深夜のお散歩

香居

私は今夜も、並木道を颯爽と歩く。


 時間帯も相まって、人気ひとけのないのが気楽でいい。

 そよ風に乗って花の香りがすれば、ほのかなパフュームをつけた気になるし、小さな動物を見かければ心が弾む。仕事上、無機質でいることを要求されるから、オフの時間はこうして、感覚を、感性を取り戻すの。

 同僚の中には、バカじゃないの、という人もいる。私たちが無機質なのは当然で、それが私たちの役割なんだから。私たちはただ、綺麗なだけの存在であればいいのよ、と。

 たしかに仕事中の私たちに、豊かな表情を求める人はいないだろう。もしかすると、気味悪がられたり逃げられたりしてしまうかもしれない。そうなったら本末転倒だし、最悪、仕事を取り上げられてしまうかもしれない。

 それはいやだな、と思う。私は仕事が好きだし、私たちにしかできない仕事だと誇りに思ってる。だから多少無理なポーズでも自然に見えるように工夫して、一日中静止しているの。

 ともかく明日の英気を養うため、今を楽しもう……と歩を進めていると、向かいから誰かが歩いてきた。

 これはまずい。私だとバレたら、二度とお散歩ができなくなってしまう。……どこかへ隠れる? 辺りを見渡すけれど、この辺りの樹々たちはまだ若い。巨木が一本でもあれば身を隠せたのに。

 考えても良い案が浮かばなかった私は、最後の手段を取ることにした。


 その場で静止。


 無機質に。無機質に。

 仕事中を思い出し、表情を消す。これで立派な〝よくわからないけれど放置されたマネキン〟のできあがりだ。時間帯的にホラーでしかないだろうし、逃げられるのは悲しいけれど、お散歩を取り上げられるよりマシ。

 足音が近づいてくる中、私は、心の中で「無機質に」と唱え続けていた。

 数十秒が数分にも感じられた頃。


「あれっ?」


 意外そうな口調は、どこかで聞いた声だった。思わず静止をやめて、そちらを見てしまう。


「えっ……」


 私は絶句した。近づいてきたのは、3丁目の紳士服専門店のマネキン──ジェフリーくんだったのだ。


「あっ、やっぱりそうだ。君、この間の展示会にいた子でしょ」


 気さくに、爽やかに挨拶してくれるジェフリーくん。


「覚えててくれたの?」


 様々なブティックから出張していた、100体近くのマネキンがいたのに。


「当たり前だよ。可愛い子だなって思ってたから」

「そうなの? ウチのお店は、一番人気のリサもいたよ」

「そうだっけ? 俺、興味がある子にしか目がいかないから」


 さらりと言うのがカッコいいし、ウインクも茶目っ気があって、私の中で好感度が上がっていく。


「あははっ。上手だね」


 私もさらりと受け流そうとするけれど、ちょっとドキドキしてしまって表情がうまく作れない。

 最初は緊張してしまったけれど、しばらく会話を交わすうちに、少し打ち解けられた。ジェフリーくんの雰囲気作りが上手いんだろう。

 話を聞くと、ジェフリーくんも深夜のお散歩が好きみたい。


「今まで会ったことなかったね」

「うん。今日は全然違うルートを歩いてみたくてさ。正解だったよ」

「この並木道、綺麗でしょ」

「それもそうだけど。君に会えたからさ」

「私……?」

「うん。ずっと喋ってみたいなって思ってたから」

「そうなんだ。ありがとう」


 私たちはお互いに、ふふっと笑った。



 誰にも理解されないって思ってた。でも私自身が好きなことだから、それでも良いって思ってた。

 わかり合える人がいるって、こんなに嬉しいことなんだ。

 帰り道、気づいたらお店までスキップしてた。

 深夜のお散歩、やっぱり楽しい♪


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