第6話「悠久にまどろむ刻の方舟」
――惑星ファルロース。
極めて平凡な大気と重力を持つ星で、南緯72度以南はエーテルの海に沈んでいる。地軸の傾きは8度、よって南極を中心とした約二割の面積が生存不能区域である。
そして、エーテルの海と接する軌道上には軍港施設が密集し、ファルロースを取り巻く王冠のように広がっていた。
サレナとエクセリアーデを乗せた
「では、殿下。補給完了を待って自分はノルヴィーユで出ます」
港で
イットーはすぐに再び出撃し、協商軍の艦隊を
思わずサレナは、隣に立つエクセリアーデをちらりと見やる。
彼女はさして気にした様子もなく、
「いいこと? サカキ大佐。交戦は許しませんわ、危なくなったらお逃げなさいな」
「今すぐにでも逃げたい気分ですけどね。でも、そうもいかんでしょう。軍人なので」
「まあ、それもそうね。では、
「殿下も、クライン少佐もね」
敬礼を交わして別れた。
これがもしかしたら、
そして、その悲劇はファルロースに住む臣民たちにも迫っているのだ。
軍港を歩き出したエクセリアーデは、一度も振り向かなかった。
その背に続けば、彼女は迷わず自動運転の車を拾う。周囲は緊急事態もあって騒がしく、その中でエクセリアーデの美貌は酷く目立った。
だが、二人きりの車内になって……
「くっそー、協商の連中……あと、魔女めっ。ブッ潰してやるんだから」
「ちょ、ちょっと、殿下! あ、エクセちゃん?」
「はいはい、エクセちゃんですよ、
エクセリアーデはそっと手を伸ばして、端末に行き先を入力する。同時に、走る車のガラス窓をブラインドモードに切り替えた。
そうして外の視線を完全にシャットアウトすると、密室の中で声を
「さっき、協商軍の中に小太りの軍人がいたわよね」
「え、ええ……突然撃ってきて驚きました。なんなんです、あれ」
「割りと有名人よ。知名度ゼロだけど」
「どっちなんですか」
「自分では魔女並に有名だと思ってる、ようするに迷惑な『やる気だけはある無能』ね。確か、サー・エドミントン、男爵だったかしら」
さして興味もなさそうに、エクセリアーデが車内端末を指でなぞる。
しかし、意外な言葉にサレナは驚きを禁じ得なかった。
「サーって……えっ、
「立憲君主制っていうのよ。君臨すれども統治せず、でも……あの野郎、撃ってきたわよね」
「エクセちゃん、言葉!
「もとからこんなもんよ。で……魔女はともかく、あの男は信用ならないわ」
エドミントンなる男は、さる小国の貴族だそうだ。協商の一部に併合されてからは、政治は民主主義に委ねて象徴的な立場に甘んじている。しかし、由緒正しき武家の人間として、軍にも出入りしているとのことだった。
この手の血統主義者は、アルス皇国にもいる。
というか、皇国の方が遥かに多いし、サレナも何度も困らされたものである。
「サレナ、あたしはこれから臣民の脱出艦隊を編成、指揮しなきゃいけないと思う。……まあ、船はかき集めるとして、問題は山積みなのだけど」
「わっ、わたしもお手伝いします!」
「もち、そういう方向で宜しく。あんたにはやってほしいことがあるのよ」
ぐっと身を寄せ顔を近づけてくるエクセリアーデ。
その美貌が間近に迫って、思わず気圧されサレナはのけぞった。
そんな中、車は巨大なゲートをくぐってドック施設に入ってゆく。なにやら警備が厳しく、そこかしこに銃を持った
そして、エクセリアーデは自分のIDを使って検問を何度も通過する。
不意に視界が広がり、思わずサレナは立ち上がってしまった。
「あっ、あれは! ……凄く、凄い……大きい! えっ、あれがもしかして」
「そうよ? 昨年、エーテルの深海から引き上げられた
思わずサレナは窓に両手で張り付いてしまった。
皇国の大戦艦クラスでも、こんなに巨大ではない
直線と曲線が見事に融和した、とても美しい艦……の、残骸に見える。
「これ、動くんですか?」
「動かすのよ。みすみす協商軍に渡してたまるもんですか」
「はあ……でも、見た感じボロボロですけど。千年以上前の艦なんですよね」
