第16話 消えた幽霊

 駅員さんから小一時間ほどお説教された後、私たちは解放された。

 駅前の広場で、真也さんが私の足下に土下座している。


「申し訳ありませんでした……」

「……もういいよ、人が見てるし」

「見られたってかまわない」

「私がかまうの……自分のことしか考えてないんだね」

「そ、そうか……すまない」

「動画とか撮られてて恥ずかしいし、私もう行くからね」

「……わかった」


 私が歩く後を、うなだれた真也さんが付いてくる。


「どうして付いてくるの?」

「美里にオレの気持ちを知って欲しいんだ」

「……知りたくない」

「きっかけはあいつらの言うとおりだった……売り言葉に買い言葉。悪いなとおもいつつ、チャンスだとも思ったから、やつらの賭けに乗ったんだ」

「聞きたくないって言ってるのに……」

「あのプリントのとき――あのときオレが言ったこと、覚えてる?」

「……いままでのこと、ぜんぶ忘れたい」

「初めて見たときから美里のこと可愛いって思ってた、って言ったよね」

「……どうせ嘘でしょ」

「信じてもらえないかもしれないけど、本当なんだ。初めて見たときから、ずっと美里に片思いしてた」

「……嘘」

「それまでに付き合ったは多かったけど、ぜんぶゲームみたいなものだった」

「……自慢か」

「事実を言ってるだけだよ……美里に会ってわかったんだ。本気で好きになった娘に対しては、自分は臆病になるんだって」

「…………」

「賭がオレの背中を押してくれたんだよ……あれがきっかけで、美里にアプローチする勇気が出たんだ……でも、だからといって許される行為じゃないことは、わかってるけど」

「……だけど、私に告白させて、その賭けに勝とうとしたよね。結局、私のこともゲームのひとつだったんでしょ」

「それは違う。オレの方こそ、早く自分の気持ちを伝えたかった。自分から告白したかった……だけど、振られたらどうしようって思って、言い出せなかった。いままでオレ、本気で誰かを好きになったことなかったし……怖かったんだよ、美里から拒絶されるのが」

「……苦しかった?」

「美里の前では余裕のあるフリしてたけど、正直つらかった。何かにつけて美里のことが頭に浮かぶしさ……ため息ばかりついてたし……メシは食えなくなるし……あんな風になったのは、初めてだった」

「ふぅん……」

「さっきみたいなことになるまで、美里を傷つけてしまって……本当に申し訳ない……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 また、土下座が始まる。

 今度は商店街の真ん中で……。


「だからもういいって……言ったでしょ、さっき」

「ごめん……どうにかしてお詫びの気持ちを伝えたくて……つい」

「結果的に死なずに済んだんだし、もう謝らなくていいから」

「許してくれる?」

「許さない」

「……だよな」

「真也さんに聞いておきたいんだけど、あのとき駅のホームで、私の腕をつかみ損ねたよね」

「もう少しだったんだ」

「でも私は真也さんじゃない誰かの手で引き戻された……私を助けてくれた人、見た?」

「いや……美里が助かって良かったって、頭の中はそのことでいっぱいだったから……」

「駅の防犯カメラを見れば、誰が私を助けてくれたかわかるかも」

「どうだろう……でもたぶん、見せてくれないよ」

「警察の要請とかないと無理かな……」

「オレも知りたいけどさ……個人情報とかで無理だろうな」

「なんで真也さんが?」

「だって、お礼とか言いたいじゃん」

「だからなんで?」

「美里の命の恩人だから」

「関係ないでしょ、真也さんには」

「大ありだよ」

「だからなんで?」


「美里のことを愛してるからだよ!」


 とんでもない大声。

 商店街の真ん中で、愛を叫ばれた!


「あ、あ、あい……し……」


 道行く人が、私たちを見てヒソヒソ、くすくす……。

 野次馬がどんどん集まってくる。

 何故いま、何故この場所、何故その声量!?


 真也さんは、やおらひざまづいて私の手を取ると――


「自分、椿真也は、三代川美里さんのことを愛しています! 美里さん、オレと結婚して下さい!」


「え……けっ……こ……@おp;いfjうぇrf」


 この人、いったい何を言ってるの?

