第10話 ギターの匂い、ネオンの音
目的地に着き、桃谷がそっと自転車を降りる。
「ありがと」
「おう」
4年連れ添ったマイフェイバリットバイシクルに女の子が乗っていたと思うとなんだか心がぽかぽかする。親心というのだろうか。大事に育てた息子が成人したような感覚。おおきくなったな、おまえ。
感動に目を潤ませている俺をよそに、桃谷は目の前のビルを見上げている。
「ここに楽器屋さんがあるの?」
そのビルはビジネスの匂いが強く、ぱっと見では楽器屋が入っているとは思えない。彼女が疑問に思うのも無理はない。
「そう。ここの2階が楽器屋。そんなに大きくないけどな。ちなみに3回は楽器教室」
小さいころお世話になった教室がある。第二の故郷というか、第二の分娩器という感覚。ここから俺が生まれたと言っても過言ではない。この建物には、マブダチのような親しみを覚えている。なんなら、こいつとサシで飲めるし、話すことがなくなって沈黙が生まれても気まずくならない。そういう関係。
「こっち」
大通りに面しているエントランスからではなく、裏口の教室に通う生徒たちしか普段使わない扉からビルに入る。わざわざこっちから入ったのは、こっちの方が速いとかではなく、ここに通いなれている感を演出したかったという醜い見栄だ。こういうところがよくない……。
そして、俺の通っぷりを発揮するべく、エレベーターではなく非常階段を使って2階まで上がる。わざわざ労力を使って昇ろうとすることに桃谷は不思議そうな顔をしていたが、俺は気づかないふりをしてすたすた階段を一つ飛ばしで踏みつけていく。
2階の非常口を開けると、薄暗い、ギターの木の匂いがほのかに香る、小さな楽器屋が眼前に現れた。
入ってすぐ右手にはレジがあり、それに向かうようにして楽譜、教則本がずらっと左奥まで並んでいる。レジの右側に小さなドラムグッズコーナーがあり、スティックやパッド、チューニングキーなどの小物がおかれている。
その左のラックに、お目当てのギター関係の小物類がかけられており、ギターキッズとしては無条件に心が弾んでしまう。
「お、あったあった」
いつも使っているエレキの弦を見つけ、実家のような安堵を覚える。
「あ、エレキの弦なんだ」
「そう。アコギはこの間張り替えたとこやから」
俺が掴むレギュラースリンキーを見てすぐさま反応した。その反応の速さ、ナチュラルさにふと疑問が沸き上がる。
「桃谷もギター弾くの?これがエレキの弦ってわかるってことは」
「うん、ちょっとだけね。前にも言った気がするけど……」
俺が当然に知っていると思っていたというような顔で言う。こういうところなおさなあかんな……。
「そ、そうか。いつもどれ使ってんの?」
自分の至らなさをかみしめ、話題を転換する。ずらっと並ぶギターの弦のパックを指さして、質問する。
「私はこれ。なんて言ったっけ。スーパースリンキー?」
俺の持つ黄色いパッケージのもの横にかけられている、同じ会社のピンクのパッケージのものを手に取り、にこやかに答える。
「そっちなんや。まあ、手、ちっさそうやしな」
「そう。初めて張り替えた時、黄色の方使ったんだけど、硬すぎて弾けなかった。それかはずっとこっち」
説明しておくと、俺が使っている黄色い方は弦が太めで、レギュラーと名を打っている割にあまり人気がない。それに対し、ピンクの方、スーパースリンキー、日本語ですごく細いやつの方は弦が細く、初心者にも扱いやすいことから、圧倒的に利用者が多い(俺調べ)。俺は逆張りだからあえて黄色を使っている。逆張りだから。
「よくそんな太い弦で弾けるね。私なんか、それだとチョーキングできなかったよ」
「ちょっと硬いよな。でも、慣れたら結構弾きやすいし、何より、コードの鳴りがきれい。俺はカッティングが好きやから、これくらい太い音が鳴てくれる方がうれしいね」
桃谷は珍しいものを見るように「へえぇー」と深い声を出している。
「桃谷はエレキだけなん?アコギは弾かへんの?」
「いや、アコギも弾くよ。けど、エレキギターの方が弾いてて楽しいんだよね」
「珍しいな。女の子はアコギに憧れてギター弾くんちゃうの?」
「うーん。初めて弾いたのはアコギだったけど、エフェクターで歪ませたときのエレキに衝撃を受けたんだよねぇ」