「作業は進めてるわ。進捗は遅れてるけど大丈夫。あんたもいるしね」
ふと、視界の隅を一瞬だけ違和感が瞬いた。
こんな殺伐とした軍港に、真っ赤なワンピースの女の子が
その少女は、まるでサレナの視線に気付いたかのように振り返る。
目と目があったのもその瞬間だけで、すぐにその光景は飛び去った。
巨大な遺宝戦艦だけが、距離感を食い潰すように沈黙している。
そして、なだらかな坂を上がったところで車は静かに停止した。
すぐに、作業中だった人間が何人か駆け寄ってくる。
「さて、行くわよ……こっから先はミスは許されないわ」
「は、はいっ! わたしも頑張ります」
「ええ、頼むわ。皇国一の英雄なんて言われてても、あたしは一人じゃなにもできないから……イットーに言われたわ。信用できる人間を増やせって」
「そ、それで、わたしを?」
「飛び級のエリート女性士官なんて格好いいもの。ね、艦長さん?」
「はあ」
ニコリと笑って、エクセリアーデは姫君の仮面を被り直す。
そうして外に出れば、
そして、またしてもサレナは意外な事実に驚くことになる。
「殿下、お待ちしてました。この子ですか? ……大丈夫なんですか、妙に若いですけど」
「お疲れ様だよー、殿下ー! 今ね、
「あっ! え、嘘、なんで? この人、
皆、女だ。
作業着姿も軍服姿も、女しかいない。
大人もいれば子供もいる、っていうか、ずっと年下に見える女の子までいる。そうなると、先程見た赤いワンピースの少女ももしかしたら関係者なのかもしれない。
それにしても、驚いた。
皇国軍でも女性兵士は一般的だが、絶対的な数が少ない。
なのに、ここでは逆に女しかいないのだ。
「じっ、じじ、自分はサレナ・クライン少佐であります! ……挨拶、ヨシ?」
とりあえず敬礼して名乗った。
だが、女たちはキョトンとした挙げ句に笑い出した。
拍子抜けだが、悪気がないのだけはわかる。どこかゆるくて自由な気風が感じられて、それは決して不愉快ではない。それに、軍の規律はここでもちゃんと機能はしているようだった。
「遅れました、私はリプリア・ショルツ中尉です。技術士官、まあ軍属扱いですね」
「あたしはエンテ・ミンテだよー? 階級は少尉。射撃担当ー」
「自分はキャルメラ・ミルラ少尉っす! レーダー手やってるっすよ」
皆、敬礼はピシッとしてたし、なあなあで働いている訳ではないようだった。
もしや、この面々だけでこの
周囲を見渡せば、クレーンを操作している者も、資材搬入をチェックしてる者も、みんな女性ばかりだ。男が全くいない。
サレナが驚きに目を丸くしていると、リプリアと名乗った技術士官がエクセリアーデに報告を始めた。
「あと一週間もあれば海に出られます。けど……外の騒ぎじゃ、遅いですよね」
「ええ、遅くてよ。48時間以内に
「そんな無茶苦茶な……そもそも艦長がいないんですよ?」
「無茶を通せば道理は引っ込みますわ。それに、無理かしら? 無理なら無理と言って
「……やれます。いえ、やりましょう。どの道、こいつが動かなきゃ明日から我々も民主主義者です」
「そうよ? 千国協商の二級市民にされたくなかったらやるしかないわ。それと……艦長さんなら拾ってきたから大丈夫」
サレナは思わず自分を指差し「は?」と間抜けな声を出してしまった。
思えば、ずっと不思議だったのだ。
ようやくその意味がわかった。
エクセリアーデは、フフンと鼻を鳴らして得意げな笑みだった。
「この子を……遺宝戦艦エルベリヲンをお願いしますわね? サレナ・クライン中佐?」
「え、あ、ちょ……って、中佐!?」
「わたくしの権限で
もう、
そろそろファルロースの総督府には、協商軍からの降伏勧告が届いているだろう。それを受理して全てを明け渡さねば、この星は滅ぶ。7,000万人ほどの臣民が皆、殺されてしまうのだ。もしくは、死よりも辛い主義者矯正プログラムに叩き込まれる。
ここに今、遺宝戦艦エルベリヲン艦長サレナ・クライン中佐の戦いが始まるのだった。
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