真夜中のピーター・パン

たつみ暁

真夜中のピーター・パン

 ライバルの本が受賞した。

 ……いや、あたしが勝手にライバルって毛を逆立ててるだけで、向こうはあたしの事なんて歯牙にも掛けていないのかもしれない。もしかしたら名前も知らないかもしれない。あ、言ってて悲しくなってきた。

 とにかく、こいつだけには負けたくない、って、弱小作家なりに一生懸命、出版社に求められる作品を書いてきた。彼女はあたしより遥かに寡作なのに、悠々とあたしの頭の上を飛び越えていったのだ。


「ワンダーフォーゲル部の青春物語を書くにあたって、彼女は実際に旅をした。その経験が実に遺憾無く発揮されている」


 文学賞選考委員のお偉い爺さんは、手放しで彼女を褒め称えた。

 そう、それは、最近SNSで学級会炎上していた話。


「作家は体験した事しか書けない」


 まあ、実際には、それくらい勉強しないとリアリティが無いよっていう意味なんだけど、揶揄されたと激怒した人の数は、正しく意味を捉えた人よりも多くて。もちろんあたしも、ちょっと……いや、うん、かなり、捻くれた。

 あたしの得意分野はファンタジーだ。ならあたしは何回魔王になって世界を滅ぼしているんだ? と、スマホを握る手に力を込めた。


東谷とうや先生、才能秘めてるのはわかるんだけど、リアリティが足りないんだよねー」


 デビューからあたしを見守ってくれてる編集者の風間くん(くんと言うとるが、実際の年齢はあたしより十は上だ)(なおふくよかな見た目に似合わずフットワークは軽く、二人の娘がいる愛妻家)は、ペーパーレスを守ってPDFに変換した原稿を収めたタブレットにペンを走らせながら、赤入れをしてゆく。


「ここ。この、空を飛ぶ描写がもっと臨場感をもって書けたら、すごーく面白くなると思うの。先生、飛行機に乗った事無いって言ってたっしょ」


 そう。あたしは筋金入りの高所恐怖症。あんな鉄の塊が空飛んでたまるかと思っている。さらに言えば、夢の国のような遊園地にある、高所を高速で走る系のアトラクションには、一億円積まれても乗らない、と誓っている。


「一度経験すれば、見方も変わると思うよー。昔懐かしバンジージャンプするだけでも、さ」


 風間くんは、そう言うと、以前はヘビースモーカーだったが昨今の嫌煙事情で煙草の代わりにした、プリン味豆乳の紙パックを手に取り、ずずずっと中身をすすった。


 出版社を出る頃には、すっかり夜も更けていた。風間くんがタクシーを呼ぼうとしてくれたのを断って、歩いて帰ることにした。あたしの家は、ちょっと頑張れば出版社の徒歩圏内。デビューした時に、ここに骨を埋める覚悟で、『作家なんて食っていける職じゃないのに』と愚痴る両親から逃げるように、2DKのアパートを借りた。

 いつか猫を飼おうかとか、もしかしたら二部屋必要になる相手ができるかもしれないとか。そんなことを夢見ていた時期もあったけど、今や一部屋は資料本の積み上がった仕事場。一部屋は物置兼寝室。一人で人生終わらせる気満々の構造である。

 そんな我が家まで、深夜のお散歩。この辺は治安も悪くないし、街灯も多いので、危機感を覚えずに歩ける。


「空を飛ぶ、かあ」


 夜も眠らない街の明かりですっかり星の見えなくなった宵空を見上げて、ぽつりと呟く。すると。


「お嬢、空、飛びたいか?」


 突然ぽん、と背中を叩かれて、びっくりした勢いで心臓が口から転がり出るかと思った。ばっくばっく鳴る胸をおさえながら振り返れば、緑の服と帽子をまとった、童話の世界から飛び出してきたかのような格好の少年が、くりくりとした瞳で、あたしを見上げていた。

 こんな時間に、どう見積もっても中学生にしか見えない少年が、コスプレ状態でいい大人をナンパとは何事か。


「坊や。どこから来たのか知らないけれど、子供の一人歩きは危ないわよ。送ってあげるから、おうちを教えて」


 真っ当な大人としての務めで、少年を諭す。途端、その瞳がさらに真ん丸く見開かれて、少年はぷうと頬を膨らませた。


「失礼なやっちゃな。ワシはお前さんより二百年は長く生きておるぞ」


 ピーター・パンみたいな格好をして、一人称「ワシ」か。そして二百年以上生きていると。いやー……、これは気合いの入った厨二病だ。これは相手の気が済むまで付き合ってやるしかない。


「はいはい。その長生きさん。それじゃあ、あたしと一緒に空中散歩とでも洒落込みますか?」

「言ったな!」


 少年が、心底嬉しそうに笑顔を弾けさせる。そして、あたしの手を、意外と大きな手でがっしりと掴むと。


「離すなよ!」


 その言葉と同時に、ふわりと、足が地面を離れる気配が訪れ、内臓が持ち上がる感覚がして。

 あたしは、少年と手を繋いだまま、道路を、街灯を、家々を眼下に置いて。


 空を、飛んでいた。


 出るかと思った悲鳴は、出番を忘れた。飛んでる。飛んでますよ風間くん。あたし今、バンジージャンプじゃないどころの高さまで急上昇中!


「こんなものではないぞ!」


 少年が、私の両手を握って、向き合う形になって、急旋回。遠心力で吹っ飛ばされる吹っ飛ばされる! いやギリギリ吹っ飛ばない!

 あたしが顔面蒼白になるのを、ピーター・パンはからからと笑い飛ばしながら、さらに天高くへ昇る。地上からは見えなかった星々が輝き、満月がまあるい笑顔で白く輝いている。

 素直な感想は、思わず口をついて出ていた。


「……綺麗」

「じゃろ?」


 ふわふわと足元は頼り無い。でも、常々思っていた、落下するかも、という恐怖は無い。まるで星空に包まれるような、風の心地良い、深夜の空中散歩だ。


「お嬢」


 少年が歯を見せて屈託無く笑う。


「忘れるなよ。ワシを忘れても、この空を、忘れてくれるなよ」


 それを合図にしたかのように、浮遊感がふっと消え失せて、あたしは、落ちる、落ちる。

 地面に激突する!

 その予感に血の気が引いたところで、記憶は途切れて。


 次に気づいた時には、自宅の万年床の中で、しっかりパジャマを着て、お風呂にも入った状態で、すずめの朝を告げる鳴き声が窓越しに入ってくるのを、ぼんやりと聞いていた。


「東谷先生、本当にバンジーしたの?」


 次の打ち合わせの時。風間くんは今日はティラミス豆乳を飲みながら、感心しきりでタブレットを見ていた。


「空の飛び方、今までと全然書き方違うじゃないすか。いい。こっちのが絶対いい」


 うんうんとうなずく風間くんに、あたしは不敵に笑って、二百歳以上のピーター・パンの無邪気な顔を思い出しながら、返すのだった。


「綺麗な空を、永遠の少年と一緒に見たからよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中のピーター・パン たつみ暁 @tatsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