嬉々として語る彼女は、幼い少女のような目をしている。
「そうか。なかなかロック女子やな」
「へへへ」
照れたように頭の横のあたりを搔いている。かわいいな。うん。
ぱっぱと買い物を済ませようと、ギターの弦をレジまでもっていく道中で、ふと思いつく。
「そうや。ちょっと試奏していけへん?」
ギターの話をしていたら、ギターを弾きたくなってしまった。食べ物を前にして、無意識のうちによだれが出るような感覚。
「え、いいよ」
意表を突かれたという顔をして、コンマ0.1秒で返答する。おそらく脳みそで返事していない。反射ででた返答。
桃谷の承諾を得て、ギターが飾られているブースに行く。
アコギの木の匂いが何とも香ばしく、とても居心地がいい。エレキギターはなく、アコギも7本ほどしか置かれていない小さなスペースだが、その小ささが逆にいい雰囲気を醸し出している。
「すいません、これ、試奏してもいいですか?」
「大丈夫ですよ!」
一応店員に確認を取り、許可をもらってから、一番近くにあったギターを手に取る。
店員が慣れた様子でチューニングをしてくれて、きれいな音で鳴るよう調整したうえでギターを渡してくれた。
ちょろっとフレーズを弾いてみる。マイナーペンタのベタベタなフレーズ。アコギ特有のふくよかな音が響き、普通は歪ませて弾くようなフレーズでも、これはこれでありかもしれないと思わせる趣を感じる。
少しだけソロっぽいフレーズを弾いたあと、今度はコードを鳴らしてみる。
Cadd9、Dsus4、Em7(9)、G。
淡い、ノスタルジーを覚えるようなコードがギターの音色にマッチし、その場の空気が薄くかすんだ夕暮れ時のような色になる。酸素は薄いが、それも気持ちよさの一部に組み込まれた空気。メロウで蕩けそうなその空気が、なんとも心地いい。
俺が自分の演奏によっていると、桃谷が一つ咳ばらいをする。
そうしたかと思えば、息をごくりと飲み込み、大きく息を吸う。
次の瞬間、薄暗い夜を待つ前のような空気が、一転して夜中のネオンがきらめく繁華街のような喧噪が眼前に現れた。
人がにぎわい、あちらこちらから様々な種類の音が聞こえる。人の怒声、鉄を打つ工事の音、パチンコ屋から漏れ出るけたたましい音楽。そういう音が、目に見えるように浮かばれる。
かと思えば、スポットライトは目の前の少女に当たっており、喧噪を彩るように、美しい声で、街全体を包み込む。
道行く人が足を止め、動けなくなったように彼女の美声に心を奪われる。あるものは踊りだし、あるものはただ茫然とし、果てには涙を流すものさえいる。そういう十人十色、百人百様の感情を表面に浮かび上がらせる。
細かく切るように刻まれたギターに対し、テイルの短い、タンギング気味のリズミカルな歌がのる。リズミカルなのにメロディアスで、体は踊っているのに、心は泣いている。そういう音楽が、きらびやかな都会の夜を覆っている。
そして、ハッとして気づかされる。今見ていた光景は現実のものではなく、彼女の歌声によって見せられた幻想なのだと。
ギターの演奏をとめ、彼女の方を見つめる。
俺に見つめられて、そっと微笑みかえす。
「へへ。セッションしちゃったね」
照れるように、恥ずかしがるようにそう言う彼女は頬を少し赤らめている。
俺はまだ彼女を見つめている。
「ど、どうしたの?」
見つめられて、どうしていいのか分からないといった様子できょろきょろしている。それでも俺は見つめ続ける。
「よ、よくなかった?」
自分の行いがよくなかったのではないかという疑念を抱いた彼女が、恐る恐るそう問いかける。
「いや、そうじゃない」
「ほう、じゃあよかった……」
胸をなでおろし、一つため息をつく。
「そうじゃなくて、なんでそんなにいい声持ってんのに……」
その続きを言うのがためらわれた。とっさに言い淀んでします。
「ん?どうしたの?」
「いや、なんでもない」
そっかと小さくつぶやいて、ふふっと笑った。
なぜか、その続きが憚られた。いや、自分の意思で言わなかった。本当に大切なことは言葉にならない。
帰り際、店員に言われた「いいユニットですね!」という言葉が耳の奥に残った。
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