 わけがわからない……世界がぐるんぐるん回っている……


「結婚、してください!」

「え……あの……わわわたしまだその……早生まれだからいま16歳だし……法律がかわったから年齢的なものが――」

「18歳になってからで結構です」

「ふ……ふぇ……」

「美里さん、オレと結婚してください!」

「う……ぅ……」


 駅での土下座の時と同じ……ばんばん写真とか動画を撮られてる。

 がんばれ~、とか早くおっけ~しろ~っ、とかギャラリーが勝手なことを言ってる。

 なんなの、これ……逃げ出さなきゃ……こんな恥ずかしい状況から、早く逃げ出さなきゃ——


「ほ、保留ッ!」


 言うが早いか、ダッシュでその場を離脱する。

 真也さんが追いかけてくるが、今度は追いつけない。

 普段から鍛えている私とは、持久力が違うもん。



   ◇   ◇   ◇



 20分後、私はワカギカメラでアイスコーヒーをごちそうになっていた。

 今日の出来事を若城さんに話す。


「――ははっ、保留はよかったな」

「笑い事じゃありませんて」

「いやごめん……でも、プロポーズの返事が保留とはね……ムフッ」

「私まだ16歳ですよ? 断るのが普通だと思うんです」

「でも断らなかった?」

「そこのところが、自分でもよくわからないんですよね……断るつもりだったのに、口を突いて出たのは――」

「〈保留〉だった。真也くんのことがまだ好きなんだね」

「……わかりません」

「そうだ……預かってたものを返すよ」


 若城さんがカウンターの下から取り出したカメラとフィルムが、私の前に置かれる。

 カメラはぴかぴか。

 フィルムは、ワカギカメラの印が押されたプリント袋の中。


「ついでにカメラとレンズ、オーバーホールしておいたから」

「え……私、お金が――」

「僕が好きでやったことだから、お代は結構」

「ホントですか……ありがとうございます」

「それで、幽霊が写ったフィルムなんだけどね……」

「どうでした?」

「……ま、自分でもう一度見てくれないか」


 プリント袋から、スリーブに入ったフィルムを取り出す。


「あっ!」


 一目見て気づいた。

 ユウの姿が写ってない!


「こ、これ……」

「まだ幽霊が写ってる?」


 上目遣いに私をじっと見つめる若城さん。

 心配してるような、探るような……そんな目つき。


「う、写ってません……でもどうして……」

「最初に見せてもらった時から、幽霊なんて写ってなかったんだ」

「そんな……私には確かにユウの姿が見えて――」

「僕に見せる前に、誰かにこのフィルムを見せたことある?」

「……若城さんが初めてです」

「ふむ……これはどう考えたもんかな……」


 あらためて、1コマ1コマじっくりとフィルムを見返す。

 ネガフィルムなので黒白が反転しているけど、画面いっぱいに写っていたはずのユウの姿は見落としようがない。

 なのにどのコマを見ても、ユウの姿が写っていない……。


「言っておくけど、僕はフィルムになにもしていないからね。カメラも特に問題なかった」

「はい……写っているのは、私が撮った覚えのある被写体と構図ばかり……ユウの姿だけが消えちゃってるんです」

「どうしてなのか、ユウくんに聞いてみたら?」

「で、でも……ユウは自分が写り込んでしまう理由すらわかってなかったんです……消えた理由だってきっと――」

「聞くだけ、聞いてみればいい」

「そうですね……」



   ◇   ◇   ◇



 ユウにわけを聞こうとしたのだが、あの日以来、ユウが私の前に姿をみせることはなかった。

 ついに成仏してしまったのだろうか……。


 それよりも合理的な説明がある。

 ユウやユウの写った心霊写真が、私の脳が作り出した妄想という説だ。


 主観的に見れば、世界は認識によって成り立っている。

 幽霊が見えると思い込んでいたら、その人にとってそれは真実なのだ。


 見えるから見えている……ユウもユウの写っていた写真も、私が見えると感じていたから、見えていたということだ。

 私にとって、それは真実だった――少なくともあの日、死にかけるまでは。


 死にかけたショックで、脳の中の何かが変わってしまったのだろうか。

 そのせいで、ユウが見えなくなったのかも……。


 幽霊は私の脳が作り出した幻だったのかもしれない。

 でも、私を助けてくれた手……あの手は確かにお父さんの手だった。

 どうやったのかは分からないけど、お父さんが私を死の淵から救ってくれたんだ。

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