第16話魔の者の世界

大図書館跡地、中央ホール。そこが、冒険者二名と妖怪、それらとリッチーが戦っていた場だ。

雨が降り始め、元々鬱蒼としていた大図書館が、さらに気味の悪い雰囲気を醸し出している。


——しかし、雨が止まって見えるのは気のせいか?


大図書館跡地に降り注ぐ雨粒が、その全てが止まっているように見える。雨粒一つ一つが、全て空間に糊付けされたみたいに、止まってしまって動くことがない。

だがただ一人、その止まった空間を歩くものがいた。


『まさか、零位魔術を使うことになるとはな……この、時間停止魔術を——』


リッチーだった。

全ての物体の動きが停止した世界。時間が停止した世界を歩く、ただ一人の魔術師。

周りには二人の冒険者と一人の妖怪が立っている。だが、その三名も動く気配はない。

完全に、彼らの動きも停止していた。


『……最上位合成魔術——『黒雷撃槍』』


動けない彼らに向けて、強力な魔術を準備する。

既に勝敗は決していたようなものだった。


『しかし誉めてやろう。このワタシに、零位魔術を使わせたのだからな』


リッチーがここまで零位魔術を出し渋っていたのには、訳があった。

それもそのはず、零位魔術にはある代償が付き纏うのだ。


それが——一つだけ魔術を失うこと。


失うものが低位にせよ、最上位にせよ、零位魔術を使ったが最後、リッチーは使うことができなくなるのだ。

それも、どの魔術を失うかわからない上に、失った魔術を知覚することすらできない。だから、自分が何を使えないのか地道に探していくしかないのだ。

仮に失った魔術を見つけたとしても、再習得ができない。零位魔術の代償というのは、そういうものなのだ。


『黒雷撃槍』の準備ができると、リッチーは躊躇なく射出した。


「なんじゃ、この世界は」


だが、停止した世界でもその攻撃を防ぐ者がいた。

そいつは迷わず炎を伸ばして壁を生み出し、リッチーの魔術の全てを砕いた。


『やはり…………貴様は動くか……』

「当たり前じゃろう。……見たところ、時間が止まった世界、といったところか。雨も止まっておる」

『その通りだ。本来なら、何人も動くことが許されない世界だが……』

「わしに流れるのは妖力。わしの体そのものが魔術に特効じゃからな。効かんわ」


だが、そういう紫雲の纏う炎は、いよいよ消えそうになるまで小さくなっていた。


『一つ、貴様に聞きたいことがある』

「駄弁る気はない」

『今だけは攻撃する気はない。魔物のよしみだ、頼む』

「………………」

『ワタシから魔力の流れを感じないだろう』

「……そうだな」


リッチーの言うとおり、彼から魔力の流れを感じ取ることができなかったので、敵意がないと判断した紫雲は地面に座った。


「それで?なんじゃ、聞きたいことというのは」

『簡単な話だ。……貴様、なぜそいつらを守る?』

「…………………………」

『おかしな話だ。魔物……妖怪である貴様が守るのもおかしな話だが、貴様の性格上、到底そんな精神があるように思えない。何か、情でも移ったのか』


実際、リッチーの言っていることは正しかった。最初からリッチーの魔術のほとんどを引き受けて、さらには自分の身すら使って彼を拘束しオルタの最大の攻撃を成功させた。

そこまでする理由が、リッチーには理解できなかった。


「それこそ簡単な話じゃよ」


そういって、リッチーの隣に浮いている刀の入った結界を見つめる。


「わしは、魔物であるよりも、付喪神であるよりも先に“武士“だから。たったそれだけの話じゃ」

『……なるほどな』

「そんなことを言えば、わしもひとつ聞きたいことがある」

『まぁ、ワタシからも一つ聞いてしまったしな。いいだろう』


そう言って、リッチーも地面に座る。


「あの男……魔術師のオルタから聞いた話じゃが、どうやらリッチーというものは生来、凡人が死後に成り果てる魔術師の極地というではないか。だからこそ気になるんじゃ。……貴様、なぜ人間を襲う? 貴様も元人間であろう?」

『そうだ。ワタシも元を辿れば、才能のないただの弱小魔術師だった。死後魔術を極めたことで、リッチーへと至った訳だがな。……しかし、なぜ人間を襲うか……か。そう言われると難しいな。ワタシは魔物に堕ちてしまったから、という他ない』


