 能勢が一人いなくても何も変わらない。

「何もしたくない」

 事務所を改装して作られた簡素な部屋で、能勢の言葉は空中をしばらく漂い、静かに霧散し消えていった。


 ぼんやりと能勢は天井を見上げていた。

このまま溶けて消えてしまいたい。

 そう思っていると、瞼が重くなっていく。

 能勢は慌てて寝返りを打ってうつ伏せの体勢になった。危なかった。

 去年の夏から休みがちだった大学に今日は、どうして行かなくてはいけない。

 うつ伏せの体勢から、膝を曲げてうずくまり、ぐっとお腹に力を入れた。

「せーの!」

 という掛け声とともに布団から飛び起きた。

 そして、その勢いのまま風呂場に駆け込み、服を脱ぎ捨て、熱いシャワーを全身に浴びる。

 交感神経が活性化し、頭が覚醒し始める。

 本当は昼前に起きたかったのにな。

 小さな後悔をしながらも、これからの予定を頭の中でシミュレートしてみるが、想像しただけで、気が滅入りそうになって、能勢は考えることをやめた。


 部屋から外に出ると昨日からしつこく降り続いていた雨が嘘のような快晴だった。

 コンクリート打ち放しのマンション三階。そから見える空は、は目が覚めるような青一色。 

 能勢は無意識にな舌打ちをしていた。

 心がささくれている。

 大きなため息を1つ吐き、短い廊下を歩いて、エレベーターホールに。

 降下のボタンを押すと、すぐにエレベーターのドアが開く。乗り込んで一階を押した。

 貸し倉庫と貸し事務所だけのこのマンションで、エレベーターを待つことは稀だった。 

 一階のエントランスのドアを開けて、外に出ると大小様々な水溜りが道路に広がっていた。住宅街に囲まれた狭い生活路は補修が遅々として進まず、雨が降った後には水たまりが大発生する。

 お気に入りの深紅のニューバランスではなく、茶色いノーブランドのレインブーツにしてきて正解だった。

 雨上がりのためか、空気が澄んでいるような気がして、大きく深呼吸をしてみた。

 清涼な空気は能勢の肺を満たしたが、すぐにため息となって口から出て行ってしまう。

 見下ろした足元の水たまりは、空の青をその身に映し、さも自分が綺麗になったかのような済まし顔で地面に横たわっている、そんな気がした。

 能勢は無性に腹が立って、水たまりの中央をわざとざぶざぶと横切りながら歩いた。一瞬にして水面が波立ち、青空がかき消された。

 何でこんなに苛立っているのだろうか?

 能勢はまた小さく舌打ちをした。

 むしゃくしゃした気持ちを散々水たまりにぶつけて歩いてみたが、最寄りの駅に着く頃には、苛立ちは不安に変わっていた。

 ふぅと小さくため息を吐いた。

 出勤ラッシュの時間帯をとっくに過ぎているためか、空席ばかりが目立つ電車に能勢は乗りこんだ。

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