第6話 交換日記

「――真也! まだ時間かかんのかよ」


 男子生徒が2人、開け放しだった部室の戸口から顔を出す。

 ひとりは眉毛が薄いのが目立っていて、もう一人は青系の色レンズが入ったメガネが特徴。

 真也さんの友達みたいで、彼を迎えに来た様子。


 今日、このまま真也さんと一緒に下校することになったら……なんて妄想をしてたけど、そこまでトントン拍子に話は進まない。


「じゃ、またね」

「さ、さよなら……」


 軽口を言い合いながら去って行く真也さん一行を、戸口まで見送る。

 廊下の角を曲がって視界から消える寸前、振り向いた真也さんが手を振ってくれた。

 めいっぱい手を振り返した。


「はぁ……」


 部室に戻って椅子にへたり込む。

 とんでもなく疲れた……脳が全力疾走をした気分。


「入部希望者?」


 ユウが姿を現す。


「違うよ……同じクラスの真也さん」

「仲いいんだ?」

「今日、初めて会った……ていうか、認識した」

「下の名前で呼ぶなんて、ずいぶん親しげじゃない」

「真也さんがそうしたいって言うから」

「ふぅん……」


 うさんくさげな目つき。


「言いたいことがあるなら、はっきり言いなよ」

「……不安だな」

「なにが? コミュ障の私に友達が出来たんだから、喜ぶべきことじゃない」

「同性の友達ならね」

「なにそれ……もしかして妬いてる?」

「そんなんじゃないって。僕は美里が傷つくのを見たくないだけ」

「保護者みたいに……いいじゃない、傷ついたって」

「男女の友情は成り立たないんだよ……遅かれ早かれ、恋愛を意識する関係に――」

「ほっといてよ」

「……どうなっても知らないからね」


 捨て台詞を残して、ユウはすうっと消えてしまった。


 あの態度……ユウは違うって言ってたけど、完全に嫉妬だよね。

 もしかして私、モテ期が来てる?

 まぁ、幽霊に好かれたところで困るんだけど……。



    ◇   ◇   ◇



 学校からの帰り道、ユウは現れなかった。

 さっきは、ちょっと言い過ぎたかな……。


 だけど、ユウはユウで過保護っていうか……そりゃ心配してくれるのは嬉しいけど、余計なお世話なんだよね。

 せっかく真也さんといい感じになりかけてるんだから、放っておいて欲しい。

 私に取り憑いている幽霊のくせに、何の権利があって……でもまぁ、次に出てきたら、言い過ぎた件は謝っておこう。


 けど交換日記かぁ……そんな経験もちろんないし、それどころか日記すら書いたことがない……いや、書こうとしたことはある。

 あるけど、初日で挫折したんだった。


 だって、書こうとして思い浮かぶのは、その日あった嫌なことばかり。

 そんなの書いててつらいし、ましてや読み返そうなんて思わない。

 それで、せっかく日記帳を買ったのに、初日で書くのをやめてしまった。

 どうせなら、日記帳を買う前に気づきたかった……。


 だけど今回は交換日記!

 複数人が一冊の日記帳を共有し、交代で書き込んでゆくというヤツ。


 友達とか恋人同士の文字によるやりとりって、今ではスマホのアプリとかのデジタルが主流になっている。

 スマホを持てない私にとっては、手の届かない別世界の話。


 だけど交換日記!


 あのとき、交換日記を思いついた私を褒めてあげたい。

 そしてまさか真也さんがそれに乗ってくれるとは!


 はぁ……すごく楽しみ。

 何を書こうかな。

 真也さんは何を書いてくれるかな。


 商店街の文房具屋さんに寄って、交換日記用のノートを買った。



 帰宅すると、着替えるのももどかしく机に向かう。

 日課のジョギングは中止。


 買ったばかりのノートを袋から取り出す。

 何の変哲もない、A5サイズの大学ノート。

 誰かに見られる可能性も考えて、目立たないようにごく普通のノートを選んだ。


 表紙に〈交換日記〉と書こうとして、危うく思いとどまる。

 舞い上がりすぎるな、私。


 ノートを開いて、1ページ目に今日の日付を書く。

 そこで手が止まった――


 あれ? 交換日記って、何を書けばいいんだろう……。

 正解がわからず、白紙のノートを前に腕組みをして考え込む。


「宿題?」

 背後に立ったユウが、私の手元をのぞき込んできた。


「ちょっ……!」

 ガバッと机に伏せて、ノートを隠す。


「あれ……見られると困るものだった?」

「なっ、なんでユウがここにいるわけ!?」

「なんでって……別に理由はないけど」

「今まで一度もこの部屋に……ていうか、家の中に入ってきたことなかったのに」

「いやぁ、入れるもんだね」

「学校の部室ならともかく、他人の部屋に黙って入るなんて……プライバシーの侵害だ!」

「でも、ノックしようにも僕の手はドアを通り抜けちゃうし……」

「だったら入らないで!」

「嫌だった?」

「イヤに決まってるでしょ! バカ、アホ、フナムシ!」

「ええっ、フナムシって……また珍しい悪口を……」

「いいから出てって!」

「でも僕、真也くんのことをあやまりたくて――」

「出てけ!」

「……わ、わかったよ」


 パッとユウの姿が消える。

 消える直前、悲しそうなユウの顔が見えたけど、こっちはそれどころじゃない。


 勝手に他人の部屋に入るなんて……それも年頃の女の子の!