少しだけ、目を細める。


『……正直に言ってしまえば、お前が少し羨ましいよ』

「ぬ?」

『ワタシはもう人間と共に戦うことはできなくなったがね、昔を思い出すんだ。非才ながらも、仲間と共に戦っていた時代をな』

「できないのか?」

『今やワタシは倒される側。それもこんな異形に成り果てたのでは難しい話よ。せめてお前のように人の形をしていたのならな』

「まぁ、わしも討伐対象だがな」

『そうなのか?』


意外そうに目を丸くした。


「最初は来る者全てに首を狙われたのう。だから、全て懲らしめて帰してやった。まぁ、賊のような救いようのない者どもは容赦無用で斬り捨てたが」

『なるほどな……違いはそこだったか……』

「そこ……?」

『気にするな』


リッチーがいった“そこ“。それは来る者を“帰すか帰さないか“の違いだった。

普通、自分の首が狙われたというのなら、問答無用で敵とみなして葬る。彼も、元人間といえど襲われたら人間を殺していた。なんせ、自分の身が危ないのだから。

もしかしたら、才能のあるものへの僻みなのかもしれない。もしかしたら、弱い自分を隠すための自己防衛なのかもしれない。どちらにせよ、リッチーは魔術を極めても、小心者だった。


相手を許す。その度量の広さを持っていなかった。


『ワタシは……どこまで行っても弱いらしい』

「たわけ。誇れリッチー。わしから刀を奪うなど、未だ一人しかなし得なかった偉業よ」

『そう、か……』


そう言われ、リッチーはわずかに心が揺らいだ感覚を覚える。このままでは、紫雲に情が入ってしまいそうだと判断したのか、立ち上がって魔法陣を展開した。


『さぁ……そろそろ再開しようじゃないか。この戦いを』

「そうだな。わしも、そろそろ返してもらうとしよう」


そういって、紫雲は構える。先ほどよりも、わずかに炎が大きくなっている気がした。刀を媒介せずとも、紫雲本人だけでわずかながらも妖力を回復できるらしい。


『最上位合成魔術——『封魔黒雷撃槍』』

「妖術——『火炎重砲』」


互いの技が衝突する。

だが、勝るのは紫雲の妖術、リッチーの方へと向かっていく。


そこで、紫雲は気がついた。


リッチーの放った黒い槍。それと衝突したはずの自分の技が、全く衰えていない。少しも速度・威力が落ちている様子がなかったのだ。いくら妖術と魔術のぶつかり合いで妖術が有利といえど、無敵という訳じゃない。衝突すれば、少しはエネルギーが消耗され、速度が落ちるのだ。


なぜ?


その答えは簡単だった。


『“拡散しろ、黒き槍よ“』


“衝突前に槍は分裂した“。まるで花開くように四方八方へと散って、紫雲の背後——オルタへと向かう。

背後で散った槍は収束し、また一つの大きな槍となる。そのまま、オルタを貫こうとする。


(ここからでは炎を伸ばしたのでは間に合わん……!)


紫雲の判断は、早かった。


(妖力で身体強化するほかない! 直接殴り飛ばす!)


すぐに走り、オルタの元へ向かう。飛ぶ槍に追いつき、同時にオルタが迫る。

槍が当たる寸前、大きく地面を踏み込んで、横からその槍を殴った。


だが、わずかに遅かった。


直前で殴り飛ばそうとした槍は、急所を逸れたものの、結果的に彼の肩を貫くことになった。

時間が止まっているからか、血は流れでこない。しかし痛々しい光景が、紫雲の目の前に生まれた。


「……クソっ」

『驚いたな。まさか、追いつくとは思わなかったよ』


振り返ると、そこにリッチーはいない。一体どこに行ったのか、紫雲が少し視線を動かすと、そいつがレヴィに近づいているのが見えた。

また接近しようとしたが、体が動かない。どうやら先ほどの疾走で全ての妖力を使い果たしたらしい。

時間停止の法則に囚われていた。

しかし、妖力の残穢でまだはっきりとしている意識の中で、レヴィがリッチーに掴まれ消えるのを見るのは見えた。


『……そろそろ零位魔術も限界か』


すると、動かなくなっていた体が動くようになる。時間停止が解除されたのだ。どうやら代償を要する零位魔術も限界はあるらしい。雨が降り始める。

加えて、背後から絶叫が聞こえてくる。


「がぁぁぁぁっ!?」

「オルタ……!」

「づっ…………いや、問題ない……この程度治癒魔術で……!」


しかし、彼が展開した緑色の魔法陣は発動しなかった。


「なんで……!?」

『さっきワタシが放った黒雷撃槍は特殊でね。封魔術結界のような特性を付与してある。当たったが最後、しばらくは魔術を使えないだろう。例え、魔力が存分に余っていても』


そう言うリッチーの腕の先には、首を掴まれるレヴィがいた。


「ぐっ……なぜだ!?さっきまで私たちはお前を……!」

『全容はあそこの妖怪が知っているさ。まぁ、貴様らが知る必要はない。理解しても、対処のしようなどないのだからな』


リッチーの言う通り、時間停止魔術である『虚々刻々』は本来不可避の魔術。紫雲は妖力を有していたため例外となったが、実際は何人であってもあの世界から逃れる術はないのだ。