 なんなのアイツ!

 デリカシーのかけらもない!

 幽霊だからって、そんな非常識が許されると思ってるの!?


 ……声には出さず、不満を吐き出すのには慣れている。

 伯母さんにキツく当たられたりした時に役立つスキルだ。

 心の中でユウを罵ったことで多少は落ち着いたものの、交換日記を書く気分ではなくなってしまった。


 やっぱり走ってこよう――


 体操服に着替えて外に出る。

 どこかで秋の虫が鳴いていた。



   ◇   ◇   ◇



 翌朝――


 めずらしく寝過ごして、伯母さんに起こされた。


「遅くまで勉強していたようだけど、一夜漬けじゃ身につかないわよ」

「……はい」


 別に勉強していたわけじゃない。

 交換日記を書いていたのだ。

 悩みに悩んで何度も何度も書き直し、どうにかこうにか1ページほど書き上げた。

 もちろん買ってきたノートは本番用で、そこへ清書するまでに、かなりの量の紙とボールペンのインクを消費してしまった。


 結局、布団に入ったのは空が白みはじめた頃――


 あくびをかみ殺しながら朝食を済ませ、いつもよりかなり早めに家を出た。

 程なく学校に到着するが、始業時間までには、まだだいぶ時間がある。

 昇降口には誰もいない。


 ドキドキしながら、真也さんの靴箱を開ける。

 間違えたらたいへんなので、何度も扉の名札を確認した。


 よし、ここで間違いない。


 上履きの上にそっと交換日記を置き、扉を閉める。

 キョロキョロとあたりを見回す――大丈夫、誰にも見られてない。


 すぐにその場を離れた。

 心臓はバクバク。

 ハンカチで額の汗を押さえながら、足早に教室へ向かった。



 その日は一日中、交換日記のことを考えていた。

 内容はあれで良かったのか……あのことを書けば良かった、あれは書くべきじゃなかった……あそこの表現はもっと違った書き方があったんじゃないか……。

 本当に真也さんは日記を読んでくれるのか、そして書いてくれるのか。


 授業中、窓際の一番後ろの席――真也さんの席をそっと盗み見る。

 真也さんは窓の外をぼうっと見ていた。

 私に気づいた様子はない。



   ◇   ◇   ◇



 それから数日、真也さんと話す機会は訪れなかった。

 交換日記がどうなったかわからない。


 一度だけ、休み時間に真也さんと目が合った日があった。

 私が見ていることに気づいて、真也さんはにっこりと微笑んでくれた。

 でもそれだけ。

 すぐに真也さんは、友達とのおしゃべりに戻ってしまった。


 やきもきする日々。

 なにも手に付かない。

 走ってる間は何も考えなくて済むはずだけど、その気になれない。


 学校から帰ると、制服のままベッドに倒れ込む。


「はぁ……」


 深いため息。

 なにも意識せず、自然とため息が出たことに驚いた。

 漫画とかドラマみたい……こういうため息って本当に出るんだ——妙なことに感心する。

 伯母さんに小言を言われてうんざりしたときだって、こんな風にため息をついたことはなかったのに……。


 気がつけば、ユウが隣に寝ていた。

 プライバシーがどうとか、文句を言う気にもならない。


「……狭いんだから隣に来ないでよ」

「触れないんだから関係ないでしょ」

「気持ちの問題。横に誰かいると思うと、狭く感じるでしょ」

「僕は平気だよ」

「私が気にするの」

「……つらそうだね」

「……うん」

「真也くんのこと?」

「……うん」

「僕で良かったら、話を聞くよ」


 こんなことを相談できるのは、ユウしかいない。

 交換日記のことを話した。


「――日記を下駄箱に入れてから、まだ3日くらいしか経ってないじゃん」

「……うん」

「アイツ、筆まめなタイプには見えないし、もう少し待ってみてもいいんじゃない?」

「……うん」

「そんなに深刻に考えないでさ、別のことを心配しようよ」

「……無理」

「コンテストが近いんでしょ?」

「……撮れないでしょ……ユウのせいで」

「だったら、僕の正体を突き止めよう」

「……どうやって」

「それは……わからないけどさ」

「……ユウが消えないと、問題が解決しないってわかったらどうするの?」

「それは……僕が消えることが美里のためになるんなら――」

「ごめん」

「え?」

「幽霊だって消えるの嫌だよね……消えるってことは死んじゃうってことだもん。そんなこと、口にすべきじゃなかった……ごめんなさい」

「……うん」


「美里さん、夕食の準備があるから下りてらっしゃい!」


 階下から伯母さんの声。

 動きたくないし、食欲もない。


 だけど行かなきゃ――

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