すると、レヴィを掴んだままリッチーがこちらを向いた。


『取引だ、妖怪』

「……なんだ?」


警戒しながらも、紫雲は耳を傾ける。

選択を間違えれば、確実にレヴィの命はない。


『ワタシはお前が気に入った。だから、この女をワタシに寄越すと言うのならこの刀を貴様に返そう。無論、ワタシも死にたくはないからな。刀を返したらさっさと消える。この女を連れて』


その提案は、紫雲にとって都合が良過ぎた。

つい数日前にであった一人の女剣士を捨てるだけで、百年も千年も共に苦楽を共にしてきた——いや、それ以上に大切な自分の刀、もっといえば依代を取り戻せるのだ。

武力行使をしようにも既に妖力は枯渇済み。ならば、レヴィを差し出して刀を取り戻すのが紫雲にとっては最重要だ。


「なるほど。そいつを渡せば、わしの『雨切』が手に戻ってくると」

「おい……紫雲……!!」

『どうだ、応じるか?』

「そうじゃな……」


少し悩んだ素振りを見せてから、答える。



「いらん、どちらもな」



返したのは、予想だにしない答えだった。


『……は?何を言っているんだ、お前』

「どちらもいらんと言っているじゃろうが。……ただ、その代わりにわしからも一つ」


そう言って、レヴィを指差した。


「奪われたものは、戦って取り返す。それが強者と言うものよ。だから、其奴らが返ってくるとかはどうでもいい。——それらを返さなくてもいいから、わしと戦え。それが、貴様にできるたった一つの“取引“じゃ」

『————! いいだろう……! 決着をつけようじゃないか……!』


面白い。そう言って、紫雲は近くに落ちていたレヴィの剣を拾った。どうやら、リッチーにつれられた時に落として行ったらしい。


「おい、待て紫雲……なんで剣を取った? それに、なんでお前から炎が消えて……」

「妖力なら使い果たした。すでに蝋燭程度の火すら起こせんよ」

「なら、戦うんじゃない……お前がリッチーと戦えていたのは、妖力が魔術に対して有効だったからだ。それに、その剣じゃ魔術は斬れない……レヴィが斬れたのは、あいつの魔力があったからだ!」

「知っておる。そんなこと」


既に、紫雲は普通の人間と大差ない力になっている。妖力は失い、肝心の妖刀は奪われ、仲間は動くことができない。もはやリッチーの魔術に対抗する術など、何一つ残されていなかった。


「お前今の状況がわかってるのか!?」

「こっちの台詞じゃ。お前もその怪我で動くな。血がなくなって死ぬぞ」

「いいから……早く剣を下ろせ……」


そう言って、オルタは怪我をしていない方の腕で紫雲を掴んで引き止める。


「……なぜ止める」

「お前が、死にに行ってるからだよ……!」

「ククク……それではまるであの女と言っていることが同じだな?」

「うるさい……」


それを振り払って、紫雲はまた一歩進んだ。

雨が打ち付けるが、関係ない。綺麗な髪を濡らしながら、一歩、また一歩と進んで行く。


「逃げろ……紫雲……」

『準備はいいか? 妖怪……いや、紫雲』

「あぁ、武器は上等。最高の状態じゃ」


紫雲は剣を構え、リッチーは魔法陣を展開した。


『最上位合成魔術同時展開——『跳ねる光玉』『弾ける紅玉』』


無数の魔法陣が、紫雲を囲む。回避は不可能、防御も絶望的。

だが、紫雲の瞳は絶望していない。


「奥の手を使うときがきたな」


そう言って、紫雲は柄を握る手に力を込める。

迫る光の球を意に介さず、神経を集中する。

己の握る剣に、心に宿す刃に、本能という砥石で研ぎ澄まし。

 

その切っ先が、わずかに動いた。


「——剣術……」


剣と魔術が触れるそのわずかな時間、紫雲の脳裏には古い記憶が呼び起こされていた。

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